MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯72 結婚の意味

2013年10月17日 | 社会・経済

 ここまで、女性の晩婚化や非婚化とそれに伴う少子化の問題を考えてきました。男女の雇用格差や賃金格差の解消に加え、育児環境の改善などにより、女性が自らのライフコースに展望を持ち、結婚や子育てに積極的に足を踏み出せる「女性の自立」を実現させていくことが、生産年齢人口の減少により労働力不足が懸念されるこれからの日本における一番のミッションとなるだろう… そういうお話でした。

 一方、伝統的な考え方を持つ一定の世代や階層には、女性の経済的な自立は女性のライフコースの選択肢を多様化し、一層の非婚化や離婚率の上昇を招くのではないかと懸念する向きがあるのも事実です。

 実際のところ、賃金が上がれば誰かに頼らなくても生活に困窮する可能性はそれだけ低くなります。また、結婚によりパートナーの転勤や育児で仕事を辞めざるを得ない可能性が生じることになるのであれば、充実した仕事と十分な収入を手にしている女性にとっては仕事を辞める際の損失もその分大きくなるということです。プラス+マイナスの観点から女性が「非婚」を選ぶ確率はそれだけ高くなる、そういう仮説も成り立ちます。

 しかし、よくよく考えてみると、それは女性にとって「結婚や育児と、仕事とは両立しないものだ」という二者択一を自明とする環境を前提とした考え方でもあります。

 これまで見てきたように、女性にとっての「結婚のコスト(結婚によるリスク)」は、行政や民間セクターのサポート(そしてパートナーの協力)などにより「仕事を辞めなければならない」という懸念を払しょくすることによって大きく下げることができます。賃金の上昇や安定した収入により生活に余裕が生まれれば様々な民間サービスを選択することが可能になり、女性の意識の中にある結婚や出産、育児へのハードルも低くすることができると考えられます。

 さらに離婚の実態を見ると、景気が良くなると離婚率が下がり、景気の後退とともに離婚率が上がるという傾向も確認されています。生活の先行きが暗く、厳しい生活が続くことが予想される場合は離婚という選択肢が選ばれやすい…逆に言うと、生活にゆとりができ家庭の未来や子供の将来の見通しがたちやすい状況では、婚姻関係を維持していこうとする前向きな力が生まれやすいということがデータ上からは見てとれます。

 さて、それではこの「結婚」という制度には、一体どのような意味があるのでしょうか。

 ウィキペディアでは、結婚を「社会的に承認された継続的な共同体をつくることを目的とする契約である。」と定義しています。これは、夫婦というものが、古来男性と女性が相互に生活を支えあうことを契約しあった最も基本的な共同体の形として位置付けられているということを意味しています。

 このため、夫婦間の相互扶助は法的にも「義務」として厳格に規定されており、意外に忘れられがちですが、民法の条文に「夫婦は同居し、互いに協力し扶助しなければならない(752条)」との規定があるように、正当な理由なく同居しない配偶者に対して他方の配偶者は同居するよう請求しうることが判例にも示されています。

 また、婚姻関係が生じていることを公に届け出ることにより、この契約関係は公的な外形性を持つものとして法により保護されることとなります。一方的な契約の解除や義務の不履行に対しては、裁判などの適正な手続きを踏むことにより、夫婦の一方に対し国家が一定の義務を課すことを可能とするといった効力を生むことになります。

 このように、戦前の民法にあったような「家」の概念から解き放たれ「両性の合意」のみによって成立する現在の婚姻関係は、性的な結合を基礎とし夫と妻(そしてその扶養下にある子供)の生活上のリスクヘッジを主たる目的としたひとつの「契約関係」であると考えることができます。

 こうした婚姻関係を基礎とする夫婦というものは歴史的にも社会を構成する基本的な「単位」として社会制度に根付いており、夫婦はある意味社会から「守られている」存在です。逆に言うと、結婚という外形性を備えていない家庭(単位)というものは、現行の法制下においては対外的に極めて脆弱であると言うことができます。特に経済的な自立が難しい状況の中で夫との婚姻関係を解消した「母子」により構成される家庭は、さまざまなリスクにさらされる非常に厳しい環境下に置かれた存在であると理解しておくことが必要です。

 結婚式の際に神父さんから求められる「誓いの言葉」に、「その健やかなる時も病める時も、富める時も貧しき時も、これを愛しこれを敬い、これを慰めこれを助け、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」というものがあります。結婚の本質は相互扶助にあることが、最も端的に示された言葉の一つであるかもしれません。

 戦後の豊かな生活が続く中、我々日本人は、結婚が家庭の構成員を社会の荒波から守るための制度(知恵)であり、家庭(つまり夫婦の間に生まれてきた子供たち)を守るための契約関係であるということを、ついつい忘れがちであったのかもしれません。

 日本の少子化に歯止めをかけ、さらには日本の経済規模を維持していくためには、女性が経済的に自立し、例え一人であっても育児が続けられるような体制、環境を整えていくことがもちろん社会にとって最も大切なことだと思います。

 しかし、その一方で、男女がバラバラに生きるのではなくて、社会の基本的な単位としての夫婦関係が維持されることが、社会の効率的な安定と成長につながるという考え方に説得力があるのも事実です。

 結婚するカップルの3組に1組は離婚を経験する時代と言われています。生まれ来る子供たちへの責任として、新郎新婦には生活基盤が失われることのリスクを自らの手できるだけヘッジしておかなければなりません。

 「勝ち組み」「負け組み」などという言葉をよく耳にしますが、これまで見てきたように、やはり、安定した生活基盤が安定した結婚生活を生むと同時に、安定した結婚生活がさらに安定した生活基盤を生むという相乗効果が見て取れます。(もちろん、経済状態のみが夫婦関係を決定づけるわけではありませんが、不安定な生活基盤が不安定な結婚生活を生み、不安定な結婚生活がさらに不安的な生活基盤を生むという経験則も、この際無視できません。)

 結婚は、両性の合意のみを持って成立するということでしたが、その動機となる「愛情」や「勢い」に加えて、結婚に当たっては相手方とそうしいたリスクヘッジの「契約」を結ぶのだという現実を、頭のどこかでドライに認識しておくことが必要なのではないかと改めて思うところです。

 そして、夫婦の関係についても、相互に依存しあうのではなく、お互いに自立し、双方が一定の線を越えずにクールに役割を演じながら婚姻関係の維持に向けて努力していくといった、いい意味での「大人の関係」を築くことがどこかで必要になっているのではなかと思うのですが…さて、いかがなものでしょうか?