古代世界から語り継がれてきた「世界の七不思議」と言えば、ギザの大ピラミッド、バビロンの空中庭園、エフェソスのアルテミス神殿、オリンピアのゼウス像、ハリカルナッソスのマウソロス霊廟、ロドス島の巨像、アレクサンドリアの大灯台の7つのこと。
Wikipediaによれば、この「七不思議=Seven Wonders」とは古代ギリシャ時代にビザンチウムに暮らした数学者で、旅行家でもあったフィロンの書に残された7つの「θαύματα」から転じたもの。因みにこの言葉には、「驚かせるもの」「賞賛すべきもの」といった意味が込められているとされています。
それから2000年以上の歳月を経て、この7つの中で現在でも実際に実物に接することができるのは、もちろんエジプトはギザのピラミッドだけ。人類の文明の証として、それだけ見る価値が高いものと言っても過言ではないでしょう。
私自身、あまり海外旅行の経験のない人から「おすすめの世界遺産は?」と聞かれたら、迷わず「エジプトかな」と答えることにしています。実際、長年旅行会社に勤め世界各国の観光地を回ってきた友人も、エジプトツアーは(季節さえ選べば)「ご満足いただけること、まず間違いない」と話しています。
エジプトに残された数々の遺跡の中でも、圧巻なのはやはりギザの大ピラミッド群。サハラ砂漠を背景に目の前に迫るピラミッドは、(例えその歴史を知らなくても)人をを圧倒する力を持っています。3000年以上もファラオたちは、何をもってこの巨大な構造物を築いたのか。そんな古代へのロマンが、旅行者の胸を打つ瞬間です。
実際、ピラミッドは、科学の進んだ今日でも解明されていない大きな謎を秘めているようです。8月18日の東洋経済ONLINEに、作家の島崎 晋(しまざき・すすむ)氏が『ピラミッド、今でも解けない最も不思議な起源』と題する一文を掲載しているので、参考までに紹介しておきたいと思います。
アフリカ大陸の北東隅に位置するエジプトは、古代ミステリーの宝庫。南部のアブ・シンベル、中部のルクソールも魅力だが、エジプトの顔とも呼べるのはやはりカイロの中心部から西北西へ約13キロの距離にある、ギザの三大ピラミッドを置いてほかにないと島崎氏はこの論考に記しています。
クフ王のピラミッド、カフラー王のピラミッド、メンカウラー王のピラミッドと一体のスフィンクスからなるギザの三大ピラミッド。最も巨大なクフ王のピラミッドは、完成時の高さが146メートル。平均2.5トンの石を、約250万個積み上げて造られているということです。
現在に残るピラミッドは、古代エジプトの古王国時代(前2600年代~前2100年代)に造営されたもので、全部で30余ある王朝のうちの第3~第6王朝時代にあてはまる。つまり、ピラミッドは古代エジプトを通じて建設が続けられたわけではないと氏は説明しています。
中でも、ギザの三大ピラミッドが築かれたのは、前2550年頃から前2490年頃の短い間のこと。因みに、現在冠されている王の名は(のちに)便宜的につけられたにすぎず、その王の命で建造された証拠は何も残されていないということです。
電気を動力とする大型機械のない時代、石切り場からの運搬方法はもちろん、これほどの巨大建造物をどのように築いたのかは大きな謎とされている。古代ギリシアの歴史家ヘロドトスは「10万人の奴隷が20年間働いて」築いたと記しているが、近年の研究により、それは誤りであることがわかっていると島崎氏は言います。
20世紀には、農閑期の失業対策、福利厚生であったとする説が唱えられ、一時は定説のごとく見られたが、これも現在では否定されている。実際、古代エジプトの農民は一年のうち半年働くだけで、十分な収入を得られたいたことが判明しているということです。
ピラミッドの最大の謎はその造営目的、つまり「何のために建てられたか」が判っていないことだと、氏はこの論考に綴っています。
ヘロドトスは王の墳墓と記しているが、これまでのところ、三大ピラミッドはもとより、他のピラミッドからもミイラが発見された例がない。玄室と棺(ひつぎ)は見つかっても、肝心のミイラの姿はどこにも見当たらないということです。
最先端の鑑識技術を駆使しても痕跡が皆無となると、そこにミイラが葬られた可能性は低いと言わざるをえない。三大ピラミッドに限れば、いまだ未発掘の空洞の存在が確認されていることから、今後の調査に期待する外ないと氏は話しています。
それでは、仮に墳墓でないとしたら、ピラミッドは何のために建造されたのか。王を称えるモニュメント、神殿、天文台、日時計などに加え、地球の縮図、数学的知識の保存場所とする説なども唱えられていると氏は言います。
最後の二つは唐突に思われるかもしれないが、この説は三大ピラミッドの各部の寸法が地球の直径、半径、円周、重量、比重、地球と太陽間の距離などに対応していることから生まれたもの。ただし、それがなぜ巨大ピラミッドにある必要があったかというところまでは説明できていないということです。
一方、併設されたスフィンクスの存在は日本の狛犬(こまいぬ)や、中国やメソポタミアの鎮墓獣(ちんぼじゅう)を連想させることから、素直に考えれば、墳墓か神殿である可能性が高いだろう。しかし、確固たる決め手がない以上は結論を急がず、未解明のミステリーのまま、後世にバトンを渡すのが適切だろうというのが氏の考えです。
さて、エジプトのピラミッドが実際、具体的に何のために作られたのかは(今となっては)想像に任せるほかはありませんが、周囲を睥睨し圧倒する巨大ピラミッドという構造物が、王(=神)の権力を象徴する存在として機能していたことはおそらく間違いないでしょう。
規模や形状は様々であっても、三角錐を模した同様の建築物はメソポタミアのジッグラトや中央アメリカに栄えた各文明の遺構としても数多く残されており、それぞれ、時の王たちが権力のよりどころとした太陽信仰と深いかかわりがあるものとして伝えられているようです。
その規模ゆえに、3000年以上の時代をそのままの形で生き抜いてきたギザの大ピラミッド。古代から「世界の七不思議」の一つに数えられ、現座でもエジプトのシンボルとして彼の地に恵みをもたらしているその存在を、是非、自身の目で確かめていただきたいと思うのですがいかがでしょうか。