しばらくオートバイから遠ざかっていた50~60代がバイクに回帰した(いわゆる)「リターンライダー」が増加中だと、昨年9月16日の神戸新聞が報じています。
(この先はあくまで推測ですが)オートバイブームが全盛だった1980~90年代に青春を過ごした彼らも、仕事や子育てを一段落させ、お金や時間にも少しは余裕ができてきた頃。友人同士が集まれば、昔話にも花が咲くというものでしょう。
そんな中で出てくるのが、青春を彩ったオートバイの話。すっかり忘れていた 「風を切って走る爽快感」のようなものを思い出し、(家族を説得できた人から順に)「リターンライダー」となっていく…といった流れが加速しているということでしょうか。
記事によると、実際、新車(のオートバイ)を買う人の平均年齢は55.5歳(2023年)にまで延びているとのこと。6割超が50~60代で、その割合は年々上昇。今ではこうした「回帰組」が、バイク乗りの中心となっているということです。
一方、かつては主要な購買層であった20代は今では僅かに3%に過ぎず、30代でも6%と、いずれも過去16年間で3分の1以下に落ち込んでいる由。確かに、高速道路のサービスエリアなどで見かける皮つなぎ姿のライダーの髪も、以前よりずいぶんと薄くなっているような気がします。
一昔前であれば「お年寄り」と呼ばれた還暦間際の老体に鞭打って、彼らは何故今日もバイクに跨るのか。2月25日の車・バイクの総合情報サイト「Moto Megane(モトメガネ)」に『バイクってなんでこんなに不便なのにめっちゃ楽しいんだろう』と題する記事が掲載されていたので、この機会に一部を紹介しておきたいと思います。
バイクはクルマに比べ不便な乗り物。雨が降れば濡れ、寒さや暑さもダイレクトに感じる。走行中は気にならなくても、急にトイレに行きたくなったり、夏場は日差しを遮るものが少ないため日焼け対策も欠かせない。…しかし、こうした不便さも、バイクならではの自由な感覚や非日常感と引き換えに味わうものかもしれないと、記事は冒頭に綴っています。
特に雨の日のバイク走行は、ライダーにとってちょっとした試練となる。ヘルメットのシールドに雨粒が散り、路面は滑りやすくなるため慎重な運転が求められる。体も濡れ、さらに濡れたブーツやグローブの不快感が続くと、精神的な疲労も増すということです。
しかし、それでも多くの人がバイクに夢中になるのはなぜなのか。風を感じながら走る爽快感は、バイクならではの魅力のひとつ。特にワインディングロードをリズムよく駆け抜けると、開放感とスピード感が一体となり、アドレナリンが湧き上がるような感覚を味わえると記事はしています。
また、風の音やエンジンの鼓動を感じながら走る時間は日常生活では味わえないもの。地図を片手に気ままにバイクを走らせれば、偶然出会った景色に心を奪われたり新たな発見や出会いが広がたりと、バイクを走らせる道のりそのものが、日常を離れた自分だけの時間を形作っていくということです。
さらに、インカムを通じた会話やすれ違うライダーとの挨拶すら、バイクならではの楽しみに繋がると記事は続けます。同じようにバイクに乗っている人たちと交流することで、新たな仲間ができることもある。共通の趣味を持つ仲間と語り合ったり、ツーリングの計画を立てたりすることが、バイクライフをより一層豊かにするということです。
(こうした)バイクに乗ることで得られる自由な感覚や非日常感は、日常のストレスからライダーを解放し、自分だけの時間を満喫することができる大きな魅力だと記事は話しています。
目的地までのルートを自由に決め、自分のペースで走れることこそ、バイクの醍醐味。その時々は不便と思える瞬間も、スリルや特に達成感があるからこそ「価値」があるというのが記事の指摘するところ。バイクに乗ること自体にスキルが要るし、それを身に着ける過程も楽ではないが、そこを乗り越えることで得られる達成感や充実感は、他の乗り物では味わえないものだと記事は言います。
バイクには不便な面も多くあるが、その魅力はそれ以上に大きく、乗り続ける価値があることは現在の人気が裏付けている。さらにバイクに乗り続けることで、自分自身の成長や新たな発見を感じることができるということです。
確かに、還暦を過ぎても週末ごとに重いバイクを引っ張り出し、暑ければ暑いなりに、寒ければ寒いなりにヨレヨレになり、つらい思いをしている(ように見える)ライダーたちを見ていると、「いい齢をして何をしているんだろう」と感じる向きも多いかもしれません。
昔のようには身体は動かない。バイクに乗れば危ない目にも合うし、彼らが家族に心配をかけていることは否定できません。
しかしそれでも、バイクがもたらしてくれる非日常性に、多くのライダーは抗えない。それは、バイクに乗ることで得られる自由な感覚、爽快感、そして新たな発見が、人生をより豊かにしてくれるものだと判っているからだと話す記事の指摘を、私も「さもありなん」と同意を込めて読んだところです。