トランプ政権下で導入された関税政策は、第二次世界大戦後の国際社会を(「自由貿易の旗手」として)まとめてきた米国の通商政策における大きな転換点と言えるでしょう。しかし、もともと米国は、(建国以来)国際的な関与と孤立主義の間で揺れ動いてきた国であることも忘れるわけにはいきません。
独立戦争後の18世紀末から19世紀にかけて、新興国であった米国は、国内産業を守るため関税を活用して外国製品との競争を制限していました。19世紀後半から20世紀初頭にかけて工業化が進んでもその姿勢は変わらず、第一次大戦後の孤立主義的な高関税政策は世界的な貿易縮小を招き、大恐慌を悪化させる要因となったとも言われています。
しかし、第二次大戦の混乱を経て、米国は自由貿易を推進する国際秩序の構築に舵を切りました。1947年のGATT(関税及び貿易に関する一般協定)やその後のWTO(世界貿易機関)の設立を主導したのは米国であり、目指された「多国間貿易体制」は世界経済の骨格をなすものと言えるでしょう。
そして始まったトランプ2.0。「米国一国主義」の第2幕は、今年4月5日、全ての国から輸入される全ての品目に10%の追加関税を課すという大統領令への署名で幕を開けました。さらに、4月9日から、米国の貿易赤字額が大きい国に対し関税率を引き上げる「相互関税」を課すこととし、(自由主義経済の下)価値観を共有してきた国々との間で「ディール」と呼ばれる一方的な調整が始められています。
世界を驚かせ、大きく揺さぶるトランプ関税。米国への非難が高まる中、世界経済における自由貿易の旗印を(「社会主義市場経済」を標榜する)中国が担うという冗談のような状況も生まれています。
しかし、だからといってトランプ批判ばかりしていても始まらないのは事実です。迫りくるトランプ関税を前に、私たち日本はどのように対応していけばよいのか。そんな事を考えていた折、5月20日の日本経済新聞の経済コラム「大機小機」に、『トランプの誤りに学べ』と題する一文が掲載されていたので、参考までに筆者の指摘を小欄に残しておきたいと思います。
「米国第一主義」を掲げたトランプ大統領を迎えたのは、期待外れの現実だった。「成果が出るには時間がかかる」と忍耐を呼びかける彼が手にしたのは、成果よりも失ったものの方が大きいと筆者はその冒頭に記しています。
最大の損失は「信頼」の喪失にある。友達すなわち気脈を通じた国が米国から離れてしまうと筆者は話しています。実際、米国へと回帰する製造業がどれほど役に立つかすらよくわからない。米国への回帰が難しい技術や産業も多く、また新たに雇用する技術者や労働力のコストが重荷になるケースもあるということです。
つまり、いくら米国が経済活動を囲い込もうとしても国内だけで完結するはずはなく、一方で弱点は弱点として残っていくということ。こうして米国は、物事を全視野的に把握しないまま誤りに大きく足を突っ込んだというのが筆者の認識です。
そんな中、「米国第一主義」を(ただやみくもに)批判するだけでは灯台下暗しだろう。同じことが規模こそ違え、この日本でも起きていると筆者は指摘しています。
筆者によれば、その代表格が農業政策とのこと。昨夏以来の米騒動は、食料安全保障だけを唱え続けることがいかに空虚なのかを見事に実証した。農業世帯の急速な高齢化や主要農産地の深刻な人口減少が進む中、「小規模農家を保護しよう」とするだけの政策が大きく的を外しているのは明らかだったと筆者はしています。
まずは農業を「食料生産産業」として正しく認識し、生産性向上のために何が求められるのかを考え、政策に落とし込む必要がある。そして、視野を広げたうえで、中山間地域を含めた国土の有効利用と、人工知能(AI)を代表とする新しい産業技術の活用すること。さらに、希少化する人材の育成とその活躍の場の提供を総合的に組み立てて、はじめて国民のための農業政策となるということです。
農業ばかりでなく、産業の境界が曖昧になっている現在、関係するステークホルダーについても既存の枠組みを大きく見直す必要があると筆者は話しています。たとえば半導体であれば、回路設計はサービス業でありその製造を外部委託して成り立つようになった。「自動車製造のサービス産業化」と呼ばれるように、電気自動車(EV)のシェア上昇とともに、自動車製造でも自動運転をはじめとするソフトの重要性が急速に増しているということです。
筆者によれば、経済活動が自国のみで完結しないのと同様に、産業もまた旧来的な枠組みの中では機能不全に陥るとのこと。(「米国一国主義」の轍を踏まず)垣根をつくるのではなく取っ払ったうえで、いかに効率性の高い活動を得るのかに思考を巡らせることが最重要だと話す筆者の指摘を、私も興味深く読んだところです。