Masayukiの独り言・・・

老いの手習い日記です。

上田敏と静岡

2017-05-06 21:09:20 | Weblog

 高校の授業で、カール・ブッセの「山のあなた」朗読したことがあった。そのとき、最初の/山のあなた/を違って発音し気まずい思いをした。そのときなんて面倒な表現なんだろうと思った。しかしその後何度か読むうちに、素晴らしい日本語の文章に感動した。これはフランスの詩を上田敏が訳したもので、明治時代で外国の文化が入ってまだ日が浅い時代なのに、このような表現ができることを不思議に思った。この詩集は「海潮音」の中にある詩で明治38年に出版されている。

 この詩集は読んだことはないが、この「山のあなた」は自然に覚えた。 ≪山のあなたの空遠く/「幸」住むと人のいふ。/嗚、われひとと尋めゆきて、/涙さしぐみかえりきぬ。/山のあなたになほ遠く/「幸」住むと人のいふ。≫ なんて響きの良い音なのだろう。上田敏についての知識はその程度である。しかし昨日書物を読んでいると、彼は、幼少のころ父の転勤で静岡の馬淵に転移し、公立下谷小学に転学、中等部を卒業、その後静岡尋常中学校へ入学し明治20年中学校を卒業している。その後父の転任に伴い東京に転居した。小学校から旧制の中学校までの7年~8年の多感な時代を静岡で過ごしたことになる。これが彼の作風に何か影響を与えたのでないかと思った。

 本の中で、馬淵一丁目弁天公園が生育邸跡となっていたので、何か痕跡があるかと朝のウオーキングのあと自動車で出かけた。連休中であり人の行き来はなかったので車を鉄道高架下のスペースに置き歩いて探した。この地区は宅地造成が進んでいて今はそうした痕跡は見当たらなかった。たぶん彼が幼少のころは、東海道本線も開業(静岡は明治22年開業)してない頃で、宝台院の南側にこうした公園があり、その近くに住んでいたものと思った。犬の散歩をしている3人に聞いたが、弁天公園は誰も知らなかった。想像するに、そのころは閑静な住宅地が広がっていて、弁天公園の近くに彼の家はあったのかもしれないと思った。

 調べると、彼は東京帝国大学英文科を出ている。そのとき講師として教えた小泉八雲は、彼について「英語を以て自己を表現することができる一万人中唯一一人の日本人学生である」とその才質を絶賛している。彼の英語力はずば抜けていたのだろうが、それを裏付けるように、7歳先輩の夏目漱石も彼を強く意識し小説「猫」の中に彼を登場させている。また島崎藤村は同世代であるが、小説「春」の中に彼をモデルにして登場している。藤村の「若菜集」と敏の「海潮音」は近代史の双璧である言われている。しかし、彼のことはよく知れ渡ってはいない。それは41歳と短い生涯が影響しているのだと思う。しかし彼の作風は北原白秋、三木露風などに引き継がれていったとあった。


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