戦後のベビーブームの時代に生を受けた「団塊の世代」の多くがいよいよ75歳を迎え、いわゆる「終活」に向けた準備を始める時期となりました。
その一方、日本国内では昨年来の新型コロナウイルスの感染拡大を受け、葬儀の簡素化が一気に加速していると3月23日の「日刊ゲンダイDEGITAL」が伝えています。
ソーシャルディスタンスの確保を基本とする新しい生活様式には、それにふさわしい新しい葬儀様式が求められていると記事はしています。
確かに、感染リスクの高い高齢者が集まることの多い葬儀や告別式に、弔問客や参列者を招かないのはもはや普通のこととなりました。
もとより葬儀の簡素化は核家族化の時代の趨勢として進んでいたようですが、最近ではご近所や周囲にも積極的に走らせない「家族葬」が主流となり、初七日などの法事を省略するのは当たり前です。
中には、まず火葬だけ済ませてから親族に連絡し、簡単に「偲ぶ会」を開いて終わりにするといった話も耳にするようになりました。
そうした中、住職・寺族のための実用実務誌「月刊住職」2020年10月号の読者アンケートでは、過半となる63%の寺社関係者がコロナ禍で収入が減ったと回答していると記事はしています。
また、供養に関わる情報サービスなどを提供する鎌倉新書の「お葬式に関する全国調査」(2013~2020年)によると、2015年には31.3%に過ぎなかった家族葬が、2020年には40.9%に急増し、通夜をやらない一日葬も3.9%から5.2%へと微増しているということです。
それに伴い葬儀費用の平均も、2013年の130万3628円から2020年には119万1900円へと大きく減少しているということであり、葬儀の簡素化は「より手のかからない方へ」「よりお金のかからない方へ」と大きくシフトしていることが見て取れます。
死者の最期をどのように弔っていくのかについては、現在でも土地柄や家柄などによって大きく異なっていることでしょう。
しかし、地域コミュニティがしっかりしていた頃のような、隣組総出で何日もかけて行うような大規模な葬儀は、総じていえば(全国でも)次第に珍しいものとなってきているようです。
そうした中、週刊「東洋経済」の4月17日号に掲載されていたHONZ編集長の内藤 順氏による、ライターの高橋繁行氏の近著『土葬の村』(講談社現代新書)の書評が目に留まりました。
内藤氏は本書を手にし、数ページめくっただけで2つの驚きがあったとこの諸表に記しています。
1つは、火葬が当たり前とされる今日でも、一部の地域ではまだ土葬というスタイルが残っているということ。そして2つ目は、その土葬がここ数年急激に減少しており、今まさに消えようとしていることだということです。
半世紀ほど前の記憶を振り返れば、関東の田舎で育った私が小学生の時、隣の家で91歳で亡くなったおばあちゃんは、確かに土葬で埋葬されていました。
葬列を組んで先祖代々の墓地に向かい、既に近隣の人たちの手で掘られてあった大きな穴を見て、「あー、このまま埋めちゃうんだ…」と子供心に驚いたのを今でもはっきり覚えています。
また、今から20年ほど前に長野県に住まう知り合いの家の葬儀に呼ばれた際には、晴れ渡った秋空の下、吹き流しをつけた高い竹竿を先頭に近所の人たちが作る長い葬列に加わりました。
写真やご位牌を持つ遺族や棺桶を担ぐ若い衆とともに田んぼ道を山際のお墓まで歩き、日本にもまだこういう風景があったんだと深い感慨を覚えたのを思い出します。
さて、(意外なことに)本書によれば国の定める墓地埋葬法では土葬が禁じられているわけではないと、この書評には綴られています。
しかし、ここ半世紀ほどの間に、全国で火葬場が整備され火葬が一気に広まった。現在、日本の火葬率は99.9%以上で、世界でも最も火葬が用いられている国になっているのだそうです。
本著の著者は21世紀に入ってから本格的に調査を開始したそうですが、その時点で、土葬の残る地域は既に限られており、またそれらは地理的に近いエリア内に固まっていたということです。
例えばそれは、奈良盆地の東側の山間部一帯と、隣接する京都府南山城村一体の辺り。これらのエリアでは当時村全体の8〜9割が土葬を行っていたが、それもここ数年で消滅の危機に直面しているとされています。
古代、中世から1000年以上続いてきたとされる土葬ですが、著者によれば土葬を行う地域の風習で何より特徴的なのは「野辺送り」を行うことだ筆者は指摘しています。
死者を埋葬地へ送る際に、野辺の道で長蛇の葬列が組まれる。遺族から一般の村人までが参列し、白い幟が風に舞い、村人が手作りした葬具を野道具として携え死者の棺を担いで歩くのは(先に述べたように)私も経験したところです。
また、地域差はあるものの、棺桶に座棺が用いられることが多いのも土葬の特徴で、縦長の長方体の棺に膝を折り胡坐をかいた姿勢の故人を納め、西方の極楽浄土を拝む格好で墓穴に沈めていくのだそうです。
さらに、一部の地で行われている「お棺割り」という風習も、ある意味、凄絶なものだとこの書評には記されています。
これは葬式から49日後にいったん墓をあばき、埋葬された棺桶を掘り返して棺の蓋を割ることを指すもの。蓋が割れると棺の中から仏の顔がのぞくが、ひげや紙が伸びていることもあったということです。
そう言えば、前述の(私が子供のころの)隣家の葬儀の際に聞いた話では、土に埋けられた(確か皆なこの「埋ける(いける)」という言葉を皆使っていました)人は7年後か9年後に一度掘り返されて、棺などを一緒に土にならすという話でした。
本著によれば、土葬の希望者は、人間は死ぬとみな土に還るという自然観をもっている場合が多いということです。そして、死から目をそらさず死者を見送る機会になるという観点で考えると、土葬には見送る側にとっても大きな意味があるというのが著者の指摘するところです。
さて、それではなぜここ数年で、日本における土葬は絶滅寸前の存在となってしまったのか? その理由は、地域や縁故者の関係が疎遠になっていることに尽きるというのが著者である高橋氏の見解です。
実際、土葬にかかる手間は火葬とは段違いで、力仕事も多い。必要な人手を集められず土葬の実施が困難になり、やがてその風習自体、集団的に忘却されていくだろうということです。
かつては日本全国で行われていた土葬といった様式に特徴的なのは、時に目を背けたくなるような情景ではないかと筆者の内藤氏はこの書評に記しています。
死者を悼む感情を、大掛かりな儀式の視覚的なイメージとともに記憶する。これにより弔いの気持ちを忘れまいとしてきた先人たちの思いがひしひしと伝わってくるという氏の指摘は、私も実感として感じるところです。
逆に言えば、こうした土葬という様式の消滅は、そういった情景が損なわれていくことを意味しているのでしょう。故郷の自然の中に死者を送り届けるという日本の古き文化が、コロナ禍の中で今まさに失われようとしているということなのかもしれません。