moiのブログ~日々のカフェ

北欧&フィンランドを愛するカフェ店主が綴る日々のあれやこれや

aurinko paistaa

2005-01-18 23:06:03 | コラム、というか
めたい雨が降りつづいた週末とは対照的に、きょうはあたたかな太陽の光が降りそそぐおだやかな一日だった。こんな日にきまって思い出すのは、つぎのようなフィンランド語のフレーズ。

aurinko paistaa.

直訳すれば「太陽が輝く」。まあ、会話のなかでつかわれるぶんには「いい天気だね」くらいの意味なのだろうけれど、じつはそこにはもっといろいろな感情が織りこまれているように思われるのだ。

フィンランドではいつも、太陽のめぐみということばを実感する。北の国では、太陽は凍てついた空気を融かし、そのまばゆい光は風景の色さえも変えてしまう。光と闇、つめたさとあたたかさ、もっといえば厳しさと優しさ、よろこびとかなしみ・・・人間の感情をつかさどるありとあらゆる《コントラスト》を支配しているものは、そこでは「太陽」なのではないか、そんな気にさえなってくるのだった。

だからこそ、aurinko paistaaというこのなにげないフレーズにも、ぼくはとてもヒューマンな響きを聞いてしまう。よくシベリウスの交響曲第2番のフィナーレにかんして、「独立前夜」における《民族の自立》とその《勝利の凱歌》と説明したものを目にしたりするのだけれど、あれはたんなる《aurinko paistaa》なんじゃないかとぼくは密かにかんがえている。じっさいシベリウス自身も、「抑圧された民族の解放」うんぬんといった「標題音楽」的な解釈には否定的だったらしい。鉛色の空を突き破るようにして、まっすぐ地上に届く北の国の太陽の光をそのからだに受けるとき、そこにわきおこるのは素朴でおおらかな感謝の念であるだろう。シベリウスの音楽に、ぼくはフィンランドの力強い太陽をおもいだす。そして、世界の様相が変わるあの瞬間を。

aurinko paistaa-そうフィンランドのひとがつぶやくとき、そこには自然にたいするかれらの深い敬意がこめられているようにおもえてならない。