めいすいの写真日記

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東北の紅葉を巡る旅(番外編)・・・盛岡冷麺

2014-10-28 | 外での食べ物

東北の紅葉を巡る旅も終わり、午後5時少し前に盛岡に戻ってきました。新幹線の発車の時間には、少し間があるので、
盛岡冷麺を食べてみることにしました。
盛楼閣(盛岡市盛岡駅前通り15-5 ワールドインGENプラザ2階 019-654-8752)という焼肉店へ。
自家製のキムチと手練り麺が評判のお店です。たしかに麺にはコシと弾力があります。キムチのほかに
ゆで卵の上にゴマ、牛筋、りんごの切り身が入っていました。

盛楼閣の入り口。

 入り口の前には青磁の置物などが飾ってあり、目を引きました。


東北の紅葉を巡る旅(4)・・・白神山地

2014-10-28 | 旅の写真

宿泊したホテルを朝8時に出発、岩木山やたくさんのりんご園を見ながら、白神山地を目指しバスは走ります。

白神山地は、人為的な影響をほとんど受けることなく広がる、世界的な規模のブナ林の原生林で面積は16.93ha。
1993年に世界遺産(自然遺産)に日本で初めて登録されました。流れている川は岩木川、この辺りは上流です。

ブナの木は、水分の多い湿地などには自生しません。成長は遅く直径30cm程度になるのに100年はかかるようです。

これは一年目のブナの木。

ブナの木の密集地では、背が高く細い木が多い。下の方の枝は自らおとすとのこと。ブナの木も生存競争がたいへんです。

岩木川対岸のブナ林。ちょうど紅葉の盛りを迎えていました。散策コースには桂などの木もあり、甘い香りが漂っていました。

 白神山地の名勝地は、「暗門の滝」と呼ばれる三つの滝。これは第三の滝。

これは第2の滝、狭い沢に沿ってある険しく、狭い桟道を登っていきます。

人がすれ違うことのできないところもありお互い譲り合わねばなりません。

 第一の滝への桟道は、今年の台風19号で橋が流されてしまい不通になっていましたが、この日の直前に通れるようになったとのこと。

3つの滝の中で一番大きい滝でした。通常は下流の第三の滝までなのですが、第一の滝まで見れたのは幸運でした。

「曲り淵」と呼ばれる景勝地。

ヤマモミジの木。黄色の葉に一部赤い葉が混じっていて、なかなか綺麗でした。

帰りは岩木川に沿って歩きます。紅葉のシーズンの土曜日なので人が多く来ていました。


東北の紅葉を巡る旅(3)・・・八甲田

2014-10-27 | 旅の写真

奥入瀬渓流の散策をした後、1時間ほどで八甲田ロープウェイへ。山麓駅から山頂駅に向かいます。

15時40分に乗り10分で山頂駅に到着。

頂上駅に着いてからは、30分ほどの散策コースを歩きました。ここから八甲田の湿原を見ることができました。
30年以上前に、この湿原を通り八甲田の主峰である大岳に登ったことを思い出しました。

帰りは、16時20分発で下りました。日も落ち始めてきました。

 山麓駅に着いたら夕日に紅葉が映えて真っ赤になっていました。
 この後、次の観光目的である白神山地に向かいました。ナクア白神ホテルに着いたのは午後6時半、辺りは暗くなっていました。


東北の紅葉を巡.る旅(2)・・・十和田湖、奥入瀬渓流

2014-10-27 | 旅の写真

朝八時に八幡平リゾートホテルを出発し一路、十和田湖に向かいました。発荷峠に立ち寄り、展望台から十和田湖の全景を眺めます。

発荷峠の展望台から見た、十和田湖のパノラマ。
十和田湖は、周囲:約44Km、面積:約59.8Km、水深:334m、標高:400m、透明度:18m です。

 

十和田湖の湖面の高さまで下ると、紅葉が見事でした。

十和田湖の名所である「乙女の像」(高村光太郎作)、裸婦像ですがモデルは詩集「智恵子抄」で有名な奥さんの智恵子ということです。
台座は智恵子の故郷である福島産の御影石で最近新調したようです。

十和田湖の観光の後は、奥入瀬の渓流を歩きました。スタートは「銚子大滝」から、本流にある滝はここだけです。
鱒などは、この滝を登れないので「魚止めの滝」とも呼ばれます。

黃色の紅葉が中心で、赤い色の紅葉は時期的に少なくなっていました。

テレビ放送で有名になったという、苔むしたテープルと椅子。

 流れの激しいため、「阿修羅の流れ」と呼ばれている箇所。奥入瀬の渓流らしいところです。


東北の紅葉を巡る旅(1)・・・八幡平

2014-10-26 | 旅の写真

10月の23日から2泊3日で、東北紅葉を巡るツァーに出かけました。3日ともほぼ快晴と天気に恵まれました。
東北新幹線で盛岡まで、そこからバスで回ります。最初の、訪問地は八幡平。

まずは、日本百名山の1つ八幡平(標高1613m)へ。百名山の中でも最も容易に登れる山の一つといえるでしょう。しかし展望は一流。
右側の階段を上ると展望台があります。

美しい岩手山(2038m)の姿が間近に見られます。こちらも日本百名山。

同じく展望台から、岩木山(1625m)が見えました。写真の中央。「ええっ どこ」といった感じです。頂上にすこし雲がかかっているようです。
こちらも日本百名山。今回の旅では翌々日に岩木山を間近に見ることが出来ました。八幡平から岩木山までは直線距離で90Kmです。

八幡平には良く整備された湿原や沼を巡るハイキングコースがあります。
歩いたコースは、バス停八幡平→八幡平頂上→八幡沼→源太沼→見返り峠→バス停八幡平。のんびり歩いて2時間弱でした。

八幡平は、高山植物の宝庫。7月下旬から8月下旬が最盛期。9月にはリンドウが咲きます。紅葉は10月上旬。

ガマ沼、この沼には多数の火口の後があるということです。後ろは岩手山。

八幡沼の展望台からのパノラマ。この沼にも多数の火口の連なりがあります。この沼を一周しました。左手に見える小屋は陵雲荘。WCあり。

湿原の木道を黙々と歩いて行きます。

湿原内には、池塘が点在します。

これが猛毒のトリカブトだとガイドさんが説明してくれました。
キンポウゲ科の多年草。沖縄県を除く全国に分布します。根子の部分に毒性の強いアルカロイド系アコチニンを含み致死量は
耳掻き一杯程度。花の形が、「鳥が兜」をかぶったように見えることから、この名がつきました。

1986年に週刊誌を騒がせた「トリカブト保険金殺人事件」が発生しています。怖いですね。

出発地点のバス停八幡平に戻ってきたら、はるか彼方に鳥海山(2236m)が見えました。八幡平から鳥海山までは直線距離で120Km。
「こんなにきれいに見えることは、めったに無い、それだけ今日は天気が良い」とガイドさんが力説していました。
鳥海山ももちろん日本百名山。素晴らしい山容ですね。

八幡平の爆裂火口群。このすぐ下に「八幡平の秘湯」が拡がっていて、夜は満点の星の露天風呂が楽しめる
そうです。今時、混浴とのこと。

八幡平の頂上付近は10月上旬から中旬に紅葉が終わってしまったようですが、麓は紅葉の盛りでした。
写真は宿泊した「八幡平リゾートホテル」のテラスから。後方は岩手山。

ホテルに飾られていた「安代リンドウ」。八幡市はリンドウの生産では日本一。「八幡平ブランド」ということです。


枕草子(3)・・・100分de名著

2014-10-21 | 読書

NHKのEテレで放映されている「枕草子・・・100分de名著」の3回目を前回に続き書くことにします。表題は現代に生きる清少納言?

第3回 マナーのない人、ある人

マナーに欠ける人」については、第26段の「にくきもの」に列挙されています。字数にして1700字にも及びます。
なお、「にくい」ということばは、現代語では相手に何か害を与えてやりたいというように攻撃性のある言葉ですが、
平安時代は「気に入らない」「しゃくに障る」くらいの意味で自分自身の中に止まる感情です。

1.マナーの無い人

第26段の中から、ごく数カ所。

第26段 にくきもの
にくきもの。急ぐことあるをりに来て、長言(ながこと)するまらうど。あなづりやすき人ならば、「のちに」とてもやりつべけれど、
さすがに心はづかしき人、いとにくくむつかし。

憎らしいもの。急ぎの用事がある時に来て長話をする客。それがどうでもいいような人なら、「あとでまた」と言ってでも帰すこともできるが、
さすがに遠慮すべき立派な人にはそうもできず、ほんとうに憎らしく不愉快だ。

なでふことなき人の、笑(ゑ)がちにて物いたう言ひたる。火桶の火、炭櫃などに、手のうらうち返しうち返し、押しのべなどして
あぶりをる者。いつか若やかなる人など、さはしたりし。老いばみたる者こそ、火をけの端(はた)に足をさへもたげて、物言ふままに
おしすりなどはすらめ。

大した人でもないのに、にやにや笑いながらやたらとしゃべりまくっているとき。丸火 鉢の火や、炭櫃などに、かざした手のひらをしきりに
ひっくり返し、しわを伸ばしながらあぶっている者。若々しい人が、いつそんなことをしただろうか。年寄 りじみた者に限って、丸火鉢の縁に
足までかけて、ぶつぶつ言いながら足をこすったりするようだ。

また、酒飲みてあめき、口をさぐり、髭ある者はそれを撫で、盃(さかづき)こと人に取らするほどのけしき、いみじう憎しと見ゆ。
また、「飲め」と言ふなるべし。身震ひをし、頭(かしら)振り、口わきをさへひきたれて、童(わらは)べの「こふ殿(との)に参りて」
など歌ふやうにする、それはしも、まことによき人のしたまひしを見しかば、心づきなしと思ふなり。

また、酒を飲んでわめき、口の辺りをこすり、ひげのある者はそれを撫で、盃を他人に取 らせるときのようすは、とても憎らしく見える。
また、「飲め」ということか、身震いをし、頭を振り、口までへの字に曲げて、子どもが「守殿にお伺いして」な どと歌うような格好をする。
それが、本当に身分の高い立派な方がなさったのを見たので、ああいやだと思ったわ。

わが知る人にてある人の、はやう見し女のこと、ほめ言ひ出でなどするも、ほど経たることなれど、なほにくし。
まして、さしあたりたらむこそ思ひやらるれ。されど、なかなかさしもあらぬなどもありかし。

自分と深い仲になっているのに、前に親しくした女性のことを褒める男、やっぱりしゃくに障る。モトカノのことなんて
褒めたりしないでよ。でも、嫉妬の心がわかず、「にくし」と思わない場合もある。

終わりの部分、無理に断定しないところが清少納言のよいところ?

第26段の最後
あけていで入る所、たてぬ人、いと憎し。

開けて出たり入ったりするところの戸を閉めない人は許せない。寒いときなんか風がビュービュー入ってくるんだから。

しつけの出来ていない親子

第146段 ひとばへするもの
  人ばへするもの。ことなることなき人の子の、さすがにかなしうしならはしたる。しわぶき。はづかしき人に物言はむとするに、先に立つ。
  あなたこなたに住む人の子の、四つ五つなるは、あやにくだちて、物取り散らしそこなふを、引きはられ、制せられて、心のままに
もえあらぬが、親のきたるに所得て、「あれ見せよ。やや、はは」など引きゆるがすに、大人と物言ふとて、ふと聞きいれねば、手づから
引きさがし出でて、見さわぐこそ、いとにくけれ。 それを、「まな」とも取り隠さで、「さなせそ、そこなふな」などばかり、うち笑みて言ふこそ、
親もにくけれ。われはた、えはしたなうも言はで見るこそ、心もとなけれ。 

 人が傍にいると調子づくもの。とくにこれと言ったこともない子で、それでも可愛いと甘やかしている様子。
 咳、こちらが恥ずかしいほど立派な人に何か言おうとするとき、咳が先に立つ。
 近所に住む子で、四、五歳位なのは、イタズラ盛りの困ったもので、ものを散らかしたら壊したりする。それを引っ張って止めていると、
思うようにいたずらも出来ずにいるのが、母親が来たのに勢いを得て、「あれ見せてよ、ねぇ、お母さんたら」などといってはは親の体を
引っ張って揺すぶる。けれど、母親の方は、大人相手のおしゃべりに夢中で、子供のいうことなどはすぐには聞き入れない。すると子供は、
勝手に自分の手で探して引っ張り出してきてひろげて騒いでいるのは、ほんとに癪に障る。それを親は、「だめよ!」と言って取り下げも
しない。「そんなことしないでちょうだいな」とか「壊さないでね」なんていう程度に笑顔で言うにいたっては、母親まで憎らしい。

清少納言の筆は冴え渡り、現代に生きる私達にも思い当たることが多く。自分もこんなことをしたかなと反省したくなるエチケット集であります。

2.清少納言の説くマナーのある人

  第29段 心ゆくもの
 つれづれなる折に、いとあまりむつまじくもあらぬ客人の来て、世の中の物語このごろある事の、をかしきも、にくきも、
あやしきも、これかれにかかりて、おほやけわたくしおぼつかなからず、聞きよきほどに語りたる、いと心ゆく心地す。

 神寺などに詣でて物申さするに、寺は法師、社は禰宜などの、暗からず、さはやかに、思ふほどにもすぎてとどこほらず聞き
よく申したる。

 何もすることがなく退屈な時に、それほど親しく付き合っているわけではない客が着て、世間話をし、近ごろ起こった面白い話や奇妙な
話など、あれこれ話題豊富に話をする。宮中のことでも家庭の私事でも、すこぶる事情に通じていて、しかも聞きにくくなくさらりと話して
くれたのは「ああいい気持ち」と満足感を憶えるわ。 

 神社やお寺などに行って、祈願をしてもらうときに、お寺では法師、神社では禰宜などが、自分の言ったことをよく呑み込んで、明快に
流暢に、こちらの予想以上に、よどみなく聞きよく願いを申し述べてくれた時、胸がすうっとするような気がするの。 

 第247段 たのもしきもの
 心地などのむずかしきころ、まことまことしき思ひ人の、言ひなぐさめたる。

 気持ちがすぐれないときに、本当に誠実で、愛する人が、話をしながら慰めてくれるのは、頼もしく感じるわ。

 第251段 よろずのことよりも情けあることこそ
 よろづのことよりも情けあるこそ、男はさらなり、女もめでたくおぼゆれ。なげのことばなれど、せちに心に深く入らねど、
いとほしきことをば「いとほし」と も、あはれなるをば「げにいかに思ふらむ」などいひけるを、伝へて聞きたるは、さしむかひて
言ふよりもうれし。いかでこの人に、思ひ知りけりとも見えにし がな、と常にこそおぼゆれ。

 数々のことよりも思いやりがあることは、男は言うまでもなくて、女でも魅力的に感じるわ。
 何でもない言葉だけれど、心底そう思い込んでいるというわけでなくても。気の毒なことには「お気の毒に」とも言い、
かわいそうなことには、「ほんとにどんなにかおつらいでしょう」などと言ってくれたということを、人づてに聞くのは、面と向かって言われた
のよりも、うれしいわね。

 第281段 陰陽師のもとなる小童べこそ
陰陽師のもとなる小童べこそ、いみじう物は知りたれ。祓などしに出でたれば、祭文などよむを、人はなほこそ聞け、ちうと立ち
走りて、「酒、水、いかけさせよ」とも言はぬに、しありくさまの、例知り、いささか主に物言はせぬこそ、うらやましけれ。
さらむものがな使はむ、とこそおぼゆれ。

 陰陽師のもとで使われている小さな子供達ときたら、何でもよく心得ている。陰陽師と祓えなどしに出かけると、主人の陰陽師が
祭文などを読むのを、多の人はただぼんやりと聞いているのだけれど、その子供はすばやく走り回って、陰陽師が「酒、水を注ぎ
かけなさい」とも言わないうちに、やってのけてまわる様子がいかにも作法をわきまえている。少しも主人に余計な口を利かさせ
ないで済ませるところが全くうらやましい。 このような者がいればねえ、使いたいと思いますよ。

でも、平安時代でなくても、現代でも、これだけの子供はなかなかいないでしょう。主人の望むことを先読みすることが出来るのは
もちろん能力があるということです。

 以上、少し多くなりましたが、私が興味を惹かれた内容を載せてみました。


晩秋の秋桜(コスモス)・・・ 2014

2014-10-18 | 

埼玉県志木市の新河岸川の「袋橋」~「いろは橋」間の堤防道路は「コスモス街道」と呼ばれています。

2010年に同じテーマで載せたときは、11月10日でした。ですから、まだまだ秋桜は咲き続けるようです。
ただ、堤防道路を散策する人の中には、「もうコスモスも終わりだわねー」と言っていました。今が盛りなのかも知れないのに・・・・。

黄色の秋桜も数は少ないですが可憐です。

小さな蜂が蜜を吸っていました。

「めいすいの写真日記 晩秋の秋桜(コスモス)・・・2010」


枕草子(2)・・・100分de名著

2014-10-14 | 読書

NHKのEテレで放映されている「枕草子・・・100分de名著」の2回目を前回に続き書くことにします。

第2回 魅力的な男とは?女とは?

 平安時代の貴族の結婚形態は「一夫一婦多妾制」で、法律的な妻は一人ですが、多くの妾妻を持つことが認められていました。
当時の貴族達は、自由に恋愛を楽しむことが許されていたようです。
  もう一つは「通い婚」、男性が女性の家に通う。男性は11時頃までに女性の家に行き、3時から5時ころの間の暗いうちに家に帰る。
誰のところに行ったか分からないようにするためとのことです。
 「枕草子」が書かれた時代、特に貴族社会では、現代と風習がかなり異なっていたことは確かなのですが、書かれていることは今なお
普遍的なことが多いのは、古典ならではと言えます。

 清少納言が描く魅力的な男

①イケメン


  第31段 「説教の講師は」

説教の講師は、顔良き。講師の顔をつとまもらへたるこそ、その説くことのたふとさもおぼゆれ。ひがめしつれば、ふと忘るるに、
にくげなるは、罪や得らむとおぼゆ。このことはとどむべし。すこし年などのよろしきほどは、かやうの罪得方のことは書き出でけめ、
今は罪、いとおそろし。

「説教してくれるお坊さんは、やっぱり顔がよくなちゃ。美男のお坊さんの顔をじっと見つめていてこそ、説教のありがたみもあるというものよ。
顔が良くないとついよそ見をしてしまう。そうすると説教の内容なんかたちまち忘れちゃうから、顔の悪いお坊さんの話、不信心の罪を犯す
ことになるのでは、と心配になるわ。
でも、、もうこの話は止めるわ。だって私の年じゃあ、来世の罪が恐ろしいもの!」

当時は、仏教への信仰心は現在とは比べものにならないくらい重要なことだったはずですが、こうしたことを大胆に言い切るのは、清少納言の
面目躍如たるところ。若い女性には、喝采を受けたことでしょう。

②ファッションセンス

第79段 返る年の二月二十余日
桜の綾の直衣の、いみじうはなばなと、裏のつやなど、えも言わずきよらなるに、葡萄染のいと濃き指貫、藤の折枝おどろおどろしく
織り乱りて、紅の色、打目など、かがやくばかりぞみゆる。白き薄色など下にあまた重なりたり。せばき縁に、片つ方は下ながら、すこし
簾のもと近う寄りゐたまへるぞ、まことに絵にかき、物語のめでたき事に言ひたる、これにこそはとぞ見えたる。

 頭中将の斉信は、全体を赤系のグラデーションでまとめ上げています。上には、全体として桜の花びらのようなピンクに見える直衣を
着ている。直衣の下からは光沢のある紅の下着が、シャツ出しルック風にみえている。下半身には、藤の折枝模様を織り込んである
赤紫の色濃い指貫、後には、白や薄紫色の裾が長くたなびいている。
 ピンク、紅、赤紫、薄紫と、赤系の濃淡で衣装をまとめています。それを際立たせるように、白も配色してあります。何とも派手な
衣装です。しかも、すべて絹ですから、色彩が派手なだけでなく光沢もある。斉信の姿は、まるでオーラが出ているように
まばゆかったに違いありません。なんてステキなファションのうえにポーズもきまっています。

平安時代の貴族の男性の服装が、こんなにも鮮やかであったなんて思ってもみませんでした。女性は十二単の美しい衣装
という話を聞いてはいましたが・・・・。それだけ、財力もあったということでしょう。
それと第1回の時も触れましたが、この素敵な男性は清少納言の恋人なのです。さすがですね。

③逢瀬の余韻を大切にする

第182段 好き好きしくて人かず見る人の
好き好きしくて人かず見る人の、夜はいずくにかありつらむ。暁に帰りて、やがて起きたる、ねぶたげなるけしきなれど硯取り寄せて、
墨こまやかに押し磨りて、事なしびに、筆にまかせてなどはあらず、心とどめて書くまひろ゛に姿もをかしきみゆ。

色好みで、多くの女性と関わりを持つ人は、夜はいったい、どこに行っているのだろうか。暁に帰えって、そのまま起きている、
眠たそうな様子だけれども、墨を念入りに押し磨って、おざなりではなく、筆任せでもなく、心込めて書いている姿は面白く見える。

女性の家から自宅に帰った男性は、すぐに「後朝(きぬぎぬ)の文(ふみ)」(逢瀬の翌朝の手紙)と呼ばれる手紙を書かなければなりません。
「昨夜は楽しかったね」「昨夜のあの話はこうゆうことだったのかな」など逢瀬の余韻を楽しみながら、心のこもった手紙を女性に出すわけです。

通い婚というのは、常に恋人同士でいるという感覚なのでしょうから、香を身にまとい、見栄えのする衣装を着て、翌朝には心のこもった
手紙を送る。考えによっては、昔のモテモテの貴族は、今よりは相当な努力をしていたと考えられます。


「うなぎ藤田」 浜松市

2014-10-12 | 外での食べ物

大阪の親戚で祝い事があり、帰り道に浜松に寄り「うなぎ 藤田」(浜松市中区小豆餅3-21-12 TEL053-438-1515)で昼食を取りました。
養鰻のメッカである浜松。100軒以上のうなぎ店がひしめく「うなぎ王国」です。
「藤田」は曾祖父が「うなぎの行商」、祖父が「養鰻場経営」、先代が「秘伝のたれ」を作ったという老舗で、今は4代目。

私は「うなぎ茶漬け」(3510円、税込み)を頼んでみました。「鰻丼」と「茶漬」の両方が楽しめるようになっています。
薬味は右から「胡麻とみつば」、「きざみ海苔」、「ねぎとわさび」、「たれ」。
まずは、ご飯を半分ほど茶碗に移し、丼のほうに「たれ」をかけ、鰻を載せて「鰻丼」にして食べました。

じっくりと蒸すという「深蒸し」でソフトな口当たりです。

「うなぎの茶漬け」は話には聞いたことがありますが、食べるのは初めてです。
はじめに「胡麻と三つ葉」に海苔を掛けて食べ、次に「ねぎとわさび」で食べ2種類の味を楽しみました。
「ねぎとわさび」の方が私には美味しく感じられました。

女房は、「鰻重(川)2700円税込み」を頼みました。


赤い月・・・皆既月食

2014-10-08 | 自然の風景

3年ぶりとなる「皆既月食」。今回は、天気も良く、「皆既月食」の赤い月を見ることが出来ました。
午後7時24分頃から月が完全に隠れ、1時間くらい赤みを帯びた月が夜空に浮かぶということです。
この写真は、7時41分に撮りました。

PENTAX K3 s=0.3sec f=6.3 ISO=1600 露出補正-3.0 レンズ焦点距離300mm 三脚使用

この写真は6時53分頃の部分月食。


台風18号・・・志木市では

2014-10-06 | 自然の風景

大型で強い台風18号が我が家に接近しそう、上陸時の気圧が955hPaで史上最大級という予想にちょっと心配しました。
瞬間最大風速が40mも吹くと大きな木の枝が折れて落下するおそれがあるからです。

でも、予想よりも南側を通過してくれて心配していた強風はほとんど吹かず影響はほとんど無くてすみました。
私の家は、近くを流れる新河岸川からは、高い位置にあるので水害の心配は無いのですが、どれだけ増水するかは気がかりです。
右側の施設が、国土交通省のテレメータ水位観測所(志木市本町地先)。11時45分撮影。

国土交通相の「川の防災情報」を調べてみたら、台風18号の総雨量は200mmを超えたので、ずいぶんと降りました。

新河岸川の水位も、平時よりは3mほど上がりました。


枕草子(1)・・・100分de名著

2014-10-03 | 読書

秋も深まってきました。「読書の秋」です。私は、最近Eテレの番組「100分de名著」のテキストを買って良く見ています。
10月は「枕草子」ということで、小学館の日本古典文学全集の「枕草子」を注文し、しっかりと読んでみることにしました。
初めて知ったことですが、枕草子は300段ほどの大部の書物だということは驚きでした。
また、50年以上も前に使った高校一年の国語の教科書(角川書店)には、枕草子が掲載されていました。
高校時代の国語の教科書だけは、しまってあったのです。、調べてみたら、とりわけ有名な第1段の「四季の興」として

「春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎわ、すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる・・・・」 は当然のことながら載っています。

当時余りにも表現が新鮮だったので、知らず知らずに暗記し、今でも口ずさむことが出来るほどです。それは誰にでも言えることでしょう。
他に、教科書には第7段の「翁丸」第23段の「すさまじきもの」が載っていました。第一段以外にも載っていたんですね。
読み返してみると、ああ、このような内容かとわずかに憶えていましたが、第一段とは明らかに記憶の内容がうっすらとしていました。

そんなことから、この古典の水先案内人となってくれる講師の山口先生から「枕草子」の魅力をもっと味わってみることにしました。
1回から4回まで、25分ごとの講義の内容について、感想をこれから、この欄に追加しながら、書いていこうと思います。

第1回 鮮烈な情景描写

 第1段の「春はあけぼの」、清少納言が瞬時に鮮やかに切り取った、斬新な情景です。ここでは私が使った国語の教科書では、なじみの
ない段の説明から感銘を受けたものを書いてみますが、いかに研ぎ澄まされた五感を駆使した描写力であったかと驚きます。

 第280段 「香炉峰の雪」
 雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子まゐりて、炭櫃に火おこして、物語などしてあつまりさぶらふに、「少納言よ。香炉峰の雪
いかならむ」と仰せらるれば御格子揚げさせて、御簾を高く上げたれば、笑わせたまふ。
 人々も「さる事は知り、歌などにさへうたへど、思ひこそよらざりつれ。なほこの宮の人にはさべきなめり」と言ふ。                   
  一条天皇の皇后である定子(藤原道隆の子)は才色兼備で、和歌、漢詩などに通じ宮中サロンを見事な手腕で運営していました。
 定子の17歳の時に、その女房として使えたのが10歳ほど年上の清少納言、こちらも父親が清原元輔で勅撰和歌集に100首も
選ばれている和歌の世界のスーバースターの子。その血を継ぎ教養豊で文才はあった訳です。でも、和歌はあまり得意でなかった
ようで韻文型でなく、散文型の人だったようですが・・・。
 定子と清少納言の運命的な出会いにより「枕草子」は書かれたと言われていますが、清少納言が白居易の詩「香炉峰の雪は簾を
かかげて看る」と理解し、機転を利かせて、定子の要望を叶えるという下りは二人ともが中国の古典に精通しあうんの呼吸だったと
知ることが出来ます。

 第216段 「月のいと明きに」
  月のいと明きに、川をわたれば、牛の歩むままに、水晶などの割れたるやうに、水の散りたるこそをかしけれ。
  牛車で月の夜、川を渡るときに、飛び散る水が、水晶が割れて飛び散るように見える。というのは、そのきらきらと光る情景が
印象的に伝わってきます。その絵画的描写力が見事です。

  第190段 「心にくきもの」
 よう打ちたる衣上に、さはがしうはあらで、髪のふりやられたる、長さおしはからる
 よく打って艶のでた衣の上に、髪がさっと振りかけられたときには、髪の長さが分かってしまう。
 えっ、本当というような話です。それだけ聴覚が鋭敏であったということですね。なお、「心にくきもの」とは、おくゆかしいものの意。
 
 たきものの香、いと心にくし五月の長雨のころ 上の御局の小戸の簾に斉信の中将の寄りゐたまへりし香は まことにをかしうも
ありしかな そのものの香ともおぼえず おほかた雨にもしめりて 艶なるけしきの めづらしげなき事なれど いかでかいはでは
あらむ またの日まで御簾にしみかへりたりしを 若き人などの世に知らず思へることわりなりや
  これは香の話、斉信の中将が小戸の簾に寄りかかって座っていたときの香りは素晴らしいものだった。翌日まで香りが御簾にしみこんで
匂い立ったのを、若い女房達もキャーキャー騒いでいるのも、無理がない。
 この時代、男女は視覚の利かない闇夜での逢瀬に鍛えられています。宮中の女性が香りに限りなく敏感であることは、何か官能的なもの
さえ感じてしまいます。 京都では、今でも独自の香を調合する店があるようですが、平安時代の雅の伝統が今も残っているのですね。

ところで、なぜ清少納言は「若き人」と書いたのでしょうか、実は斉信の中将と清少納言の仲は・・・。