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3.自動車化で徹底を欠いたヒトラーの対ソ戦略
時代は第二次世界大戦となります。
※東部戦線(対ソ戦)に向かうドイツ軍戦車隊。
この時代を代表する戦法といえば、ドイツの行った電撃作戦(ブリッツクリーク)が有名です。
これは航空機による爆撃と機甲師団による侵攻を組み合わせたものですが、この本では戦争を補給という側面から捉えています。
※東部戦線(対ソ戦)におけるドイツ軍の侵攻(1941年6月22日~12月5日)
『ヒトラーは機甲師団の補給に自動車化された補給部隊を編成しようとしましたが、結局のところ中途半端に終わった』と、この本では結論づけています。鉄道輸送がなおざりにされた結果、これがドイツ軍の進撃を阻む要因となったというのです。
東部戦線における侵攻とその失敗から、それを読み解いていくことにしましょう。
ロシアの鉄道事情はヨーロッパのそれと全く異なっていました。
ヨーロッパの鉄道が広軌であるのに対し、ロシアの鉄道は狭軌でした。このためドイツからロシアへの輸送は、まず線路を引き直すことから始めければなりませんでした。また、燃料となるロシアの石炭は粗悪でドイツの機関車には使用できませんでした。
しかしながら『それでもなお、部隊への補給は大量輸送が可能な鉄道によって行うべきであった』とこの本では主張しています。『機甲師団の侵攻は鉄道路線に沿って行われるべきであった』と。
鉄道の改修は遅々として進まず、侵攻する機甲師団への補給は専らトラック部隊が担うことになりました。ところが、このトラックの数が充分ではなかったのです。
ドイツ軍はトラックを民間から調達しましたが、トラックの種類が多岐にわたる結果となり、膨大な種類の補修部品が必要となりました。このトラックがロシアの過酷な道路事情により次々と壊れていくのです。
また、輸送距離が長くなればトラック自体の消費する燃料が膨れ上がります。試算によると『自動車部隊は300マイルを超えて輸送を行うことはできない』という結論がでていましたが、事実その通りになりました。
そこへ運命の秋雨です。舗装されていなかったロシアの道路はたちまち泥濘と化し、車軸まで泥に埋もれて立往生する車両が続出しました。
※運命の秋雨・・・泥濘の中で立往生するグーデリアンの部隊。
11月に入って路面が凍結すると、道路事情は改善されましたが、今度は鉄道輸送に重大な支障が発生しました。ドイツ製機関車は給水管をボイラー内に通す構造にはなっていなかったために、凍結により配管が破損して、鉄道輸送がマヒ状態に陥ってしまったのです。
通常言われているように、ドイツ軍には『ロシアの冬期を耐え抜くための装備を持っていなかった』のではなく、実際には『充分な量があったにも関わらず、前線に届かなかった』のでした。
この本では、対ソ戦失敗の原因は『①疑問のある戦略、②ぐらぐらしていた統帥機構、③乏しい資源のいわれなき分散』にあると見ています。
ヒトラーは『ボルシェビキの精神的支柱を砕く』ことに熱中し、指導者の名前のついた街(レニングラードおよびスターリングラード)を目指して進軍し、そのの占領に拘りましたが、兵站術の観点からいえばドイツ軍は『鉄道線路に沿って進軍し、きちんと補給物資を受け取れる状態を保つ』べきでした。
また、南方での戦力不足を補うため第一軍は90度の転進を強いられるなど、物資不足のために作戦自体が行き当たりばったりなものと化してしまいました。
もともとドイツ軍は物資に恵まれた軍隊ではなかったのですが、乏しい資源の配分に失敗し、欠乏にあえぎ、最後には敗退する結果となったのでした。
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