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<2011年あれこれ> 「伊予市・セーラム国際交流委員会」の設立、愛媛とオレゴンの橋渡し

2011-12-31 21:17:18 | インポート

 

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 伊予市とオレゴン州セーラムとの国際交流事業をすすめる委員会が、
4月に正式発足。両市の友好親善を目標に、中学生や青少年の相互交流、経済・観光・行政などの幅広い交流を進めることになった。

 中学生派遣事業と並行して、822日から25日の日程で初めて現地の関係団体への訪問・面談を行い、愛媛県・伊予市などの産業・物産などの紹介を行ってきた。伊予市からのメンバーは、岡部悦雄(会長・伊予商工会議所会頭)、岡井英夫(伊予市副市長)氏らとセーラムからEd Davis katsumi Itoh 両氏に同行いただいた。

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   セーラム市役所では、ANNA M. PETERSON (Mayor) LINDA NORRIS (City Manager)、セーラム市経済開発機構(SEDCORE) 社長Ray Burstedt、セーラム商工会議所 専務 Jason Brandt氏らが歓待。アンナ・ピーターソン市長から、今後とも両市の関係の発展を希望するというあいさつをいただいた。懇談のなかでは、中学生・青少年の交換留学や文化交流を続けていくこと、経済・産業関係のつながりを強めるための人的交流、観光・物産など交流事業が重要であること、また、議会・行政の交流についても、韓国の金海市から職員派遣研修を行っていることを例に、今後、伊予市からの派遣についても受け入れる用意があるとのうれしい話も。

 
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  中学生も参加した市議会での公式歓迎会につづいて、市議会(議員8名、毎月第4月曜日P6:30開催、市民意見の発表、CCTVによる公開)の運営について、セーラム市広報事務長・MIKE GOTTERBA氏から説明が行われ、セーラム市政について学習。セーラム市議会では、議員さんからも歓迎のあいさつをいただき、この日の訪問団の様子については、リアルタイムでCCTVによるインターネット配信(世界発信)が行われた。

 セーラムには、ヤマサ・サンヨーなどの日系企業も早くから進出している。面談したYAMASA Corporation USA の守谷正明社長は、オレゴンへの進出理由として原材料(大豆・小麦)と水、消費税がないこと、インセンティブの高さなどをあげていた。

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  SANYO Solar of Oregon LLC
の川西康義社長からは、オレゴン州が再生可能エネルギーの先進地であること、許認可のスムーズさや対日関係のフレンドリーさ、教育水準の高さなどが進出理由とのこと。セーラム市・SEDCOREが誘致したこともあり、現在、コンファランスセンター(99kw)、チュメケタ・コミュニティ・カレッジ(200kw)には三洋のソーラーパネルが設置されている。オバマ政権のグリーン・ニューディールに呼応する動きだ。

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  8 24日 には、ポートランド・ オレゴン日米協会(JASO)を訪問。オレゴン州における日本企業・観光・文化関係のコーディネート・窓口役として、50年以上の歴史をもつ Paul Taylor (前会長・弁護士) Dixie Mckeel (専務理事)JASO役員、Charies Allcock (Portland General Electric事業開発部長)Noah Siegel (ポートランド市長室・国際部長)から、オレゴン事情について説明を受ける。特にオレゴンは環境への関心が高く住みよいこと、産業的には、再生可能エネルギー部門、フード・食料関連部門、デザイン・広告・アート・映画などのサービス産業部門において、日本からの投資や輸出入の可能性・有効性が語られた。愛媛県の産業や観光などの情報交換も行い、今後とも、様々なアドバイス・協力に応じていただけることになった。

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  今回特別に、在ポートランド日本国総領事・岡部孝道氏を表敬訪問できる機会を得た。
岡部総領事からオレゴン州やポートランドのまちづくりの先進性、アメリカの各州のなかでも高い親日性などの特徴が語られた。また、国際社会のなかで、これからの日本の青少年教育のあり方や国際交流についても貴重な意見交換。

 825日には、オレゴン州議会を視察・訪問。オレゴン州議会下院議員 Vicki Berger 議員の協力で、オレゴン州議会議事堂・上議会に招待され、オレゴン州の議会構成(下院60、上院30)や市民議員としての役割、議会開催や議決方法、公開性、公聴会制度などについて詳しく解説。

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  最終日のレセプションでは、セーラム市長のAnna Petersonさんから、「互いの市民の国際意識を促進するための非常に有益なプログラムです」と、長期にわたる伊予市との交流に協力を惜しまないとの伊予市長へのメッセージをいただいた。国際的な視野を持った次代の担い手を育てるためにも、伊予市とセーラム、愛媛県とオレゴン州との交流の絆をさらに強固なものにしていきたいもの。


<2011年あれこれ> 郡中の芝居小屋の歴史と「寿楽座文化ホール」

2011-12-31 21:10:50 | インポート

 

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 伊予市の文化施設のあり方が問われている。合併後の新庁舎建設と関連して、庁舎に隣接した現在の市民会館の代わりに新たに文化ホール(10.2億円)を建設するという。一般集会施設と文化施設の違いも認識されないままに、まちの郊外のウェルピア伊予に併設するとか座席数とか、基本となる理念やコンセプトがないまま、ソフトなき
「ハコ物」論議が先行している。年間20回も使われていない現在の貸館大ホール(650)の現状。旧厚生年金施設の購入・引継ぎのためにすでに10億円が投入され、維持管理費や今後の修繕・改修費を考えても、人口減少と市税収入(現在37億円)減、実質公債費比率15.2%の伊予市の財政力では荷が重すぎる。2035年29,264人、老齢人口37.1%という将来の伊予市の姿を見据え、日常的に市民や文化団体が参加し気軽に利用できる文化活動の拠点こそ求められているはずなのに

 
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 内子の町並み保存のシンボルでもある内子座では現在、楽屋増築や周辺整備が進められている。高知・香南市(旧赤岡町)では、まちなかに弁天座という芝居小屋を再生して日常稼働率8割以上という町民利用が実現している。

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 行政が「公の施設」として会館・ホールを建設し始めたのは、昭和30年代頃から。そもそも庶民の芸能・文化は、芝居小屋から始まっている。郡中の歴史からもそのことがわかる。
江戸時代後期には、人形浄瑠璃や歌舞伎芝居などが奢侈禁止のもとで禁令されたが、社寺や市・祭礼などに伴う興行は許可されていたことが古文書に残されている。『半窓日記抄』には、天保13(1842) 415日夜 光明寺 浄瑠璃場に角力取ノ喧嘩 (灘町)、嘉永4(1851) 56日 上行寺 能芝居初日11日仕舞(灘町)とある。また、文久元年(1861)に奈田町(灘町)が伊豫稲荷神社に奉納した絵馬「豊年踊図」には、力士や芸人などの風俗画が描かれており、様々な興行が行われていた。

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 明治以降になると常小屋として、明治35(1902)頃、萬永座が湊町に初めて設けられた。大正5(1916)まで興行がおこなわれたが、それに代わる形で大正8(1919)に灘町に寿楽座ができている。当時の写真にあるように、松山市の新栄座(明治2010月落成)を模した、望楼と千鳥破風の大屋根が特徴的であり、郡中のシンボル的な建築物であった。
  大芝居一座の地方興行が盛んになるにつれ、松山をはじめ県下各地に常設演劇場が建築された。これらの地方演劇場は活動写真の創生後、映画館を兼ねることとなり、「普通選挙促進」などの政見演説や各種の集会場としても利用された。大正5814日の夜、郡中灘町・湊町で米騒動が起こり、松山や宇和島へと暴動が広がった。都市人口の増加や大正デモクラシーを背景に演劇場が増えたとされる。湊町・増福禅寺には明治28(1895)と銘がある浄瑠璃太夫「豊竹邑太夫」墓が残されており、浄瑠璃が当時の庶民文化として根付いていた。

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 戦後は、映画館として利用され、昭和31年の伊予商工名鑑によると当時、品川静子が経営していたが、昭和38(1963)に閉館し、その後取り壊された。寿楽座の鬼瓦や鳳凰の飾り、梁の一部などは、湊町の仲田家に残されている。

最近、寿楽座支配人の子孫から寿楽座の呼び出し太鼓を持っていたという貴重な話が飛び込んできた。近々、升席や花道などの内部の様子の図面を送ってくれるとのこと。

  こうした郡中の庶民文化の歴史をたどり、町並み保全や景観整備計画にあわせて、まちなかに、゛室内音楽と芸能・演劇の拠点゛「寿楽座文化ホール」の再生ができないだろうか。

 伊予市らしい誇れるまちづくりのために、市民の文化力が試されている。

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