MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2450 処理水の海洋放出を考える

2023年08月04日 | 科学技術

 8月後半の実施が取りざたされている福島第一原発にかかる処理水の海洋放出を前に、東アジアの周辺諸国を巻き込んだ様々な議論が広がっています。

 中国・香港では、税関当局が日本から輸入した水産物に対する放射線の検査を全面的に始め日本からの鮮魚などの輸出が実質的に滞っているほか、韓国においても各メディアでは依然強い反対の声が上がり続けています。

 一方、松野博一官房長官は「政府としては引き続きIAEAの包括報告書の結論を踏まえ、高い透明性を持って国際社会に丁寧に説明していく考えだ。日本産食品の安全性は科学的に証明されており、輸入規制を早期に撤廃するよう今後もあらゆる機会を通じて中国側に強く働きかけていく」と話しており、日本政府としてはIAEAの報告書を一種の「お墨付き」として一気に放出開始に踏み切る構えと見受けられます。

 貯められた処理水に関しては、量の面でも放射線の面でも(まさに)大海の一滴に過ぎない。この極めて低レベルの放射性同位体が健康に悪影響を及ぼす可能性は限りなく低いという指摘は、(日本政府にとっては)たしかに科学的なエビデンスに基づくものなのかもしれません。

 しかし、だからといって、長期にわたる海洋放出が海底や海洋生物にどんな影響が及ぶのかについてはわからないことも多いのが実態であり、ましてや当事者である東電が2011年の事故を(「想定外の事態」として)防げなかったことを考えれば、「俺を信じろ」と言われても「はい、そうですか」とはいかない気持ちも理解できます。

 そんな折、7月28日の総合情報サイト「BUSINESS INSIDER JAPAN」にジャーナリストの岡田充(おかだ・たかし)氏が、『IAEA報告書は「処理水の海洋放出」を承認していない。中国を「非科学的」と切り捨てる日本の傲慢』と題する論考を寄せていたので、参考までにその概要を小欄に残しておきたいと思います。

 処理水の海洋放出に対しては、全国漁業協同組合連合会や地元・福島の漁業協同組合をはじめ多くの市民団体が強く反対してきた。さらに、IAEAの調査報告書公表を受け、中国や太平洋島しょ国からも反対の声が上がり、外交問題に発展していると岡田氏はこの論考に記しています。

 中国の主張は、簡単に言ってしまえば

① これまで事故で溶けた炉心に接触した汚染水が放出された例はない

② 溶け落ちた炉心と直接接触した汚染水には60種類以上の放射性核種が含まれる可能性がある

③ 日本はただちに海洋放出計画を中止し、国際社会と真剣に協議し、科学的、安全、透明で、各国に認められる処理方式を共同で検討すべき

(↑ 呉江浩・駐日大使と駐日大使館報道官による7月4日の記者会見)というもの。こうした主張を踏まえ、中国税関当局が日本の水産物に対する放射性物質の検査を7月から厳格化したことで、放出問題は日中間の外交問題へと発展したということです。

 このような中国政府の対応について、日本のメディアは「中国政府は処理水問題を(政治的に)利用している」といった社説を掲載し、「処理水問題が科学的議論を離れ外交カードと化している」といった政府関係者の見解を紹介し対中非難を煽っている。しかし、(改めて周囲を見渡せば)放出に反対しているのは中国だけではないというのがこの論考で岡田氏の見解です。

 オーストラリア、ニュージーランド、パプアニューギニアなどの太平洋島しょ国が加盟する「太平洋諸島フォーラム(PIF)」は、IAEAが報告書を公表する直前の6月26日、プナ事務局長が海洋放出に反対する態度を明らかにしていると氏は言います。

 その主張は、「海洋投棄は太平洋島しょ国にとって、大きな影響と長期的な憂慮をもたらす」というもの。そのうえで、「代替案を含む新たなアプローチが必要であり、責任ある前進の道である」と話しているということです。

 こうした状況を踏まえ、岡田氏はこの論考で「そもそも、今回のIAEAによる調査報告書を、海洋放出の安全性や正当性を保証するものとみなしていいのか?」との疑問を呈しています。

 最も注意しなければならないのは、報告書では「処理水の放出は日本政府が決定することであり、その方針を推奨するものでも承認するものでもない」と明記されていること。政治的判断として海洋放出を行うべきかどうかについて、報告書は一切判断していないというのが氏の認識です。

 来日したIAEAのグロッシ事務局長はNHKとのインタビュー(7月7日)に答え、日本政府の要請はあくまで海洋放出に当たっての「基本方針の評価」だと話している。従って報告書は、「政治的にいいか悪いかを決めたわけではなく、(あくまで)放出に対する日本の取り組みそのものを調査したもの」だということです。

 一方、政府与党自民党の茂木敏充幹事長は7月25日の記者会見で、海洋放出を批判する中国について、「科学的根拠に基づいた議論を行うよう強く求めたい。中国で放出されている処理水の濃度はさらに高い」と反論した。しかしこの茂木氏の態度は、溶け落ちた原発の炉心に直接接触した汚染水を処理した水を史上初めて海洋に放出するという事実を無視し、(単純に)放射性物質の含まれる「濃度」の問題にすり替えているようにも見えると、岡田氏はここで指摘しています。

 市民団体からは、「タンク貯蔵されている水の7割近くには、トリチウム以外の放射性核種が全体としての排出濃度基準を上回って残存している」との指摘もある。放水前に処理するにせよ、指摘に対する確認や追加の調査もないまま中国の主張を「非科学的」と決めつける姿は、傲慢で非科学的との誹りを免れないというのが氏の見解です。

 実際、日本原子力文化財団が発行した「原子力総合パンフレット2022年度版」には、「事故から2年後頃までは、ALPSの設備導入を検討している段階であったため、セシウム以外の放射性物質が除去できていない高濃度汚染水があり、その時期はタンクに貯蔵する際の放射性物質の濃度の基準を下回ることを優先していたため、環境へ処分するための基準を満たしていない処理途上水もタンクに貯蔵されています」と記されていると氏は言います。そして「これらは、処分するための基準が満たされるまで浄化処理されますが、その間タンクに貯蔵されています(保管中の水の約7割)」と説明されているということです。

 (改めて言うが)IAEAの報告書には、海洋放出以外の選択肢については一切触れられていないし、(中国も指摘するように)東京電力と日本政府が海洋放出以外の選択肢を考慮した形跡も見当たらないと、氏はこの論考の最後に記しています。

 一方で、専門家からは「大型堅牢タンクでの保管」や「モルタル固化」などの代替案も提示されている。指摘によれば、もしも海洋放出を選択した場合、放出を開始してからも増え続ける汚染水と放射性物質の総量がどこまで膨れ上がるのか、環境への負荷が未知数であることも大きな問題として残されているということです。

 蓄蔵されていく処理水が廃炉作業の大きな障害となっていること、なにより10年前の原発事故の象徴となっている処理水タンクをなんとかしたいという関係者の思いは理解できますが、海洋放出という思い切った対応に丁寧な説明が必要なのは当然のこと。

 いわゆる「戦狼外交」をくりかえす昨今の中国の動きを腹立たしく感じる向きも多いでしょうが、こちらの事情ばかりを強引に主張し続けても問題が解決するようには思えません。そうした折、8月にも開始されるという海洋放出はいったん中止し、代替案を含め再検討すべきだろうと提案するこの論考における岡田氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。


#2361 究極の少子化対策

2023年02月11日 | 科学技術

 人気のアニメ『ONE PIECE』の「ホールケーキアイランド」編には、北の海(ノースブルー)の海遊国家「ジェルマ王国」が科学力の粋を凝らして作った、兵士たちのクローン工場の様子が描かれています。

 ジェルマ王国の兵士は皆、遺伝子操作によって作り出されたクローンであり、工場内部の人工子宮内で育てられている。そのDNAは、5年間の成長期間を終えれば死をも恐れない20歳の優秀な兵士として機能するよう正確にプログラムされているということです。

 「どこかで聞いた話だな…」と感じた察しの良い人は、きっとジョージ・ルーカスが描いた映画『スター・ウォーズ』のシーンを思い出したことでしょう。

 この作品において、帝国軍の主戦力となっている白い戦闘服の集団「ストームトルーパー」は、とある賞金稼ぎ遺伝子を元に生産性向上のために成長を倍加させたクローン兵士。工場の人工子宮で生まれた彼らはお互いのことを「兄弟」と呼び、組織に忠誠を尽くすよう教育されているということです。

 さて、少子高齢化、人口減少が大きな社会問題として認識されている昨今ですが、とりわけ女性の出産年齢の高齢化などにともなう不妊治療が大きな技術的課題となっていることは広く知られています。

 そうした中、(クローン人間はともかくとして)安全な人工子宮の技術が確立されれば、冷凍保存された精子や卵子を利用して人工授精を行い、人工子宮内で一定の大きさの赤ちゃんにまで成長させることが可能になる。計画的な子育てができるようになるとともに、出産自体を不安に思う女性にとって「子どもを持つ」ことへのハードルが低くなることは言うまでもないでしょう。

 果たして、少子化に悩む先進各国に朗報は届くのか。1月6日の総合情報サイト『Pen Online』に、「未来の出産はこうなる?“人工子宮”施設構想のリアルな動画の衝撃」と題する記事が掲載されていたので、改めて内容を残しておきたいと思います。

 バイオテクノロジストのハシェム・アルガイリ氏(ドイツ・ベルリン在住)が人工子宮のコンセプト「エクトライフ(EctoLife)」の映像を公開し、各種メディアで話題になっていると記事は紹介しています。

 今回公開されたのは、アルガイリ氏が発案した人工子宮施設「エクトライフ」構想をビジュアル化したCG映像。プレスリリースでは、「理論的には感染症リスクのない環境の施設内で年間最大3万人の赤ちゃんを誕生させることが可能」と記述しているということです。

 成長ポッド(人工子宮)は2つの「バイオリアクター」と接続され胎児の命を育んでいく。ひとつは人工へその緒を経由して胎児に栄養素と酸素を供給し、もう1つは胎児が排出する老廃物を取り込むものだと記事はしています。

 胎児には心拍、体温、血圧、呼吸数、酸素飽和度などを計測するモニターが装着され、発育状況はリアルタイムでデータ表示される。このデータはスマホアプリに転送可能で親は胎児の発育を高解像度の映像で見ることができるということです。十分に胎児が成長した段階でボタンを押せば出産完了。管理された状態で、健康な赤ちゃんが元気に産声を上げるとされています。

 一方、このような「エクトライフ」構想は、生命倫理の観点から物議を醸している。中でも「エリートパッケージ」に対しては、異議を唱える声も上がっていると記事は指摘しています。

 例えば、(アルガイリ氏によれば)「CRISPR-Cas 9遺伝子編集ツール」を使用して人工子宮に移植する前段階の胚に遺伝子操作すれば、赤ちゃんの目の色、髪の色、肌の色、体力、身長、知能指数などをカスタマイズできるだけでなく、遺伝性疾患を修正することさえも可能とされる。このパッケージを利用すれば、健康で知能の高い人間を自在に生み出すことさえできるということです。

 記事によれば、アルガイリ氏は「エクトライフは、安全で痛みのない方法でストレスのない出産を提供するもの。実現すれば早産や帝王切開、分娩時の合併症は過去のものとなる。そして日本、ブルガリア、韓国など、深刻な人口減少に悩む国々にとっての解決策になる」と話しているということです。

 現在の感覚では、「こんなことが可能になって良いのだろうか?」という意見が多いだろうが、しかし理論というのは時代とニーズによって変化するもの。今後、他の医学者・科学者に様残に検証され、「実現可能」と判断される可能性もあると記事はしています。

 生殖医学は「神の領域」と言われていますが、技術の進歩が「時を待たない」ことも歴史が証明しています。社会や経済を維持していくために本当に必要となれば、どこぞの国家が威信をかけて技術開発を進めていくかもしれないなと、記事を読んで改めて感じたところです。

 


#2030 日本のコロナ感染者が急減したわけ

2021年12月01日 | 科学技術


 韓国の新型コロナウイルスへの新規感染者数は、11月の最終週には過去最高の1日4116人を記録。11月初めにレストランやカフェの営業規制が緩和される前の2000人前後を、ここにきて大きく上回っているということです。

 韓国の権保健福祉相によると、ソウル首都圏だけでも少なくとも1200人が入院待ちの状況にあり、政府はいったん導入した行動規制緩和計画を停止し国民にPCR検査とワクチン追加接種を呼び掛けているとのことです。

 こうして韓国で新型コロナウイルスの感染者数が急増を見せる一方で、海を挟んだ日本では対照的に感染者数が激減し、ウイルス感染の拡大に歯止めがかかっているようにも見えます。11月25日、その理由について報じた韓国・中央日報の記事が話題になり、一時はニュース検索ワードの1位になったと報じられています。

 記事は、「韓国慶北医大教授『日本の感染者数急減、K防疫の致命的誤り見せる』」というもの。予防医学の専門家である慶北(キョンブク)大学医学部のイ・ドクヒ教授が自身のブログに投稿した(日本の防疫対策に関する)主張を紹介しています。

 日本は11月22日、感染者数としては今年に入って最も少ない50人を記録した。死亡者もやはり21日が0人、22日が2人とほとんど発生していない。このような日本の感染者急減に対しては世界中で多様な見解が示されているが、中でもイ教授は「日本の感染者数急減は自然感染を防がなかったおかげ」と主張し注目されていると記事はしています。

 イ教授によれば、韓国と似たワクチン接種率の日本が韓国と最も違う点は、最初から国が乗り出して防疫という名前で無症状あるいは軽症で終わる自然感染を止めなかったこと。日本の感染者急減はワクチン接種率が50%に満たない時期から始まっており、こうした状況は、強力で広範囲な免疫を提供する自然感染の経験を持つ人たちが存在してこそ可能になるというのがイ氏の指摘するところです。

 日本と韓国の防疫対策の違いは、日本では昨年の3~4月からPCR検査の対象を有症状者に限定し広域的なPCR検査を行わなかったことにある。そして、韓国人には国民をウイルスの前に「放置」するようにも見えた日本のこの態度が、現在の状況に大きく貢献している可能性があるというのが氏の見解です。

 もとより、パンデミック状況での「防疫」とはそれほどすごい役割を果たすものではない。日本の感染者数急減は、韓国防疫の大前提、すなわち「無症状であっても絶対にかかってはならない感染症」という仮定自体に致命的な誤りがあることを見せているのではないかというのがイ氏の指摘するところです。

 イ氏はこのブログで、「韓国ではこれまで学習されたウイルスに対する恐怖があり受け入れるのが容易でない人たちも多いだろう。K防疫の弊害は、新型コロナウイルスに対して国が先導して誇張された恐怖を助長し、これを防疫の成果として積極的に活用したという点だ」と述べているということです。

 韓国の防疫当局はこれまで、無条件でワクチン接種率さえ高めればすべての問題を解決できるかのように国民を誤って導いてきた。しかし、この難局から抜け出すには(韓国内でも)ブレイクスルー感染であれ何であれ、自然感染を経験する人が増えなければならないとイ氏は説明しているということです。

 こうした状況を受け、イ氏はこのブログに「今からでも遅くない。動線追跡する疫学調査と無症状者・軽症患者を対象にしたPCR検査を中止すべき」だと記しているとされています。

 さて、一昨年春に始まった新型コロナウイルスの感染拡大以来、ことあるごとに「PCR検査の数が少ない」「全員検査をなぜやらないのか」と指摘され、「無症状者を野放しにしている」と(メディアや野党を中心に)厳しく批判されてきた日本の防疫対策。しかし、もしかしたらイ氏の言うように、そうした(ある意味「ポイント」を押さえた)落ち着いた対応が、感染症との共存を促したと考えることもできるのかもしれません。

 検査をすれば「絶対に安全」というわけでもない状況下において、無症状者に対していたずらに(誤差の大きい)検査繰り返し、国民の恐怖心をあおることのほうが社会に有害だと考えた日本の専門家は(当時から)確かに多かったような気もします。

 イ教授の主張について真偽のほどは現時点では定かではありませんが、国民感情に流されるばかりでなく、合理的な対応をとることが(最終的には)最善の結果を生むと考える専門家がどこの国にもいるものだなと、記事を読んだ改めて感じるところです。


#1948 新型コロナワクチンのお勉強(その2 ワクチンとは何か)

2021年08月27日 | 科学技術


 6月29日の「Newsweek日本版」に掲載されていた、米スタンフォード大学博士研究員の新妻耕太氏による解説(「ワクチンが怖い人にこそ読んでほしい-1年でワクチン開発ができた理由」)を、前回に引き続き追っていきたいと思います。

 ここまでのレポートで「免疫の仕組み」を簡単に押さえてきましたが、さて、ここでようやく「ワクチン」の登場です。氏によれば、こうした免疫記憶の形成を、(人為的にリスクを減らして)感染を模倣する形で誘導するというコンセプトで生まれた予防薬が「ワクチン」だということです。

 これまで一般的だったワクチンには、「生ワクチン」と「不活化ワクチン」の二種類がある。どちらも病原体そのものを材料にしていることが特徴で、生ワクチンは症状を起こしにくい弱毒化株を、不活化ワクチンは病原体を薬品で殺したものを使用したものだということです。

 しかし、これらのワクチンの生産には病原体そのものの大量生産が必要となる。新しい病原体の工業生産技術自体を開発することから始める必要があるので、多大な時間とコストがかかってしまうと氏は言います。そこで、(パンデミック収束のため)1日でも早くワクチンを開発する上で注目されたのが、病原体そのものではなくトゲ(スパイクタンパク質)のみにターゲットを絞って免疫記憶を誘導する手法だということです。

 しかし、スパイクタンパク質の合成には大量の細胞を用意して、設計情報(遺伝情報物質)を細胞内部に届けて合成するというステップが必要で、これもなお多大な時間とコストがかかってしまう。このため白羽の矢が立ったのが、遺伝情報を持つmRNAだけを私たちの体に届けて、私たちの体内でスパイクタンパク質を生産し、それに対する免疫応答を誘導するmRNAタイプのワクチンだというのが氏の解説するところです。

 この手法については、①ファイザー・ビオンテック社やモデルナ社によりすでに工業的な大量生産技術を確立されていたこと。②それを用いたワクチン技術の開発は10年来行われてきていたこと。そして、③新型コロナウイルスによく似たSARSの原因ウイルスの基礎研究知見が蓄積されていたこと、などの条件が重なった結果、驚くほど素早く開発が行われたというのが氏の認識です。

 さらにアメリカでは、トランプ前大統領がワープスピードで製薬会社に対する莫大な投資を行った。アメリカの感染大流行により臨床試験の進行が早く、いくつかの段階の動物実験や臨床試験を同時並行で行えたこと、ワクチンに関する審議を優先的に行ったことになどもあって、開発からたった1年で緊急使用許可が下りるに至ったということです。

 一方、mRNAは非常に構造が不安定な物質なので、接種後数日間もたてば分解されて消失する特徴を持つと氏は言います。さらにはmRNAが私たちの遺伝子を組み替えることは原理上(万に一つも)起こり得ないので、子や孫といった次世代の影響を心配する必要もないというのが氏の見解です。コロナワクチンに対してしばしば聞かれる風説に「遺伝子が置き換わる」「不妊になる」というようなものがありますが、(なので)こうした心配は原理上全くの杞憂だということです。

 一方、mRNAワクチンの特徴として、構造の不安定さから超低温での保管が必要となる短所が挙げられると、氏はこの論考に記しています。mRNAワクチンは、十分な免疫の誘導に2回の接種が求められるため、この特性は、冷凍設備を整えにくい新興国の人々へ届ける上での大きな障壁となりうるということです。

 因みに、氏によれば、アメリカでは2月27日にジョンソン・エンド・ジョンソンが開発した1回の接種で済み冷蔵庫での保管が可能なアデノウイルスベクターワクチンの緊急使用許可が出されたということです。これは、mRNAの代わりに、私たちの体に病気を引き起こさないようにしたアデノウイルス(←普通の風邪のウイルス)にスパイクタンパク質の設計情報を搭載し、私たちの細胞に輸送するタイプのワクチンだと氏は説明しています。

 こうした様々な特徴を持つワクチンが、接種者の条件や接種環境に応じて用いられることによって、集団免疫の獲得が現在よりもさらに進んでいく可能性があるというのが氏の期待するところです。

 さて、(そうは言っても)集団免疫獲得のハードルとなっている「ワクチン忌避」問題の解決には、(結局のところ)幼少期からの科学教育を充実させ「知らないから怖い」を自ら解消できる科学・医療リテラシーを育む必要があると、新妻氏はこの論考の最後に綴っています。ワクチンを接種を広めるためには、ワクチンが感染症の予防に効果をもたらすシステムをきちんと理解し、自ら納得することが何より重要だということでしょう。

 ワクチンは病気になる前に使用する予防薬であることから、打つことによるメリットがデメリットを必ず上回るものしか承認されない。不安を煽ったり否定するのではなく、フェアで正しい情報を各々が手に入れることで正しい判断ができる環境が整うことを心から祈っているとこの論考を結ぶ専門家としての氏の指摘を、私もしっかり受け止めたところです。


#1947 新型コロナワクチンのお勉強(その1 免疫の仕組み)

2021年08月26日 | 科学技術


 政府が新型コロナ感染症対策の「切り札」として位置づけ、急ピッチで進められているワクチン接種。従来のワクチンとは仕組みの異なる「mRNAワクチン」がメインだということもあって、世界的に見ても接種に抵抗感を持つ人は多いようです。

 その理由は、副反応への不安や政府への不信感など様々でしょうが、(昭和の時代に多くのワクチンに親しんてきた中高年よりも)若い人ほど、そして女性ほどその傾向が強いという調査結果もあると聞きます。心理学の専門家はこうした状況の一因が情報不足にあるとして、(接種を広めるには)政府やマスコミが丁寧に正確な情報を発信し続けることが重要だと指摘しているということです。

 しかし、政府やメディアなどが伝えるワクチンの仕組みは、専門用語のオンパレードでどれもかなり難解です。説明を聞いても「安心した」と感じられないのは、ある意味仕方のないことかもしれません。
 とは言え、知ろうとする努力はしてみたいもの。6月29日の「Newsweek日本版」に掲載されていた、米スタンフォード大学博士研究員の新妻耕太による解説(「ワクチンが怖い人にこそ読んでほしい-1年でワクチン開発ができた理由」)が比較的わかりやすい気がしたので、備忘の意味でここに残しておきたいと思います。

 「ワクチン」とは、集団免疫を成立させて感染症にかからないようにする、もしくはかかっても重症化を防ぐ効果のある予防薬を指すと、氏はこの論考で定義づけています。
 今回の新型コロナワクチンの特徴は、これまではひとつのワクチンを開発するのに10年かかると言われてきたものを、新技術を駆使してわずか1年で開発できたこと。そこで氏は、(まず)なぜそれが可能だったのかについて説明しています。

 ウイルスは、我々の体の中で大量に増えるのだが、実際は自分の力だけで増えることができず、我々の体を構成する細胞に侵入しそのシステムをハッキングして増えているということです。
 細胞内への侵入には、表面にあるトゲの構造体(スパイクタンパク質)をドアのロックを外す鍵のように利用している。増えた大量のウイルスが細胞外へと脱出する時に細胞は破裂するようにして死に、これが繰り返されることで組織に障害が起き様々な症状が起こるのだそうです。

 一方、ウイルスの感染に対して私たちの体は「免疫システム」で対抗している。そしてその主力となる「免疫細胞」は私たちの体を守るいわば軍隊のような存在で、二隊構成になっていると氏は言います。

 「第一隊」の「自然免疫」は、迅速な対処を得意とする部隊。ウイルスによる組織障害を察知した自然免疫細胞達は、現場へとただちに急行し「炎症」を誘導する。一般に嫌わることの多い「炎症」には、実は炎症には自然免疫細胞を活性化する効果があり、活性化された自然免疫細胞は感染細胞の死骸を食べて掃除するということです。

 そして、この第一隊でもウイルスの撃退ができなかった場合に、第二隊が動きだすと氏は説明しています。
 「第二隊」の主役は「獲得免疫」というもの。これは、相手に合わせた攻撃を行う戦闘のスペシャリスト集団で、免疫記憶もつかさどる。私たちの体の中にはあらゆる侵入者にそれぞれ対応できる獲得免疫細胞達があらかじめ備わっており、その時侵入してきた敵に対応できるスペシャリストのみが大量に増殖して出陣するということです。

 この選ばれたスペシャリストの細胞が増えるのは、基本的に「リンパ節」という部分。感染によってリンパ節が腫れるのは、この獲得免疫細胞の増殖によるもの。今では一般にもおなじみの〝抗体〞を分泌するB細胞も、この獲得免疫細胞の一種だと氏は話しています。
 分泌された抗体はY字型をしたタンパク質で、上部先端の二カ所を使ってターゲットに強力に結合する。抗体がウイルスのトゲ(スパイクタンパク質)に上手くまとわりつけば、ウイルスが細胞に入る能力を失わせる(中和する)ことができるということです。

 そこでウイルスの撃退に成功すると、先ほど増えた獲得免疫細胞達は次第に数を減らし、生き残った少数の細胞が記憶細胞として保存される。そして、次に同じ病原体が体に侵入した際、記憶細胞は前回の経験に基づいて迅速に対応するので、効率よく病原体の排除ができて重症化が防げるというのが氏の説明するところです。

 さて、ここまでが、ワクチン学の基礎となる「免疫」の仕組みについて。次は、いよいよ「ワクチン」についてのお勉強に入ります。


#1935 南海トラフ巨大地震

2021年08月14日 | 科学技術


 政府の地震調査委員会が3月26日に公表した、全国各地で震度6弱以上の巨大地震に襲われる確率などを示した「全国地震動予測地図」(2020年版)が話題になっています。
 全国地震動予測地図は、過去に発生した地震の記録や地形が持つ揺れやすさの特徴などをもとに、大地震の発生確率などを地域的に推計したもの。今回の20年版では、関東地方の地盤の詳しい調査結果を計算に反映させたほか、各地方の細かい地形の情報や東日本大震災の余震の記録も加え精度を増したということです。

 報道によれば、今後30年間の大地震の確率は、最も高い水戸市が81%である一方で、最も低い札幌が2.2%と国内でも大きな差がみられます。大都市で見ていくと、史上最悪の首都直下型地震の発生が懸念される東京都が47%、南海トラフ地震の影響が大きい名古屋市が46%と概ね2分の1の確率であるのに対し、広く太平洋に面した静岡市が70%、四国の徳島市が75%、紀伊半島の和歌山市は68%など、線上に並ぶ一部の地域で軒並み50%を超えているのも不気味と言えば不気味です。

 世界で発生するマグネチュード6以上の地震の、実に20%以上が日本周辺で発生していると言われる「地震大国」の日本ですが、中でも政府の中央防災会議が最も注目しているのが「南海トラフ巨大地震」と言えるでしょう。
 政府の被害想定によれば、南海トラフ巨大地震がひとたび発生すると、静岡県から宮崎県にかけての一部では震度7となる可能性があるほか、それに隣接する周辺の広い地域では震度6強から6弱の強い揺れになるということです。また、関東地方から九州地方にかけての太平洋沿岸の広い地域で、10mを超える大津波の襲来が想定されているところです。

 駿河湾から遠州灘、熊野灘、紀伊半島の南側から、土佐湾を経て日向灘沖まで続く海底の溝状区域を「南海トラフ」呼ぶそうです。
 研究では、南海トラフ沿いの地下ではフィリピン海プレートがユーラシアプレートの下に潜り込んでおり、地殻のひずみが生じ定期的に巨大地震が起こるとされている。実際、ここを震源に、100年から200年に1度の割合でM8クラスの大地震の発生が歴史に刻まれているということです。

 記録によれば、最後に南海トラフを震源にした地震が起きたのが第二次大戦終戦前後の1944年(と46年)のこと。それから既に75年近く経っている現状を考えれば、次の地震がいつ起きてもおかしくないということになるのでしょう。そうした危機感のもと、6月1日の日本経済新聞は「南海トラフ地震、次は宝永型か」と題する記事を掲載し、南海トラフ大地震に関するさらに踏み込んだ解説を行っています。

 西日本の太平洋側で想定されている南海トラフ巨大地震を巡り、過去に沿岸を襲った津波の痕跡の分析から、次に起きるのは江戸時代の1707年に起きた「宝永地震」と同じタイプのものになる可能性があると筆者は記事に記事は綴っています。
 宝永地震では、まず紀伊半島付近で震源断層の破壊が始まり、静岡―高知沖の広範囲を震源域とする(南海トラフは史上最大の)マグニチュード(M)8.6の超巨大地震に見舞われた。一方、次の地震も同じタイプであれば、過去の被害を検証することによって、将来起きる地震の揺れや津波の高さを推定できるというのが記事の指摘するところです。

 政府・地震調査委員で産業技術総合研究所名誉リサーチャーの岡村行信氏によれば、過去の状況を細かく調べると、南海トラフ巨大地震には宝永地震タイプのほかに、幕末の1854年に起きた安政地震(東海、南海地震)タイプの2つのタイプがあるということです。
 「宝永型」は紀伊半島の地下から、一方の「安政型」は静岡、長野県境に当たる赤石山脈付近の地下から破壊が始まり、南海トラフ全体に広がっていく。地震で津波が発生すると海岸付近に砂などが積もり地層として残るため、そこから津波が入ってきた方向が推定できることを利用して(痕跡を残した津波が)宝永型か安政型かを分類できる可能性があると記事はしています。

 そして、岡村氏がこの手法により、2タイプがどの程度の間隔で起きているかを分析したところ、宝永形と安静型はそれぞれ100~200年程度の周期で、南海トラフ周辺を震源として交互に発生していることがわかったということです。直近の記録では、1707年に起こった前々回の宝永地震は(名前の通り)宝永型で、約150年後の1854年に発生した前回の安政地震は安政型。で、あれば、2000年代前半に発生する次のタイプは宝永型になるということでしょう。

 富士山の爆発や太平洋沿岸への大津波、さらには前後数年間にわたる余震によって日本各地で史上最悪の被害を引き起こした宝永地震に対し、現代科学を身につけた私たちの備えは万全なのか。過去の歴史資料に学びつつ、最悪の状況を念頭に置いた対応を心がけたいと、記事を読んで私も改めて感じたところです。


#1933 ヒトは電脳空間で生き残れるのか?

2021年08月12日 | 科学技術


 先日、米ブラウン大学の研究グループが、世界で初めて脳とコンピューターを接続するデバイスである「Brain computer interface(BCI)」のワイヤレス化に成功したとの報道がありました。

 同グループが開発したBCI「ブレインゲート」は、脳内に移植されてそのシグナルを検出する電極アレイと、シグナルを解読する「デコーダー」で構成されており、両デバイスをワイヤレス接続したものとされています。研究を行ったジョン・シメラル氏らは、「これで物理的に機器に繋がれることなく、ただ思考するだけでコンピューターにアクセスすることが可能となった」と話しているということです。

 また、今年4月には、BCIの実用化に取り組むイーロン・マスク氏率いるニューラリンク社が、実際に(何の入力装置も使わず)思考だけでディスプレイ上のピンポンゲームをプレイするサルの映像を公開し話題となりました。電神経細胞と外部の情報端末を結合させ、電気信号をやりとりすることで脳と外部世界を直結する電脳化の技術は、もはやSF物語の枠を越え、ここまでリアルなものになってきているようです。

 ゲーム機に繋がれたサルに(実際に)どのような景色が見えているのかはわかりませんが、「考えること」と「行動すること」、「現実の世界」と「バーチャルの世界」との区別がだんだんつきにくくなっているのが現状なのでしょう。そうした中、6月15日の情報サイト「東洋経済ONLINE」に、皮膚科学研究者で作家の傳田光洋(でんだ・みつひろ)氏が、「人間の「皮膚」に隠れた壮大すぎる生存戦略の要諦」と題する論考を寄稿しているのが目に留まりました。

 氏が定義する「生物」は、基本的に環境と身体を隔てる境界、広い意味での皮膚を持つことによって形作られていると氏はこの論考に記しています。単細胞生物、たとえばゾウリムシの皮膚は細胞膜であり、樹木は樹皮によって覆われている。遺伝子がむき出しのウイルスは生物だとはみなされず、皮膚によって環境から切り離された空間で活動を保ち続けるのが生物だということです。

 通常、環境中のエントロピーは増大するが、生物の場合、生きている限り境界内の秩序は保たれ、時に世代を生み出して時を超えて存在し続ける。そして、様々な形態の新しい世代を生み出す進化の過程で、(自身と環境や他の個体とを区別する)「意識」が生まれたと氏は話しています。そして人間の場合、「意識」はその存在を意識したときにしか大脳に認識されない存在であり、そういう意味で人間の意識は基本的にスタンドアローンの(そこにしかない)「フィクション」なのだというのがこの論考における氏の見解です。

 視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚などの体性感覚に加え、過去の記憶をもとに「時間」の存在を妄想し、過去の自分と今の自分、そして未来の自分が同一の存在であると考えること自体がまさにフィクションだと氏は言います。物質として身体を考えれば、過去の自分と今の自分、未来の自分は別の存在である。新陳代謝によりその構成物質は大きく入れ替わっており、さらに人間の意識、言い換えれば、世界に対する自分の見方や考え方は、さまざまな経験から変化し続けている。だから自分は自分であるという意識は、生きている瞬間ごとに作られるフィクションだということです。

 一方、SFの世界では、インターネットのシステムに人間の意識を収納したり、意識のみが人格として電気的に存在したりする「電脳空間」のアイディアをよく見かけると氏はここで話しています。確かに、ある個人の「感覚」や簡単なレベルの「意識」を電気信号に変換し、別の人間の脳に転送するという実験が各地で進んでいる。近い将来、個人の脳の中の意識、つまり脳の中の時空間的な電気化学現象を他人と共有したり、外部に保存したりすることが可能になるかもしれないということです。

 しかし、氏自身は、電脳空間に個人の意識が完全に移行されることは絶対にないだろうととこの論考で断じています。なぜなら、電脳空間には皮膚がないから。絶え間なく膨大な環境情報を感知し脳に送る皮膚という装置があって、個人の意識は作られる。見方を変えれば、個人の意識は、皮膚によって外界と区別される「身体」に付属させられたもので、個人の意識は皮膚から離れられないと氏は言います。

 意識は生物が進化によって獲得した感覚であり、外界と自分を隔てる皮膚を失えば、(個の意識を形成していた様々なものがあっと言う間に流れ出てしまい)私たち人類から「意識」というものは消え去ってしまうということでしょう。言い換えれば、私たちの意識だとか、私たちの考える真理などというものはそれほど脆いもので、個人の外側にある様々な雑音にさらされた途端に形を失ってしまう程度の存在だということかもしれません。

 意識が外界に垂れ流しになる状態は、生物にとってはまさしく「死」に等しい。情報や感情が外界から自由に出入りする環境は、個人にとって肉体が乗っ取られたも同然のつらく苦しい状況と言わざるを得ないでしょう。いずれにしても、有象無象や魑魅魍魎が跋扈する「電脳空間」は、アニメで描かれるほど居心地の良いものではないのだろうなと、氏の論考を読んで私も改めて考えたところです。


#1906 実戦配備されるキラーロボット

2021年07月17日 | 科学技術



 総合情報サイト「文春オンライン」において、軍事アナリストの小泉 悠氏が各国で実用化されつつある無人兵器について解説しています。(「超ハイテク攻撃の衝撃 21世紀の戦争はこう変わる」2020/01/22)

 2020年の中東情勢は、米軍によるイランのソレイマニ将軍暗殺という衝撃で幕を開けた。そのソレイマニ将軍を殺害したのは、対戦車ミサイルなどの武器を最大で1.7トン搭載して14時間は飛び続けられる性能を持つ米空軍のMQ-9リーパー無人機であったと氏は話しています。

 偵察・監視から攻撃まで幅広い任務をこなせるこうした無人機は、今や中東の戦場を中心にあらゆる軍事作戦に(ごく普通に)投入されています。米軍ではCIA(中央情報局)の指揮下で重要人物の暗殺に使われることも多いとされており、日本の自衛隊も2035年をめどに人工知能(AI)を搭載した無人戦闘機の導入を目指すと表明しているところです。

 こうした無人の新兵器開発はドローン以外でも広く進んでおり、ロシアは地上で戦う無人戦闘車両の開発に熱心で、その一部(小型戦車のようなキャタピラ式の戦闘ロボット「ウラン-9」等)はすでにシリアでの実戦にも投入されたということです。

 また、米・中・露の三国は、それぞれ水中を長時間航行できる無人潜航艇計画を進めており、今後、無人兵器はありとあらゆる戦場に姿を現すことになりそうだと氏はこの論考に記しています。

 ただし、一概に無人兵器といってもオールマイティではなく、その運用は意外と難しいというのが氏の認識です。現在実用化されている無人兵器は、基本的に人間が遠くから操作する遠隔操縦(リモコン)するタイプで、相応の数のオペレーターや強力な通信回線、整備要員など多種多様のインフラを必要とします。

 そして遠隔操縦である以上、一旦電波が途切れると無人兵器は全く役立たたずとなり、各国が人工衛星に対する攻撃・妨害技術の開発を進めていることを考えると、無人兵器のコントロールに使われる衛星通信回線やGPSも有事にはアテにならない可能性が高いと氏はこの論考で指摘しています。

 さて、そこで活躍が期待されているのが、個々にAIを搭載した自律型の無人戦闘兵器、いわゆるキラーロボットだとされています。
 キラーロボットは、人工知能(AI)を搭載することで自ら攻撃目標を発見し、殺傷する兵器で、「自律型致死兵器システム(LAWS)」とも呼ばれているもの。まだ実際の戦場には配備されていないとされていますが、一定の自律性を持つ兵器の実戦投入はもは時間の問題と考えられているようです。

 こうした無人兵器の開発が急速に進められている背景には、もちろん戦場に送り込む兵士の人的被害を減らすという期待があるわけですが、一方で感情を持たないロボットやドローンを敵地に送り込んで、敵と見るや自動的に攻撃しまくるという戦闘形態については、「人間が介在しない戦争」の倫理性などの問題が強く指摘されているところです。

 「戦争」の在り方について私たちに根源的な議論を迫るこのキラーロボットの実践投入に関し、6月25日の日本経済新聞に「殺人ロボ、リビアで使用か」と題する(イスタンブール発の)記事が掲載されていました。

 人工知能(AI)を搭載し、人間の判断を介さず自律的に標的を攻撃する「キラーロボット」が(ついに)リビア内戦で使用された疑いが浮上していると記事はその冒頭に記しています。

 米ニューヨーク・タイムズなど複数のメディアは6月、2020年3月に内戦下のリビアでAIを搭載したドローンが、逃げる民兵らを追って攻撃した可能性があると報じている。ドローンは、内戦に軍事介入するトルコの軍事企業STM製の「カルグ2」で(製造した同社は疑惑を否定しているが)人間の手を介さずに攻撃を行ったのが事実なら、これは世界で初めてのことだということです。

 3月に公表された国連専門家パネルの報告書では、カルグ2などのドローンを「自律的な殺人兵器」と断定し、「オペレーターとのデータ通信の必要なしに標的を攻撃するようプログラムされている」と説明されている。これは、キラーロボットとして使われたことを示唆しているものの、国連はこれ以上の詳細な見解は明らかにしていないと記事はしています。

 こうした疑惑に対し、取材に応じたSTMのオズギュル・ギュレルユズCEOは、AIの能力は航行や標的の種類判別に限られ攻撃の判断はできないとしたうえで、「オペレーターがボタンを押さない限り、標的を選んで攻撃することはできない」と話しているということです。

 真偽のほどは別にしても、多くの国や軍団が関与し地上では民兵らが実際の戦闘を繰り広げているリビア内戦は、すでに戦場にドローンが飛び交う次世代型の戦争の「実験場」と化していると記事は指摘しています。

 リビア暫定政府を支援するトルコは(STMとは別の軍事企業である)バイカル防衛の「TB2」などを投入し、一方の敵対する武装組織「リビア国民軍(LNA)」側は、アラブ首長国連邦(UAE)から提供された中国製ドローンを使用したとされる。トルコ製ドローンはリビアでの実戦投入によりAIの性能が磨かれ、20年秋にはアゼルバイジャンがアルメニアを圧倒したナゴルノカラバフ紛争でも力を発揮したということです。

 こうした中、キラーロボットを禁止・制限する国際的な合意は遅れていると記事は指摘しています。
 各国や人権団体などは非人道的な兵器を規制する「特定通常兵器使用禁止制限条約(CCW)」の枠組みで2014年から議論してきたが、具体的な成果は上がっていない。途上国などが規制に積極的なのに対し、高い開発能力を持つ米国、中国、ロシアなどが慎重な姿勢を示してきたということです。

 実際、米国などの大国の軍事企業にすれば、これからの戦争の在り方を変える自律型兵器のマーケットは極めて魅力的なものでしょう。また、自国の兵士の犠牲が社会問題化するリスクや消耗のコストなどを考えれば、戦場に兵士を送る必要のない機械任せの戦争は政府にとってもメリットが大きいといえるかもしれません。

 しかし、ひとたび戦場になってしまった地域に暮らす人々にとっては、次々と送り込まれるロボットに追いかけられて何の躊躇もなく撃たれたり、無数に飛び交う無人のドローンから発射されたミサイルや爆弾によって、虫けらのように殺されたのではたまったものではありません。

 この世界で最も恐ろしいのは、人の心を持たない殺戮者の存在と言えるでしょう。
 スターウォーズやターミネータに登場する機会の兵士ではありませんが、かつてSFの中で描かれていたような非人道的な戦争が更にリアリティを増している現状を、私たちはもう少し深刻に受け止めるべきではないかと、記事を読んで改めて感じたところです。


#1877 ワクチン敗戦とメディアの責任

2021年06月13日 | 科学技術


 メディアなどでも活躍するホリエモンこと実業家の堀江貴文氏が6月10日の自身のツイッターで、ヒトパピローマウイルス(HPV)ワクチン接種に対する朝日新聞の報道姿勢を批判しています。
 堀江氏のやり玉に上がったのは、6月9日の朝日新聞に掲載された「積極的勧奨控え8年 HPVワクチン効果、国内外で報告」と題する記事。子宮頸がんの原因となるヒトパピローマウイルス(HPV)の感染を防ぐワクチンが使われ始めて10年ほどたち、実際の効果が国内外で報告され始めているという内容を伝えるものです。

 記事では、国内では厚生労働省が接種の積極的な勧奨を控えて6月で8年になり、接種率の低下から日本の若年女性の感染リスクが増大していると指摘しています。そしてそこからは、ワクチン接種を巡る厚労省の誤った対応のために女性たちが命の危険に晒されているという、批判の意図が明確に読み取れるところです。

 堀江氏はこの記事に対し、「朝日新聞、反省文を掲載しなさい」とツイートしています。そもそも、子宮頸がんの予防に効果があるとされたHPVワクチンの接種を、厚生労働省は積極的に推奨していました。しかし、接種後、一部の接種者たちに生じた運動障害の事例が報告されると、それを問題視した朝日新聞を始めとした大手メディアが反ワクチンキャンペーンを張ったことで、国民のワクチンへの信頼が急落。世論を受けて厚労省が接種の推奨を控えたこともあり、現在の日本の接種率は0.3%程度にまで落ち込んでいます。

 私も初めてこの記事を読んだときには、朝日の姿勢に目を疑う部分がありました。ワクチン接種後に身体に変化が生じ「光に過敏になり外へ出られない」「突然失神する」などの症状を訴える少女たちを露出させ、ワクチン薬害の可能性が高いと厚労省を追求した彼らが、今更(何事もなかったかのように)接種の遅れを批判するのは確かに筋が通る話ではありません。
 HPVワクチンに関しては、欧米などでは70~80%と高い接種率で発症を抑えつつある一方で、ほとんど接種が進んでいない日本では、現在でも年間で2000人近くの女性が子宮頸がんで亡くなっています。こうした状況に対する社会的な責任を、メディアはきちんと感じているのでしょうか。

 そして、ワクチンと言えば、現在焦点となっているのは(言わずもがなの)新型コロナウイルスワクチンの接種の問題です。ここでも海外の先進諸国から大きく後れを取っている日本の状況に関し、5月31日の『週刊プレイボーイ』誌に、作家の橘玲氏が「日本のコロナワクチン敗戦の背景にあるメディアの暴力とは?」と題する興味深い一文を掲載しています。

 5月になってようやく日本でも一般のワクチン接種が始まったものの、予約システムの不具合や、国と地方の連携不足などのトラブルが頻発している。ワクチン開発の目途が立ってから半年以上たつのに一体何をやっていたのかと批判されても仕方ないと、氏はこの論考に綴っています。
 とは言うものの、日本のこうした「ワクチン敗戦」にはさらに深刻な要因があるというのが氏の指摘するところです。

 ワクチンの承認にあたって、厚労省は日本国内での臨床試験にこだわった。もちろん、ワクチンには副反応のリスクがあるので、日本人を被験者とした治験を実施したほうがよいのは当然だと氏は言います。
 問題は、アメリカに比べて日本の感染者が圧倒的に少ないため、治験の被験者が集まらなかったこと。日本人のリスクを知るためには数十万人単位の治験が必要にもかかわらず、結果として行なわれたのはわずか160人で、これでは医学的にはなんの意味もなかったということです。

 しかし、こうして厚労省が「無意味」とわかっている治験にこだわったのには、日本独特の理由があるというのが氏の認識です。
 子宮頸がんワクチンに対しては、医学的な根拠がないにもかかわらず、新聞・テレビなどの大手メディアがこぞって健康被害を報じ、恐れをなした厚労省は「勧奨接種」から外してしまった。こんなことをしている国は世界に日本しかなく、WHO(世界保健機関)から繰り返し批判されているが、それでも撤回できないほど「メディアの暴力」は恐ろしいと橘氏は説明しています。

 日本では1970年代からワクチン禍訴訟が相次ぎ、1992年の東京高裁判決をきっかけに予防接種法が大幅改正されて、これまで「義務接種」だった予防接種が「勧奨接種」になった。その結果、ワクチン接種は実質任意とされ、国民に納得して接種してもらうには、厚労省は「絶対安全」を証明しなくてはならなくなったということです。
 こうした歴史的経緯(トラウマ)によって、新型コロナでも、厚労省は日本国内での治験にこだわらざるを得なかった。本来、そこで必要だったのは「政治的決断」だったというのが氏の見解です。

 ワクチン接種で先行したアメリカやイギリスでは、行動制限が大幅に緩和されことで消費が活発になり、楽観的な気分が広がっていると氏は言います。それに比べて日本では、ワクチン接種が進まない中、緊急事態宣言で飲食店などに大きな負担をかけ、不人気のオリンピックが近づいているということです。

 この「三重苦」で、現在、菅政権の支持率は大きく下がっているが、昨年12月にワクチンを承認していれば、日本でも2カ月は早く一般のワクチン接種が始められたに違いないと氏はしています。そうなれば社会の雰囲気もずいぶん異なっていたはずで、「間違った決断をしたこと」に加えて、「決断できなかったこと」が日本の「ワクチン敗戦」につながったということです。
 ちなみに、この「政府の失敗」を野党が追及しないのは、20年の改正予防接種法付帯決議で、コロナワクチンの承認審査を「慎重に行うこと」と求めたから。また、大手メディアが追求しないのは、過去の「非科学的」なワクチン報道を検証されることを警戒しているからだと氏は話しています。

 さて、結局のところワクチン接種が遅れれば、それによって不利益を被るのは大多数の国民であり、子宮頸がんのリスクを抱えることになった少女たちです。政府を追及する姿勢に酔って犯した自らの間違いと責任の大きさに、メディアはもっと自覚的になるべきだと私も改めて感じた次第です。

♯1875 新型コロナと認知バイアス(その2)

2021年06月11日 | 科学技術


 6月10日の日本経済新聞の紙面に寄せられていた、京都大学教授の依田高典(いだ・たかのり)氏による「認知バイアス、政策に生かせ コロナに経済学の知見」と題する論考を、引き続き追っていきたいと思います。

 さて、PCR検査で陽性となったとしても、その信頼性は(確率計算上では)4割程度(44%)に過ぎないとする依田氏の指摘(「新型コロナと認知バイアス(その1)」参照)には驚かされましたが、実はこの話にはまだ続きがあります。
 依田氏はこの論考に、「PCR検査で陽性だった人が実際に感染している確率はどのくらいか?」について、氏らのグループが日本とイギリスで行ったアンケート調査の結果を示しています。

 それによれば、この設問に対する日本人の回答の平均値は56%と正答よりも10%ほど高めで、さらに、最も頻度が高かった(答えが多かった)のは「80%」だったということです。
 一方、英国人に同じ質問をしたところ、回答の平均値は34%と正答よりも10ポイントほど、日本人の回答よりも20ポイントほど低い結果となった。また、英国では感染率を「5%以下」と回答した人が、割合として最も多かったと氏はしています。

 こうした結果は、日本人が検査に対し悲観的な態度を持つことを表していると氏はこの論考で説明しています。日本の中には感度(←病気に感染している人で、検査で陽性になった人の割合)の80%をそのまま「的中率」と誤解する人が多く、楽観的な態度をとる英国人とは大きく様相が異なっているというのが氏の認識です。

 そこで、日本人に絞ってバイアスと個人の属性の関係を調べると、当時の体調が良い人、心の調子が悪い人、女性、年齢が高い人、教育水準が高い人で悲観バイアスが大きくなることが分かったと、氏は指摘しています。
 さらに、バイアスと感染対策への評価、接触削減の割合、ワクチン接種の態度の間の相関関係を調べた結果では、バイアスが楽観から悲観へ傾くほど、経済よりも健康を重視する意見が増え、緊急事態宣言を必要とし、その効果を評価する意見が増えた。同様にバイアスが大きくなるにつれ、第1波の際の外出頻度や接触人数の削減度が大きくなり、バイアスが大きくなるほどワクチンを接種する意向が強くなったということです。

 こうした結果が示すのは、検査結果に過敏に反応し悲観バイアスを持つ人ほど積極的な感染対策に肯定的であり、自粛行動に努めようとしていること。つまり、ウイルスは人から人に広がる負の外部性(影響)を持つので、(日本のような)悲観バイアスを持つ集団ほどウイルスは広がりにくく、感染被害を早期に抑止できるという推論が成り立つと氏はしています。
 日本人が政府の要請や国民間の同調圧力に粛々と従ってきた背景には、日本人の多くが歴史的に培ってきたネガティブで悲観的な感情の発露があるということでしょうか。

 一方、こうした日本においても、若い男性や教育水準の低い人で楽観バイアスが大きく、行動変容が十分ではないことが、調査の結果からは見えてきていると、氏はこの論考の最期に指摘しています。
 その前提に立てば、こうした特定層をターゲットにして、大学や職場で講習時間をとり、感染リスクに関する教育を実施し、感染予防を訴えることなどの効果や社会的意義は大きいと氏は言います。氏が専門とする行動経済学においても、万人に共通のユニバーサル・ナッジから、一人ひとりに最適化されたパーソナル・ナッジへと舵を切りつつあるということです。

 欧米諸国のように個人が自律的な判断基準に基づき行動する社会とは若干異なり、悲観的であるが故に、強い同調圧力の下で集団的に統率の取れた行動をとる日本の社会は、感染拡大などに対する「守り」には滅法強い。しかし、ワクチン接種や経済活動の再開などの「攻め」のタイミングに至っても、行動変容に慎重で躊躇しがちという弱点をさらしているということでしょうか。

 そうした視点を踏まえ、今後はこれまでの「緊急事態宣言」のように多くの人を巻き込んで等しく行動を制限するのではなく、効果の違いに応じてきめ細かく「ターゲティング政策」を設計するような新しい態度で望むべきだとこの論考を結ぶ依田氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。

♯1874 新型コロナと認知バイアス(その1)

2021年06月10日 | 科学技術


 新型コロナ感染症がパンデミックとなって世界を覆う中で、欧米先進各国のようにロックダウン(都市封鎖)や罰則を伴う外出禁止などの厳しい規制措置をとっていないにもかかわらず、(国民への自粛の呼びかけなどだけで)死者などの深刻な被害の拡大を何とか食い止めている日本には、世界から驚きの視線が投げかけられています。

 一方、その日本では、(他国よりも被害が一桁以上少ないにもかかわらず)国内世論は総じて経済活動の再開に極めて慎重で、国民の一部で「自粛疲れ」による健康被害の拡大や自殺の増加なども懸念されている状況が続いています。
 街かどを見渡せば、普段なら買い物客でにぎわう繁華街に人影は少なく、緊急事態宣言下の都内の飲食店も開店休業の状態です。また、1年間、開催を遅らせた東京でのオリンピックに関しても、その中止を口にしない菅総理には、野党やメディアなどから強い批判の声が浴びせかけられています。

 とはいうものの、コロナへの認識は(同じ日本人でも)世代や置かれた環境で大きく異なっているのもまた事実のようです。「コロナなんて俺には関係ないよ」とばかり夜の駅前公園で飲んで騒いでいる若者のグループを見かけることも多くなりました。新規感染者を見ても、10~30代の若い世代に大きく偏っているのが現状のようです。

 こうした日本の状況に関し、6月10日の日本経済新聞の紙面では、京都大学教授の依田高典(いだ・たかのり)氏が「認知バイアス、政策に生かせ コロナに経済学の知見」と題する論考を寄せ、行動経済学の立場から興味深い視点を提供しています。

 緊急事態宣言などが発令された昨年4月の第1波において指摘されたのは、検査体制が不十分なため検査を受けられない人が続出するという「PCR検査の目詰まり」の問題だったと、氏はこの論考に綴っています。マスコミを中心に「なぜ検査が受けられない」「全員検査を行うべきだ」といった声が高まり、準備が整わない自治体や保健所がその矢面に立たされたのも記憶に新しいところです。

 その際、「PCR検査をして感染者を洗い出し隔離すれば事足りる」と考えた人も多かったようだが、検査には誤りが付きものなのもまた事実。PCRは遺伝子検出を用いた検査なので(それなりに)正確なはずだが、体内のウイルス量が少なかったり検査時にウイルスが混入したりすると、慎重に取り扱っていてもときに間違いが生じるというのが氏の認識です。

 依田氏はここで、PCR検査の計画差を測る ①感度、②特異度、③陽性的中率の3つについて解説を行っています。
 まず①の「感度」とは、病気に感染している人で、検査で陽性になった人の割合のこと。1から感度を引いた数値が偽陰性率となるということです。
 次の②「特異度」とは、病気に感染していない人で、検査で陰性になった人の割合を指すもの。1から特異度を引いた数値が偽陽性率となるとされています。
 そして③の「陽性的中率」は、検査で陽性の人の中で、本当に病気に感染している人の割合だと氏は説明しています。

 PCR検査の先行研究を参考にすると、現在一般的に行われているPCR検査の感度は約80%、特異度は99.9%程度だと氏はしています。そして、こうした前提に立ち、さらに市民の0.1%(1千人に1人)が市中感染していると仮定すると、「ある人がPCR検査で陽性の判定を受けたが、この人が実際に感染している確率はどの程度か」という質問に答えが出せるということです。

 「ベイズの定理」を用いてこの解を導いていくと、検査を受ける1千人のうち感染者は1人とすれば、感染者のうち陽性となるのは1人×感度0.8=0.8人になる。一方、非感染者が陽性となるのは999人×(1-0.999)=0.999人で、この場合、陽性的中率は0.8÷(0.8+0.999)=0.44となると氏は言います。
 つまり、非感染者が擬陽性となる確率は低くても、非感染者の数の方が圧倒的に多いので、1000人検査すれば擬陽性者がもう1人くらいは出てしまう。
 結果、検査で陽性判定を受けた人が感染している確率は44%となり、事前確率を無視して(症状のない人も含め)やみくもに全員検査をしてしまうと、いたずらに偽陽性者を出しかねないというのが氏の見解です。

  さて、感染者を隔離する目的で無症状の人を含め一律に市民を検査しても、陽性となった人の半数以上が実際は感染していなかったというのでは対策としては話になりません。集団隔離することで逆に感染が広がったり、非感染者を隔離することによって行動の自由を妨げたりすれば公益上も人権上の問題も大きいでしょう。

 東京都をはじめとした首都圏における感染拡大が問題化した当初、ほとんどの地域で検査体制が整っていない状況にもかかわらず、(たとえ症状がなくとも)安心のために国民全員へのPCR検査を実施すべきだ強く主張した野党がありました。
 しかしそこには、(国民感情に乗っかるだけではない)現実にしっかりと向き合った冷静な視線が欠けていたと言えるのかもしれません。

 ともすれば「ゼロリスク」を目指しがちな我々日本人は、危機管理に当たりしばしば集団的な感情の高まりに任せて大きな失敗を重ねてきました。同じ間違いを同じように繰り返さないためにも、科学的なエビデンスに基づくしっかりした政策検討が必要だと、氏のこうした指摘から私も改めて感じたところです。
(「♯1875 新型コロナと認知バイアス(その2)」につづく)


♯1860 ウイルスとの共生

2021年05月25日 | 科学技術


 第4波との称される新型コロナウイルスの感染再拡大を受け、東京都や大阪府などに緊急事態宣言が発出されて既にひと月近くたちましたが、外出自粛などの対策が続くも(どうやら)新規感染者の大幅減少にはつながっていません。

 こうした状況に専門家が危機感を強めているのは、変異株ウイルスが予想を上回るスピードで国内に定着しているという現実です。国立感染症研究所では、全国で新型コロナウイルスの9割以上が変異株に置き換わっていると推計しており、その多くが感染力だけでなく重症化リスクも高い「全く新しいウイルス」と言ってよいとの指摘もあります。
 特に2月末に(関東に先立って)宣言を前倒し解除した大阪府などでは、病床の逼迫から入院待ちで自宅で療養を続ける感染者が激増し、そうした中で死亡する患者が続出するなどなど、「医療崩壊」が現実のものとなりつつあります。

 この先、こうした状況が続き緊急事態宣言などがさらに延長されるような事態を迎えれば、7月23日に開幕を予定している東京オリンピック・パラリンピックの中止も(現実問題として)視野に入ってくることでしょう。
 政府が、コロナ対策のゲームチェンジャーとして期待するワクチン接種が全身国の最低水準にとどまっていることもあって、現在のところ、急速に拡大する変異株への置き換えを前に有効な対策が見当たらないのが実情です。

 まん延防止特別措置、緊急事態宣言と、飲食店への夜間営業の規制一本槍でやってきた政府の感染防止対策に、限界を感じている人々も増えているようです。
 大きく支持率を落とした菅内閣に代表される政治への不信感の高まりの中で、ワクチン接種の拡大とともに、蓄積された知見やエビデンスに基づくもう少し科学的な議論が必要ではないかと感じるのは私だけではないはずです。
 果たしてウイルスの現状はどうなっているのか、次々と変異株が現れる状況に対して私たちは何ができるのか。5月13日の埼玉新聞の紙面(特集「変わる他者とのつながり」)では、青山学院大学教授で生物学者の福岡伸一氏が「繰り返されてきた物語」と題する論考において、懸念される新型コロナウイルス変異株の状況とメカニズムについて説明しています。

 新型コロナウイルス禍が勃発してから1年以上が経過したが、依然として終息への道筋が見通せない。切り札となるはずのワクチン接種が世界中で進められている一方、新手の問題が起きつつある。それが「変異株」の出現だと福岡氏はこの論考に綴っています。
 最近、テレビなどでも目にするようになった「E484K」や「N501Y」といった(まるで「AKB48」のような)変異株の名称にも、実はちゃんとした意味があると氏は言います。
 コロナウイルスは(その名にも由来する)スパイクタンパク質という突起を持つ。これはアミノ酸が連結してできたもので、変異株では484番目もしくは501番目のアミノ酸が、それぞれE(グルタミン酸)からK(リジン)に、N(アスパラギン酸)からY(チロシン)に置き換わっていることを示しているということです。

 スパイクタンパク質は、ウイルスが宿主の細胞に接着するときの足掛かりとなり、また、ワクチンもこのたんぱく質に対する抗体の生産を促すように設計されている。なので、抗体がスパイクタンパク質に結合すると、細胞への接着をブロックできなくなると氏は言います。
 ところがE484Kは抗体を跳ね返すような変異であり、N501Yは細胞に接着する力が強まる変異であることが分かってきた。つまりウイルスは、抗体の攻撃をかわしつつ、より効率よく観戦するタイプに変化したことになるということです。

 こうした変異は、あたかも人間側の目論見の裏を読んでウイルスが意図的に変化したように見えますが、もちろんウイルスに意図も意思もないのは自明です。
 ただただ浮遊するまま、たまたま取りついた宿主細胞の中で自己複製を繰り返しただけ。コロナウイルスの自己複製の単位は遺伝子RNAで、複製を続ける中で時に書き間違いが起こる。このRNA上の書き間違いがスパイクタンパク質のアミノ酸配列に反映され、変異体を生じるというのが、福岡氏の説明する変異の仕組みです。

 書き間違いはRNAのあらゆる場所で全く無作為に起こっているはず。では一体なぜ、E484KやN501Yのような(ウイルス側から見て)都合の良い変異が起こるのか。
 実は、「人間の側がそれを選び取っている」というのが氏の指摘するところです。あらゆるタイプのウイルス変異体が、日々、世界中で出現している。そこにワクチンが網をかけるから、それをすり抜けるような変異体が選抜される。あるいは宿主により素早く取り付き、より早く複製できる変異体がより拡散するチャンスを得るということです。

 つまり、ウイルスにとって感染者の増加は進化の実験場の拡大を意味し、ワクチンは自然淘汰の促進剤となりうると氏はしています。変異株に対しては改良型ワクチンが製造される見込みだが、抗生物質と耐性菌のような鼬ごっこになりかねない。押せば押し返し、鎮めようとすれば浮かび上がる。これが自然という動的平衡の理であるというのが氏の認識です。
 とはいえ、希望がないわけではないと、福岡氏はこの論考に記しています。私たちの命もまたこの自然の摂理の中にある。身体に備わった免疫系は最高最良のワクチンであり、ウイルスを多面的に制御してせめぎあいのバランスを保とうとすると氏は話しています。
 これが「ウイルスとの共生」の姿であり、過去、幾度となく病原体と人類との間で繰り返されてきた動的平衡の物語だということです。

 気が付けば1年以上の歳月をこのウイルスとともに過ごしてきた人類ですが、いつかは氏の言う「平衡」の状態に落ち着くことができるのか。いずれにしても、コロナ以前と「まったく同じ」状況に戻ることはないということだけは(ものの道理として)理解する必要があるのだろうなと、氏の論考から改めて感じたところです。


♯1828 EVのカギを握る技術

2021年03月29日 | 科学技術


 地球温暖化対策のカギを握っていると言われているのがEV(電気自動車)の普及です。実際、ヨーロッパやアメリカの西海岸を中心に、ガソリン車から電気自動車(EV)へのシフトが急速に進みつつあるとされています。

 一方の日本では、これまで(いわゆる)エコカーと言えばガソリンエンジンで発電し車内に積み込んだ電池に給電する(いわゆる)ハイブリッド車が主役で、本格的なEVの普及は遅れているようです。

 モーターのみで動く完全なEVを本格的に普及させるためには急速充電器を始めとする充電インフラが欠かせませんが、一度の充電で150kmとか長くても250kmというような現在のEVの航続距離では、なかなか実用に足らないのは仕方のないことでしょう。

 電力中央研究所のシミュレーションによると、日本の主な道路の約30キロごとに急速充電器があれば、理屈の上では(なんとか)「電欠」を起こさずに走れるということです。

 地図の上で主要国道上にプロットして見ると、その数は最低でも約6100基あまりになります。一方、2017年3月末時点の公共用充電器の設置状況は、急速式が約7100基と言われています。数の上では整備は進んでいるようにも見えますが、設置場所には地域ごとの偏りも大きく、ドライバーが安心してEVを走らせる環境には未だなっていないようです。

 先進国を中心に脱炭素に向けた国際的な要請は強く、このままでは日本の自動車産業は取り残されていってしまうかも知れない。かといって、全国のガソリンスタンドの全てにEV用の急速充電基を備えても、その数はまだまだ足りないとされています。

 必要な給電インフラをどのように整備したものかと政府も業界も頭を悩ませているそんな折、1月25日の日本経済新聞(コラム「経済教室」)に、東京大学教授の堀洋一氏が「走行中給電の検討を 脱炭素社会と自動車」と題する興味深い論考を寄せているのが目に留まりました。

 電池型EVの航続距離が不十分であることはみな知っているから、「短い距離で我慢しよう」とか、「急速充電や高性能電池こそがキー技術になる」と誰もが考えた。そうした中、(軽くて使い勝手の良い)リチウムイオン電池を使うEVは当面は重要だが、しかしリチウムはよくてもコバルトが容易に枯渇するという理由だけ見ても、長期的には消える技術だというのが氏の認識です。

 ではどうすればよいのか。実は、架線からパンタグラフで電気を得ている電車のように、EVに電力インフラから直接エネルギーを供給するというまったく別の道があると氏は言います。

 もしそうなれば、1回の充電による航続距離という概念はその瞬間に意味を失う。停車中の「ちょこちょこ充電」、交差点通過時などの「準走行中充電」、さらに走行中の「だらだら給電」によって、EVは大きなエネルギーを持ち運ぶ必要がなくなり、電池に依存しないクルマ社会を描くことができるということです。

 そんなことができるのか?と素人の私などは考えてしまいますが、EVを電力系統につなぐための「ワイヤレス給電」が普及すれば、十分可能だというのがこの論考で氏の示唆するところです。

 そもそも、EVへのエネルギー供給手段と、EVの使用形態とは何の関係もないと氏は説明しています。

 ガソリンタンクのように電池を使うことに拘泥するから両者は強くリンクされることになり、(おかしなことに)電池の性能が航続距離、すなわち「使い勝手」を決めてしまうというのが氏の見解です。

 現在の技術でも、は50cm~1m程度の距離なら伝送効率95%程度で車を走らせる程度の電力は案外簡単に送れると、氏はこの論考で説明しています。

 氏によれば、簡単な中継コイルを用いて数メートルに伸ばすことが可能であることを踏まえれば、ワイヤレス給電を普及させるほうが、電池EVの性能向上より社会コストははるかに小さいということです。

 こうした技術を使って、(恐らく)100年後には、電池EVはガソリン車や燃料電池車とともに博物館でしか見られない存在になっているだろうと氏は予想しています。

 この話を聞いて、走行中ワイヤレス給電のインフラを作るためには膨大な費用がかかるのではと心配する人は少なくないだろう。しかし、大きくとらえれば、そうした心配も杞憂に過ぎないと氏は考えています。

 2012年に162キロメートルが部分開通した新東名高速道路は、人件費など含めて2.6兆円かかったと氏は言います。

 割り算すると1m当たりのコストは約1600万円。3メートルも走れば家が建つ金額を費やしている。これが、東京湾アクアラインや最近の地下鉄の建設費では1メートル当たり1億円もかかっていることを考えれば、その中に、ワイヤレス給電の設備を含めることはそれほど難しいこととは言えない。試算では、日本中の道路の1割をワイヤレス給電対応にしても、そのコストは5千億円程度に過ぎないということです。

 クルマを電力系統につなぐ最後の数メートルを担うワイヤレス給電の概念は、光ファイバーネットワークの大幹線がハードウエアとしてユーザーのすぐそこまで来ていても、最後の数メートルは高速Wi-Fiが担うこととよく似ていると氏は説明しています。

 最後の給電の技術さえ実用化できれば、100年後のクルマはほぼ全てが電気モーターで駆動され、電力インフラから電気をもらって走り、パワーの出し入れを仲介するスーパーキャパシタと、クルマを電力につなぐワイヤレス給電がキー技術となる可能性が高いというのが氏の予測するところです。

 さて、その辺の空間から電気をもらって走ると聞けば、強い電磁波が人間の身体に悪い影響を与えるのではないかとか、周辺の電子機器が変調をきたすのではないかなどと素人なりに少し心配になるのですが、電気を「飛ばす」という技術は既に様々な場所で少しずつ実用化されているようです。

 実際、今回私が買い替えたばかりの新しいスマートフォンは、プレートの上に置くだけでコードを繋がなくてもきちんと充電してくれていますし、最新式の電動歯ブラシやシェーバーも特に充電を気にしなくてもきちんと毎日動いてくれます。

 時代は徐々に動いている。こうした小電力のワイヤレス給電技術を開発し実用化したのが日本の企業だという話を聞けば、私たちの未来への期待も膨らもうというものです。


♯1826 ワクチン接種とノセボ効果

2021年03月26日 | 科学技術


 2月17日から医療従事者を中心に、国内でも新型コロナのワクチン接種が始まりました。そこで、一般の国民にとって気になるのは、接種後の有害事象の発生です。

 厚生労働省によれば、3月11日までに国内で接種を受けた18万741人のうち、副反応の一種であるアナフィラキシーショックの症状が報告されたのは37人で、これは接種者の4900人に1人の割合となります。

 一方、海外では、アメリカでは「20万回に1例」の頻度、イギリスでは「10万回に1~2例」の頻度などと報告されており、日本におけるアレルギー副反応の発言頻度はこうした例の20~40倍と異様に高いことが指摘されています。

 田村憲久厚労相は3月10日、日本の現状について「(日本は)少し高めに出ている気がする」と発言し、今後の推移を見極めたいとしています。

 また、注目すべきはアナフィラキシーと思しき副反応が見られた37人のうち、35人が女性であったこと。副反応の発生例が女性に偏っていることは海外でも指摘されており、エストロゲンやプロゲステロンなどの女性ホルモンの影響だという説や、免疫遺伝子の異常が女性に多いためという説、女性が使う化粧品に多く含まれている「ポリエチレングリコール(PEG)」という物質がアレルギー反応を引き起こしているという説などが取りざたされているようです。

 一方、1月23日の健康情報サイト「日経Gooday 30+」は、「コロナワクチンのキーワード 副反応、ノセボ効果とは」と題する記事を掲載し、不安心理が身体症状をもたらす症例の存在について解説しています。

 偽薬を投与されたプラセボ群においても少なからぬ有害事象が見られたという新型コロナワクチン。実際、米ファイザー社が行った新型コロナワクチンの臨床試験では、(本人には「ワクチン」と偽って)生理食塩水が注射されたプラセボ群でも、最大で3人に1人が疲労感や頭痛を訴えたということです。

 記事によれば、こうした現象は「ノセボ効果(nocebo effect)」と呼ばれ、プラスの効果(つまり症状の好転、快癒など)を生じる「プラセボ効果」とともに、医薬界では広く知られた身体症状だということです。

 これは、簡単に言えば「ワクチンの接種が疲労感や頭痛などの副反応を引き起こすかもしれない」と不安に思っていると、接種されたのがプラセボだったにもかかわらず疲労感や頭痛を感じるというもの。「そう言われてみれば、そんな気がしてきた」というのは、確かによくあることかもしれません。

 それでは、プラセボ効果とノセボ効果を経験しやすいのはどのような人かと言えば、(米国の研究によれば)プラセボ効果はその薬が効くことを期待する患者の気持ちに、ノセボ効果は副作用や副反応を心配する患者の気持ちに由来すると記事はしています。

 研究の結果、鎮痛薬や精神障害に対する治療薬の場合は、プラセボ群にも治療群と同じ程度の効果(プラセボ効果)が見られやすいこと、同時に、治療群と同じ有害事象を経験(ノセボ効果)するプラセボ群の患者も少なくないことが示されたということです。

 特にノセボ効果については、「気にかかる情報、間違った思い込み、悲観的な予測、好ましくない過去の経験、流布される否定的なメッセージなどが、有害事象の増加に関係し、さらには治療効果を減じる可能性がある」というのが記事の見解です。

 作家の橘玲(たちばな・あきら)氏は、自身のブログにおいて、進化心理学者のニコラス・ハンフリーが提唱している、ノセボ効果は進化の適応として発達したのではないかという仮説を紹介しています。(2021年3月19日「「病は気から」のプラセボは実際に「薬効」があった」)

 人類はその歴史の大半を近代医学以前の、病気の原因も治療法もわからない世界で生き延びてきた。そんなときは、周囲のひとたちが嘔吐しているのに気づいたとき、自分が病気かどうかにかかわらず嘔吐を始めるのは生き延びる確率を上げたはず。つまり、頭痛やめまいのほか、(女性に症例の多い)卒倒、失神などの強いヒステリー反応などは、他者に危険を知らせたり治療が必要だと伝える生物学的な警戒信号となっているというものです。

 また、こうした症例や実験から、いまでは副作用の多くは、薬を直接の原因とするものではなく、実はノセボ効果ではないかと考えられていると橘氏は指摘しています。

 うつ病から乳がんまで、新薬の臨床試験では患者のおよそ4分の1が副作用(疲労感、頭痛、集中力の欠如など)を報告するが、その比率はプラセボ群でも同じだということです。

 さて、ワクチンの確保が遅れていたここ日本ですが、4月に入り、高齢者を手始めに一般の人々の間でもワクチン接種が順次進んでいくと思われます。

 現在認められているワクチン接種後の有害事象がアナフィラキシーによるものかノセボ効果によるものかははっきりわかりませんが、少なくとも現在の症状の発現率の下では、ワクチンを打つことによるメリットの方が、打たないことによるデメリットやリスクを(個人的にも社会的にも)上回ることはWHOの指摘を待つまでもありません。

 厚生労働省の専門家会合のメンバーで国際医療福祉大学の和田耕治教授が3月5日からの3日間、首都圏の約3200人から回答を得た新型コロナワクチンの安全性に関するウェブアンケートでは、ワクチンの信頼性について「そう思う」が8.0%、「ややそう思う」が47.5%と合わせて過半数を占めた一方で、「あまりそう思わない」は33.6%、「そう思わない」が11.0%と、回答の半数近くが信頼性を欠くと見ていると伝えられています。

 期待感のあまり大げさに取り上げられることの多い新型コロナワクチンですが、(同じコロナウイルスですので)基本的には季節性インフルエンザワクチンとそれほど変わるものではないはずです。

 「病は気から」と言いますが、ワクチンの接種後に生じる有害事象には本人の心の持ちようも大きく影響するということなので、まずはリラックスして接種に臨むことが大切だということでしょう。


♯1779 グリーンエコノミーのインセンティブ

2020年12月29日 | 科学技術


 政府は(菅義偉首相が掲げる)2050年までに温室効果ガスの排出量を実質ゼロにするという政策目標の実現に向け、2030年代半ばまでに乗用車はすべて電動車にすることなどを軸とする「グリーン成長戦略」を定めることを決定したと、12月24日の朝日新聞が伝えています。

 記事によれば、軽を含む乗用車の新車販売は遅くとも2030年代半ばまでにすべて電気自動車(EV)やハイブリッド車(HV)などの電動車に切り替えるほか、水素自動車の普及などについても2030年に最大300万トン、2050年に2千万トン程度に拡大するとしています。

 また、同戦略では、二酸化炭素の排出に価格をつけて企業に削減を促す「カーボンプライシング」についても「新たな制度を含め、躊躇なく取り組む」としており、企業に排出枠の上限を定めて過不足分を売買させる「排出量取引」や炭素税などの導入も視野に入れるということです。

 コロナ禍のもと、地球温暖化対策に向けた欧米の動きや(自動車産業などを中心とした)グローバル企業の投資状況などを踏まえ、にわかに進むグリーンエコノミー。しかし、(実現するには巨額のお金がかかる)こうした個々の取り組みが本当に地球温暖化に貢献するのかについては、エビデンスの所在を含めいまだに様々な議論があるようです。

 それではなぜ、(感染症の拡大などの)厳しい社会環境にあるにもかかわらず、先進国の政治や経済は人々を「エコ」や「EV」に駆り立てているのか。

 モータージャーナリストとして知られる岡崎五朗(おかざき・ごろう)氏は、12月22日のYahoo newsに「EVシフトは誰のため? その裏に潜む投資マネーとユーザー無視の実態」と題する論考を寄せ、その理由を追っています。

 そもそも、こうした急速なEVシフトで利益を得るのは誰なのか?

 少なくとも現時点ではこれまでのガソリン車よりも値段が高く、使い勝手も悪い。そうした中、火力発電の割合が高い国では思ったより二酸化炭素も減らないEVを(ある意味無理やり)導入することで得をするのは環境ビジネスに関わる人々であり、損をするのはユーザーだと岡崎氏はこの論考に綴っています。

 もちろん、地球環境のために額に汗している環境ビジネスに関わる人たちには最大限の賛辞を送りたいし、私も決してこのままでよいとは思いません。しかしその一方で、環境問題が環境利権という大きなカネのなる木を生みだしたのもまた事実で、その顕著な例が二酸化炭素排出権取引だと氏は言います。

 二酸化炭素を減らせない企業は減らした企業から排出権を買い取れる仕組みとなっており、その取引の場となるマーケットには巨額の投機マネーが流入しマネーゲームの様相を呈している。

 (当然ながら)許される排出量が少なくなればなるほど単価は上がり、同時に排出量を削減すればするほど儲かることになるが、伝統的に金融ビジネスが強く、なおかついまや自国資本の自動車メーカーをもたないイギリスが他国に先駆けてガソリン車の2030年禁止という極端な方針を打ち出した背景には、そういう事情があるということです。

 従来の投資ファンドは収益性の高い企業に投資していたが、ESG投資はそれに、環境(Environment)・社会(Social)・ガバナンス(Governance)という(新たな)「価値」を与えた。そしてその結果、「健全なマインドをもつよき企業や国」により多くのカネが集まることになったというのが氏の認識です。

 菅総理が2050年のカーボンニュートラルを宣言した背景には、日本がカーボンニュートラルに舵を切らなければグローバルに動くESG投資マネーから見限られるという危機感があった。EVをやればカネが集まり、カネが集まればカネを動かす人やファンドが潤う。要するに、EVは短中期的には環境問題の切り札というよりも、環境利権ビジネスのコマのひとつだと岡崎氏はこの論考で指摘しています。

 2050年のカーボンニュートラルを目指すことには(勿論)異論はない。実際、30年かけ再生可能エネルギーの増加や電力グリッドの整備、二酸化炭素の再利用、固定化技術の開発、水素インフラの整備などは徐々に進んでいくだろう。しかし、そうした転換を(あたかも正義のように)押しつけるのはいかがなものかと氏は考えています。

 「巨大資本」と「環境原理主義」がタッグを組んでいるだけにかなり手強い相手だが、(だからと言って)再生エネルギー政策をすっ飛ばしEVのみを押しつけるような無知で無責任な政治家や政党が出てきたら、消費者は明確なNOの意思を突きつけるべきだ。そうしなければ、われわれはクルマの選択権を「彼ら」に譲り渡すことになるだろうというのが岡崎氏がこの論考で主張するところです。

 さて、世界的なEVへの切り替えが新しい投資を生むことは自明であり、業界への新規参入が進み新しい技術も開発される。そればかりでなく、電気の供給のためのインフラの整備や新たな交通網の再編などにもつながり、大きなお金が動くことで懐が潤う人も多いことでしょう。

 しかしその一方で、エコは地球にやさしいから大切だというのは(少なくとも現時点では)あくまで「建前」に過ぎず、自動車ユーザーに新たな負担を強いることで利益を上げようと目論んでいる人々がいることも、どこかで意識しておく必要があるのかもしれません。

 ESG企業への投資が大きく注目されている昨今ですが、その全てが本当に人類の将来を思い、環境にやさしいかどうかで選択されているとは限らない。人間の社会生活がもたらす地球環境への影響を減らしていくことはもちろん大切なことではあるけれど、そこに見え隠れする不純な動機の存在にも目配せしておく必要がある事を示唆する岡崎氏の指摘を、私も大変興味深く受け止めたところです。