ブログ早春賦節

ロード&萌えソング普及促進委員会♬自転車に乗りつつ『モエリア』blogコミック再構築を模索中

父との同居だが、、、

2018年02月13日 | 日記

 実家を任せていた弟の急逝で、実家にて父と二人で暮らしている現状だが
(母は認知症及び人工透析のため療養病棟に入院中)正直うんざりである

息子(自分には弟だが)をガンで失いショックだろうと、実家で同居しいるが
ブチ切れている、どうしていいか不明な状態だ

ネットで同居法など検索してみたが概ね実践していた

距離は取っているつもりだ、食事は一緒にしていないし、活動も自分は夜中、中心にしている
更に事ある事に部屋を除くのは「用も無いのに除くな!」と一括した

食事を一緒にするのはコミニケション的には最善と思うが、マジで一緒だと胃が張って
食事も喉を通らない状態である
(部屋の片付けが済めば、治まって一緒に食べられそうな気もするが、、、、)


毎回、「飯はどうする?」とかも、先手を打って用意する「オレの分の心配は不要!」と
何度も言って、黙ってもらった


他人からは、笑われそうだが、母に認知症の傾向が出始めた十年程前から、自分を自制するのと、
距離を置く意味も込めて自分は両親を「お父さま」「お母さま」と呼んでいる

 

それでも、怒り爆発が抑えきれない時があり怒鳴りちらしている
何度も、このブログにも書いてはいるが、急逝した弟は躁うつ病で掃除ができなかった、
母は認知症で掃除は当然、していない
父は、その母に掃除を任せる有様だったので自分では掃除はしない

東京から冷ややかな(半ば呆れきみに)見ていた訳だが、弟の急逝で戻ると
自業自得の面もあるが、ソレが全部、オレの作業となったのだ

実家は弟が継ぐ事になっていた了解もしていた、だが、その準備は何もせず、散らかすだけ
散らかして逝ってしまった

今更、都合よくオレに後宜しくとか言われも「ふざけるな!」である

変なたとえだが、それこそ、オレがガン保険を進めてたのに、「いらない!」と断り続けて
「ガンになったので、やっぱり入いる、宜しく」って言っているようなもので、普通はない

そんな事が通用するなら、こんな楽な人生はない「ふざけるな!」である


そのふざけた事を要求している認識が、まず父にないのがイライラする、
「諦めろ」と言ったのは、オレとの同居は諦めて「一人で暮らせ」と言う意味である


自分も鬼ではないので、出来れば同居して実家を盛り立てたいと思うが、引っ越すにも
前の住人のゴミが山の様に残っている状態で、コレを整理して住んでくださいって
「なめてんのか!?」って話である
認知症の母と、躁うつ病だった弟の我儘放題の散らかし様を容認してきた付けだ

自分にも自業自得だが、父が弟を擁護して
「何もしなくても居てくれるだけでいい、全部、俺がやるから」みたいな態度で、それに
拍車を掛けたあげく、ガンで急逝だ

自分は厳しくても弟に自立を促していたのだが、それを止めて擁護したんだから、
「この家の惨状は、テメエが清算して、それから、オレに渡せ」と、怒鳴りつけたが父に反応はなかった

大体、自分には我慢ならない乱雑ぶりだが、この家に住んでいた者には普通なのだ
自分が切れている意味もたぶん、分かってない…そう思うと絶望するしかない


父は幸い、歳の割には元気だ、炊事、洗濯はこなしてくれる、只、やっぱり掃除が片付けができない
問題意識も持ってないようだ…例えるなら
火が燃え盛っているのに呑気に横でお茶を啜ってる感じか、、、まったく危機感がないのだ、、、、

言いたくはないが、だから弟を失ったのではないのか?反省もないのか?

 

期待はしていないが、上記の理由で幾何かの清掃は分担してもらって贖罪してもらわないと気が済まない


「怒っても無駄、変えられないから、空を見て心を広く持って…」と、あった、その通りだ、だが
オレは、聖人君子でも何でもない、寧ろ性格は悪いし歪んでいるのだから怒鳴らずにはいられない

手が出ないだけありたいと思ってもらいたいものだ


住所は東京に置いたままだ、限界なら帰る逃げ道も用意してはある、
ソレを脅しに、期限を切って分担の片づけを迫る手が一番、効果的だろう
出来なければ同居は無しで東京に戻るという事だ


ただ、それを、迫っていいものか?は疑問である

ソレを迫ると恐らく、弟の二の舞である、、、、弱者の恐喝に打つ手無し状態か、、、

 

そんな量ではないし、分別して捨てるだけなのだが、清算的な家の片づけは何故か出来ないのだ
遺伝なのか?躁うつ病や認知症に感染したのか???実家では、誰も掃除が出来なかったのだ


今まで、、それこそ十数年待った片付けが、オレの脅しごときで出来るとも思わんが
脅しがなければ絶対やらないのも事実だ

そして少しでもやってもらわないとオレの気がおさまらない


ここ五ヶ月程、リサイクルショップ、寄付団体等に分別して50箱ほど送ったし
燃えるゴミやプラスチックゴミは、数も不明なほど出しまくった
粗大ごみ回収業者に来てもらいベッド、机、箪笥、布団、等々三度に渡り回収してもらった

それでも、-100が-60になった程度でまだスタートラインにも立てていない、
まだまだ実家の中にはモノが溢れている…置物とか本当に困る…     
(実家は18年間、押し入れは開けてないし、ビンや缶の捨て場も分からずの状態だ
そのうえ、土蔵まであってそっちはもっと酷い惨状だ、、、察してくれ)

うんざりである


オレがブチ切れて東京に戻らずに済むくらいの分担能力、贖罪意識が父にあってくれる事を
今は望むばかりである

 

 

 

 

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