MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯78 「たら、れば」の話

2013年10月28日 | 国際・政治

 特定秘密保護法案が、10月25日に閣議決定され国会に提出されました。この法案は、日本の安全保障に関する情報のうち、特に秘密にすることが必要とされる情報を保護することを目的として、公務員がこうした情報を漏洩、公開した際にこれまでにない厳しい罰則を設けているのが特徴です。

 法案では、「特に秘匿を要する安全保障に関する情報」を大臣など行政機関の長が「特定秘密」に指定し、保護の対象とするとしています。指定の対象となるのは、自衛隊が保有する武器の性能や、重大テロが発生した場合の対応要領など、外交や防衛、スパイやテロといった分野の情報のうち、国や国民の安全に関わる情報とされています。

 こうした情報を取り扱えるのは政府による「適正評価」を受けた公務員に限るとされ、法案成立後は該当情報を取り扱う公務員のそれぞれについて、「テロとの関係」や、「犯罪歴」、「薬物の使用」、「飲酒の節度」、「経済状態」といった7つの項目に加え、「家族や同居人の国籍」などを調べるとしています。

 外交・防衛上の要請からこれまでこうした機密情報の保護に関する法律がなかったことも意外(というか不思議)ですが、一方で、対象となる情報の指定の方法や国民の「知る権利」との関係、公務員個人の人権にまで踏み込んだ適正評価などの問題もあり、国会の法案審議において様々な議論を呼ぶものと考えられます。

 さて、この法案ですが、3年前の2010年9月に起こった尖閣諸島近海における海上保安庁の巡視船と中国漁船との衝突事件に端を発していることについてはあまり報道されていません。

 2010
年9月7日、尖閣諸島付近の海域において巡視活動を行っていた海上保安庁の巡視船「みずき」と「よなくに」に対し、領海からの退去命令を無視した中国漁船が故意に衝突し2隻を破損させるという事件が起こりました。漁船の船長は公務執行妨害で逮捕され乗組員とともに同漁船で石垣港へ回航。9日には船長が那覇地方検査長石垣支部に送検されました。

 中国政府の強い反発や報復措置などもあり国際世論も巻き込んで大きな話題となったこの事件ですが、顛末については御存知のとおり、日本政府は紆余曲折ののち9月24日に中国人船長を処分保留で釈放し、石垣空港から中国へと送還するに至ります。(中国人船長が送還先の空港で英雄として迎えられ、中国マスコミに向け笑顔でVサインを示した姿が記憶に残っている日本人も多いと思います。)

 11月1日、それまで中国政府への配慮から非公開となっていた海上保安庁が撮影した漁船衝突の際の動画が、那覇地検によって650秒に編集された上で衆参予算委員会の議員に対して公開されました。一方、こうした限定された公開への世論の反発が高まる中、114日、ハンドルネーム「sengoku38」を名乗った海上保安官によって44分間の動画が
You Tube上に流出し、内容がマスコミにも大きく報道されるに至りました。

 この海上保安官はその後辞職届を提出。停職12か月の懲戒処分を受けましたが同日に辞職届が受理され12月22日付で海上保安官を辞職、そして同日警視庁により国家公務員法の守秘義務違反容疑で書類送検されました。最終的にこの海上保安官は検察により起訴猶予処分となり、いわゆる「お咎めなし」との司法判断が下ったわけですが、政府としてはこうした想定外の事態を深く憂慮するに至りました。

 そこで、国家の外交や防衛に関する機密がそれを扱う公務員により漏洩されることのないよう、急ぎ法制度を整えることとしたと…そういうことになります。

 さらに、尖閣問題についてその後の動きを追います。この漁船衝突事件以降、日本における世論の動向に刺激された中国は、ほぼ毎月の頻度で、公船を尖閣周辺海域に派遣し領海侵犯を繰り返すこととなります。

 一方、中国政府のこうした動きを受けて、尖閣への関心を高めていた東京都の石原慎太郎都知事(当時)は2012年4月、尖閣諸島を地権関係者から買い取る方向で基本合意したことを明らかにしました。石原都知事は、島に港湾施設などを整備して日本の実効支配を確たるものにするとして尖閣諸島寄付金を募り、14億円以上の購入資金を集めるとともに、9月には尖閣の洋上視察を行います。

 このような東京都(石原都知事)の動きに中国政府の反発は高まります。経緯は明らかにされていませんが、このタイミングで日本政府(野田内閣)は、「平穏かつ安定的な維持管理を行うため」として、突如、尖閣諸島の国有化を進める方針を決定します。

 9月3日に地権者との間で国有化に合意し、11日にはいち早く魚釣島、北小島、南小島の3島を205千万円で購入。国への慮有権移転登記を完了しました。しかし、日中関係への配慮を標榜した日本政府によるこの尖閣諸島の国有化に対し、中国政府は日本政府の思惑とは異なり、中国国内世論のプレッシャーを背景に強い反発を示します。

 温家宝総理(当時)は「中国政府と国民は主権と領土の問題で、半歩たりとも譲歩しない」と述べ、一方で中国国内の全てのメディアが尖閣国有化をめぐって大々的な対日批判を展開し、中国国民の反日感情は最悪の状態となりました。中国各地で抗議活動が発生し、日本人への暴行事件なども相次ぎました。

 9月中旬には一部のデモ参加者が暴徒化し、日系関連の商店や工場への破壊や放火、略奪などが相次ぐ事態になったのは記憶に新しいところです。こうした尖閣諸島をめぐる中国との関係悪化は、その後2年を経過した現在まで基本的に継続した状態にあるといえ、両国の指導者が交代した今もなお、日中間の首脳会談の見込みすら立っていません。また、漁船衝突事件以降、中国公船が毎月、尖閣諸島の接続水域を徘徊し領海侵犯を繰り返しており、中国政府による領有権の主張も収まる方向にはありません。

 「もしもあの時こうしていたら…」、「そういう対応をしていなければ…」。この「たら」、「れば」というのは、日常生活においては何とも空しい言葉です。しかし、人間の歴史を追いかけていく時、この言葉の持つ重みには計り知れないものがあるのも事実です。

 尖閣問題をめぐる日中関係の悪化は、比較的分かりやすい一本の線の上にあると言えます。様々なできごとがその時々の判断の上に繋がり、思いがけない方向に、日本のあるいは中国の人々を導いてきました。

 あの時、船をぶつけずにとっとと逃げてくれていたら。

 回航せずに報告にとどめていたら。

 船長をさっさと国外退去にしていたら。

 動画を公表しないでおくことだってできたはずだ。

 YouTube
などに投稿しなければ。

 東京都が購入の動きを見せなければ。

 国有化なんて言い出さなければ。

 たった2年と少し前までは、大勢の中国人観光客が日本に押し寄せ、経済的にも親密な協力関係にあった日本と中国。しかし気が付くと、日本人と中国人は相互に諍い、嫌いあう間柄になっています。

 一部の人間による一瞬の判断が大きく社会を動かし、人の心を動かし、歴史をずるずると動かしていくことがあるようです。とても大きな、手がつけられないような問題でも、実は小さなミステイクが重なり合って起こった単純な問題であるのかもしれません。