フィンランドへ行くことがきまって、アキ・カウリスマキの映画をみた。予習のつもりで、「マッチ工場の少女」と「浮き雲」の二本をみたはずだ。当然のことだが、「予習」になどなりやしなかった。仕方がないので、ほかの作品もみてみることにした。そしてようやく、これらの映画を「たのしいフィンランド旅行」のまえにみてしまったじぶんの「過ち」に気づいたのだった。
寒々しい景色、いつもつまらなさそうな顔をしている登場人物たち、不意にあらわれる暴漢、無表情のまま突飛のない行動にでるひとびと、酔っぱらい・・・おもいっきり不安な気持ちを抱えたまま、ぼくは生まれてはじめてフィンランドの地に降り立った。アブナイひとびとがうごめいているという「フィンランド」に対するぼくのイメージは、すぐさま誤りであることに気づいた。そこは、ごくフツーのひとびとが、ごくフツーに暮らしている、ごくごくフツーの国であった。
では、アキの映画に描かれている「フィンランド」がまったくのデタラメなのかといえば、そんなことはない。多少のデフォルメはほどこされているにせよ、街を歩けば、しばしばあたかもアキの映画のワンシーンであるかのような光景と出くわしたりもするのだ。たとえば、去年トゥルクという街をたずねたときには、白昼、街路でうつぶせになって倒れている大男を目撃した。そして、その大男のかたわらを何事もなかったのようにファミリーが歩き去ってゆくのだから、またなんともシュールな光景である。
こうして、フィンランドでそんなアキ・カウリスマキの映画を彷佛とさせる光景やひとびとを発見するのは、いまやぼくの密かな愉しみでさえある。美しい建築や洗練されたデザインばかりでないイケてないフィンランドが、またどうにも愛おしかったりするのだ。
寒々しい景色、いつもつまらなさそうな顔をしている登場人物たち、不意にあらわれる暴漢、無表情のまま突飛のない行動にでるひとびと、酔っぱらい・・・おもいっきり不安な気持ちを抱えたまま、ぼくは生まれてはじめてフィンランドの地に降り立った。アブナイひとびとがうごめいているという「フィンランド」に対するぼくのイメージは、すぐさま誤りであることに気づいた。そこは、ごくフツーのひとびとが、ごくフツーに暮らしている、ごくごくフツーの国であった。
では、アキの映画に描かれている「フィンランド」がまったくのデタラメなのかといえば、そんなことはない。多少のデフォルメはほどこされているにせよ、街を歩けば、しばしばあたかもアキの映画のワンシーンであるかのような光景と出くわしたりもするのだ。たとえば、去年トゥルクという街をたずねたときには、白昼、街路でうつぶせになって倒れている大男を目撃した。そして、その大男のかたわらを何事もなかったのようにファミリーが歩き去ってゆくのだから、またなんともシュールな光景である。
こうして、フィンランドでそんなアキ・カウリスマキの映画を彷佛とさせる光景やひとびとを発見するのは、いまやぼくの密かな愉しみでさえある。美しい建築や洗練されたデザインばかりでないイケてないフィンランドが、またどうにも愛おしかったりするのだ。
一般のフィンランド人からすると、これをフィンランドと思われては困るという感覚もあるようですが、ちょっと「自虐的」なところはやはり「フィンランド的」といえそうです。