MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

 伊皿子坂社会経済研究所のスクラップファイルサイトにようこそ。

#1910 忘却されていく野辺送り

2021年07月21日 | 本と雑誌


 戦後のベビーブームの時代に生を受けた「団塊の世代」の多くがいよいよ75歳を迎え、いわゆる「終活」に向けた準備を始める時期となりました。

 その一方、日本国内では昨年来の新型コロナウイルスの感染拡大を受け、葬儀の簡素化が一気に加速していると3月23日の「日刊ゲンダイDEGITAL」が伝えています。

 ソーシャルディスタンスの確保を基本とする新しい生活様式には、それにふさわしい新しい葬儀様式が求められていると記事はしています。

 確かに、感染リスクの高い高齢者が集まることの多い葬儀や告別式に、弔問客や参列者を招かないのはもはや普通のこととなりました。

 もとより葬儀の簡素化は核家族化の時代の趨勢として進んでいたようですが、最近ではご近所や周囲にも積極的に走らせない「家族葬」が主流となり、初七日などの法事を省略するのは当たり前です。

 中には、まず火葬だけ済ませてから親族に連絡し、簡単に「偲ぶ会」を開いて終わりにするといった話も耳にするようになりました。

 そうした中、住職・寺族のための実用実務誌「月刊住職」2020年10月号の読者アンケートでは、過半となる63%の寺社関係者がコロナ禍で収入が減ったと回答していると記事はしています。

 また、供養に関わる情報サービスなどを提供する鎌倉新書の「お葬式に関する全国調査」(2013~2020年)によると、2015年には31.3%に過ぎなかった家族葬が、2020年には40.9%に急増し、通夜をやらない一日葬も3.9%から5.2%へと微増しているということです。

 それに伴い葬儀費用の平均も、2013年の130万3628円から2020年には119万1900円へと大きく減少しているということであり、葬儀の簡素化は「より手のかからない方へ」「よりお金のかからない方へ」と大きくシフトしていることが見て取れます。

 死者の最期をどのように弔っていくのかについては、現在でも土地柄や家柄などによって大きく異なっていることでしょう。

 しかし、地域コミュニティがしっかりしていた頃のような、隣組総出で何日もかけて行うような大規模な葬儀は、総じていえば(全国でも)次第に珍しいものとなってきているようです。

 そうした中、週刊「東洋経済」の4月17日号に掲載されていたHONZ編集長の内藤 順氏による、ライターの高橋繁行氏の近著『土葬の村』(講談社現代新書)の書評が目に留まりました。

 内藤氏は本書を手にし、数ページめくっただけで2つの驚きがあったとこの諸表に記しています。

 1つは、火葬が当たり前とされる今日でも、一部の地域ではまだ土葬というスタイルが残っているということ。そして2つ目は、その土葬がここ数年急激に減少しており、今まさに消えようとしていることだということです。

 半世紀ほど前の記憶を振り返れば、関東の田舎で育った私が小学生の時、隣の家で91歳で亡くなったおばあちゃんは、確かに土葬で埋葬されていました。

 葬列を組んで先祖代々の墓地に向かい、既に近隣の人たちの手で掘られてあった大きな穴を見て、「あー、このまま埋めちゃうんだ…」と子供心に驚いたのを今でもはっきり覚えています。

 また、今から20年ほど前に長野県に住まう知り合いの家の葬儀に呼ばれた際には、晴れ渡った秋空の下、吹き流しをつけた高い竹竿を先頭に近所の人たちが作る長い葬列に加わりました。

 写真やご位牌を持つ遺族や棺桶を担ぐ若い衆とともに田んぼ道を山際のお墓まで歩き、日本にもまだこういう風景があったんだと深い感慨を覚えたのを思い出します。

 さて、(意外なことに)本書によれば国の定める墓地埋葬法では土葬が禁じられているわけではないと、この書評には綴られています。

 しかし、ここ半世紀ほどの間に、全国で火葬場が整備され火葬が一気に広まった。現在、日本の火葬率は99.9%以上で、世界でも最も火葬が用いられている国になっているのだそうです。

 本著の著者は21世紀に入ってから本格的に調査を開始したそうですが、その時点で、土葬の残る地域は既に限られており、またそれらは地理的に近いエリア内に固まっていたということです。

 例えばそれは、奈良盆地の東側の山間部一帯と、隣接する京都府南山城村一体の辺り。これらのエリアでは当時村全体の8〜9割が土葬を行っていたが、それもここ数年で消滅の危機に直面しているとされています。

 古代、中世から1000年以上続いてきたとされる土葬ですが、著者によれば土葬を行う地域の風習で何より特徴的なのは「野辺送り」を行うことだ筆者は指摘しています。

 死者を埋葬地へ送る際に、野辺の道で長蛇の葬列が組まれる。遺族から一般の村人までが参列し、白い幟が風に舞い、村人が手作りした葬具を野道具として携え死者の棺を担いで歩くのは(先に述べたように)私も経験したところです。

 また、地域差はあるものの、棺桶に座棺が用いられることが多いのも土葬の特徴で、縦長の長方体の棺に膝を折り胡坐をかいた姿勢の故人を納め、西方の極楽浄土を拝む格好で墓穴に沈めていくのだそうです。

 さらに、一部の地で行われている「お棺割り」という風習も、ある意味、凄絶なものだとこの書評には記されています。

 これは葬式から49日後にいったん墓をあばき、埋葬された棺桶を掘り返して棺の蓋を割ることを指すもの。蓋が割れると棺の中から仏の顔がのぞくが、ひげや紙が伸びていることもあったということです。

 そう言えば、前述の(私が子供のころの)隣家の葬儀の際に聞いた話では、土に埋けられた(確か皆なこの「埋ける(いける)」という言葉を皆使っていました)人は7年後か9年後に一度掘り返されて、棺などを一緒に土にならすという話でした。

 本著によれば、土葬の希望者は、人間は死ぬとみな土に還るという自然観をもっている場合が多いということです。そして、死から目をそらさず死者を見送る機会になるという観点で考えると、土葬には見送る側にとっても大きな意味があるというのが著者の指摘するところです。

 さて、それではなぜここ数年で、日本における土葬は絶滅寸前の存在となってしまったのか? その理由は、地域や縁故者の関係が疎遠になっていることに尽きるというのが著者である高橋氏の見解です。

 実際、土葬にかかる手間は火葬とは段違いで、力仕事も多い。必要な人手を集められず土葬の実施が困難になり、やがてその風習自体、集団的に忘却されていくだろうということです。

 かつては日本全国で行われていた土葬といった様式に特徴的なのは、時に目を背けたくなるような情景ではないかと筆者の内藤氏はこの書評に記しています。

 死者を悼む感情を、大掛かりな儀式の視覚的なイメージとともに記憶する。これにより弔いの気持ちを忘れまいとしてきた先人たちの思いがひしひしと伝わってくるという氏の指摘は、私も実感として感じるところです。

 逆に言えば、こうした土葬という様式の消滅は、そういった情景が損なわれていくことを意味しているのでしょう。故郷の自然の中に死者を送り届けるという日本の古き文化が、コロナ禍の中で今まさに失われようとしているということなのかもしれません。



♯1866 フランス窓便り

2021年05月31日 | 本と雑誌


 5月3日の日本経済新聞の巻頭コラム「春秋」に、懐かしい少女漫画のタイトルを見つけました。
 白塗りの洋館を借り優雅に共同生活する3人の女子大生――。漫画家の田渕由美子さんが1976年に発表した「フランス窓便り」は今で言うシェアハウスを先取りした作品だったと、このコラムには綴られています。

 早稲田大学の現役学生だった田渕さんの作品には、キャンパスライフの描写が多い。古い校舎、並木道、喫茶店、サークル活動。おしゃれで優しい男女の学生が対等に政治や映画を語り、恋愛を楽しむ姿が生き生きと描かれていたと筆者は言います。
 現実の田渕さんの下宿は5畳の和室で古い日本家屋で壁はベニヤ板だったそうですが、この物語に描かれた彼女たちライフスタイルは、漫画の中だけで洋館暮らしを体験した女子中高生読者の早稲田人気を一気に押し上げたということです。
 実際、1980年代に入ると、現実の社会も(最初は漫画の中にしかなかった)彼女たちの「夢」を追いかけるように変わっていった。少女漫画調の白い喫茶店が増え、(90年代のバブル崩壊で家賃が下落こともあって)インテリアや生活雑貨の新興チェーン店が成長したと筆者はこのコラムに記しています。

 さて、兵庫県で生まれ育った田淵さんは、高校生だった1970年に「りぼんコミックス」で漫画家デビュー。1973年に早稲田大学文学部に入学し、当時は珍しかった学生漫画家として少女漫画雑誌「りぼん」などを中心に人気を集めた才能の持ち主です。
 70年安保への反対運動をピークとした学園紛争が収束していったこの時代、彼女は、落ち着きを見せ始めたキャンパスの自由な雰囲気を軽やかに描き出していきました。授業などの学校での生活やサークル活動、喫茶店やアルバイト先などを舞台に、学生たちが織りなす(ちょっとオシャレな)ラブコメディを得意としていてたと記憶しています。

 1976年の6~8月号の「りぼん」に連載され、コラムに取り上げられていた「フランス窓だより」はそんな田淵作品の中でも特に人気が高く、多くの少女漫画ファンに読み継がれている作品といってよいでしょう。
 「フランス窓便り」は、フランス窓のある(目白辺りの)白い洋館に暮らす、それぞれタイプの違う三人の女子大生の恋愛を描いた連作です。可愛らしく乙女チックな杏と、美大に通うボーイッシュでツンデレの苗子、三人の中ではお姉さん的存在で落ち着いた早大生の詮子の三人が、大人の世界に一歩ずつ踏み出しながらそれぞれの恋を育んでいくストーリー。
 私がこの漫画の存在を知ったのは高校生の時分。同じクラスの友人が少女漫画、特に田淵由美子さんの大ファンで、「ぜひ読んでみろ」と「りぼん」を3冊まとめて貸してくれたのがきっかけです。

 言い忘れていましたが、私が当時通っていたのは旧制中学の名残をとどめるバリバリの男子校でした。むさ苦しいヤンチャ盛りのニキビ面の高校生として、授業にもろくに出ず部活や生徒会、麻雀などに日々明け暮れていた毎日には、恋愛はもとより「女子」の匂いすら皆無だったと言えるでしょう。
 そんなわけで、少女漫画雑誌などを手にしたのは(記憶する限り)それが初めてのこと。ですから、「こんな漫画の何が面白いんだか…」としばらく放っておいたのですが、ある日授業をサボった喫茶店で読み始めたら止まらなくなり、「彼女たちの世界」にすっかり引き込まれてしまったのを鮮明に覚えています。
 その感覚はまさにコラムの通り。畳や襖、口うるさい親や家族に囲まれた現実と、漫画の中にある乙女たちのキャンパスライフとの違いに愕然とするとともに、大学生になったらきっとこんな生活が待っているのではないかと、勘違いさせるのに十分なだけのインパクトがあったということです。

 この漫画の影響かどうかは別にして、その後私も晴れて家を出て、東京の(それも高田馬場の)大学生となったわけですが、もちろん4畳半の下宿暮らしにそんな優雅な生活が待っているはずもありません。漫画のことなどすっかり忘れ、一人の貧乏学生として暮らしていました。
 しかし、今から考えてみれば、何も知らない汗くさい田舎の高校生が、とりあえず現実の問題として「大学に行きたい」「東京で暮らしたい」と本気で思うようになったのは、こうした夢のある「大学生活」のイメージに案外大きな影響を受けていたからなのかもしれません。

 たかが少女漫画と言うなかれ。巷で話題となる漫画や音楽などには(多感な)若者の背中をそっと押す、そうした力があるような気がします。人知れず未来に夢を与える力、人はそれを「ソフトパワー」と呼ぶのでしょう。
 翻って、あいにくのコロナ禍で人気(ひとけ)のなくなったキャンパスに、若者たちはどんなドラマを期待できるのか。パソコン越しに向き合う様々な出会いにも、(子供から大人へと否応もなく押し出されてきた若者たちが)未来に夢を持ったりできるドキドキが是非あってほしいと、このコラムを読んで願うところです。

♯628 そんなの聞いてないよ

2016年10月23日 | 本と雑誌


 コラムニストやラジオのパーソナリティとして活躍する」ジェーン・スー氏の新著、「女の甲冑、来たり脱いだり毎日が戦いなり」(文芸春秋社)が話題になっているようです。

 7月17日の日経新聞の書評「あとがきのあと」では、赤い口紅やヨガ、オーガニックなどを「女が女とみなされるために着込む甲冑」と見なし、その脱ぎ着を繰り返しながら生きる現代女性の複雑な心理をユーモアたっぷりに綴っていると評しています。


 1973年東京生まれの生粋の日本人(ジェーン・スーはペンネーム)である彼女は、現代社会に生きる30代から40代の女子たちのリアルな心理を、あるときは自虐ネタを通して、またある時は愛おしさを込めて語ることで、多くの若い女性たちの共感を得てきました。

 自ら「未婚のプロ」を名乗る彼女は、2013年にイラスト付きエッセイ集「私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな」 (ポプラ社)でエッセイストとしてデビューし、2015年には「貴様いつまで女子でいるつもりだ問題」(幻冬舎)で第31回講談社エッセイ賞を受賞しブレイクしました。

 彼女は、自らのデビュー作を「ここに書いてあることをやり続けていると私のような未婚のプロになるぞ」という警告書と位置づけ、「未婚中毒」の独身女性らが知らず知らずのうちにやってしまっている

 例1:ホワイトデーやクリスマス、誕生日に彼があなたをよろこばせるために行ったロマンチックな演出を受け止めなかった

 例2彼の方が稼ぎが少ないことをあなたはなんとも思っていないが、買い物に一緒に行くとあなただけ大人買いをする

などの「あなたがプロポーズされない101の理由」をイラストとともに詳細に解説しています。

 また、エッセイ集「貴様いつまで女子でいるつもりだ問題」は、独身女性にまつわる諸問題を笑いと毒(と自虐)を交えて解説しつつ、20代、30代、40代の女性にいくつになっても「女子」 として生きていく知恵と術を授けてくれる、(ある意味)教典的な物語と言えるでしょう。

 さて、今年の3月25日にアップされた電子書籍サイト「cakes」のアラフォー独身女子会「だったら結婚に向く教育を親がしとけや」では、イマドキの女子たちの結婚観について、このジェーン・スー氏が興味深い解説を行っているので(この機会に)少し紹介しておきたいと思います。

 女も35歳を過ぎると、自分の人生がほんとに超楽しくなっちゃうとジェーンさんはこの対談でコメントしています。

 20代の頃は自分が不安だから良い城に移り住みたくて、良い城の持ち主を探します。でもまあ、住まわせてくれるような相手がそう簡単に見つかるわけもなく、そうこうしているうちに30歳になると自分の城を自分で作れるようになる。そして気が付けば、これと同じくらいの城を持ってる人じゃないと格好つかないな、という気持ちが出てくるということです。

 さらに35歳すぎると、もうこの(自分の)城に誰も入れたくない、これ以上使い勝手のいい城はない、みたいな心境になってくる。なので、本当に結婚したいというのであれば、この境地に至る前に気をつけてほしいと思うと、彼女は世の独身女性にアドバイスしています。

 自分の人生を自分で回すのが楽しくなってくると、自分以外の人と人生をくっつけるのが難しくなってしまうとジェーンさんは言います。自分以外の人生を尊重することができずに、「彼氏のために善かれ」思っているもりでも、それは実のところ自分が相手をコントロールしたいだけだったりするということです。

 20代では、「なんで私は結婚できないの?」「みんな結婚し始めてるし…」と周囲に惑わされて不安になるが、30歳になれば、「しなきゃな」とは思いつつどう考えても優先順位が上がってこない。結婚するなら「これとこれを諦めなきゃいけない」などと考えると、「えーマジか?」と思うようになるとジェーンさんはしています。

 そんなこんなで、「本当に好きな人がいなければ無理して彼氏作らなくてもいいや」と思っていると、突然実家の父親などから「お前は孫を作る気がないのか?」と言わたりする。今までそんなこと一度も言われず自由にさせてもらってきたのに、突然そんなことを言われても…と、娘たちはそこで初めて大きく動揺するのだということです。

 (好き勝手やらせてもらってきた)娘にとって、これって結構シャレにならない経験だとジェーンさんは言います。だったら子どもの人生のベクトルが結婚しやすい方向に向くような教育を親がしておけばいいのに。30までに幸せな家庭を持たせたいのなら、都会の4年生大学になんて行かせないで地元に置いとけよ…という、そんな指摘です。

 それまでずっと、「勉強頑張んなさい」「自分の人生なんだから好きに生きなさい」などと(調子よく)教えておいて、子どもが30前後になった時、(親の期待に真面目に応えてきた娘に対し)突然くるっとふり返って、「で、結婚しないの?」って言ってくる。いきなり今までとぜんぜん違った発注来ちゃっても、「いや、そんなご無体な」というリアクションになるのも当然だろ、という話です。

 しかし、こうして育てられた娘たちの間にも、どこかで自分自身の中に親の価値観が刷り込まれていて、相手は自分より稼いでいる人がいいとか、学歴は自分より上じゃないといけないとか思ってしまうとジェーンさんはしています。(その時点では)自分も既に相当上に出来上がってしまっているので、自分で自分の可能性を狭めている状態に陥ってしまっているという指摘です。

 人生のルートを見失い、路頭に迷う彼女たちを受け止めてくれる優しい社会が(今の日本に)待っていてくれればよいのですが、どうやら時代は彼女ら自身が(パイオニアとして)切り開いていかなければならないようでうす 。

 結局、彼女たちには先行するロールモデルが身近になかったことが、大きな試練となっているのかもしれません。

 親たちは、企業戦士と専業主婦の最後の時代。父親たちが愛する娘に男に左右されるような人生を送ってほしくないと願い、母親たちが娘たちに「自分とは違う人生を歩む力」を持ってほしいと望んだのは当然と言えば当然です。

 しかし、実際に彼女たちが自分の力で自分の人生を歩むようになったとき、その次の段階として、親たちが期待するパートナーとともに(幸せな)家族を持つことへの道筋を示してくれるモデルはそう簡単には見つけられません。

 彼女たちの人生に、あれほど共感的で応援してくれていた大人たちも、気が付けば自分のことで手一杯。この後の人生をお膳立てしてくれようとは考えていないようです。

 結局、社会は自分たちが暮らしやすいように、自分たちの力で形を変えていくしかありません。

 彼女たちが社会の主役になる。そういう「ころ合い」がいよいよやって来たのだと、ジェーン・スー氏のコメントが示唆するところを(私も)そのように受け止めたところです。



♯272 渡る世間に鬼がいたとしても

2014年12月22日 | 本と雑誌


 「人を見たら泥棒と思え」と「渡る世間に鬼はない」。古くから語り継がれたこの2つの格言の間には、「正反対」とも言える大きな隔たりがあります。

 確かに、人間的なつながりの薄い弱肉強食の文化の中では、「他人を信頼するのは愚かなお人よし」という信憑が、リスクを回避しようとする人々にとって当然の帰結であることは間違いありません。

 しかし一方で、一定の条件を備えた環境のもとでは、「他人を信頼しない」人間は逆に周囲からの信頼を得られず、結果的に本人にとって「損」となる社会が生まれてくることもあるかもしれません。

 社会心理学者の山岸俊男氏は、著書『安心社会から信頼社会へ-日本型システムの行方』(中公新書)の中で、社会には「他人を信頼することが有利になる環境」と「信頼しないことが有利になる環境」の二つがあり、どちらの社会環境を作るかは、結局、社会を作る人々自身に委ねられているとしています。

 これまでの日本の社会は、ある意味「信頼」をあまり必要としない社会であったというのが山岸氏の基本的な認識です。少なくとも日本の社会はアメリカに代表される欧米の社会に比べ、他人を信頼すべきかどうかを考える必要性(重要性)が小さな社会であったのではないかと氏はここで指摘しています。

 日本人の多くは、小さな島国において同一民族、同一言語、同一文化の人々の間で暮らしてきたばかりでなく、その大半は1000年以上にわって人口の流動性の少ない小さな農村社会の住民であった。従って、これまでの日本社会では関係の安定性がその中で暮らす人々に対して既に「安心」を提供しており、相手が信頼できる人物かどうかを考慮する必要が小さかったはずだと山岸氏は説明しています。

 江戸時代、地方の山村で暮らす農民は、そのコミュニティで暮らしている限り、相手を信頼すべきかどうかなどということで不安を感じる必要はなかった。何十年も顔を突き合わせている人間関係の中では、「誰が信用できて誰が信用できないか」はほとんど自明であり、逆に村人の信頼を裏切るような行為をしたことが分かれば村の中で暮らしていけなくなる。だから、村人たちは周りに迷惑をかけるような行動を極力慎んできたということです。

 しかし、そうした農民が、用事があって急に江戸や大坂というような大都会に出てきたら、これまで出会ったことのないいろいろな人間たちと付き合っていかなければなりません。気を抜けば、騙されたりひどい目にあわされたりするかもしれない。

 そこで、「人を見たら泥棒と思え」と心の中で唱え続け、あまり外出もせず人にも会わないようにじっとしていれば、彼は無事に用事を終えて故郷の村に戻ることができるかもしれません。「江戸は怖いところだった」と周囲に自慢話をしながら、平穏に一生を終えることができるでしょう。

 しかし、誰もかれもが「泥棒」かもしれないというかたくなな不信感を捨てて、「せっかく都会に出てきたのだから」と、もう少し積極的に新しく出会う人達と付き合いを始める人もいるかもしれません。

 そして、そう考えて人間関係を一歩踏み込んだ人たちには、(場合によっては身ぐるみはがれてしまうかもしれませんが)故郷の村に留まっていたのでは思いもつかないような素晴らしい経験やチャンスが巡って来る可能性が出てくると山岸氏は指摘しています。

 山岸氏によれば、現在、これまで日本を支えてきた安定した社会関係や人間関係の枠組みが急速に小さくなっており、生活の中で人々が安心していられる場面が大きく減少しつつあるということです。

 例えば、「終身雇用」というような雇用の安定は既に脅かされつつある。離婚の増大や共同体的な地域社会の崩壊などもその一例と言うことができるでしょう。

 このような「関係の安定性」に根差した「安心」の保障が小さくなるにつれ、これからの日本社会では、我々の一人一人が、「この場面で相手を信じていいものかどうか」という判断を迫られる場面が増えてくるだろうというのが、こうした状況に対する山岸氏の見解です。

 そして、山岸氏は、そういう社会においては、「人を信頼すること」が生活の中でより大きな意味を持つようになってくると指摘しています。日本人が一般に他人を信頼するようになるのか、それとも他人への不信感の中で生きるのかが、今後の日本社会の行方を決定する上で重大な意味を持ってくるということです。

 これからの日本の社会では、これまでのような外部に対して閉ざされた関係の中で相互協力と安心を追求することでは得られない、「信頼関係」を前提とした新しい「機会(チャンス)」に直面することになると山岸氏は見ています。

 信頼は、距離感を保った付き合いの中からはなかなか生まれてこないものです。外交関係もまた然り。相手を信じない人間は相手からも信じられないという人づきあいの基本を、島国育ちの我々も、この辺でもう一度思い返す必要があるのかもしれません。

 目の前のチャンスを上手く活かせるかどうかは、これからの日本に「世界に開かれた信頼の文化」が育っていくのか、それともナショナリズムの名のもとに内向きの「不信の文化」が育っていくのかにかかっているとする山岸氏の指摘を、時代の流れを踏まえた大きな視点として、大変印象深く読んだ次第です。


♯271 それをお金で買いますか?

2014年12月20日 | 本と雑誌


 世界的なベストセラー『これからの「正義」の話をしよう』で日本でも一躍有名となったハーバード大学教授で政治哲学者のマイケル・サンデル氏は、人間の個人的な価値観や倫理観の存在を前提としたいわゆる「共通善」を強調する「リベラル・コミュニタリアニズム(共同体主義)」の代表的な論者として知られています。

 現在、アメリカを中心に世界中で強い信認を得ている市場主義への信憑に対し、サンデル氏は近著である「市場主義の限界-それをお金で買いますか」(鬼澤忍訳:早川書房)において、様々なエピソードを挙げながら、「全てをお金の尺度で比較検討する」市場主義的な考え方の将来に強い疑問を投げかけています。

 経済学は本来、ある種の価値観とか倫理観を前提にして成り立っているはずなのに、エコノミストたちはそのベースになっているはずの価値観や倫理観についてまったく語ろうとしていない。これが同著における氏の基本的な問題意識です。

 モラルとして守られてきた場所への市場主義の導入は、(それが意識されているか否かにかかわらず)人々の価値観を変質させている。しかし、エコノミストたちは、市場化によって締め出されることになる「道徳的規範」のコストを、一切勘定に入れないことに(見ないことに)しているのではないか…サンデル氏はそう指摘してきしています。

 実際、世の中では、知らぬ間に様々なものがお金で買えるようになっているとサンデル氏は説明しています。

 例えば、カリフォルニアをはじめとする一部の州では、囚人が一晩82ドルを支払えば静かで清潔な独房に入ることができるということです。さらに、南アフリカで全滅寸前のクロサイを撃つ権利は15万ドル、カーボンオフセットにより1トンの二酸化炭素を大気中に排出する権利は約18ドルで取引されているというような指摘もあります。

 また、ミネアポリスをはじめとする多くの都市では、8ドルを支払えば交通渋滞を緩和するために設けられた相乗り車線を一人乗りでも利用することができるようです。ロサンゼルスでは、ラッシュアワーであっても料金を払いさえすればバスなどの「専用レーン」を通行することが認められており、高級車ばかりが通るので「レクサスレーン」と揶揄されているという話もありました。

 この本の中にもありましたが、確かにお金を支払うことによって(並ばない、待たせないというような)特別な扱いをすることを制度化したいわゆる「ファスト・トラック」は、気が付けば私たちの日常生活にも普通に入り込みつつあるようです。

 ファーストクラスの乗客は、成田でも並ばずにイミグレーションを通過できますし、ビジネスクラスのチケットを持っているだけで、(当たり前のように)エコノミークラスの客よりも先に飛行機に搭乗できます。東京ディズニーランドや大阪のユニバーサルスタジオなどのテーマーパークの多くで「ファーストトラック・チケット」が通常料金の倍程度の金額で販売されており、お金のある家の子供はそれが買えなかった子供の恐らく3倍以上のアトラクションを楽しむことができるでしょう。

 「お金を払うこと」と「待つこと」は、物事を分配するに当たっての二つの異なる方法であるが、「早い者勝ち」という行列の倫理には(富や権力を超えた)平等主義的な魅力があると、この著書の中でサンデル氏は述べています。

 例えば、遊園地やバス停、劇場の公衆トイレなどの行列にふさわしい場所では、多くの人は自分の前に割り込まれると腹を立てる。それでも、急ぐ必要(理由)のある人に「前に並ばせてほしい」と頼まれれば、大抵の人は願いを聞き入れるのではないかとサンデル氏は言います。

 そうした中で、後ろからやってきた人から「10ドル払うから場所を代わってほしい」と言われたら、寒い中を並んでいる人々はどのように思うか。しかし一方で、管理者側が、裕福な顧客の使用に供するため、無料のトイレの隣に(かなり高額の)有料トイレを設置したらどうでしょうか。

 行列の中の人々に共有された「お互いさま」という平等感が市場の論理に取って代わられるのは、実はそんなに難しいことではないとサンデル氏は考えています。

 公共的な価値観で動いている関係性の中に市場主義を侵入させることは、人々の心を変質させ、ひいては社会の在り方を変質させていく可能性が高い。市場的なインセンティブは、往々にして非市場的なインセンティブであることころの「社会規範」を破壊したり締めだしたりするというのが、この問題に対するサンデル氏の見解です。

 イスラエルのいくつかの保育所では、ときどき親が子供を迎えに来るのが遅くなるため保育士を居残りさせなければならないという(よくある)問題に直面していたということです。この問題を解決するため、保育所では迎えが遅れた場合には罰金を徴収することにしました。するとどういう事態が起こったか。予想に反して、親が迎えに遅れるケースが増えてしまったということです。

 サンデル氏は、人が(市場的な)インセンティブに反応すると仮定すれば、これは理解しがたい結果だとしています。それでは、そこに何が起きたのか。これを氏は、「お金を払わせることにしたことで(親たちの)『規範』が変わってしまった」からだと説明しています。

 以前であれば遅刻する親たちは保育士に迷惑をかけているという後ろめたさを感じ、預かっていてくれる保育所に感謝していた。しかし、お金を払うことになったとたん、罰金を「料金」として勘定し、保育士の「善意」に甘えているのではなくお金を払ってサービスを受け取っていると考えるようになったということです。

 「お金」で買えないものがあるのかないのか。お金で「買う」ことで失われるものがあるのかないのか。

 ものの価値を(金銭で)定量化するということは、人の価値観を変えることに他ならない。金銭に換算することは、人がそれぞれに「大切」にしてきた様々なもの事の価値という重要な「社会資本」を壊すことに繋がっているとするサンデルの指摘を、私もこの著書で大変興味深く読んだところです。

♯253 グローバル社会は人間を不幸にするのか

2014年11月13日 | 本と雑誌


 今からちょうど25年前の1989年11月9日、ベルリンの壁が崩壊し、それまでは壁の向こうにある「東側」の(自分とは直接関係のない世界に暮らしていると考えていた)大勢の人々が、突如として「こちら側の世界」にやって来ることとなりました。

 「壁の崩壊」は、政治的なイデオロギーの再編ばかりでなく、人々の様々な思いを一度ごった煮にしたうえで、「幸せ」や「豊かさ」というものに対する新しい尺度や価値観の再構築をを社会に求め、そして世界全体を(その時点では思ってみ見なかったような)「大競争時代」に突入させたと言うことができるのかもしれません。

 社会心理学者の山岸俊男氏は、こうした時代の変化が社会にもたらした影響を振り返るとともに、現在の「グローバル社会」の実態を、著書「リスクに背を向ける日本人」の中で独自の視点から整理しています。

 グローバル化は、「政治の壁」ばかりでなく、基本的に「労働」と「資本」のバランスを完全に崩してしまったと山岸氏は指摘しています。

 ベルリンの壁が崩壊しグローバル化が進む以前は、一つの国の中で労働と資本はある程度独立していました。一方、現在では、 世界の「一体化」やITプラットフォームの共通化などによって資本は国境を超えて自由に移動できるようになっています。

 しかし、それでもその国で生活する労働者はそれに合わせて動き回ることはできないのが普通です。つまり、ある国で労働力が高くつくようになると、資本は別の国に移って安い労働力を使うことができるので、労働者は資本に対し非常に弱い立場に立たされるようになったということです。

 こうした環境下では、一国の中で労働者がいくら団結しても、資本に移動されればそうした団結は無意味になってしまうため、(代替が効かない特殊な能力を持った人を除けば)労働者は他国の労働者と賃金や労働の強化で競争をせざるを得ない状況におかれていると山岸氏は言います。

 氏はまた、ソ連に代表される社会主義圏が厳然として存在していた間は、労働運動の高まりに対する(政治的)脅威が資本主義国の政治家や経営者の間にあり、それがひとつの緩衝材の役割を果たしていたと説明します。さらに、国境を超えた資本や物資の移動も政治的な理由からある程度制限ざれていたので、労働力の安売り競争にもそれなりの歯止めがかかっていたということです。

 しかし、そうした制約が無くなってしまった現在、先進国の労働者と途上国の労働者との間の労働条件の格差が無くなるまで、資本はどんどん移転していくことが可能である。つまり、日本の中だけで競争のない社会を作っていこうとしてもそれば土台無理な話で、今日の日本を(そして世界を)席巻している競争主義はグローバル社会の中で構造的に育まれたものだというのが、この問題に対する山岸氏の認識です。

 氏は、グローバル社会が生み出す大競争は人間を不幸にすると断じる一方で、競争を抑え込む集団主義的な秩序も、人々の自由と自己実現の妨げになるものだと指摘しています。

 穏やかな喜びである「幸せ」と、強烈な喜びである「悦び」とは本来違う種類の感情だと山岸氏は言います。「悦び」は特定の行動の結果に伴う感情で、「幸せ」は状態についての感情と言えるかもしれません。そして人間は、本能とも言える「悦び」の感情(達成感)に突き動かされて、しばしば「幸せ」とは逆の方向の行動をとってしまいがちだということです。

 多くの国々で「収入」と「幸福感」の関係を調べた調査により、収入が低い場合は収入と満足感の間には正の相関がみられるが、ある程度以上の豊かさがあればそれ以上の豊かさは人々の満足度を増やさないことが知られているそうです。

 確かに、身近な共同体の中で温かな関係を作る方が、自己実現とか、目標を目指して生きることより大切だと感じる人も多いと山岸氏は言います。そしてそうした人々は人々の「思い」によってそれが実現可能だと信じており、そうした信憑が広がること、つまり人々の「心がけ」によって創始や世界がやってくるはずだと考えているということです。

 実際、今の社会が人々を不幸にしているのはマーケット主義的な競争原理が人々の倫理を破壊しているからだとする考え方は、日本においても多くの人々に説得力を持って受け入れられているようです。しかし、こうした倫理性は単なる「心がけ」の問題ではなく、同時に「制度」の問題だというのが山岸氏のこの問題に対する見解です。

 倫理的に行動する人が馬鹿を見ることなく、あるいはそのことにより利益を得られるような仕組みが社会の中になければ、結局は人々の間にそうした倫理は受け入れられない。社会制度の基盤なくして倫理は維持できないと山岸氏は言います。

 さて、ベルリンの壁の崩壊から四半世紀。世界的に広がる競争主義の中、世界の人々は「喜び」と「悦び」の間でどのように折り合いをつけようとしているのか。

 「競争主義はけしからん」とか「思いやりのある社会を作る」といった、「心がけ(倫理)」を叫ぶだけではこうした問題は解決できないと、山岸氏は繰り返し指摘しています。競争主義がグローバル社会の構造的な問題であればこそ、人々の「悦び」の存在を前提とし、人間の感情を踏まえた「等身大の制度」として社会に組み込まれていく必要があるとする山岸氏の指摘を、今回大変興味深く読んだところです。


♯247 「自分探し」の意味

2014年11月01日 | 本と雑誌


 一橋大学特任教授で社会心理学者の山岸俊男氏は「社会的ジレンマ」の研究で知られており、日本におけるその分野の第一人者として2004年に紫綬褒章を受章、2013年には文化功労者にも選ばれています。

 一方で、氏は、専門の社会心理学な視点から現代社会を平易な文章で読み説いた一連の著作により、高校生から年配の方々まで多くのファンを獲得しているライターでもあります。様々なタイプの実験に基づいた人間の社会的な行動の分析により、現代の日本や世界の有様までをテキパキと整理するその論評は、読む者に「なるほど」と思わせる不思議な納得感をもたらします。

 社会心理学(social psychology)というのもあまり耳慣れない言葉ですが、個人に対する社会活動や相互的影響関係を科学的に研究する心理学の領域の一つで、以前は「集団心理学」とも言われた、「社会における個人の心理」を研究する研究分野を指すのだそうです。(←wikipedia)

 社会心理学は、個人が複数集合し「社会」を形成した際に起こる様々な出来事を包括的に取り扱い、社会的な状況の中で起こる個人の行動や集団間行動などの傾向を、主に実験によって読み説いていこうとするところにその特徴があるとされています。

 一般に「集団心理学」というと、パニックやファシズム、流言や差別、そしてジェノサイドなど人間が持つ「性」とも言うべき非合理的側面や極端な集団行動を研究する分野と考えられがちですが、氏の著作を読む限り、そうしたネガティブな側面ばかりでなく、社会との関わり方などについて、生身の人間に寄り添ったもっと身近な学問だと感じることができます。

 さて、ハーバード大学教授のメアリー・C・ブリントン氏との対談集として2010年に発表された、「リスクに背を向ける日本人」(講談社現代新書)において氏は、最近の日本の若者の行動論理の特徴とされる「自分探し」に目を向けています。

 山岸氏は、この「自分探し」を、「自分は本当は何をしたいのか」「何をすれば幸せになるのか」といった、自分の個人的な「成功」を求めているものだと指摘したうえで、しかし、そうした「自分探し」は決してうまくはいかないだろうと結論付けています。

 「本当の自分」がどこかにあって、それを見つけることさえできれば何をしたいのかが分かるだろうというのが「自分探し」の本質ではないか、そう山岸氏は言います。でも、本当の自分がどこか心の奥底にあると考えること自体が何かおかしい。本当の自分は実は「そこにある」ものではなく、「これから作る」ものだから…。これが、この問題についての山岸氏の論点です。

 日本人には日々の行動を縛りつける社会的なコンストレイント(制約・拘束…つまり世間のシガラミのようなもの)がたくさんあって、それをとても強いものと感じている。だから、自分がなりたい人間になるには、まず外部にあるそうしたコンストレイントから逃れなければいけない。そうしたコンストレイントを取り去った後に残るのが「本当の自分」なんだという気持ちが、現在の若者の「自分探し」の意味なのではないかとこの対談で山岸氏は述べています。

 言い方を変えれば、周囲の期待に応えてしまう「私」がいて、それを嫌だと思っている。そんな私は私じゃない。どこかに本当の私がいて自分を待っている。それが自分探しの意味ではないかということです。

 確かに一時期、日本のマスコミでは、この「自分探し」がかなりポジティブな文脈の中で語られていました。しかしマスコミが作った「どこか自分の中に本当の自分がある」というストーリーは、結局「新しい生き方」のメインストリームになることはできなかったと山岸氏は指摘しています。

 一方、この対談におけるカウンター・パートとなったブリントン氏は、アメリカの若者には自分の内部に潜り込んで「本当の自分」を見つけるのではなく、自分の外側に出かける(働きかける)ことで自分を見つけるという態度が主流となっていると言います。

 自分を見つけるために世の中と積極的に関わりあっていく。それが、アメリカの若者の「自分探し」の方法論だという指摘です。

 トライ・アンド・エラーを繰り返しながら自分自身が何を望むのか、何が得意なのかがだんだんと分かっていく。やり直すには時間もかかるし、時には傷つきもする。しかし、結局自分を知り、伸ばすことは行動を起こすことによってしか理解できないし、納得感はそこからしか得られないと、ブリントン氏は山岸氏との対談の中で述べています。

 例えば、アメリカの若者は日本人よりも多くの人が(比較的若いうちに)結婚して、日本人よりも多くの子供を生んでいるとブリントン氏は指摘します。

 家族を作って自立するために、失敗を恐れず結婚をして子供を設ける。場合によっては、上手にいかなくて離婚するという選択も当然生まれてくる。それでもまた、新しい結婚相手を見つけて再婚すればいい。

 アメリカの社会の中には、そうしたトライ・アンド・エラーや多様な生き方を是認する、(ある意味)前向きな発想が底流しているというのがブリントン氏の認識です。

 アメリカの若者にとっては、「外側の世界」が自分を「制約する存在(コンストレイント)」ではなく、自分が「働きかけるべき存在」として意識されていると、山岸氏はこうした指摘を論評しています。

 社会に対し、自らを規定する抑圧的な存在として認識する日本人と、自らがドアをノックすべき可塑性の高い(開かれた)存在として認識するアメリカ人。社会に対する基本的な認識の違いが両国の若者の行動に与える影響を、社会心理学の視点も含めこれからもさらに整理して考えていきたいと感じた次第です。

♯242 (日本人)

2014年10月22日 | 本と雑誌


 作家の橘玲(たちばな・あきら)氏が、近著『(日本人)』(かっこ・にっぽんじん:幻冬舎文庫)において、アメリカを中心に進展するグローバリズムを見据えた骨太の「日本人論」を展開しています。

 橘氏は本著において、法を守り礼を重んじると言われる日本人が、実はアメリカ人よりもずっと個人主義的で、その場の損得勘定によって動く世俗的な側面が強く、なおかつ反権威主義的で非合理的な国民性を持つと看破しています。

 確かに、近代化に至る歴史を見ても、日本人は鎖国だ攘夷だと言っていたそばから、列強の力を見るや開国に走り、わずか十数年のうちに明治維新や文明開化を何事もなかったように受け入れました。さらに先の大戦で敗北するや否や、マッカーサーを奉じてアメリカの自由主義にそっくり乗り換えた姿も記憶に新しいところです。

 逆説的に見れば、氏の言うところの「利に聡く自分勝手な」日本人は、国家や権威を(そして神・仏さえも)心から信じるというようなことはなく、こうした(割り切った)変わり身の早さで時代を乗り切ってきたということができるのかも知れません。

 社会のグローバル化によって、現在、世界の各地で「グローバルスタンダード」と「ローカルスタンダード」との間で摩擦が生じており、地域によって大きな衝突に発展しています。こうした中ではありますが、実はアメリカは自らに都合のよい理不尽なことばかりをルールとして世界に押しつけているわけではないと、この著書で橘氏は論じています。

 グローバルスタンダードはこれまで歴史の中で一定程度認知、共有されたルールの集大成であり、こうした秩序があるからこそ、グローバル空間は成立している。従って、それぞれの国がいくらローカルルールを主張しても、もはやこのグローバルルールに対抗することは難しいと橘氏は言います。

 ほとんどの日本人は誤解しているが、(例えば)アメリカが主張する「能力主義」は「利益を最大化する仕組み」ではないというのが橘氏の見解です。それはあくまで、「能力以外の要素で労働者を差別してはならない」というグローバルな空間における厳格なルールを指すものだという指摘です。

 多民族による移民国家であるアメリカでは、企業が人種や宗教、性別や年齢で社員を差別することは許されていません。そのためアメリカの企業には定年がないし、履歴書に生年月日を書かせたり写真を貼らせることすら禁じられているということです。

 しかし、あらゆる差別を禁じたとしても、採用や昇任に際して企業は何らかの方法で労働者を選別しなければならない。そこで唯一の方法として残ったのが、「能力」による評価だいうことです。

 能力が、人種や性別のような生得的なものではなく、人の力で開発が可能なものだという信憑がある意味「神話」に過ぎず、(スタートラインや生育環境が異なることなど)少なくとも能力の一部が生得的なものであることは言うまでもありません。しかし、それをも否定してしまうと、もはや共産主義社会になるほかないと橘氏は説明しています。

 一方、かつて日本企業が採用していた終身雇用や年功序列の人事制度は、年齢(と性別)によって社員を選別する(ある意味不平等な)仕組みです。橘氏は、この「差別的」な雇用慣行は日本という(同質感が強い)ローカルな空間の中では維持できても、企業が海外に進出したり外国人をたくさん雇用するようになるとたちまち批難の対象となり、「なぜ日本人の社員と待遇が違うのか」という外国人社員からの道徳的な問いに答えることができなくなるとしています。

 近年、グローバル企業となった自動車製造業や流通産業を中心に能力主義が採用されているのも、決して彼等が「利益至上主義」に毒されたからではない。会社がグローバル化した以上、もはや日本的なローカルルールによる雇用が不可能になったからだというのが、橘氏の見解です。

 アメリカ社会はその多人種、多文化的な成り立ちから、基本的に全ての制度が(少なくとも理念的には)グローバルスタンダードを体現していると橘氏は言います。そして、それが現在、世界中に広がっているのは、アメリカの「陰謀」などではなく世界のグローバル化の必然なのだというのが、橘氏が示したひとつの結論ということです。

 さて、こうしてグローバル化した社会においては、アメリカの振りかざす「道徳的権威」に対抗できるのは、グローバルな正義だけだと橘氏は指摘します。
 
 個人にとっても国家にとっても、そこがグローバル空間であるならば、ローカルな正義をいくら主張してもそれが考慮されることはない。つまり、自らの利益を守ろうとするならば、リベラルデモクラシーの土俵の上で相手と対等に議論しなければならないと橘氏は主張しています。

 つまり、日本が生き残る道は、アメリカが手持ちの武器とするこのグローバルスタンダードを正しく理解し、日本の国民性を活かしながら、グローバルスタンダードを上手く活用していくところにあるということでしょうか。

 ことは経済の問題ばかりではなく、人権への認識や社会の在り方の問題、歴史認識の問題や領土問題に至るまで、それこそ多岐にわたることになるでしょう。

 国際社会において「異質」と認識されることは、いわゆる野蛮人(バーバリアン)として疎外されることであり、国家間の対等な議論から排除されることを意味します。そうした観点から、相手に分かるグローバルなワーディングで説得し、理解を得ることの大切さを指摘する橘氏の見解を、この著書において大変興味深く読んだところです。
 

♯234 心を鬼にしても…

2014年10月06日 | 本と雑誌


 先日、このサイトで、日本の企業の大半は国内各地域内の小さなマーケットで勝負するローカル企業(地域の小規模なサービス産業)であり、これからの日本の経済成長は、こうしたローカル経済圏のサービス産業の収益性の向上にかかっているとする、㈱経営共創基盤〈IGPI〉代表取締役CEO)の冨山和彦氏の指摘を紹介しました。(8月20日「超高齢社会と新しい経済モデル」)

 冨山氏は、日本経済には世界のマーケットで戦う「グローバル経済圏」と地域のサービスを担う「ローカル経済圏」という特性の異なる二つの経済圏が、その関係性が希薄なまま併存しており、例えグローバル企業が頑張って利益を上げてもローカル企業へのトリクルダウンは起こり難い…としています。つまり、日本経済を底上げしていくためには、ローカル経済圏にある地域密着型の非製造業が収益構造を変えていく必要があり、それが叶わなければ、地域に暮らす大多数の日本人の賃金や生活レベルが上がるとは考え難い、そういう指摘です。

 これまで日本では、この「ローカル経済圏」の人々を「グローバル経済圏」に移動させようという試みが続けられてきた。しかし言うなればスーパーメジャーリーグの戦いになっている「グローバル経済圏」で商店街の小売店の経営者が戦うというのは所詮無理な話であり、ローカルな人々はあくまで地域において県大会レベルの水準で高い生産活動を目指すべきだと、冨山氏は、近著「なぜローカル経済から日本は甦るのか」(PHP新書)の中で述べています。

 氏は、ローカル経済圏では多くの場合、小規模な流通サービスはもとより、医療・介護・保育などの社会福祉サービスや教育、公共交通などの公共サービスが中心的な産業となっており、限られた地域内における「密度の経済性」や様々な「規制」により不完全競争の環境にあるとしています。そうした中では、放置すれば生産性の低い企業が淘汰されることはなく、生産性の高い企業と低い企業がそのまま生き残り、生産性の格差が広がり続けるということです。

 こうした状況を踏まえ、地域経済を活性化させ利益を生み出すためにはまず生産性の低い企業には市場から穏やかに退出してもらい、事業と雇用を生産性のより高い企業に滑らかに集約すべき。また、そうしなければ地域で働く人々の賃金は上がらないというのが、冨山氏のこの問題に対する基本的な認識です。

 著書の中で冨山氏は、生産性の低い企業に退出を促し集約化を進めるうえで非常に大切なのは、地域金融機関の役割だと論じています。今後の地域金融機関の重要な責務となるのは、これまでの「地域からは一人の落後者も出さない」というスタンスを見直したうえで、いわゆる「デッド・ガバナンス」を利かせることだという、ある意味厳しい指摘です。

 適当な後継者がいなくなったり、日常的な経営の中で利益を産むことが難しくなったりした企業では、事態が深刻になればなるほどその治療費が嵩むことになるので、経営者のためにもできるだけ早期に引導を渡す必要がある。「(このビジネスモデルでは)この会社が将来にわたって収益を上げるのは厳しい」「まだ資産があって黒字のうちに廃業してはどうですか」と、(特にリテールバンクは)「心を鬼にして」強く言うべきだと冨山氏はここで主張しています。

 同著には、同じことがローカル経済圏の「まちづくり」に対しても言えるという指摘もあります。ローカル経済圏のキーワードは、あらゆる場面での「集約化」にあると冨山氏は言います。街が分散化したままでは公共投資も分散化してしまう。分散化したままではそこに暮らす住民の負担も増大する一方であり、生活に必要な公共サービスも望みえないという指摘です。

 「里山で暮らそう」「里山を守れ」と言っても、70歳を過ぎて一人暮らしをしている高齢者に里山を守らせるのは酷な話だという冨山氏の見解も、言われてみれば確かにそうかもしれません。今年の冬のように、ちょっとでも雪が降れば孤立してしまい自衛隊の派遣を要請しなければならないような山村に人々が散らばって住んでいる状況は、コストがかかる一方で非効率この上ないというリアルな視点がそこにはあります。

 「古き良き日本の農山村を見捨てるのか…」といった批判や議論もあります。しかし、氏によれば、現在国内に散在する限界集落の多くは実は都会の空襲被害で焼け出された人々や戦後の引き上げに伴う人口増加を吸収するために人工的に作られたものであり、人口減少期に入れば減少(消滅)のフェーズに向かうのは自然な状況と言えるのではないかということです。

 つまり、高齢期をそこで暮らす人々に対しては、できるだけ負担が少ない形でそこから退出するための方策を手当てしてあげることが必要であり、その受け皿として地方都市のいわゆる「コンパクトシティ化」を急ぐことが求められているというのが、冨山氏の認識です。

 民間の有識者による政策発信組織である「日本創成会議」の指摘を端緒として、地方における人口の急激な減少が、今後の日本の大きな課題として認識されつつあります。と、言うよりも、人口減少社会へのソフトランディングがもはや避けられない喫緊の課題でとして私たち日本人の目前に立ちふさがっていることは論を待ちません。

 社会・経済の規模の縮小がようやく全国的な議論へと広がりつつある中、今こそ企業の集約化や街の集約化を、それこそ「心を鬼にして」進めるべきだとするこの著書における冨山氏の見解を、私も大変示唆に富んだ視点と感じたところです。


♯233 資本主義の終焉と歴史の危機

2014年10月04日 | 本と雑誌


 日本大学国際学部教授で経済学者の水野和夫氏は、国際金融の現状や問題点を文明史論を踏まえたマクロ経済の視点から捉えなおした著作で知られています。

 (誤解を恐れずに敢えて一言で言ってしまえば、)水野氏の様々な著作の基本に流れるのは、新自由主義を基調とするグローバル経済への不信感と、その新自由主義から社会を守るために我々は今何をなすべきかという、資本主義の現状への危機感ということになるのかも知れません。

 「利子」というものが制度上明確化された12世紀から13世紀のイタリアを端緒とする資本主義は、収奪する側の「中心」と、される側の「周辺」から構成される資本拡大のシステムであるというのが、水野氏の基本的な認識です。この資本主義は、その後数百年にわたり世界中に「周辺部」(フロンティア)を広げることによって、その時々の「中心部」が利潤率を高め、資本の自己増殖を推進してきたと水野氏は指摘しています。

 しかし、現在、資本主義はいよいよ地球の果てまで市場や資源を開発し尽くし、地球上にはもはや手つかずの未開地は残されていないという危機的な状況に直面している。つまり、我々は「成長」の前提として必要となる搾取の対象を、ついにしゃぶり尽くしてしまったのではないかというのがこの問題に対する氏の見解です。

 「失われた20年」を経験してきた日本を筆頭に、アメリカやヨーロッパでも政策金利は概ねゼロとなり、長期の国債利回りも先進各国で超低金利となっています。このことはつまり、資本の自己増殖が限界を迎えいよいよ不可能となってきていることの証左であると水野氏は指摘しています。

 資本は、フロンティアとしての地理的・物理的空間(実物投資空間)からも、さらには「電子・金融空間」からも利潤を上げることが難しくなってきている。先に述べたように資本主義が資本を自己増殖させるプロセスであるとすれば、そのプロセスである資本主義が終わりに近づきつつあると捉える事が必要だということです。

 水野氏は、近著「資本主義の終焉と歴史の危機」(集英社新書)において、資本主義の持つ(ある意味)凶暴な性格と、これを抑え込んできた先人たちの知恵に触れています。

 安倍政権が進める経済政策「アベノミクス」の成長戦略の基本は、「規制改革」、つまり政府や慣行による規制の緩和にあります。しかし成長・拡大のためにこれまで社会が積み上げてきた英知を捨象するこうした日本の経済政策について、水野氏は厳しく疑問を投げかけています。

 むき出しの資本主義のもとでは、少数の者が利益を独占してしまうのは必定だと水野氏は言います。現代の自由主義者が唱えている規制緩和とは、要するに一部の強者が利潤を独占し効率良く投資を回収できる環境を整えることが目的なので、そのような政策を推進していけば、国境を超える巨額の資本やグローバル企業だけが勝者となり、ローカルな企業や中間層はこぞって敗者に転落していく宿命あるという厳しい指摘です。

 水野氏によれば、19世紀の終盤から20世紀の約100年間を見ると、近代資本主義により豊かな生活を享受できたのは地球の全人口のうちの概ね15%でしかなかったということです。そんな中で曲がりなりにも資本主義が延命できたのは、その過程で資本主義の暴走にブレーキをかけてきた経済学者や思想家がいたからだと氏はここで述べています。

 「徳の道」を説いた18世紀のアダム・スミス、「資本論」を著し社会主義革命により国家体制をも動かした19世紀のカールマルクス、そして大きな政府の礎を築いた20世紀のケインズなど、資本主義の自己崩壊を抑えてきた先人の英知を、氏が指摘するように、現代に生きる我々はもう一度見直してみる必要があるのかもしれません。

 さて、失われつつあるフロンティアに話は戻ります。「地理的・物理的」な空間が消滅してもなおフロンティアを追い求めるとすれば、新しい「空間」を作る必要がある。それが「電子・金融空間」だったと水野氏はこの著作で説明しています。

 地理的・物理的空間では、先進国と後進国の間に見えない壁が置かれそこに収奪のシステムが築かれたわけですが、IT技術と金融工学を駆使したグローバル資本主義は、いったんその壁を取り払って新たに壁を作り出すためのテクニカルなイデオロギーであったとここで水野氏は述べています。

 一定の資本を有する者がグローバルな金融市場に参入し、レバレッジを効かせて実態経済を大きく上回る規模で取引を行うことで自らの富を増殖させていく。それはつまり、先進国内に見えない壁を作り、実態経済の中で収入を得ている下層の人達から上層のごく一部の人達へ富の移転を図っていることに他ならないと水野氏は述べています。

 つまり、グローバル資本主義とは、地図上の世界の中に無くなったフロンティアを、社会の均質性を消滅させることにより新たに国家の内側に生み出していくための(ある意味)「便法」であり、国内における格差をさらに助長している原因になっているということです。

 さらに水野氏は、こうした「電子・金融空間」で成長を求める経済活動は、「未来からの収奪」に繋がっている可能性が高いと指摘しています。

 金融空間では、需要を先取りすることで利益を上げる金融商品が主力になっており、こうした市場では将来価値を過大に織り込むことで利益が極大化することになる。つまり、このような取引は将来の需要を見込んでいるという意味で、結果的に、本来将来の人々が享受すべき利益を先取りしていることになるという指摘です。

 しかも、この「電子・金融空間」においてマーケットが過剰に反応すればするほどバブルのリスクが高まることも大きな問題だと水野氏は懸念を示しています。レバレッジを効かせた取引はバブルが崩壊すれば巨額の債務として市場を混乱させ、場合によってはその処理のために国家財政にも大きな影響を及ぼしかねません。

 さらに言えば、資本がなり振り構わず利益や市場の拡大を目指すことは、地球環境や限られた資源の活用という側面からも、未来世代から収奪することに他ならないとの指摘もあります。

 もはや拡大、成長の余地はないのに無理やり拡大すれば、風船が弾けるように収縮が起こるのは当然だと水野氏はこの著書で結論付けています。

 リーマン・ショックは金融工学によってまやかしの「周辺」を作り出し、信用力の低い多くの人々の未来を奪った。リスクの高い技術によって低価格の資源を産みだそうとした原子力発電も、3.11の事故により未来世代に対して放射能汚染という大きな災厄をのこしてしまった。そして今、資本主義は、未来世代が受け取るべき利益も環境もエネルギーもことごとく食いつぶし、巨大な債務とともに人類の存続をも脅かす負債を残そうとしている。

 そうした中、私たちがこれから取り組むべき最大の課題は、この膨れ上がった資本主義をどのようにして終わらせるのかの一点にあると水野氏は指摘しています。新自由主義を突き詰めることによるハードランディングに身を委ねるのか、あるいはそこに一定のブレーキをかけソフト・ランディングを目指すのか。

 いずれにしても、資本主義の現状をこのまま放置すれば、その代償は遠くない将来、経済危機のみならず、「国民国家の崩壊」や「民主主義の危機」、「地球の持続可能性の危機」という形で社会の中に顕在化してくるのではないかと、水野氏はこの著書の「あとがき」に記しています。

 確かに、実態経済を数倍も上回る資本が仮想空間の中で生み出されている現実が、最終的にどこにその出口を求めるのかは全く予想もできません。

 氏の主張するように、人間の欲望が社会の許容範囲を超える日はそう遠くないのかもしれない。それまでの間に日本は、新しい経済システムやむやみに成長を目指さない「定常化社会」の実現に向けた準備を始めなければならないとする水野氏の指摘を、私も大変示唆に富んだものとして読んだところです。


♯224 「ジャパンクール」に息づく日本人の生死感

2014年09月16日 | 本と雑誌

 「OTAKU(オタク)」という言葉が既に国際語となっている現在、「ジャパンクール」のけん引役として、日本のクリエーターにより制作された劇場用アニメーションが特にヨーロッパを中心に海外の若者たちに高く評価されています。

 中でも、押井 守 (おしい・まもる)氏は、スタジオ・ジブリの宮崎 駿 氏、「機動戦士ガンダム」シリーズの富野由悠季氏、「エヴァンゲリオン」の庵野秀明氏らと並んで、現代日本のアニメーション映画を代表する監督、製作者の一人として、世界中のファンに知られていると言えるでしょう。

 押井氏は、1980年代の初頭から高橋留美子原作のテレビアニメ『うる星やつら』のチーフディレクターなどとして頭角を現し、同アニメの映画シリーズや『機動警察パトレイバー』シリーズ、そして続く『攻殻機動隊』シリーズによりいわゆる「ジャパニメーション」の代表的な監督(制作者)として海外でも知られるようになりました。特に、電脳化された未来都市東京を舞台とした『攻殻機動隊』は、映画『マトリックス』で一世を風靡したウォシャウスキー兄弟に大きな影響を与えたとされており、1982年にハリウッドで製作された映画「ブレードランナー」などにも通じる、近未来における「東京」を舞台に独特の世界観を描き出しています。

 氏の作品を見るため私もその「時代」ごとに映画館に足を運んできた一人ですが、彼の作品の主題・演出に一貫しているのは、ハリウッド映画とはまた違った「日本人」の内面(ものの見方)や生死感にこだわる姿勢にあるという印象を持っています。自身の作品において押井氏は、登場するキャラクターにしばしば「生」というものに向き合う心中を吐露する長台詞を吐かせます。アニメーションとしては意表を突く、良い意味でのこうした大人向けの「理屈っぽさ」が、国内ばかりでなく海外の多くのアニメファンの心に様々な思いを呼び起こすのかもしれません。

中でも、10年ほど前の公開直後に見た『イノセンス』(2004年の第57回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門ノミネート)では、全編を貫く東洋的で不思議な「非現実感」(←あえて言うなら「無常感」とでも言うべきものでしょうか…)と圧倒的な映像密度、「喧騒」と「静寂」が交錯する効果的な音響や音楽の使い方など、見る者の心を揺さぶる仕掛けにずいぶんと驚かされた記憶があります。

 さて、そんな押井氏は、昨年出版した著書『コミュニケーションは、いらない』(幻冬舎新書)において、日本人のもの考え方や生死感、他者との関係性、日本語によるコミュニケーションなどについて言及し、私たちに様々な視点を提供しています。

私が注目したいのは、この著書において、氏が「イノセンス」を作った時はそこに使う「言葉」の中に「自分の痕跡(自分なりの解釈)を残そうという考えを捨てた」と述べている部分にあります。

 押井氏は、この作品において、台詞に自分なりの考えを入れることは、「言葉を劣化させる」ことに気付いたとしています。今の時代、作品を「創る」ということは、「選ぶ」ことと同義だと思っている。それ以外に「クリエイティビティなんてものはない」「時代を超えた言葉を連鎖させていくこと、それこそが言語を共有することであり、文化なのだ。」という指摘です。敢えて言えば、押井氏は、そこまで歴史にはぐくまれてきた「言葉」という文化を大切にする作家だということでしょうか。

 氏によれば、作品のテーマというのはその時代特有のものだが、一方で「表現」というのは普遍的な問題だということです。例え映画の歴史は100年しかなくても、映画を成立させている文化の歴史は数千年ある。「だから僕の映画というのはそこから発想している」と氏はここで述べています。

 (映画も含め)人と人とのコミュニケーションにおいて大切なのは、そこで、「もれなく語れたのか」ということだと押井氏は言います。人間が考えることなんて最終的にはひとつしかない。それは「自分の人生とどう向き合うのか」だ。生きている人間にとって一番大切なのは「生死観」であり、もっと言えば「死とどう向き合うか」だけだというのが、氏の示した人間の有様(ありよう)に対する視点です。

 押井の作品から感じる「無常観」は、指摘されてみれば確かに様々な形で作品中に表現されている(そうした)感覚から紡ぎだされているものであり、そこが世界中の押井ファンを惹きつけている魅力なのかもしれません。

 「(どんなに『生』に関する知識を積み重ねても、)死と向き合えない限りその知識は何の役にも立たない」とこの著書で氏は結論付けています。「問われるべきは『知識』ではなく『覚悟』なのだ。」という言葉でこの著書を結んでいる押井氏の創作に対する姿勢(決意)に、世界的に評価されているクリエイターの研ぎ澄まされた潔さを改めて感じたところです。


♯216 ユーミンの罪

2014年08月31日 | 本と雑誌

Imagesca01mk49


 「♪ゲレンデのカフェテラスで、滑るあなたにくぎ付け。派手なターンで転んで煙が舞い立つ…。」アルバム『SURF&SNOW(サーフ アンド スノー)』は、ユーミンこと荒井(松任谷)由実の10枚目のオリジナルアルバムとして、今から約35年前、1980年の12月に東芝EMIからリリースされました。

 その7年後、ホイチョイ・プロダクションズが製作した映画『私をスキーに連れてって』のテーマソングとして採用され、この『サーフ天国・スキー天国』をはじめ『恋人がサンタクロース』などが折からのスキーブームに乗って冬の定番ソングとしてリバイバルヒットを飛ばしたのも、今ではバブル時代を象徴するできごととして懐かしく語られる思い出です。

 いわゆる「ニューミュージック」世代のシンガーソングライターの草分けとして、現在でも一部の世代において確固たる地位を築いている松任谷由実(旧姓荒井由実)。彼女は1954年生まれですので、今年でいよいよ60歳。還暦を迎える年齢になっています。

 彼女の来歴を見ると、八王子で約100年前から続く老舗の呉服店「荒井呉服店」の長女として生まれ、中学時代には既に麻布のイタリアンレストラン「キャンティ」に出入りしていたとありますから、時代背景を考えればかなり早熟の少女だったようです。後に同レストランに集まるアーティストと関わる中で、15歳で作詞家としてデビュー、17歳で作曲家としてデビューしています。1973年、19歳の時にファーストアルバム『ひこうき雲』を発売し、ミュージシャンとしての荒井由実は一気にメジャーなものとなり、翌1974年から本格的にステージ活動を開始したということです。

 1950年代の後半から60年代生まれの世代(の特に女性)にとって、その後の日本のミュージックシーンにおける荒井由実そして松任谷由実の活躍は、改めて述べるまでもないでしょう。その世代の女性にとって、このアーティストの存在はそれほど(いつも、どこかで彼女の曲がBGMに流れているというような)身近で、なおかつ彼女らの常に一歩先を行く憧れの存在であったということでしょうか。

 荒井(松任谷)由実がこれまで切り取ってきた「女性たちの様々な思い」や「お洒落なシチュエーション」は、それぞれの時代を映し出す鏡、そして時代時代の女性達の思いを反射した「きらめき」として時代を彩ってきたと言えるかもしれません。

 エッセイ集『負け犬の遠吠え』など、特に女性の観点から時代を捉え続けているエッセイストの酒井順子氏は、近著『ユーミンの罪』において、ユーミンがそれぞれの時代の若い女性たちに与えた影響を、「ユーミンは女性達にとってのパンドラの箱を開けてしまった…」と表現しています。

 ユーミンという歌手が登場したことによって、女性たちは刹那の快楽を追求する楽しみを知ってしまった。同時に、女性たちはこうした快楽を積み重ねることで、「永遠」を手に入れられるかもしれないと夢想するようになってしまった。それまで真面目に生きてきた日本の女性たちに、そうした「うっとりとした」気持ちを与えてしまったのは「ユーミンの大きな罪である」というものです。

 晩婚化、少子化、女性の社会進出に性的解放など、ユーミンの歌は女性を取り巻く(1970年以降の)40年間の様々な環境の変化、意識の変化と分かちがたく絡み合っていると酒井氏は同著の「あとがき」の中で述べています。日本が経済成長し、ライフスタイルが欧米化するのとタイミングを一にして、日本の女性たちが生き方を変えていく。そしてその伴奏曲・応援歌が、ユーミンがこれまで生み出してきた数々の歌だったという視点です。

 確かに、これまでに一世を風靡してきたユーミンの曲は、女性の思いを先取りする形で、ある時は「奪い取る恋愛」を応援し、時に婚前のセックスや不倫を肯定し、他方では女性は「守られるべき存在」として男性のエスコートを当然なものとしてきました。そしてその一方で、日本の経済発展にあわせるかのように多くの若者を東京へ東京へと誘い、クリスマスやバレンタインデーは「特別な日」だとして多くの若者にプレッシャーをかけ、さらにスキー場や海外のリゾートでの消費を煽ってきたという事実も、ある意味計算づくの意図的なものであったのかもしれません。

 いずれにしても、「ユーミンは(世の女性達を)救ってくれすぎた…」。ユーミンが(私たち女性に)してくれたことは「女の業の肯定」だと、酒井氏は荒井(松任谷)由実というアーティストを評しています。もっとモテたい、もっとお洒落したい、もっと幸せになりたい。こうした「もっと、もっと」の渇望や、嫉妬や怨恨、嘘や復讐といった黒い感情もユーミンは肯定してくれた。それも、美しく、時には可愛らしく加工してくれたので、私たち(女性)は女の業を解放することに罪悪感を持たずに済んだと酒井氏は述べています。

 「助手席に座る人生」を肯定し、同時に「男に縛られず生きる人生」をも肯定する。女たちは、そんな風に甘やかしてくれるユーミンが大好きだった…。酒井氏はさらに続けます。ユーミンが描くキラキラと輝く世界は、実は女性の鼻先につるされた人参のようなものではなかったか。その人参を食べたいがために、私(女性)たちは前へ前へと進み、気が付けば年齢を重ねている。そして、このように「ずっとこのまま走り続けていられるに違いない」と女性たちに思わせてしまったことがユーミンの犯した「最大の罪」なのではないかと、酒井氏はここで結論付けています。

 このエッセイにおける酒井氏のユーミンに向けた限りない愛情と熱い思いに触れる中で、時代の変化を40年間にわたり貪欲に体現してきた日本の女性たちと、それを声も高らかに応援し、時に先導してきたユーミンこと荒井(松任谷)由実というアーティストの時代性を、改めて考えたところです。


♯202 呪いの時代を生き抜く方法

2014年07月26日 | 本と雑誌

Ucchiesaiko011
 以前このサイトに、日本の社会における「呪い」の言葉の蔓延について書きました。(2014.3.17「呪いの時代」)。

 現代社会には呪いの言葉が溢れている。相手が大切にしているものを誹謗中傷し、貶めるためだけに発せられた言葉が様々なメディアを飛び交っている。同時に、人を傷つけるために発せられたほんの小さな言葉でも、時にインターネットやLINEなどの新しいコミュニケーションツールの力を借りてその威力が増幅され、名指しされた相手から生きる意欲を奪い、時に死に至らしめるような凶器と化しているのではないかというものです。

 先日、神戸女学院大学名誉教授の内田 樹(うちだ・たつる)氏が、2年半ほど前の「週刊現代」(2011.12.10号)において、現代社会におけるこうした「呪い」の言葉が持つ意味とその制御の仕方について論評しているのを、遅まきながら目にし改めて感じるところがありましたので、備忘の意味でこの機会に整理、採録しておきたいと思います。

 「呪い」というものは「記号化の過剰」に他ならないと内田氏はこの論評で述べています。呪いというのは、人間の持つ厚みも深みもすべて捨象(考察の対象から切り捨てること)して、一個の記号(概念)として扱うことだというのが氏の基本的な認識です。

 例を挙げれば、イラク戦争の際、アメリカ人の多くはイラクが世界地図のどこにあるかもよく知らぬまままとめて「テロリスト」という記号のもとに括り込んでしまった。イラク人一人一人の固有の生活や個性を全て無視する形で、遠く中東の地に住む「テロリスト」という記号が採用されたというのが内田氏の見解です。

 暴力は生身の人間ではなく、記号に対して振るわれる。その地に住む人々が集合名詞で名指しされ、記号的に処理されたときに初めてすさまじい軍事的破壊が可能になった。呪いとは正にそのことであり、一人一人の人間の顔を見ないことだと内田氏は言います。

 内田氏は、記号として扱われ顔を持たない人たちに対しては、人間はいくらでも残酷になれると主張しています。 呪いは強烈な破壊力を持っている。だから、呪いを発した人間は強い全能感を覚えることになる。呪いに人々が惹きつけられるのは、人々が大切にしてきたものを自分の手で叩き壊すことが、強烈な快楽をもたらすからだということです。

 一度、呪いの言葉を吐きかけて、それによって他人が生命力を失い、あるいは営々として築かれてきた制度が瓦解するのを見たら、人間はもうその全能感の虜となり、そこから逃げることができなくなる麻薬のようなものだと内田氏は重ねて指摘しています。

 かつて人々は「呪い」が扱いの難しい劇毒だということを常識として身につけており、「呪い」に対して極めて敏感であったというのが内田氏の認識です。そうした環境の中では、呪いを発するにも抑止するにも専門的な知見と技術が必要だということをみんなが理解していた。でも今は誰もがそうした感受性を失い、「呪い」なんて迷信だと思っている。だから、これほど危険なものが日常生活の中で平気で蠢いているのだと内田氏は述べています。

 こうした「呪い」を制御するには、生身の具体的な生活者としての「正味の自分」のうちに踏みとどまることがまず必要だと、内田氏はここで指摘しています。

 妄想的に亢進した(高い)自己評価に身を預けることを自制して、あくまで「あまりぱっとしない正味の自分」を主体の根拠として維持し続けること。さらに相手に対しても、そうした生身の自分の視点で、邪悪なものとして記号化された存在から生身の人間を生き返らせること。それこそが、呪いの時代の(正しい)生き延び方だというものです。

 正味の自分とは、弱さや愚かさ、邪悪さを含めて「このようなもの」でしかない自分のこと。そうした自分を受け容れ、承認し、愛する。つまり自分を「祝福」すること。それしか呪いを解く方法はないというのが内田氏の示したこの時代を生き抜くための処方箋です。

 呪いは「記号化の過剰」であり、それを解除するための祝福は、記号化の逆で、いわば「具体的なものの写生」であると内田氏は言います。

 世界を単純な記号に還元するのではなく、複雑なそのありようをただ延々と写生し、記述してゆく。今自分の目の前にいる人そのものについて、言葉を尽くして写し取り、記述する。祝福とはそういうことだとする内田氏の説明に、地に足をつけて日常の中を感受性豊かに生きることの大切さを改めて感じたところです。


♯198 ヤンキーの虎

2014年07月16日 | 本と雑誌
Kixvbdhhardkejg_s1cv6_1611
 大都市圏郊外や地方都市部で存在感を増していると言われる「マイルドヤンキー」。一般には、上昇傾向が少なく地元志向が強い比較的低所得層の若者達を指す言葉として定着しつつある観があります。

 「マイルドヤンキー」は、思想的には保守的であり、細かい理屈よりも情緒性や実行力に惹かれ、家族や友達の繋がりを重視する傾向の強いグループとされており、一方でブランド品などの既製製品に対する消費意欲が旺盛で、バブル期以降の若い世代を指す「さとり世代」とは相反する個性を持った「一群」として広く認識されています。

 投資信託運用会社レオス・キャピタルワークスの創業者で明治大学の講師も務める藤野英人(ふじの・ひでと)氏は、7月3日の「現代ビジネス」において、「マイルドヤンキーを支えている、ヤンキーの虎に注目を!」と題し、主に大都市郊外や地方部においてこうしたマイルドヤンキーに職場を提供し生活を支えている「ヤンキーの虎」の存在に注目し、興味深い指摘を行っています。

 「一億総中流時代」と呼ばれた1970年代の社会の枠組みが崩壊し、生活の拠点や学歴、出自、家庭環境などの違いを背景とした国民の所得格差が年々拡大していることが、様々なデータからも明らかにされています。

 同じ「日本」という国家(社会)の中でも、都市部と地方部では生活のスタイルから人生観、家族との関わり方などまるで別の国のように変わってきている。そして問題は、この2つの世界の接点が少なくなってきているところにあり、都市の生活と地方の生活がパラレルワールドのようになっているのではないかと藤野氏はこの論評で述べています。

 藤野氏は、こうしたマイルドヤンキーが特に地方部において定着している(できている)背景には、地域に根を張り、地域経済に食い込み、彼らに職を提供している「ヤンキー虎」の存在があると見ています。

 地方経済はこの10年以上疲弊を続けてきました。特に公共投資の縮小は地方経済にとって大きな打撃となりました。しかし、土建業、設備業などを営む多くの中小企業が倒産していく中で、それでも仲間内で仕事を回しながら凌ぎつつ、他業種展開でなんとか生き延びている会社も数多く存在している。建設業、パチンコ屋、リフォーム業、保険の代理店、ガソリンスタンドの経営、中古車販売など、地域密着型のビジネスを複数組み合わせて生き延びている会社が、全国には無数にあるというのが藤野氏の認識です。

 当然その中には代々地域の名士もいれば、成り上がりの人もいる。二代目、三代目のボンボンでそれなりにアメリカなど海外で高い教育を受けさせてもらった人から、高卒の叩き上げ、元暴走族のリーダーから成り上がった人など、そうしたタフな経営者たちは学歴も出自も実にバラエティに富んでいるということです。

 そして、昨今の公共事業の拡大や景気の持ち直しに伴い、こうした経営者たちが(彼らが共通して持っている)地元の人たちとの強力なパイプを活かし地方政治とも密着しながら、縮小する経済のなかでの残存者メリットをバリバリに享受し始めていると藤野氏は指摘しています。

 これが「ヤンキーの虎」の姿だと、藤野氏は述べています。崇高なビジョンやミッションを掲げているわけでもなく、近代的な経営をしているわけでもない。しかし、地元の「マイルドヤンキー」の人たちを上手に使い、地元の真面目そうな同級生などを番頭に据えて、地の利を活かした経営を続けている。

 地方部では、今後こうした「ヤンキーの虎」の発言権がどんどん増していくだろうと藤野氏は見ています。少なくともあと10年間はこうした「ヤンキーの虎」は成長し続ける。人口減少社会になったとはいえ、その中でネットワークも人材も金もある組織は、そうでない会社を吸収して伸びていけることがほぼ確実だというのが藤野氏の見解です。

 これから、都市部の社会と地方部の社会との乖離が一層進み、国の経済と地域の経済とが異なる動きを見せる局面が増えてくるかもしれません。現在は「マイルドヤンキー」が地方経済における「消費の担い手」として注目されていますが、今後の日本の経済を見ていく中では、それ以上に地方経済を支えるこうした「ヤンキーの虎」の存在感が大きくなっていくのではないかとする藤野氏の指摘を、このコラムで興味深く読んだところです。

♯190 他人を攻撃せずにはいられない人

2014年07月01日 | 本と雑誌

Dscf1290



 京都大学非常勤講師で精神科医の片田珠美(かただ・たまみ)氏の近著「他人を攻撃せずにはいられない人」(PHP新書)を、先日、書店の店頭で手に取りました。

 片田氏はこの著書の中で、世の中には他人を攻撃せずにはいられない攻撃欲求の強い性向を持った人が一定の割合で(それも少なからず)存在していると、はっきり「明言」しています。こういう人が一人いるだけで、様々に精神的に健康を損なった症状を示す被害者が周囲に生まれる。片田氏はその臨床経験において、そうした「被害」の実態をつぶさに観察してきたということです。

 攻撃性の強い人達の「攻撃欲求」の根底に潜んでいるのは、大抵の場合「支配欲」というものだと片田氏は言います。

 こうした人々は、常に「相手を思い通りに支配したい」「操作したい」という欲望を抱いているのだが、実はこのような欲望を当の本人が意識しているとは限らない。相手の人格を破壊するようなことをしておきながら、「本人のためにやっている」「愛情からやっている」と思い込んでいる「上司」や「親」や「配偶者」、「恋人」などが、世の中には数多く存在しているというのが片田氏がこれまでの臨床経験から得た知見です。

 攻撃欲求の強い人が欲しているのは、基本的に「破壊」に過ぎないというのが片山氏の基本的な認識です。他の誰かが上手くいっているのが許せない。他人の幸福に堪えられず、自らの不安や自信のなさを覆い隠すために、(本人の自覚の有無にかかわらず)強い怒りや敵意の衝動に突き動かされて相手の状態を壊そうとするのが彼等の本質だということです。

 片田氏によれば、こうした人たちは幼少期の体験などを経て(何の疑いもなく)このような人格を身につけていることが多く、さらに成長段階において他者をストレスによってコントロールするための様々な技術(手法)を学習しているので、時として極めて巧妙に相手を「不安」や「混乱」に陥れ、相手の自信や価値観を壊しながら精神的に支配していくということです。

 実はこうした人たちと一緒にいると気が付く「独特」のパターンがあると片田氏はこの著書で述べています。話を聞いていて何となく疲れて重苦しい気分になる。誰かの言動をけなして無価値化し自らの能力や成果を誇示するする傾向が強いので、徒労感や空虚感を場の空気にもたらす。また、彼らは相手に「罪悪感」を抱かせることを攻撃のひとつの手法としていることが多く、気が付けば相手はこの罪悪感にからめとられて精神的に追い込まれてしまうということです。

 片田氏は、このような攻撃欲求が強い人が身近にいると「戸惑い」「混乱する」原因には、実は彼らが一体何を欲しているのかその「欲望」が見えにくいことがあると言います。

 実際彼等は人間関係を「上・下」の関係として捉えることしかできず、自分より「下」と見た人間を服従させることに最も大きな目的を置いているということです。一見、意味がありそうなこういう人たちの所作は、実は何か深淵な目的を達成するために相手を誘導しているわけではなく、単純に相手を支配し自分の思い通りになる居心地のよい環境を作り出すことだけを目的にしたものである。そしてだからこそ、「虚を突かれた」相手を効果的に不安に陥れることになるということです。

 さらに良くないことに、このような攻撃欲求の強い人が一人いると集団全体に重苦しい雰囲気や沈滞ムードが漂い、もめごとや不和が絶えないことからメンバーぞれぞれが疲弊していく可能性が高いという指摘もあります。場合によっては、メンバーの中で生じたストレスが同じ集団の他のメンバーに向かい、被害者が加害者に転じる場合などもある。混乱の中で目標を失った集団はストレッサーの「気分」を窺うことにエネルギーの大半を奪われ、集団のパフォーマンスを著しく低下させるというものです。

 さて、こうした攻撃欲求の強い人々に対し、私たちはどのように向き合えば良いのか。一体、彼らに「付ける薬」はあるのかという問題です。

 片田氏はその具体的な処方箋のひとつとして、まず何よりも冷静になって「対象を観察すること」を挙げています。観察を続けていくうちに、少しずつ相手の矛盾や欺瞞に満ちた言動、恐怖を与えるための威嚇や虚勢などが見えてくる。つまり、圧迫を受けている者が自分自身が置かれた状況を少しでも客観的に見つめ直すことにより、精神的なパニック状態から抜け出すことがまず最初に必要になるという指摘です。

 そうした視点を持つことができたなら、次に行うべきことは、そうした相手と距離を置くことだと片田氏は述べています。

 そして、(ここからが大切な所なのですが)「いつかはちゃんとした話し合いができるようになるだろうという淡い期待は早めに捨てたほうが良い」、「攻撃欲求の強い人は変わらない可能性が高い」というのが片田氏の見解です。つまり、(氏の言うところの)「根性曲がりにつける薬はない…」というのが、氏の示したこの問題に関するある意味「救いのない」現実ということになります。

 いくら意を尽くして説明しても、感情に訴えても、攻撃欲求の強い人が他人の痛みを理解してくれることはまずあり得ない。こうした個人が持つ「コミュニケーション障害」は、そのような感情的、理論的な手法で矯正されるような次元の問題ではないというのが、精神科医としての氏が下した結論ということになります。

 自らのコンプレックスや自信のなさが不安や疑い深さに繋がり、こうした感情から来るストレスを自分よりも「弱い」と感じた者への攻撃欲求として昇華させることを常とする人々は実際どこにでも存在する。そして、そうした「はた迷惑」な隣人と暮らしていくための知恵は、結局「できるだけ関わらない」ようにするしかないとする片田氏のプロとしての指摘を、人間社会の理不尽さを端的に表すものとして私も大変興味深く読みました。