蒸し暑い~・・・
日本基督教団神奈川教区「性差別問題特別委員会」と「婦人委員会婦人問題小委員会」が主催する「男女共生をめざす集い」へ行って来た。講師は平良愛香牧師。会場は高座渋谷教会。
既成のキリスト教的な性倫理はかなり「カチカチ」のイメージ。禁欲的、画一的、優等生的ってところでしょうか。教会の中で性について話し合う土壌なんかなくて、人によって捉え方は様々である。講師の平良先生は三・一教会の牧師であり、立教大学で非常勤講師をされていて、男性同性愛者であることも知られている先生である。「性倫理とキリスト教」というタイトルに「同性愛者の視点から」というサブタイトルがついていた。
若い人たち話すのに慣れているためか「つかみ」が上手くて聞きやすい。そのうえ自分の性指向を命がけでカミングアウトし、様々な性的マイノリティーの方たちと関わりあう中で深い思いにまで至った方のお話なので、謙虚だし心を動かされる部分があった。
以下は、講師の話の一部。
生物学的に男性と女性がある。そして生物学的に男性の人の中に、自分を男性と認識している人と、女性と認識している人がいるのである。生物学的女性にも夫々性自認の男性・女性がいる。
下手な図を描いたのでご覧ください。(上段が生物学的男女・2段目が性自認の男女である。)
その上性指向となるとまた複雑。生物学的に男性であって、性自認が男である人の中に、性指向が女性に向いている人と、男性に向いている人がいる。もちろん生物学的男性で性自認が女性の人の中にも、性指向が女性と男性両方が存在する。(図の3段目が性指向である)
しかも、性指向にグラデーションがあって、バイセクシャルでも7:3で女性かな~とか、性指向が途中で変わるということもある。それから、性自認にも生物学的男女にも全てグラデーションがあり、あまりの多様性の存在にクラクラする?
この多様性が人間の本来の姿なのだろう。「神は男と女を創られた」と聖書にはあるが、「男も女も創られた」と受け取る部分であり、男と女しかないわけではない。男と女の間にはグラデーションがある。神様は出来損ないなんか創られない。生物学的に男女を考えただけでも多様性があるのである。
共同体の繁栄や持続のために切り捨てられてきたマイノリティーの方たちの存在から、多くの気づきをいただきたい。
日本基督教団神奈川教区「性差別問題特別委員会」と「婦人委員会婦人問題小委員会」が主催する「男女共生をめざす集い」へ行って来た。講師は平良愛香牧師。会場は高座渋谷教会。
既成のキリスト教的な性倫理はかなり「カチカチ」のイメージ。禁欲的、画一的、優等生的ってところでしょうか。教会の中で性について話し合う土壌なんかなくて、人によって捉え方は様々である。講師の平良先生は三・一教会の牧師であり、立教大学で非常勤講師をされていて、男性同性愛者であることも知られている先生である。「性倫理とキリスト教」というタイトルに「同性愛者の視点から」というサブタイトルがついていた。
若い人たち話すのに慣れているためか「つかみ」が上手くて聞きやすい。そのうえ自分の性指向を命がけでカミングアウトし、様々な性的マイノリティーの方たちと関わりあう中で深い思いにまで至った方のお話なので、謙虚だし心を動かされる部分があった。
以下は、講師の話の一部。
生物学的に男性と女性がある。そして生物学的に男性の人の中に、自分を男性と認識している人と、女性と認識している人がいるのである。生物学的女性にも夫々性自認の男性・女性がいる。
下手な図を描いたのでご覧ください。(上段が生物学的男女・2段目が性自認の男女である。)
その上性指向となるとまた複雑。生物学的に男性であって、性自認が男である人の中に、性指向が女性に向いている人と、男性に向いている人がいる。もちろん生物学的男性で性自認が女性の人の中にも、性指向が女性と男性両方が存在する。(図の3段目が性指向である)
しかも、性指向にグラデーションがあって、バイセクシャルでも7:3で女性かな~とか、性指向が途中で変わるということもある。それから、性自認にも生物学的男女にも全てグラデーションがあり、あまりの多様性の存在にクラクラする?
この多様性が人間の本来の姿なのだろう。「神は男と女を創られた」と聖書にはあるが、「男も女も創られた」と受け取る部分であり、男と女しかないわけではない。男と女の間にはグラデーションがある。神様は出来損ないなんか創られない。生物学的に男女を考えただけでも多様性があるのである。
共同体の繁栄や持続のために切り捨てられてきたマイノリティーの方たちの存在から、多くの気づきをいただきたい。
「神は男と女を創られた」を 今風に言い換えるならば「神は いろんな人を創られた」なのかなってこと。
分類しだせば きりが無いし。分類基準だって 人それぞれ。
切り捨てられたマイノリティーの話しって本 や 映画 の話でよく出てきていますよね。極端なこと言えば 戦争の最前列にいる人も 共同体に切り捨てらた人たちだと思います。ほんの50年前の 日本ですらまだ 共同体存続のために 捨石となっていった人たちがいたこと 今の時代から見ると想像すらできませんね。今の時代で 「捨石になれ」といわれたら 「嫌だよ~」と私も答えちゃうと思います。
私たち女性も社会の半分を占めているにも関わらず、常にマイノリティ。声を上げていかないと、気がついてもらえないのだと改めて思いました。
また、売買春の問題は経済的搾取の問題として取り扱うべきと思っていましたが、W牧師は「売買春」はない。「買春」があるだけ。とはっきりおっしゃって、頭の中がすっきりしました。