MiddleDayTripperの徒然記

気ままな中年オヤジの独り言

引退したベテランが希望の星に

2011-03-27 23:02:54 | Weblog

商品や部品の在庫を持たなくなった日本全国の工場や卸会社が休業やライン停止に追い込まれている。カンバンやジャストインタイムなど在庫をロスと考えて効率化を推進してきた日本が、今回の震災で輸送ルートを絶たれて立ち往生しているのだ。

震災で工場が被災したり、従業員が被災して出社できない状態だったり、輸送ルートが復旧していなかったり、復旧しても東日本一帯のコンビナートがやられて燃料不足となり、トラックが動けない。

その一方で鉄道貨物輸送は非効率とされて衰退の一途を辿っていたが、今回の震災で石油輸送の切り札として注目が集まっている。

震災で新潟県の重み増す 日本海側の物流・交通の要に

東日本大震災で太平洋側の鉄道や道路、港湾に大きな被害が出たことを受け、日本海側の物流や交通の拠点として新潟県の重要性が高まっている。新日本海フェリー(大阪市)では、貨物や旅客輸送が大幅に増え、新潟と秋田などを結ぶ航路を増便した。日本貨物鉄道(JR貨物)が東北に運ぶ物資の8割程度は新潟を経由しており、列車を増発している。
新潟港と秋田、北海道の小樽や苫小牧を結ぶ新日本海フェリーの航路は、震災以降に利用が大幅に増えた。同社新潟支店によると、旅客と車両輸送は通常時の2倍に、貨物は1.5倍に増えているという。貨物については多すぎて載せきれない便も出ている。
太平洋側の物流網が回復しないため、製品類を日本海側の航路で北海道に送る企業が増えた。自衛隊の利用もあるという。新日本海フェリーは利用増に対応するため、毎週水曜日に新潟から敦賀(福井県)に向かっていた便を、新潟から秋田を経由して苫小牧に行く便に変更した。小樽行きでも臨時便を出す。
鉄道輸送でも新潟の存在感が高まっている。JR貨物新潟支店によると、東北への鉄道貨物輸送は現在、北海道からと日本海側からの2ルートがあり、全輸送量の7~8割を日本海側ルートが占めているという。
同社では首都圏などから新潟経由で東北地方に救援物資や燃料などを送っている。18日から盛岡行きの石油専用列車を走らせており、25日には郡山行きの専用列車も運行を始めた。
郡山行きは石油を積んだタンク貨車を磐越西線用の機関車につなぎ替えるために、新潟貨物ターミナル駅(新潟市)を活用する。また、郡山周辺にある工場の製品類を輸送するため、郡山からトラックで新潟にコンテナを運び込んで、列車で全国に送るサービスを25日に始めた。
県内のトラック業界も東北への救援物資輸送に奔走している。新潟県トラック協会はこれまでに、10トントラック約120台を東北地方に送り込んだ。生活必需品のほか、福島県にある東京電力の原子力発電所の事故対応で使用する防護服などを輸送した。
太平洋側の物流、交通網の復旧には、なお時間がかかる見通しだ。新潟県は新潟東港で進めるコンテナターミナルの増強工事を2週間ほど早め、5月中にコンテナ船が3隻同時に荷役できるようにする。
県は「被災地支援を含め、新潟が太平洋側の物流、交通機能の一部を補う体制を官民で整える必要がある」(県幹部)としている。

だが、新潟に貨車を牽引する機関車が不足していた。そこで非電化の旅客線も利用できるようにディーゼル機関車が全国から集められた。JRのディーゼル機関車DD51だ。中にはつい先日引退した大阪吹田の機関車も含まれている。

ディーゼル機関車:DD51、関西定期運用から引退 「新旧交代」の春

JRグループの春のダイヤ改正が12日に迫った。九州新幹線が全線開業して、関西が鹿児島まで直結するのを前に、「みずほ」「さくら」用の新型車両の製造が急ピッチで進む。しかし、華々しいデビューの前日には、大阪市街地で煙を噴き上げて働き続けた武骨なディーゼル機関車が引退。時代を彩る新旧の車両が交代する。
関西地区の定期運用から11日に引退するのは朱色をまとうJRの古参ディーゼル機関車「DD51型」だ。関西で唯一、吹田信号場(大阪府吹田市)-百済駅(大阪市東住吉区)の23キロ(城東貨物線・おおさか東線)でコンテナ貨物列車を毎日引いてきたが、非電化だった百済駅付近1・8キロが電化され、電気機関車に代わるため。大都市圏では珍しい存在だったディーゼル特有のガラガラ音が消える。
DD51型は国鉄幹線用に試作され、1964(昭和39)年に量産開始。戦前から活躍した蒸気機関車に引導を渡した。最高時速は95キロ、65キロで900トンを引っ張る力がある。山陰線や福知山線で寝台特急「出雲」のほか急行、普通列車の先頭に立ち、2基のエンジンの中央に運転台を突き出すいかめしい姿が京都駅や大阪駅でも見られた。電化の進展と客車列車の激減で働き場所を失いつつある。
JR貨物によると「アナログ時代そのもの。エンジンや排煙、油の音、色、においを五感で確かめて整備してきた」という。4両が在籍する同社吹田機関区では別れを惜しみ、今月1日から「ありがとうDD51」のヘッドマークを1両に取り付けてラストランに送り出している。4両は廃車または他地区へ転属になる。DD51型はJR西日本も9両保有するが定期運用はない。北海道、三重県などで定期運用が残っている。

記事によると引退は震災発生と同じ日だった。本来ならそのまま線路の片隅に置かれて、ある日スクラップになる運命だったのだろう。他にも車庫の奥で眠っていたDD51も引っ張り出された。日本の高度成長を支えたDD51がもう一度動き出した。

今度は日本を救うために