London Evening Standard【
Mika takes off - the rise of the Prince of Pop】
London Evening Standardのインタビュー。
タイトルは『MIKAの出発-Pop Princeの台頭』という感じでしょうか。
とても長くて(といっても3分の2はインタビュアーの語り)、土曜の夜から始めたものの自分の英語力の無さと、内容への拘りで結局2日がかりで約半分。
とりあえずここまでで1度アップしたいと思います。
続きは・・・できるだけ早いうちにやりたいと思います。
あくまでも個人的に作業したものです。
訳しきれない部分はそのまま英語で掲載しています。
気になる点がありましたら(あり過ぎるかも)、教えて頂けると私の勉強にもなりますので、ぜひ。
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MIKAがくすくす笑っている。
いい響き、かわいいといよりは、誠実なような、少し鈍くさいような。
「僕のことを、ヘンな奴だって思うよ」。
レバノンとstuarineのハーフは、おかしな声で言う。
「僕は匂いを集めてるんだ。もし自分が大好きな匂いがあったら、例えばタールとか、goddaughterのプラスティックの人形とか、小さい破片をボトルに入れて、ラベルを貼るんだ。それをバスルームにある冷蔵庫に保存して・・・」、彼は中断して、長い手で決まり悪そうに顔を打つ。「自分でおかしな実験室とか、処理場とか、なんだかそんなものみたいに作ってるんだけど、でも違うんだ。匂いの図書館みたいなもので、僕の本棚にある全ての本よりはマシってことで。もっと話は長いんだ。」
MIKA(Michael Penniman)に会うのは、非常に興味深い。
彼は本当に風変わりだから。
背が高く(6ft4in=1m93)、ハンサムで、ヒットソングの『Grace Kelly』を歌い、「少しだけシャイ」だ。私と目を会わせるよりは、大衆の前でパフォーマンスをするのを好む。セクシャリティについては曖昧にしており、彼の恋人が男性であったかか女性であったかは話さず、ただ揺らいだから終わらせなければいけなかったという。
彼は輝き、たくさんの人々、特に子供に愛されるPop Starであるが、彼はWagner、オペラ、パントマイム、演芸に対する知識が豊富で、golem、歌舞伎、スーパーヒーローに関する理論は溢れるほどだ。彼はまるでパズルのように謎で、夜通し語ることだってできたと思う。
現在26歳のMIKAが突然世間の注目を浴びるようになったのは、2006年1月の『Grace Kelly』からで、クレイジーな告白歌詞と軽快なアルペジオによるものだった。MIKAいわく『セビリアの理髪師』にインスパイアされたそうだ。この曲は5週連続1位を獲得し、その後発売された1stアルバム『Life in Cartoon Motion』は15カ国でチャートトップを飾った。
彼のアルバムアートワークは、姉のYasmineと共にデザインされており、彼が生きている世界を想像させる。
Saint-Exupéryの『星の王子様』のような衣装はクレヨンで描かれたように鮮やかに彩られ、trilbyをかぶり、彼はポップに新しい道化的な要素というエネルギーをもたらした。
いささか驚いたことに、彼はマイケル・ジャクソンの靴を手に入れていた。
マイケルが亡くなった時、Christian Louboutinはマイケルの『This is it』tourに使用する靴を作っており、それをMIKAにプレゼントしたのだ。
MIKAは敬意を払い、ムーンウォークの為に作られた金色のその靴は履かないという。「僕は偉大なダンサーというわけではないから。違うってことを僕はわかってるよ。」水の入ったコップをじっと見つめながら言う。
「でも僕はできるんだ。ただ、違うだけ。君は制約の中で仕事をするだろう。そしてそんな中でこそ際立つことができるんだ。君は自分の制約(限界)を否定することはできないよ」
MIKAにはそういった賢明な部分が見られる。いつか『The Little Book of Mika』という本を書いたほうがいいかもしれない。
でもまずはMatthew Vaughnの新作で Aaron JohnsonとNicolas Cageの出演作でもある作品のテーマソングでもある彼の新しいシングル『Kick-Ass』。そして彼の2nd『The Boy Who Knew Too Much』のプロモーションツアーだ。
初めてのツアーで彼は、音楽評論家達に「(全てにおいて)やり過ぎだ」と批判された。何をしたかって、数人の金色の衣装を着た天使達と大きな『Alice in Wonderland』のセット、カーネーションのベッドに踊るゴリラ?
今回の彼は、ステージデザイナーEs Devlin(Lady GaGaやKanye Westとも仕事をしている)の協力によって部屋2軒分はありそうなくらい大きな本をステージいっぱいに溢れさせている。
MIKAは「彼女にはRoyal Opera House production of Salome(LondonのRoyal Opera Houseで行われたSalomeの公演?)で会って、惹かれたんだ。彼女は僕が好きなコレボレーターのうちの一人。僕は強い女性とコラボレーションするのが大好きなんだ。僕の姉もすごく強いよ。」セットはEs、アート面ではYasmine、衣装はプロのドレスメーカーでもある母親のJoanieが協力、彼はそうしてショウを作りあげ、それらの全て、芸術、音楽、ドラマが、ワーグナーの総合芸術のようであって欲しいと思っている。
「ショウは少年の成長についての歪んだおとぎ話みたいなんだ、彼の感性がどんどん闇になっていく。僕がその少年かだって?うん、そうだね、そう思う。」
MIKAはアメリカ人ビジネスマンの父親とレバノン人の母親の、5つの大きなボヘミアンファミリーの中で生まれた(彼の弟と妹はFortuneとZuleikaという)。はじめはベイルートに住んでいたが、その後パリ、「かなり保守的なエリアで、馴染めなかった。家は遊び場みたいだったんだよ。僕達は家具を壊したり、映画のセットみたいに部屋を作り直したり。良く見せようとは思ったんだよ、母は全部白く塗って、テレビは僕がスプレーでペインティングして、テーブルも、なにもかもね。」。
ケンジントンにある地下のフラットには今でも住んでいる。
「そこがとにかく気に入ってるんだ。籐椅子からテレビ、全部白く塗られてる。」彼はショウではカラフルでいることに拘っているが、日常の、ワードローブの中は白いTシャツにセイラージャンパーと、非常にシンプルだ。「僕はいつだって2つか3つ買わなきゃ気が済まないんだ。だからラッキーだよ。」彼はたまに強迫観念に混乱することがあるという。「たまに自分が怖いんだ。もしシリアルを買うなら、食べきってしまった時のために、2つ買わないと気が済まない。」
彼はとても個性的な子供で、パントマイムのMarcel Marceauのようにベビーパウダーを塗りたくったりしていた。(私は彼の言うことに頭がいっぱいになってしまった。彼のようになってみたかったのだが、いつもパウダーが目に入ってしまうのだ)。
でも8歳のころ、闇が始まった。彼の父親は仕事でクウェートに行き、戻らなかった。当時クェートはフセインに侵攻され、MIKAの父親はアメリカ大使館で人質として数ヶ月の間拘束された。彼は心を閉ざし、家族がロンドンに移った頃、彼は深刻な失語症にかかり、読むことも書くこともできなくなった。 Lycée Français in South Kensingtonに通っていた彼は、不幸だった。彼のエキセントリックな服(蝶ネクタイにおそろいのズボン)とおおきなお尻のせいでいじめられていたのだ。彼はこれまでずっと今のような細身であったわけではないのである。
彼の子供時代は、ポップキャリアというよりもオペラにできるほどであろう。金銭的にも彼の家族は全てを失い、彼は未だにその思い出にショックを受けているという。2人の家政婦を雇っていたのが、支払いが滞っていたためにテレビさえも持ち去られたという。それでもなお、両親はMIKAを失語症の特別授業を受けられるWestminster Schoolに通わせていた。そして彼はLondon School of Economicsへの入学を勝ち取る。1日で終えてしまったが。
ポップスターダムに行くか、やめるか、Royal Academy of Musicでトレーニングしている間、彼はレコード会社をまわり、自分を売り込んでいた。彼はSimon Cowellが彼の歌を「成功するとは思えない」と言うまで困らせ、Bee Gee Barry Gibbのエンジニアは彼をレコーディングスタジオに入れた数時間後に首になったという。彼(MIKA)は自分が厚かましいと認めて、「でもNYなら単純に図太いってだけさ」。最終的に彼がホンモノのレコード会社の重役に会った時、彼はおたふく風邪にかかっていた。「誰にも言わなかったよ。ミーティングには大きなスカーフを巻いて歩きながら、みんなにキスしたよ。これは僕と契約しなかった奴らに向けたアイディアなんだ。」彼は未だにこのアイディアが気に入っている。「僕と契約したら、おたふく風邪にならないよ!」。
UKではIsland Records、USではTommy Mottola(Mariah Careyの元夫)のCasablanca Record。MIKAは辿りついたのだ。
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つづく。