今日は告別式に出た。私が洗礼を受けた教会で、長年教会学校の校長先生をなさっていた方が亡くなったのである。
実家から徒歩10分ほどのところにある教会は、小さい教団に属している。今は出席人数も減ってしまったようだし、ドーナツ化現象と少子化で教会学校も実質的になくなってしまったが、当時は教会も、教会学校もなかなか盛んだった。
昭和30年代から40年代の子どもは、今と違ってとても暇だった。親は忙しいし、今ほど家族サービスなんて考えてくれないし、面白いテレビ番組やゲームなどもなくて、子どもたちは自分たちで楽しいことを探さなければならなかった。そんな中でキリスト教の教会は、小さなオアシスであり、遊び場だった。
小学生時代は、大学生くらいのお兄さんやお姉さん達が中心の教会学校教師たちが一緒に遊んでくれて、クリスマスには必ず劇を行った。お芋掘りに連れて行ってもらったり(収穫感謝の行事だったのだろう)、飯盒すいさんをしたり(野外礼拝だったのだろう)、イースターには早天野外礼拝をした。(これも、礼拝はなにも覚えていないが、卵探しをしたり一緒に遊んだのが楽しかった)このお兄さん・お姉さんたちを育て、まとめていたのが○嶋校長先生である。毎週小学科と中高科の説教も担当されていた。
中学生になると、他の教会との合同キャンプに参加した。初めてよその教会学校の先生とも接する機会があって、いろんな教会学校があるのだとも知った。視野が広がり、私はそんな中で信仰を持つことが出来たのである。
○嶋先生は、私の父より少し年上で、温厚な人柄で優しく上品で知的。声が良くて賛美歌を上手に歌う方だった。初見でテナーとパートの音を取ってハモって下さった。職業はサラリーマンなので一般信徒だったが、子どもだった私には牧師先生より身近で、それでいて尊敬できる大人だった。
そんなふうに教会学校を楽しんでいた私だったが、反抗心もあって18歳で教会を離れてしまった。また教会に戻ったが、それは結婚してからの近くの教会であった(それが今の教会)。信仰の種を蒔かれ、育てていただいた教会には不義理をしていたのである。そんな一種の裏切り行為をしていたので○嶋先生に改まってお礼を言うことも出来ず、心の中ではずっと感謝してきたが、そのままになってしまっていた。きっと先生には伝わっていたとは思うが、改めて伝えていなかった感謝の気持ちがあることが今になって気になるのである。
牧師先生のお話によると、○嶋先生は教会学校の校長と教育担当をあわせて30年以上もされていたという。サラリーマンとしても会社役員を歴任され一流であったが、なによりも信徒として一流の方であった。教会に仕える人であった。60年余りの教会生活の中で、入院中を除いて礼拝を休まれることなどなかったという。いつも教会学校の始まる前の8時には教会に到着されていたという。そういえば、先生があわただしく準備されているところや、慌てているところなど見たことがなかった。いつも落ち着いて笑顔で教会の備品のようにいつも教会にいた。
長い奉仕生活の中で感化された方が多かったのだろう、二人の方が感話をなさった(弔辞のようなもの)。お二人とも教会学校の教え子であり、ともに奉仕された方だった。私はとても○嶋先生の様にはなれないが、目標の一つとして常に心に留めておきたい方である。
実家から徒歩10分ほどのところにある教会は、小さい教団に属している。今は出席人数も減ってしまったようだし、ドーナツ化現象と少子化で教会学校も実質的になくなってしまったが、当時は教会も、教会学校もなかなか盛んだった。
昭和30年代から40年代の子どもは、今と違ってとても暇だった。親は忙しいし、今ほど家族サービスなんて考えてくれないし、面白いテレビ番組やゲームなどもなくて、子どもたちは自分たちで楽しいことを探さなければならなかった。そんな中でキリスト教の教会は、小さなオアシスであり、遊び場だった。
小学生時代は、大学生くらいのお兄さんやお姉さん達が中心の教会学校教師たちが一緒に遊んでくれて、クリスマスには必ず劇を行った。お芋掘りに連れて行ってもらったり(収穫感謝の行事だったのだろう)、飯盒すいさんをしたり(野外礼拝だったのだろう)、イースターには早天野外礼拝をした。(これも、礼拝はなにも覚えていないが、卵探しをしたり一緒に遊んだのが楽しかった)このお兄さん・お姉さんたちを育て、まとめていたのが○嶋校長先生である。毎週小学科と中高科の説教も担当されていた。
中学生になると、他の教会との合同キャンプに参加した。初めてよその教会学校の先生とも接する機会があって、いろんな教会学校があるのだとも知った。視野が広がり、私はそんな中で信仰を持つことが出来たのである。
○嶋先生は、私の父より少し年上で、温厚な人柄で優しく上品で知的。声が良くて賛美歌を上手に歌う方だった。初見でテナーとパートの音を取ってハモって下さった。職業はサラリーマンなので一般信徒だったが、子どもだった私には牧師先生より身近で、それでいて尊敬できる大人だった。
そんなふうに教会学校を楽しんでいた私だったが、反抗心もあって18歳で教会を離れてしまった。また教会に戻ったが、それは結婚してからの近くの教会であった(それが今の教会)。信仰の種を蒔かれ、育てていただいた教会には不義理をしていたのである。そんな一種の裏切り行為をしていたので○嶋先生に改まってお礼を言うことも出来ず、心の中ではずっと感謝してきたが、そのままになってしまっていた。きっと先生には伝わっていたとは思うが、改めて伝えていなかった感謝の気持ちがあることが今になって気になるのである。
牧師先生のお話によると、○嶋先生は教会学校の校長と教育担当をあわせて30年以上もされていたという。サラリーマンとしても会社役員を歴任され一流であったが、なによりも信徒として一流の方であった。教会に仕える人であった。60年余りの教会生活の中で、入院中を除いて礼拝を休まれることなどなかったという。いつも教会学校の始まる前の8時には教会に到着されていたという。そういえば、先生があわただしく準備されているところや、慌てているところなど見たことがなかった。いつも落ち着いて笑顔で教会の備品のようにいつも教会にいた。
長い奉仕生活の中で感化された方が多かったのだろう、二人の方が感話をなさった(弔辞のようなもの)。お二人とも教会学校の教え子であり、ともに奉仕された方だった。私はとても○嶋先生の様にはなれないが、目標の一つとして常に心に留めておきたい方である。
この世の勤めを最後まで果たされた先生だから、あとはゆっくりお休みくださいと祈りました。