gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

 <2011年あれこれ> 「伊佐庭如矢・道後物語館」のすすめ

2011-12-31 20:59:03 | 日記・エッセイ・コラム


P1060375
  NHK
ドラマ『坂の上の雲』3部作が今年で終了する。これから南海地震・老朽化対策のために国の重要文化財・道後温泉本館の保存修復が本格化し、期間は11年かかるという。その影響予測では、入浴客は9割減、宿泊客は年間50万人(現在110万人)に減少するとのこと。この機会に、道後温泉本館の建設を手掛けた伊佐庭如矢について話をする機会を得た。

P1050021_2
  秋山好古の墓も鷺谷墓地にあるが、その階段を上ると正面に伊佐庭如矢の墓がある。「禿毫庵(とくごうあん)碧梧桐」という学者らしい筆塚の墓碑。土佐藩士で町医者の父・成川如水の子。
16歳になると阿部家の養子に迎えられ、28歳のときに、勤王の志士を育成する「老媒下塾」を開き子弟を育てた。明治維新とともに、道後の古きゆかしい地名・伊佐庭の姓に改名。明治の市町村制のもとで道後湯之町の初代町長に請われ、命を狙われるほどの住民の大反対に会うも、総工費135千円(当時の町予算の162倍、現在価格20億円以上)の道後本館が、明治27410日に落成した。Img_0001
松山藩主おかかえの城大工・名棟梁の坂本又八郎に設計をさせ、和風建築に西洋式のトラス工法を取り入れ、ギヤマンのガラス障子、屋根には振鷺閣を設け、伝統的な建築技術と近代的な手法を組み合わせた三層楼の大建造物。落成の日は天気晴朗。愛媛県知事・小牧昌業が入浴初めをなし、道後在住の80歳以上の翁・おうなを入浴させた。当時の新聞は「その壮麗天下に冠たり」と絶賛した。

P1050151_4
  伊佐庭は、道後本館の建設にあわせて、一番町と道後間を結ぶ「道後鉄道」を明治
288月に開通させている。この年の4月に夏目漱石が松山にやってきた。三番町の城戸屋旅館に泊まり、その後、一番町の愛松亭(裁判所の裏)の離れに下宿、6月には二番町の上野義方の2階建ての離れに引っ越す。827日、松山に帰省してきた正岡子規に1階を明け渡し、ここを愚陀仏庵とした。52日間の共同生活のなかで文学者・漱石、子規の俳句革新が誕生した。

子規は、漱石とともに二番町の愚陀仏庵から伊佐庭が開設した道後鉄道に乗り、道後温泉本館に入浴し、三層楼より道後の町を眺望している。「柿の木にとりまかれたる温泉(いでゆ)哉」。小説『坊ちゃん』で「温泉だけは立派なものだ」と漱石に言わしめたのは、「百年の計」で道後のまちづくりを考えた伊佐庭如矢の業績である。
P1060374_3
  愚陀仏庵を宝厳寺前に再建・誘致する議論がある。漱石や子規、伊佐庭が生きていれば、大いに叱られるに違いない。宝厳寺に温泉本館建設反対派がむしろ旗や竹やりを持ち出し、連日かがり火を焚いて騒動を起こしたことをお忘れかと。

 「百年の計」を考えれば、道後には、愚陀仏庵より道後温泉本館を創建した「伊佐庭如矢・道後物語館」がふさわしい。
<o:p></o:p>

   原田光三郎『伊佐庭翁概傳』(昭和19)/ 二神将『愛媛県の創生期を支えた能吏 伊佐庭如矢翁伝』(伊予史談会)<o:p></o:p> 


最新の画像もっと見る