年末年始のメディアを賑やかしたトップニュースと言えば、元SMAPのリーダー中居正広氏とフジテレビ幹部の性加害疑惑をおいて他にはないでしょう。
2023年に起こった英国BBCの報に端を発するジャニーズの性加害問題が、芸能界ばかりではなく、現代日本を象徴する社会問題として大きくクローズアップされたのは記憶に新しいところです。
にもかかわらず、自社の女性社員から出演タレントからの性被害を訴えられたフジテレビは、被害者を守るどころかその事実を隠蔽し、当該タレントを今まで通り時局の番組に出演させ続けた。被害者であるはずの女性社員は退職を余儀なくされ、結果、事実関係もあいまいにされたというのが今回の結末です。
そもそも、自社の社員が(業務に関連する)関係者から性加害に遭ったのに、何の対応も取らないということ自体「性加害を容認した」のも同然であり、むしろ「加害をほう助した」言っても過言ではないでしょう。
普段であれば、芸能人・有名人のゴシップやトラブルをワイドショーで追い回し、「飯のタネ」にしている在京の(他の)民放テレビ局が、この件についてはしばらくの間、まるで何も起きていないかのようにスルーしていたのも、ジャニーズによる性加害問題とまったく同じ構図と言えるかもしれません。
ジャニーズ問題という(あれだけの)大騒動があったにもかかわらず、結局、何も反省していない「業界」の人たちとその後の世論の反応に関し、作家の橘玲(たちばな・あきら)氏が『週刊プレイボーイ』誌に連載中の自身のコラムに、「テレビ局への大規模な”キャンセル”はなぜ起きたのか?(2025.1.20発売号)」と題する一文を寄せているので、指摘の一部を小欄に残しておきたいと思います。
わたしたちの社会は、「本音」と「建て前」によって成り立っている。ヒトは進化の過程で作られた脳の仕様によって、本能的に人間集団を「俺たち」と「奴ら」に分割するもの。つまり、本音とは「俺たちの論理」、建前は「奴ら(他者)との共通の論理」と定義できると氏はコラムの冒頭に綴っています。
「建前」は人種、国籍、性別、性的指向など異なる属性をもつ全ての人に平等に適用されるので、「人権」や「社会正義」に基づいたものになるしかない。これはしばしば「きれいごと」と揶揄されるが、一方の「本音」は建前には反するものの、組織のなかでは正当な理由があると見なされると氏は言います。
言い換えれば、こちらは「しかたないじゃないか」の論理。政治家の建前は「社会や経済をみんなが望むように変えていく」だが、複雑化する現代社会では一人の政治家にできることはほとんどない。しかし、この本音を言うと選挙に当選できないので、政治家はみな有権者に過剰な約束をせざるを得ないというのが氏の認識です。
当然ながら公約のほとんどは実現できず、それによって政治への信頼度は下がっていく。そして、ここで興味深いのが、政治を批判するメディアへの信頼度も同じように下がっていることだと氏は指摘しています。
「リベラル」を自称するメディアは、「誰もが人権と社会正義を享受できる(建前だけでつくられた)社会を目指すべきだ」と主張するが、どのような組織も建前だけでは運営できない。そこで、しばしば大きな困難とぶつかるが、そのことがよくわかるのが有名タレントの“性加害”事件だということです。
週刊誌の報道によると、バラエティ番組を担当していた大手テレビ局のプロデューサーが、大物タレントに若い女性との会食をセッティングしたところトラブルになり、被害にあった女性は示談金として多額の金銭を受け取ったとされている。もちろんこの事件での建前は、「どのような性加害も許されない」であることは間違いないと氏は言います。
一方、それに対して業界の本音は「そんなのよくあること」というもの。テレビ局の本音は「会社の暗部を表に出せるわけがないでしょう」だというのが氏の指摘するところです。
こうした事情は多かれ少なかれどこも同じなので、大手メディアはこの事件について、テレビ局の責任には触れず、事実関係のみを小さく扱うだけの腰の引けた報道をしていた。(旧ジャニーズ事務所をあれだけ叩いておきながら)自分たちが性加害に関わっているとの批判に対して一片のコメントを出して無視を決め込むのでは、不誠実だとネットが大炎上したのも当然のことだということです。
これまで大手メディアは、建前を振りかざして「権力」の本音を批判することを「正義」としてきた。どうしてそんなことができたのかと言えば、メディアが一種のカルテルをつくって、自分たちに都合のいいように「事実」と「解釈」を独占してきたからだと氏は話しています。
しかし、SNSによって本音と建前のダブルスタンダードが白日の下にさらされると、人々はメディアを信頼しなくなる。結局、その後、テレビ局の大株主であるアメリカの投資ファンドが説明責任を求めたことで大手スポンサーが次々と広告を引き上げる事態になり、その後の会見などにおけるずさんな対応がさらに炎上を呼んで、日本では未曽有の規模の「キャンセル」に発展しているということです。
さて、政治やメディアが抱える「本音」と「建て前」の存在は、これまでも多くの人が判っていたはず。そうした矛盾を抱えたうえで(→抱えているくせに)「偉そうにしている人」を、矛盾に敏感となった世間はもはや許してくれないということなのでしょうか。
「業界人」だからといって、もはや特別扱いはしてもらえない。ネット社会に入り、SNSの浸透などで、マスメディアのポジションが大きく様変わりする中、これまで一般社会とは切り離され特権化されていた「業界」という名の「壁」が、これからもどんどん崩れていくのだろうなと、氏の論考を読んで私も改めて感じたところです。