重いテーマに恐れず挑み、感動を呼ぶ作品を次々と送り出してくれるクリント・イーストウッドが、今度は主演と監督、製作までしています。偏屈な頑固親父があまりに似合います。でも、その奥に隠された優しさと勇気と真の男らしさが、徐々に現れていく過程が素晴らしいです。感動の一作です。
2009年(公開) アメリカ ヒューマンドラマ
2009年4月27日 ワーナーマイカル・シネマ・多摩センター
監督・製作 クリント・イーストウッド(チェンジリング、硫黄島からの手紙、ミリオンダラー・ベイビーほか多数)
出演 クリント・イーストウッド(ミリオンダラー・ベイビー、マディソン郡の橋ほか多数)、
(出演作品などは私が観たものに限る)
ウォルト(クリント・イーストウッド)は愛妻を亡くした。葬式に来ている孫のへそピアスに顔をしかめ、来会者が「ハムを食べたくて来たんだ」と言うような偏屈で頑固な老人である。妻の遺言に従って心配して来てくれる神父にも「神学校を出たての頭でっかちの童貞だ」と言ってしまう。そんな彼なので、二人の息子との関係もギクシャクしている。もっぱら家を丁寧に手入れし、自慢の愛車「グラン・トリノ」を磨き上げては、テラスでのタバコとビールを楽しみにしている日々である。そんな彼がふとしたきっかけで、隣人のアジア系の一家と関わることになる。頼りないが優しいタオ少年とその姉スーの一家である。
海外ドラマや映画を見ていると、古き良きアメリカのお父さんは、休日に家のペンキ塗りをしたりちょっとした修理なら自分でやっています。車やトラクターの部品交換もやっちゃいます。ガレージや納屋はお父さんの工房になっています。ましてウォルトはフォードの工場で組み立ての仕事を長年してきた人です。機械いじりはお手の物。葬儀の場でも「未だに50年代だと思っている」と言われていますが、良い意味でも悪い意味でも、自分のスタイルを変えないで生きてきた人なのですね。そして、そのスタイルを一番理解してくれたベターハーフを失って、社会から孤立していくように見えた彼が、血を分けた息子たちより毛嫌いしていたアジア系の人達に心を開いていく物語です。
ウォルトの口から出る悪態は、人種差別用語の連発です。アジア系、ヒスパニック系、アイルランド系など、片っ端からです。車の街デトロイトはすっかり様変わりし、周囲の住民も総入れ替え。アジア系がぐっと増えています。病院に久しぶりに行ったら、ドクターさえアジア系になっていてショックを受けたウォルトの顔が印象的です。
隣のモン族は、ラオスやベトナムに住む民族であり、ベトナム戦争ではアメリカに協力し、その後難民としてアメリカに住んでいる人達だそうです。自分たちの故郷では暮らせなくなった複雑な事情の人達なのですね。本物のモン族の方たちをキャスティングしているそうです。きっとハリウッド映画特有の、「エキゾチックなアジア人」という適当な描き方なんだろうと高をくくっていましたが、帰ってからHPを見てびっくり。本当に失礼しました。さすがクリントですね。
ですが、ほとんど演技的には素人集団のモン族が、とても良かったのです。頼りなく優しいだけだったけど次第に成長していくタオのまっすぐな目。アメリカナイズされているけど、一番たくましくお茶目なところもある姉のスーの明るさ。マイペースなおばあちゃん。さらにマイペースな祈祷師。しかし、彼らはウォルトの本質に迫ってくるのですね。息子たちが恐れて近づかないすねた頑固親父の、弱い部分にぐっと迫るのです。それがまさに、身内感覚なのですね。
モン族のチンピラたちも味がありましたね。少々紋切り型の描き方だったのが残念です。アメリカ社会の底辺で、あんなチンピラとしてしか生きていけないようになったのは、それなりにわけがあるのです。救いのないワルガキではなく、もう少し人間として描いてもらえたら、言うことなしでしたが、一つの作品にあれこれ詰め込むと蛇足になってしまうのかな?
ウォルトの弱いところ・・・。それは、拭い去れない過去の出来事です。朝鮮戦争での経験は、忘れようとしても忘れられないものなのです。人生の終わりに近づいて、今まで今まで放置していたこの問題を、そのままにしておくわけにはいかなくなったのでしょう。モン族の彼らの顔を見ていると、自分が殺した朝鮮人の顔を思い出してしまうからでしょうね。
そして、彼はこんな形で、その問題に決着をつけます。決して器用とはいえないけれど、勇気と優しさ・・・。
神父はなにやらうっとおしいと思っていましたが、きっかけを作る良い役どころでしたね。ウォルトのよき理解者でもあったと思います。きっと妻から彼のことをよく聞いていて、間接的に彼を深く理解していたのでしょう。
あちこちからすすり泣きも聞こえるラストでした。クリントの最後の出演作品になるといわれていますが、まだまだ出て欲しいです。なかなかシートから立ち上がれませんでした。それほどの素晴らしい一作でした。
2009年(公開) アメリカ ヒューマンドラマ
2009年4月27日 ワーナーマイカル・シネマ・多摩センター
監督・製作 クリント・イーストウッド(チェンジリング、硫黄島からの手紙、ミリオンダラー・ベイビーほか多数)
出演 クリント・イーストウッド(ミリオンダラー・ベイビー、マディソン郡の橋ほか多数)、
(出演作品などは私が観たものに限る)
ウォルト(クリント・イーストウッド)は愛妻を亡くした。葬式に来ている孫のへそピアスに顔をしかめ、来会者が「ハムを食べたくて来たんだ」と言うような偏屈で頑固な老人である。妻の遺言に従って心配して来てくれる神父にも「神学校を出たての頭でっかちの童貞だ」と言ってしまう。そんな彼なので、二人の息子との関係もギクシャクしている。もっぱら家を丁寧に手入れし、自慢の愛車「グラン・トリノ」を磨き上げては、テラスでのタバコとビールを楽しみにしている日々である。そんな彼がふとしたきっかけで、隣人のアジア系の一家と関わることになる。頼りないが優しいタオ少年とその姉スーの一家である。
海外ドラマや映画を見ていると、古き良きアメリカのお父さんは、休日に家のペンキ塗りをしたりちょっとした修理なら自分でやっています。車やトラクターの部品交換もやっちゃいます。ガレージや納屋はお父さんの工房になっています。ましてウォルトはフォードの工場で組み立ての仕事を長年してきた人です。機械いじりはお手の物。葬儀の場でも「未だに50年代だと思っている」と言われていますが、良い意味でも悪い意味でも、自分のスタイルを変えないで生きてきた人なのですね。そして、そのスタイルを一番理解してくれたベターハーフを失って、社会から孤立していくように見えた彼が、血を分けた息子たちより毛嫌いしていたアジア系の人達に心を開いていく物語です。
ウォルトの口から出る悪態は、人種差別用語の連発です。アジア系、ヒスパニック系、アイルランド系など、片っ端からです。車の街デトロイトはすっかり様変わりし、周囲の住民も総入れ替え。アジア系がぐっと増えています。病院に久しぶりに行ったら、ドクターさえアジア系になっていてショックを受けたウォルトの顔が印象的です。
隣のモン族は、ラオスやベトナムに住む民族であり、ベトナム戦争ではアメリカに協力し、その後難民としてアメリカに住んでいる人達だそうです。自分たちの故郷では暮らせなくなった複雑な事情の人達なのですね。本物のモン族の方たちをキャスティングしているそうです。きっとハリウッド映画特有の、「エキゾチックなアジア人」という適当な描き方なんだろうと高をくくっていましたが、帰ってからHPを見てびっくり。本当に失礼しました。さすがクリントですね。
ですが、ほとんど演技的には素人集団のモン族が、とても良かったのです。頼りなく優しいだけだったけど次第に成長していくタオのまっすぐな目。アメリカナイズされているけど、一番たくましくお茶目なところもある姉のスーの明るさ。マイペースなおばあちゃん。さらにマイペースな祈祷師。しかし、彼らはウォルトの本質に迫ってくるのですね。息子たちが恐れて近づかないすねた頑固親父の、弱い部分にぐっと迫るのです。それがまさに、身内感覚なのですね。
モン族のチンピラたちも味がありましたね。少々紋切り型の描き方だったのが残念です。アメリカ社会の底辺で、あんなチンピラとしてしか生きていけないようになったのは、それなりにわけがあるのです。救いのないワルガキではなく、もう少し人間として描いてもらえたら、言うことなしでしたが、一つの作品にあれこれ詰め込むと蛇足になってしまうのかな?
ウォルトの弱いところ・・・。それは、拭い去れない過去の出来事です。朝鮮戦争での経験は、忘れようとしても忘れられないものなのです。人生の終わりに近づいて、今まで今まで放置していたこの問題を、そのままにしておくわけにはいかなくなったのでしょう。モン族の彼らの顔を見ていると、自分が殺した朝鮮人の顔を思い出してしまうからでしょうね。
そして、彼はこんな形で、その問題に決着をつけます。決して器用とはいえないけれど、勇気と優しさ・・・。
神父はなにやらうっとおしいと思っていましたが、きっかけを作る良い役どころでしたね。ウォルトのよき理解者でもあったと思います。きっと妻から彼のことをよく聞いていて、間接的に彼を深く理解していたのでしょう。
あちこちからすすり泣きも聞こえるラストでした。クリントの最後の出演作品になるといわれていますが、まだまだ出て欲しいです。なかなかシートから立ち上がれませんでした。それほどの素晴らしい一作でした。
ウォルトという頑固爺さんがなんとも魅力的でしたよね。
イーストウッドには長生きしてもらいたいな~。
ウォルトのざんげの内容が面白かったです。神父に「それだけ?」って聞かれちゃった。でも、後になってなんとなく気持ちが分かって来ました。
男としての結末のつけ方としては、すべてが最高でしたね。本物のクリントも、こんな魂を持った人だと思いました。(あんな毒舌は言わないだろうけど。ww)
ウォルトは、アメリカ人の中にある本当のアメリカ人なのだと思います。
ウォルトみたいに、アジア、アフリカ、ラテン系の人間を見ている人が多いと思います。
表面、ポリティカリー・コレクトという言葉で、抑えられていますが。
公民権運動後、公式には人種差別はないことになっていますが、本音のアメリカは人種差別があると思います。クリントも、差別される側のアイルランド系ですよね。この問題は微妙な感情が関わっているので、扱いにくいのに、よく作られた映画だと思いました。