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めいすいの写真日記

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台湾への旅(3)・・・三仙台、八仙洞、88水害

2015-02-15 | 旅の写真

台湾の旅、第3日は、南の都市、高雄から中央の山地を越えて東側に出て、海岸線を走る移動の旅となりました。
私が前回に旅した時は、まだ東側の道路は舗装もされていなくてバスで走るのはきつい旅だったようです。
遠くに、台湾第2の大きさの島、緑島が見えました。天気の良くない日は、見えないとのことでした。
夏は、レジャーの島として賑わうようですが、その昔は、政治犯や暴力団の人間の監獄があったと言うことです。

 東側から西側の海岸線に抜ける時に、バスの中でガイドさんから聞いた「88水害」の話は驚くような話でした。
またバスからは、大きな「88水害の記念碑」も見えました。

 2009年(平成21年)8月7日から11日にかけて、主に台湾南部で台風8号により、降った豪雨は、おおよそ3日間の間に
世界記録に匹敵する総降水量2000mmから3000mmとなりました。
このため、至る所で土砂災害などが発生し700人もの犠牲者が発生しました。
特に高雄県甲仙郷小林村では、付近の山の深層崩壊に襲われ、村がほぼ全滅し、400名もの方が亡くなりました。

 台湾では、これまでの豪雨は一雨1000mm程度から、1500mm、そして今回の3000mmと増大し、降雨範囲も広くなる傾向にある
ようです。

 日本では、2013年(平成25年)の10月11日に伊豆大島に甚大な被害をもたらした台風26号の土石流災害が記憶に新しいですが、
この時の総降雨量は824mm、死者・行方不明39名であることを考えると、いかに凄まじい豪雨であったことかが分かります。
何よりも、そんなにも雨が降る豪雨があるのか?というのが率直な感想でした。

東の海岸線、古くからの景勝地である三仙台。3人の仙人が岩の上で休んだという伝説があります。

こちらは、八仙洞。大小16の洞窟群。地殻の上昇の過程で波による浸食で出来ました。石器時代の住居跡が発見され、
台湾の第一史跡に指定されています。

詳しくは「めいすいの海外旅日記 台湾第3日」をご覧下さい。


台湾への旅 (2)・・・日月潭と文武廟、赤崁樓、蓮池潭

2015-02-12 | 旅の写真

◆ 日月潭と文武廟

 台中市のホテルからまずは日月潭に向かいます。「潭」は「湖」の意味です。

日月潭は、7.93 km2 周囲37kmの淡水湖。最大水深は27mで標高は748mの淡水湖です。 台湾で最も大きな湖で、景勝地として
知られています。

その湖の畔にあるのが、文武廟で、文の神様として孔子、武の神として関羽と岳飛が祀られています。
文武廟の門を入ると、前殿(文朝)、中殿(文朝)、後殿の三殿様式になっています。

後殿の屋上から眺めた光景。文武廟の連なる屋根と遠方の日月潭の景色が美しい。

日月潭からは台南市へ向かいます。

途中バスの車窓から、台湾で最も尊敬されている日本人といわれる八田與一が設計・建設した「烏山頭ダム」が見えました。

◆ 「烏山頭ダム」

 台南市の北東部に位置する広がる嘉南平野は干ばつや水害の多い不毛の土地でしたが、日本統治時代に行われた大規模な灌漑整
備事業により、台湾最大の穀倉地帯に生まれ変わりました。
 この烏山頭ダムに代表される工事を行った人物が八田與一(1886-1942)です。石川県金沢市の生まれ、東京大学工学部土木工学科
の出身。與一は、粘土・砂・礫を使用し、コンクリートをほとんど使わないい工法を採用し、ダム内に土砂が溜まりにくくしました。同時代に
作られたダムが機能不全になっている中で、現在もしっかりと稼働しているとのことです。大きな役割は1973年に完成した曽文渓ダムに
譲っていますが、このダムの計画も與一によるものでした。道路の反対側には、とうとうと流れる灌漑用水路も見えました。

この烏山頭ダムと八田與一は、現在、日本で上映中の”台湾大ヒット映画” 『 KANO 』 にも登場します。 

◆ 赤崁樓

赤崁樓は、台南市きっての名所です。
もともとは1653年に台湾南部を占領したオランダ軍によって建てられた城でプロヴィンデンシャル城(紅毛城)と呼ばれました。
1661年に鄭成功が90日間の戦闘の後、オランダ軍を追放して承天府と改め、台湾の政治の中心としました。
右側に「鄭成功に降伏し、講和するオランダ人」の銅像。城の前には清の乾隆帝時代に作られた石碑が並んでいます。

鄭成功は清(満州族)に滅ぼされようとしている明(漢民族)を擁護し抵抗運動を続け、台湾に渡り鄭氏政権の祖となりました。
このため、台湾では孫文、蒋介石とならぶ「三人の国神」の一人として尊敬されています。
しかし、彼自身の目標である「反清復明」を果たすこと無く死去し、また台湾と関連していた時期も短いものでした。

鄭成功は清(満州族)に滅ぼされようとしている明(漢民族)を擁護し抵抗運動を続け、台湾に渡り鄭氏政権の祖となりました。
このため、台湾では孫文、蒋介石とならぶ「三人の国神」の一人として尊敬されています。
しかし、彼自身の目標である「反清復明」を果たすこと無く死去し、また台湾と関連していた時期も短いものでした。

鄭成功は日本の平戸で父、鄭芝龍と日本人の母、田川松との間に生まれ、7歳の時、父の故郷福建に移住しました。日本名は福松。

台南市見学の後は、高雄市に向かいます。

◆ 蓮池潭

蓮池潭は高雄市随一の観光スポットです。この池にはたくさんの蓮が植えられ、蓮の花が満開になった時には、さわやかな香りがあふれ、
美しい景色となったことから名付けられたようです。

一番最初に目に付くのが「竜虎塔」。十二支の中で最も良い動物は龍。最も悪い動物は虎。このため、竜虎塔に入る時は、必ず龍の口
から入り、虎の口から出るようにします。こうすると善人になれるとか。

詳しくは、 「めいすいの海外旅日記 台湾 第2日」 をご覧下さい。


台湾への旅(1)・・・出発、ハロー キティ ジェット

2015-02-11 | 旅の写真

1月末に台湾へ5日間のツァーに1名で参加しました。実はちょうどこの時期に、女房が27名の合唱団の台湾
ツァーに参加していました。 

台湾へはエバー航空を利用しました。この航空機は「ハロー キティ ジェット」となっていて、キティーちゃんの
オンパレードとも言っていいほど。年配の女性客が多かったのですが、「まあ!可愛い」と機内は異常なムード。

座席正面のディスプレイからキティちゃんの画面で始まり、食事もキティちゃんをかたどったもの、
ナイフ・フォーク・スプーン、敷きもの、アイスクリーム、ゴミ袋、はては枕までといった具合です。
ナイフ・フォーク・スプーンは片付ける時には多くが無くくなっていたようです。
枕はスチュワーデスに聞いたら「持って帰るのはダメ」ということだったらしいのですが、持って行く人もいたようです。
「孫に持って帰りたい」という気持ちが強かったのでしょう。折り込みのことだとは思いますが。

写真は、台北の松山空港でのエバー航空BR-0189便。

羽田を出発する時から、座席のディスプレイにキティちゃんの動画が映し出されます。

私たち年配者の食事もキティーちゃんで「お子様ランチ風」。メインの食事は親子丼を頼みました。

デザートにもキティちゃんのアイスクリーム。これを食べるスプーンも。アイスは溶けるので持って帰れません。
左はウーロン茶とコーヒー。

初日は、台北到着後、すぐに台中に向かいました。はじめの観光地の「日月潭」に向かうためです。

台湾は、フィリッピンプレートとユーラシアプレートとがぶつかり合う場所、造山運動が盛んで、中央部は
3000m級の高い山々が続きます。 一番高い山は、玉山で3952m、日本統治時代には富士山より高いので
新高山(にいたかやま)と呼ばれました。
地震も日本と同様、数多く発生します。台湾新幹線も耐震設計で日本の新幹線より、橋脚が太い気がします。

写真は、バスの中から見た褶曲する地層。

台中での台湾最初の夕食。飲み物は「台湾ビール」。これが瓶入りの「生ビール」。18日間だけと書いてあります。

 


デザートは、ここの名物という「杏仁豆腐」を頼みました。味は日本で食べたものと変わりませんが、小豆が
入っているのがちょっと台湾風です。

詳しくは「めいすいの海外旅日記 台湾 第1日」をご覧下さい。


ベトナム・カンボジアの旅(7)・・・ベトナム料理

2014-12-12 | 旅の写真

 ベトナムのミトーのレストラン「TRUNG  LUONG」、ベトナムらしい素晴らしい料理を出してくれました。

 エレファントイヤーフィッシュ(象耳魚)の唐揚げは、ミトーの名物料理カー・タイ・トゥオン。メコン川でとれる魚です。鱗が固い
ので  鱗は落とします。こうして立てて食卓にのせると見栄えがします。

この魚の身とパイナップル、キュウリ、フォー

 これらをライスペーバーで巻きます。

これは、レストランの人に巻いてもらっているところ

 

生春巻きのできあがり。もう一本は自分で作りました。

NHKの「ベトナム料理の特集番組」で、ベトナムではライスペーパーで自分の好みの、いろいろな材料を巻いて食べるのが主流」
といっていたので、こうした料理を食べられたことに、感動しました。とても美味しい。

オムレツとビール、BGI ビールは地ビールでアルコール度数は3.8と低い

こちらは川エビを焼いたもの

ソイ・チン・フォン(風船餅) 中華鍋でつくり、次第に丸く大きくしていくのだそうです。
テープルにつく人数により大きさを変えているとのこと。初めての人には、あっと驚く料理です。

 包丁で切り裂き、小さくしているところ

皿に盛って配るとこうした形に

ベトナム料理の主役はやっぱりフォー。こちらはボークですが、場所によってはビーフも。

そして、チャーハン。

そして。モンキーバナナ。とても小さく甘い。

そしてお茶。

詳しくは、「めいすいの海外旅日記 アンコールワットとベトナム2都市 第6日」をご覧下さい。 


ベトナム・カンボジアの旅(6)・・・メコン川クルーズ、ジャングルクルーズ

2014-12-10 | 旅の写真

メコン川は、チベットを水源とする延長4023Km(世界第12位)、流域面積79万5000Kmの大河川です。雨期の8月が約2万
4000m/sに対し、訪れた11月は乾季で8000m/sと約3分の1の水量になっています。
なお、年平均は9000m/sです。
メコン川は世界的に見ても生物の多様性か豊かな地域の一つになっていて、生息する魚の主は1200種類以上にも上ります。
下流域では赤茶色に混濁しています。インドシナ半島に広く分布するラテライトを河岸浸食するためです。

メコン川下流河口の都市、ミトーの船着き場にはクルーズ用の船がたくさん係留されていました。
この船に乗ってメコン川クルーズに出発です。

すぐ近くにラックミエウ橋という美しい姿の2連の斜張橋が見えました。ミトーと対岸のベンチュリーを結ぶ橋で、川の中州の
トイソン島、フーン島とも結ばれていて、第一、第二橋梁を合わせると2878mで、アブローチ部分を含めると全長8331mの
長大橋です。桁はプレストレストコンクリート。2009年の完成。ベトナム人技術者だけで建設したということです。たいへん技術力が
高いと思います。
 桁下高が40mあるので上から見ると景色がいいようです。ただ、歩道はない?

 川面にぷかぷかと浮いているのは水草のホテイアオイ。金魚鉢に入れる水草です。
 先日、バッチャン焼きを買った時、入れ物としてこの茎で編んだ籠をもらいました。

メコン川のこのあたりで捕れる魚では、鯉の形をしたホウ魚という魚がいて3m、300Kgにもなるといいます。大きい
ほど値段が高いそうです。写真の建物では、魚の養殖をしていて、ナマズや鯖や雷魚などを育てているとのことです。

メコン川クルーズの船からタイソン島に上陸しました。
タイソン島は、長さ11Km、幅1kmで人口が6000人の島。緑豊かな島で、果樹栽培が盛んなようです。
この島内にある小舟に乗ってジャングルクルーズをするのですが、その前にココナツキャンディの家内工場、
次に養蜂農家の訪問、果樹園での試食とあり、そのたびに買い物タイムになりました。

降りてすぐのところに、トイソン島特産の果実を売っていました。噂のドリアン(奥)がありました。ベトナムのドリアンはタイに比べ、
臭いが強烈のようです。「厠で固いシュークリームを食べる」といわれ、「果物の王様」ともいわれます。
しかしで、今朝のホテルでは持ち込んだ場合は1万5000円の罰金となっていました。
ちょっと買って食べてみたかったけれど、残念ながら、今回は見送ることにしました。ガイドや添乗員の協力がなくてはね。
手前、左は「パパイア」、まだ緑ですが甘いとのこと。右は「竜眼」、ライチに似た果物です。

どれも日本では、あまり見かけない果物です。特にドリアンは・・・。


いろいろなところに寄り道し買い物をし、1時間以上かかって、やっとジャングルクルーズの船乗り場に着きました。

この日は乾季の上に干潮とあって極端に水位が下がっています。
最高水位は、ヤシの泥水での汚れ具合を見ると2m程度は上になるようです。
この運河は島の中央部を流れていて、両側はヤシの木の生えるジャングルとなっています。まさに、ベトナムらしい光景です。
二人乗りで前と後ろに船頭さんがいますが、うまくバランスを取って乗らないと船が転覆しそうになります。
乗船時間は15分程度です。

 

ジャングルクルーズのあと、再びメコン川クルーズの船に乗り換え、ミトーまで戻りました。

詳しくは「めいすいの海外旅日記 アンコールワットとベトナム2都市 第6日」をご覧下さい。


ベトナム・カンボジアの旅(5)・・・アンコールトム タプロム バンテアイ・スレイ(東洋のモナリザ)

2014-12-08 | 旅の写真

◇ アンコールトム

アンコールトムは総延長12Km、幅130mに及ぶ環濠と城壁に囲まれたクメール王朝最後の栄華を誇った都市跡です。
アンコールワットの北、2.5kmに位置します。総面積は900ha。アンコールトムとは、「大きな都城」を意味します。
12世紀から13世紀にかけてジャヤヴァルマン7世が建設しました。
東西南北4つの門、勝利の門の5つの門があり、中央にバイヨンと呼ばれる寺院があります。そして北西には王宮跡。

写真はバイヨンを南側から見たところです。

パイヨンには、いくつもの四面の観世音菩薩像がありますが、これは「クメールのほほえみ」をたたえているという最も美しい像。

クメール王朝時代に思いをはせて、祈りを捧げました。

蓮の花の上で踊るアブサラ(天の踊り子)の像。
前日に、ディナーショーで見た、現代のアブサラの踊りに比べて、かなり腰をひねっています。手や足の指の動きもしなやか、
衣装もずっとセクシイです。往時は少なくも600人を超える踊り子がいたと考えられ、相当な修練を積んでいたことでしょう。          

象のテラス、このテラスが300m 以上続きます。

こちらはライ王のテラス。これらのテラスの前には、広場があり、ここでいろいろな催し物が行われました。

◇ タプロム寺院

アンコールトムの東、2Kmほどにある「タ・プロム寺院」。12世紀後半にジャヤヴァルマン7世が母の菩提を弔うた
めに、建設し、13世紀前半まで増築が繰り返されました。
寺院内には5000人あまりの僧侶、615人の踊り子など1万2600人もが住んでいたと伝えられています。
東西1km、南北に60mあります。長年にわたり放置されていたため、ジャングルとなり、巨大な榕樹(ガジュマルの
一種)が絡みついて、神秘的な雰囲気がかもし出されています。

タプロム寺院、西塔門。

タプロム寺院、西門

榕樹の木が遺跡に絡まってしまっている。長い間放置したため、ジャングルになってしまった。

インド政府が行った修復作業。上が施工前、下が施工後。

こうした世界遺産での修復作業には、高度な技術が必要と思います。

◇ バンテアイ・スレイ ・・・ 東洋のモナリザ

 バンテアイ・スレイは10世紀に、ジャヤバルマン5世の師範であったヤジュニャヴァラーハが建立したヒンズー教の寺院遺跡。
バンデアは砦、スレイは女で、バンデアイ・スレイとは「女の砦」を意味します。
アンコール遺跡群の中では、規模が小さいのですが、彫刻は、精緻で彫りが深く、洗練され、優美といわれています。
シェムリアップから北東に40Kmと、郊外にあって保存状態は良好です。
素材に近くで撮れる赤い砂岩が使われています。地面もラテライトで赤い。                    

バンテアイ・スレイの全体像。一番高いのが中央祠堂、南塔と北塔に挟まれています。

これは、第二周壁の東門。ここから入ったところに第二周壁があり、さらに中央祠堂があります。

      

中央祠堂の入り口、右側に小さく見えるのが「東洋のモナリザ」といわれるデバター像。ここから先はロープがあり、近くで見られません。

望遠レンズで取った、「東洋のモナリザ」

さらに上半身だけ切り取った写真です。

バンテアイ・スレイは、今回のアンコールワット遺跡群の中でも、最も感動したものの一つでした。
             

詳しくは「めいすいの海外旅日記 アンコールワットとベトナム2都市 第5日 アンコール遺跡群(2)・・・アンコールトム他」をご覧下さい。


ベトナム・カンボジアの旅(4)・・・アンコールワット

2014-12-05 | 旅の写真

 アンコール遺跡群の中でも、大伽藍と美しい彫刻からクメール建築の傑作とされるアンコールワット
アンコールは王都、ワットは寺院の意味。
12世紀の前半にクメール王朝(アンコール王朝ともいう)のスーリヤヴァルマン2世により、ヒンドゥー教寺院として30年以上の年月を
かけて建立されました。その後、仏教が盛んになり、仏教寺院としても使われるようになります。

クメール王朝は9世紀から15世紀まで東南アジアに存在していた王国で、最盛期にインドシナ半島の大部分、マレーシア半島の一部まで領土としていた大帝国でした。その権力と富をもって、この奇跡の寺院は造られたといえるでしょう。 しかし皮肉なことに、この王朝も寺院建築で莫大な費用を費やし、宗教を巡る政争で次第に国力が衰えていきます。
そして15世紀に大規模な飢饉と壊滅的な洪水により滅亡することになります。

 まず、アンコールワットにたどり着いた時に、驚いたのは、大きな環壕で゜した。
 幅は130m、一辺3Km、周囲12Km。巨大な伽藍であることを知る上で、十分な広さでした。

環壁の内側からは、北側聖池に映る「逆さアンコールワット」がはっきり見えます。池には蓮の花が咲いています。ここが一番の撮影スポット?

第2廻廊の外壁に書かれている「髪型の異なる4人のデバター」です。

アンコールワット見学の後は、カンボジアの伝統舞踊のアブサラダンスのディナーショーにでかけました。

アブサラとは「天の踊り子」のこと。クメール王朝の栄華を彷彿とさせます。優雅な指使い、足首の動きが見事です。

詳しくは、「めいすいの海外旅日記・・・アンコールワットとベトナム2都市 第4日 アンコールワット」 をご覧下さい。

 


ベトナム・カンボジアの旅(3)・・・バッチャン焼きとバッチャン通り

2014-12-02 | 旅の写真

◇ バッチャン焼き

旅の3日目。昨日、来た同じ道を戻ります。そしてハノイから10Km離れたバッチャン村に立ち寄ることに。
              
陶器の村として有名なバッチャンは、15世紀頃から陶器の製造が始まったといわれています。
現在は、窯にはガスを使用しているので1800度と高温になり、堅い焼き物が出来るといいます。
外国人観光客に人気があり、年々工房や店が増えているとのこと。工房は100軒ほどあるといいます。

もちろん、この焼き物は、ホーチミン市をはじめベトナム全土に行き渡っているようです。

写真は周辺の街の様子。白地に紺の大きな花瓶をはじめ人形、小物はコーヒーカップなどいろいろと並んでいます。

 私たちの入った店の三階では絵づけの実演をしている女性がいました。とても細かな仕事です。

購入したバッチャン焼きの鍋敷き。一度落としましたが、カチンという音がして割れませんでした。

ポピュラーなコーヒー茶碗。後ろはホテイアオイの茎で編んだ籠。

買い物をすると、一つの買い物につきつ、一つホテイアオイの茎で編んだ籠をつけてくれます。
ホテイアオイは金魚鉢などに入れる水草。繁殖力が強い植物です。後日、メコン川クルーズの時に川面に
ぷかぷとたくさん浮かんでいました。ベトナムらしい物入れです。

5つ買ったら1ヶおまけしてくた小鉢。 西欧の有名陶器と比べて値段が手頃なのも良いところです。裏にはきちんとマークがついています。

◇ バッチャン通り

ハノイのYen Phu通(幅員40mほどの幹線道路)にはホン河(紅河)側の壁面に描かれる長大なモザイク壁画があります。
これらはバッチャン村の陶器で作られていて延長は約5Km。ハノイ遷都100年を記念して、2007年から2010年にかけ 作られました。
 世界最長のモザイク壁画としてギネスブックに登録されています。バスの中から撮影してみました。ハノイの歴史が描かれて
 いるとのことですが、必ずしもそうとばかり、いえないようです。

 

詳しくは、「めいすいの海外旅日記・・・アンコールワットとベトナム2都市 第3日 バッチャン焼き」をご覧下さい。


ベトナム・カンボジアの旅(2)・・・海の桂林、「ハロン湾」の風景

2014-11-30 | 旅の写真

ベトナムきっての景勝地、世界遺産「ハロン湾」のクルーズに出発です。
面積1500平方キロメートルのハロン湾には2000もの大小の石灰岩の奇岩がにょきにょきと立っています。      

ハロン湾には500隻もの観光船があります。日帰りのクルーズがメインですが、中には湾内で1~2泊、出来る船もあるようです。

ハロン湾で最も有名な「香炉島」、ベトナム20万ドン札の裏側にも印刷されています。

この幻想的な風景は「海の桂林」といわれています。ハロンとは「ハ=降りる」、「ロン=竜」の意味。

昔、中国の侵入に悩まされていた、この地に竜の親子が舞い降り、敵を打ち破って口から宝石吹き出した。それが奇岩になり
外敵を防ぐようになったという伝説があります。実際、元の侵攻の際にも軍事的に利用されたようです。

夕暮れが近くなり、海面に光が反射して、きらきら光っていました。       

広い海面でしたが投網をしていた漁師がいました。漁船は、この時間にはあまり見かけませんでした。

こちらもハロン湾を代表する「闘鶏岩」。雄と雌の子犬が見る場所により離れたりキスをしているように見えます。

夕日が少しづつ沈んで、さらに幻想的な雰囲気になってきました。

夕日がハロン湾に沈んでいく様子は本当に美しく見えました。

詳しくは めいすいの海外旅日記「アンコールワットとベトナム2都市(ハノイ、ホーチミン)第2日 ハロン湾」 をご覧ください。


ベトナム・カンボジアの旅(1)・・・アオザイ姿のハノイの女子大生

2014-11-28 | 旅の写真

東京からハノイまでベトナム航空の直通便で6時間30分。最初に訪れたのは世界遺産(文化遺産)のタンロン遺跡。
この日、タンロン城正門(端門)前の芝生の大きな広場に大学生が多数集まっていました。一体何のためと聞くと、卒業式の先取り撮影
だといいます。卒業は7月なのに、なぜ今この時期に?
6月、7月の頃は気温が40度近くになり、写真どころではない。今が一番いい季候なのだとのこと。とはいえ気温は20度の後半。

ベトナムの女性は小柄で細身、アオザイがとてもよく似合います。昔は白が主体だったようですが、最近はカラフルになっているとのこと。

アオザイは1枚、1枚が注文服になっているとのこと。写真を見ると動きにくいので、皆さん裾を縛っていますね。皺にならないのかと心配
です。

詳しくは めいすいの海外旅日記「アンコールワットとベトナム2都市(ハノイ、ホーチミン)第1日 ハノイ市内観光」 をご覧ください。


ベトナム・カンボジア旅行に出発

2014-11-19 | 旅の写真

明日の早朝、成田からベトナムに出発し、ハノイ、ハロン湾、アンコールワット(カンボジア)、ホーチミンと7日間の旅をします。
現地はちょうど乾期に入ったところなので、良い天気の日が続くといいのですが・・・・。
世界遺産で、海の桂林と呼ばれるハロン湾そして人気の高いアンコールワットの遺跡などの見学、どんな旅になるのでしょうか。
また、おいしいといわれるベトナム料理。特に本場のライスペーパーは、どんな感じ?
旅から戻ったら、何回かに分けて連載するつもりです。


東北の紅葉を巡る旅(4)・・・白神山地

2014-10-28 | 旅の写真

宿泊したホテルを朝8時に出発、岩木山やたくさんのりんご園を見ながら、白神山地を目指しバスは走ります。

白神山地は、人為的な影響をほとんど受けることなく広がる、世界的な規模のブナ林の原生林で面積は16.93ha。
1993年に世界遺産(自然遺産)に日本で初めて登録されました。流れている川は岩木川、この辺りは上流です。

ブナの木は、水分の多い湿地などには自生しません。成長は遅く直径30cm程度になるのに100年はかかるようです。

これは一年目のブナの木。

ブナの木の密集地では、背が高く細い木が多い。下の方の枝は自らおとすとのこと。ブナの木も生存競争がたいへんです。

岩木川対岸のブナ林。ちょうど紅葉の盛りを迎えていました。散策コースには桂などの木もあり、甘い香りが漂っていました。

 白神山地の名勝地は、「暗門の滝」と呼ばれる三つの滝。これは第三の滝。

これは第2の滝、狭い沢に沿ってある険しく、狭い桟道を登っていきます。

人がすれ違うことのできないところもありお互い譲り合わねばなりません。

 第一の滝への桟道は、今年の台風19号で橋が流されてしまい不通になっていましたが、この日の直前に通れるようになったとのこと。

3つの滝の中で一番大きい滝でした。通常は下流の第三の滝までなのですが、第一の滝まで見れたのは幸運でした。

「曲り淵」と呼ばれる景勝地。

ヤマモミジの木。黄色の葉に一部赤い葉が混じっていて、なかなか綺麗でした。

帰りは岩木川に沿って歩きます。紅葉のシーズンの土曜日なので人が多く来ていました。


東北の紅葉を巡る旅(3)・・・八甲田

2014-10-27 | 旅の写真

奥入瀬渓流の散策をした後、1時間ほどで八甲田ロープウェイへ。山麓駅から山頂駅に向かいます。

15時40分に乗り10分で山頂駅に到着。

頂上駅に着いてからは、30分ほどの散策コースを歩きました。ここから八甲田の湿原を見ることができました。
30年以上前に、この湿原を通り八甲田の主峰である大岳に登ったことを思い出しました。

帰りは、16時20分発で下りました。日も落ち始めてきました。

 山麓駅に着いたら夕日に紅葉が映えて真っ赤になっていました。
 この後、次の観光目的である白神山地に向かいました。ナクア白神ホテルに着いたのは午後6時半、辺りは暗くなっていました。


東北の紅葉を巡.る旅(2)・・・十和田湖、奥入瀬渓流

2014-10-27 | 旅の写真

朝八時に八幡平リゾートホテルを出発し一路、十和田湖に向かいました。発荷峠に立ち寄り、展望台から十和田湖の全景を眺めます。

発荷峠の展望台から見た、十和田湖のパノラマ。
十和田湖は、周囲:約44Km、面積:約59.8Km、水深:334m、標高:400m、透明度:18m です。

 

十和田湖の湖面の高さまで下ると、紅葉が見事でした。

十和田湖の名所である「乙女の像」(高村光太郎作)、裸婦像ですがモデルは詩集「智恵子抄」で有名な奥さんの智恵子ということです。
台座は智恵子の故郷である福島産の御影石で最近新調したようです。

十和田湖の観光の後は、奥入瀬の渓流を歩きました。スタートは「銚子大滝」から、本流にある滝はここだけです。
鱒などは、この滝を登れないので「魚止めの滝」とも呼ばれます。

黃色の紅葉が中心で、赤い色の紅葉は時期的に少なくなっていました。

テレビ放送で有名になったという、苔むしたテープルと椅子。

 流れの激しいため、「阿修羅の流れ」と呼ばれている箇所。奥入瀬の渓流らしいところです。


東北の紅葉を巡る旅(1)・・・八幡平

2014-10-26 | 旅の写真

10月の23日から2泊3日で、東北紅葉を巡るツァーに出かけました。3日ともほぼ快晴と天気に恵まれました。
東北新幹線で盛岡まで、そこからバスで回ります。最初の、訪問地は八幡平。

まずは、日本百名山の1つ八幡平(標高1613m)へ。百名山の中でも最も容易に登れる山の一つといえるでしょう。しかし展望は一流。
右側の階段を上ると展望台があります。

美しい岩手山(2038m)の姿が間近に見られます。こちらも日本百名山。

同じく展望台から、岩木山(1625m)が見えました。写真の中央。「ええっ どこ」といった感じです。頂上にすこし雲がかかっているようです。
こちらも日本百名山。今回の旅では翌々日に岩木山を間近に見ることが出来ました。八幡平から岩木山までは直線距離で90Kmです。

八幡平には良く整備された湿原や沼を巡るハイキングコースがあります。
歩いたコースは、バス停八幡平→八幡平頂上→八幡沼→源太沼→見返り峠→バス停八幡平。のんびり歩いて2時間弱でした。

八幡平は、高山植物の宝庫。7月下旬から8月下旬が最盛期。9月にはリンドウが咲きます。紅葉は10月上旬。

ガマ沼、この沼には多数の火口の後があるということです。後ろは岩手山。

八幡沼の展望台からのパノラマ。この沼にも多数の火口の連なりがあります。この沼を一周しました。左手に見える小屋は陵雲荘。WCあり。

湿原の木道を黙々と歩いて行きます。

湿原内には、池塘が点在します。

これが猛毒のトリカブトだとガイドさんが説明してくれました。
キンポウゲ科の多年草。沖縄県を除く全国に分布します。根子の部分に毒性の強いアルカロイド系アコチニンを含み致死量は
耳掻き一杯程度。花の形が、「鳥が兜」をかぶったように見えることから、この名がつきました。

1986年に週刊誌を騒がせた「トリカブト保険金殺人事件」が発生しています。怖いですね。

出発地点のバス停八幡平に戻ってきたら、はるか彼方に鳥海山(2236m)が見えました。八幡平から鳥海山までは直線距離で120Km。
「こんなにきれいに見えることは、めったに無い、それだけ今日は天気が良い」とガイドさんが力説していました。
鳥海山ももちろん日本百名山。素晴らしい山容ですね。

八幡平の爆裂火口群。このすぐ下に「八幡平の秘湯」が拡がっていて、夜は満点の星の露天風呂が楽しめる
そうです。今時、混浴とのこと。

八幡平の頂上付近は10月上旬から中旬に紅葉が終わってしまったようですが、麓は紅葉の盛りでした。
写真は宿泊した「八幡平リゾートホテル」のテラスから。後方は岩手山。

ホテルに飾られていた「安代リンドウ」。八幡市はリンドウの生産では日本一。「八幡平ブランド」ということです。