ももママの心のblog

猫が大好き。有料老人ホームで生活相談員をしています。映画が好きだけど、なかなか見られません。

東京オリンピック(市川昆)を見て考えること

2008-07-26 | 映画 その他
先日BS2で放映されていた市川昆の「東京オリンピック」を録画していたので、やっと見ました。あの時代をリアルタイムに生き、あの映画も見たけれどまだ子供だった私に、追体験的にあの時代を見せてくれる映画でもあるようです。

東京オリンピック当時、私は小学2年生。代々木に程近い世田谷の端に住んでいたため、開会式の当日空に航空機の描いた五輪のマークを見た覚えがあります。たまたまお隣の兄弟たちと、お隣のお庭で遊んでいたら開会式が始まり、「入ってみなさい」と全員テレビの前に集められ、お隣の家族とともに見た開会式。空に描かれた五輪も、お隣のお兄ちゃんが「見えるよ」と言ったので、子供たちは縁側から庭に飛び出て見たのでした。まさに、生放送。テレビに映った五輪とは角度が違うのが逆にリアルでした。

オリンピック開催中はもちろん学校もあるし、当時の子供は早く寝かされていたのでテレビにかじりついているわけには行かなかったけれど、学校も家庭も毎日オリンピックの話題で盛り上がっていましたね。終わると家にオリンピック特集の朝日グラフが購入されていて、これもみんなで繰り返し、見ました。そして、この映画が上映されると一緒に住んでいた祖母が、どういうわけか私だけ連れて見せてくれたのです。近くの映画館でやるようになるのは、だいぶ時期が遅かったのだとは思いますが、小学生の私を連れて、帰りにはパン屋さんのスタンドでコーヒー牛乳なんかを飲んだ覚えもあります。祖母は何を考えて私だけにこの映画を見せたのかしら?今となっては聞くこともできませんが・・・。

さて、劇映画ばかり撮っていた市川監督の初のドキュメンタリー。東京オリンピックは「オリンピックは人類の持っている夢のあらわれである」という字幕から始まっています。バックは燃えるような太陽です。この華々しく、美しく、希望に満ちたオープニングに表現されるように、当時のオリンピックは「スポーツの祭典」として素朴に熱狂できるものだったと思うのです。昨今は商業主義に毒されテレビ放映権の巨額なお金が報じられたり、放映時間に合わせるような競技日程が組まれたりということもありません。スピード社の水着騒動で「一体泳ぐのは人間なのか?水着なのか?」と感じるようなことも一切ありませんでした。もっと、もっと素朴に単純に楽しめる祭典だったのです。日本中がひとつになって盛り上がったという雰囲気もありました。

もちろん、当時は沖縄はまだ返還されていませんし、公害はひどいし、女性や障害者が差別されていた野蛮な時代でもありました。でも、右肩上がりの経済成長が当然のようにあって、働けば報われるという健全な時代のエネルギーがあったのではないでしょうか?この映画の最初に近代オリンピックの歴史が語られます。4年ごとに開催されてきたとはいえ、第一次世界大戦で中断し、第二次世界大戦でも2回中断(1940年に予定されてた東京大会が予定されていた)。その次の会は、日本は参加が許されませんでした。

こんな経緯をたどって、ついに世界中からお客様をお呼びできる大きな大会を主催できるまでになったのですから、世界中に自慢したいという気持ちが日本中にあったのではないでしょうか?私の行っていた小学校では「オリンピックのときは外国からたくさんのお客様が来るから、どんなところにも外国人があるいているかもしれません。お行儀良くしましょう」と言われた覚えがあります。確かに選手村も近かったので、電車に乗ったら外国人にも会ったかもしれませんが、当時の小学生は電車なんかめったに乗りません。私は、全然外国人には会いませんでした。(笑)

この映画は後に「記録か?芸術か?」という論争まであったということですが、アスリートや観客などのアップの多い作品なのです。マラソンのアベベのアップももちろん。走る哲学者・・・といった風貌のエチオピアのランナーは、実に完成された肢体を美しいフォームで走り続けていました。悲しげにも見えるこの顔は、子供心にも東京オリンピックの象徴的な顔でもありました。チェコのチャスラフスカさんの成熟した女性らしい美しさも印象的です。チェコスロバキアという国は今はないし、女子の体操は今はまったく違うものになってしまっていますが・・・。しかし、アップになるのは彼らのような有名選手だけではありませんでした。砲丸投げの前に不思議なクセを繰り返す入賞もしない外国選手、メダルを渡す係りの振袖姿の3人娘(メダルが3つなので)、プレスセンターの記者たち、近代5種に出場した日本選手は37位に終わりましたが、水泳で肩を痛めて一人、平泳ぎだったそうです。独立からまだ4年のアフリカのチャドから来たアスリートの姿も追っていました。22歳だった彼は、今はどうしているのでしょうか?

マラソンの時に沿道に連なる人たち。子供、大人、男、女、おばあちゃんも、おじいちゃんも・・・。背伸びして、肩車して、走って追いかけて、旗を振って・・・。自転車のロードレースは八王子郊外に作られたコースだったそうですが、まだ牧歌的なわらぶき屋根の民家が残っていて、その縁側でのんびりと観戦することも出来たのです。もちろん、マラソンコースになった都心も、今とは様相がまったく違います。オリンピックのために整備された綺麗な舗装道路ではありますが、洗練されたビル群の姿はまったくなく、まだ雑然とした雰囲気を残した発展都市・東京の姿を残していました。

昭和天皇のお元気な姿も、若々しい今生天皇ご夫妻のお姿も印象的ですね。美智子皇后が女優さんのようにお綺麗です。生き生きとした表情をされていて、オリンピックを本当に喜んでおられると感じました。カメラは、本当に人間と街の本当によい表情を捉えていますね。立派な記録映画であり、人間のドラマだと思います。

このオリンピックはアジアで始めてのオリンピックとのことで、日本ではアジアを代表したつもりで誇りに思っていました。聖火はギリシャで採火され、インドなどアジア各国を経由して日本に来ました。今度は北京でオリンピックが開催されますが、どんなオリンピックになるのでしょう。オリンピック自体が当時とは様相を異にしていますが、世界中に発展してきた自国を見せたいという気持ちは、当時の日本と同じような感じでしょうか?経済発展のエネルギーは、当時の日本に似ていると言われています。しかし、大気汚染の心配からマラソンが敬遠されたり他国から見たら問題満載です。自分の国のことは、その時はなかなかわからないもの。私たちの東京オリンピックは、アジアの他の国にどう捉えられていたのか?また、その後の日本はどうなって行ったのか考えさせられる映画でもありました。

1964年当時、無差別殺人も振り込め詐欺もありませんでした。ワーキングプアもありませんでした。地球温暖化もここまで深刻になるとは予想できませんでした。またまた、色々考えてしまいます。


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4 コメント

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私も (ふぴこママ)
2008-07-26 22:21:23
小学校の担任の先生が
TVを教室に持ってきてくれて
見たことを覚えています。
そして、映画は父と観に行きました。

アスリートたちが、自らの肉体を鍛え、
精神力を養い闘った姿が思い出されました。
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スポーツの夢の祭典 (ももママ)
2008-07-26 23:06:36
スポーツで平和親善ができると信じることのできる幸せな時代でしたね。事実、東西ドイツは東京オリンピックでは「ひとつのドイツ」で出場していて、国家の代りに「歓喜の歌」が使われました。良い時代だったと思います。

肉体と精神の頂点をみせてもらい、観客も熱狂しましたね。スポーツ科学も大事ですが、こんな素朴さがまた見直されても良いと思います。
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日本の今昔 (AKIRA)
2008-08-09 12:24:01
映像的にはもちろん,
選手たちの動きに焦点を当てた平和の祭典,
スポーツの記録が興味深く面白かったです。

日本の良き時代の空気も感じました。

今は前向きのエネルギーが
あまり感じられない世の中で悲しい。。
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古き良き日本 (ももママ)
2008-08-15 15:25:08
高度成長時代の日本の雰囲気は、良い時代という一面は否めませんね。希望を持って生きられましたから。
今は差別などが一見取り払われたように見えて、実は深く潜入しただけ。やはり、弱者への配慮は表向きのように思えます。希望の持ちにくい時代です。
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