めいすいの写真日記

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桂林ラーメン・餃子・炒飯・・・錦糸町・中華料理「桂林」

2015-02-26 | 外での食べ物

 

 今日は、友人と昼食会ということで、錦糸町の中華料理店「桂林」」(墨田区太平4-2-1 電話:03-3624-6956 )に行きました。
駅からは徒歩7分ほどのところにあります。
 店の建物は太平南アパートと言い、一階は飲食店街になっていて、中華料理店が7軒もあります。その中で一番美味しいのはこの店
とは近くに勤務する友人の話です。料理人は日本人とのこと。

 隣に「Olinas モール」があり賑やかで、さらに真っ直ぐ北に行くと15分程度でスカイツリータウンにつきます。
 さっそく生ビールを飲み、お通しを食べ始めたのですが、話が弾みすぎていくつかの料理の写真を撮り忘れてしまいました。(^_^;)

餃子は、皮はパリッと仕上がっていて、とてもいい味でした。

こちらは、「桂林ラーメン」。この店のオリジナルということですが、旨味風の具材が載せられていて、麺も良好で、なかなかの味です。
友人は右上に少し写っている「炒飯」を頼みました。ちょっと分けてもらったのですが、こちらの味付けも素晴らしい。ラーメンもいいけれど
炒飯がお勧めです。

太平の中華激戦地の一番人気の店というだけあって美味しい料理をいただくことが出来ました。
Olinasモールに映画を見に来た時は「桂林」に寄るといいでしょう。


新国立劇場 「さまよえるオランダ人」

2015-02-19 | オペラ・バレエ

1月18日(日)、新国立劇場へワーグナー作曲の「さまよえるオランダ人」を見に行きました。
 昨年10月から指揮者の飯守泰治郎が新国立劇場の音楽総監督になりました。彼はバイロイトで長く音楽助手をつとめていたので、ワーグナーを得意としています。
 彼は、東京シティーフィルハーモニーで指揮をしていた頃、4~5回演奏会に行ったことがありますが、演奏の始まる前に、話手とともに、対話形式でピアノを弾きながら、楽曲の解説をしてくれるのが楽しみでした。今回のオペラも新国立劇場のホームページでピアノによる解説をしています。
 そうしたこともあり、今後は新国立劇場で行われるワーグナーのオペラ作品は、欠かさず見に行こうと思っています。
 「さまよえるオランダ人」はワーグナーの四作目のオペラですが、ワーグナーにとっては、グランドオペラではない、神話・伝説を題材にした、人間性の深い部分を表現しようとする作品で、ワーグナーが自己の作風を確立した記念すべき第一作となっています。

 このオペラをみるにあたり、小澤征爾が指揮したウィーン国立歌劇場の「さまよえるオランダ人」をNHKテレビから録画したものを、何回か見てから、新国立劇場では、どのように演奏され、表現されるのだろうかと思って見ました。

 演出はマティアス・フォン・シュテークマンという人。
 管弦楽は飯盛泰治郎指揮の東京交響楽団。合唱は新国立歌劇場合唱団。
 演奏は、生演奏ということもあり、歯切れが良く聞きやすいものでした。また、指揮も間を上手く取って、各々のシーンを盛り上げていました。
期待に応えてくれる大変良い演奏だと思いました。

 演出もウィーン国立歌劇場のものは、簡素化した箇所が多く、特に第二幕では、糸車がなく、壁には「さまよえるオランダ人」の絵が飾られていないなど、どうして?と思いましたが、シュテークマンの演出では、そのあたりがしっかりと作られていて、良かったと思います。
 特に、最後のシーンはウィーン国立歌劇場のものは、火の中にゼンタが飛び込むという演出でしたが、シュテークマンの演出では、船の上から海に飛び込むという形が良く分かるようになっていて好感が持てました。

出演者は、ゼンタがリカルダ・メルベート(ソプラノ)、エリックがダイニエル・キルヒ(テノール)、マリーが竹本節子(メゾソプラノ)、舵手が望月鉄也(テノール)、さまよえるオランダ人がトーマス・ヨハネス・マイヤー(バリトン)となっていました。

(序曲)
 単独で演奏会で取り上げられることがありますが、このオペラ全体を俯瞰できるような構成で聴き応えがあります。嵐の場面の打ち寄せる大波、船の帆に風が吹きすさぶ様、必死に叫ぶ水夫達、などの自然描写やオランダ人のテーマ、救済(ゼンダの愛)の動機などが散りばめられていて、見事です。私は2階席の前列で聞いていたので、とても良い音で聞こえてきました。

ゼンダは壁に掛かった「さまよえるオランダ人」の絵に夢中

(第二幕)
さまよえるオランダ人を救いたいというゼンダのバラードは、ソプラノのリカルダ・メルベートが熱唱します。
メルバートの美しい声の聴きどころでした。

(第三幕)
ノルウェイ人水夫たちの愉快で健康的な歌と、オランダ人水夫たちの恐ろしい不吉な歌。この男声合唱の戦いと嵐を表す最強音の演奏が、大きな山場で、迫力満点の音楽です。
 個人的には、テノールのエリックの声が伸びやかで、ゼンダへの思いを切々と歌うので「ゼンダよ、暗いオランダ人に愛を捧げるのではなく、エリックの愛に応えるのが一般的だよ」と言いたくなりますが、それだけ、オランダ人の追い詰められた暗さと若者の愛の明るさが対比でき、このオペラの内容に深みを増しているといえるでしょう。
 女性が愛を捧げて犠牲となり、男性が救われる「救済」はワーグナー作品のシンボルであり、彼ライフテーマが、このオペラには貫き通されています。


孫の作ったお礼のクッキー

2015-02-16 | 家での食べ物

先月25日に、孫の作品がさいたま市の埼玉会館で行われた「埼玉県小中学校の児童作品展」に展示されたので、取材に行き、
このブログに載せました。

そうしたら、そのお礼として、バレンタインイデーもかねて、一年生の孫がクッキーを焼いてくれました。
今日、女房が訪ねたら、「ブログにのせてくれた?」とのこと。すでにいつくか食べてしまいましたが、
あわてて掲載することに・・・。なかなか美味しく出来ていましたよ。


台湾の旅(5)・・・故宮博物館、小篭包

2015-02-16 | 旅の写真

台湾の旅第5日は、故宮博物館へ。そして昼食は小籠包の店へ。

故宮博物院は、収蔵品が約70万点、世界の4大博物館 (パリのルーブル、ロシアのエルミタージュ、アメリカのメトロボリタン) として
知られています。ただ、上記の欧米の博物館は主にルネサンス以降の絵画・彫刻が中心で、中学や高校の教科書でなじみのあるものが多い。
その点、この博物院の美術品にはあまり予備知識がないまま、鑑賞しなくてはならない面があります。ただ、「人類の英知が集まっている」
という視点からいうと中国文明には特筆すべきものがあります。もっと、これらの文明の高度な技法に光が当てられても良いと思います。

数多く展示されていたものの中から、いくつかを・・・。

翠玉白菜 長さ18.5cm 幅9.1cm  厚さ5.0cm 清代

故宮博物院の誇る最もシンボル的な秘宝。門外不出でしたが、昨年6月24日~7月7日まで東京国立博物館に2週間、特別展示された。
光緒帝の妃・瑾妃の嫁入り道具として紫禁城に持ち込まれ、寝室である永和宮に飾られた。
本物そっくりな、みずみずしい白菜が選りすぐりの翡翠(ひすい)の玉材を用い、洗練された技巧で作られている。葉の部分に彫られた
キリギリスとイナゴは多産の象徴、白い部分は純潔を表している。

肉形石 高さ5.73cm、幅6.6cm、厚さ5.3cm 清代

中国の豚の角煮、「東坡肉」にそっくりな天然石、一部、赤褐色や暗褐色の染料で染められている。
彩色と加工を施した傑作で翠玉白菜とともに故宮博物院の代表的な展示品である。

青花龍紋天球瓶 明代前期 永楽

青花龍紋天球瓶はどっしりとした磁器で、鮮やかな青で描かれている。この作品のように白地に青で描くことを青花という。
蓮の花の間を三つの爪の龍が躍動感をもって描かれている。明の永楽帝時代に製作された青花磁器の代表的な作品。
この時代、このような磁器は中国でしか作れなかった。「チャイナ」は中国のことだけでなく、磁器のことも差すのはこのためである。

灰陶加彩仕女俑 高さ 75.5cm 唐代

唐の時代の焼き物、唐三彩の副葬品。仕女は宮廷に使えた女子。高く結い上げたまげ、ふくよかて豊かな身体には、ゆったりとした衣を纒い、
ひきずるほど長い裾からは反り返った靴がのぞく。盛唐の典型的な唐美人像である。
「楊貴妃もこのような姿をした美人だったのでは?でも、現代では美人にはなりません」とガイドの説明。 広い通路の中央に
ガラスケースに入れられて飾られていた。よく見てもらうように展示されていたのだろう。

◆ 小籠包 レストラン

昼食は、「小籠包」で有名な「金品茶樓」で食べました。別ツァーの女房達が食べたという「県泰豊」に負けない感じ。
台湾の名物だけあって、台北には美味しい「小籠包」を食べさせてくれる店が多いようです。

まずは、餃子と海老のシュウマイ。野菜が多く入っているためか、さっぱりとした味です。キュウリの漬け物も配られます。

 小篭包は、食べるとジワッとスープが出てくるのが、とても美味しく感じられます。

チャーハンもなかなかの味です。

そして、フカヒレスープも
他に、青菜の炒め物、蒸しパンのデザートも出てのツァーでの「昼食コース」でした。
これをもって、無事、台湾の旅が終了しました。

詳しくは 「めいすいの海外旅日記 台湾 第5日」 をご覧下さい。


台湾への旅(4)・・・太魯閣渓谷、九份

2015-02-15 | 旅の写真

台湾への旅、第4日は台湾随一の景勝地である太魯閣渓谷の観光です。

太魯閣渓谷は、台湾を代表する景勝地で、国家公園になっています。険しい断崖は珊瑚礁の海底が隆起したもので、
立霧渓が何万年もの間に浸食を繰り返して出来た渓谷です。岩肌はすべて大理石で、大理石の産地としても知られています。
渓谷沿いの公路は、手掘りにより1960年に完成しました。
しかし、岩石は風化が進み、もろくなっていて崩れやすく、しばしば崩落し、不通になります。
今も新たなトンネルを作ったり、ルートを変えたりする工事が行われています。

渓谷を通る東西横貫公路は台湾東部最大の都市花蓮と台湾第2の都市台中を結ぶ重要な道路ですが、
バスやトラックは通行することが出来ません。

 写真は長春祠 公路建設の難工事に携わって亡くなった212名の霊が祀られています。

首長岩。右手の岩がインディアンの酋長の横顔に見えます。

高い断崖絶壁が続きます。周辺は「九曲り」といい、見事な景観が続きます。
私たちは、この付近を歩きましたが、落石が多いとのことでヘルメットを借りて歩きました。

下に見えるトンネルは東西横貫道路、ここをバスは通ります。

慈母橋 立霧渓と老西渓との合流点に架かる橋。公路建設で働いていた息子と弁当を届けに来た来た母親が激流に流され、命を落とす悲劇が起こった場所。

この後、列車で花蓮から台北に戻りました。そして台北から九份へ。

 台北から45Km、約1時間のところにある九份。山の斜面にあり、長い坂道の両側に商店街があり、賑わいがあります。
 高台から見る海の景色や赤い提灯に照らされた夜景も美しい魅力のスポットといわれています。

 しかし、九份は雨の多いところとして知られ、時には31日間に30日雨(霧雨も含む)が降ることもある街です。
 案の定、台北を出発したときは雨が降っていなかったのに、土砂降りの雨。傘を差しましたが、体中がぬれてしまいました。

 詳しくは 「めいすいの海外旅日記 台湾 第4日」 をご覧下さい。


台湾への旅(3)・・・三仙台、八仙洞、88水害

2015-02-15 | 旅の写真

台湾の旅、第3日は、南の都市、高雄から中央の山地を越えて東側に出て、海岸線を走る移動の旅となりました。
私が前回に旅した時は、まだ東側の道路は舗装もされていなくてバスで走るのはきつい旅だったようです。
遠くに、台湾第2の大きさの島、緑島が見えました。天気の良くない日は、見えないとのことでした。
夏は、レジャーの島として賑わうようですが、その昔は、政治犯や暴力団の人間の監獄があったと言うことです。

 東側から西側の海岸線に抜ける時に、バスの中でガイドさんから聞いた「88水害」の話は驚くような話でした。
またバスからは、大きな「88水害の記念碑」も見えました。

 2009年(平成21年)8月7日から11日にかけて、主に台湾南部で台風8号により、降った豪雨は、おおよそ3日間の間に
世界記録に匹敵する総降水量2000mmから3000mmとなりました。
このため、至る所で土砂災害などが発生し700人もの犠牲者が発生しました。
特に高雄県甲仙郷小林村では、付近の山の深層崩壊に襲われ、村がほぼ全滅し、400名もの方が亡くなりました。

 台湾では、これまでの豪雨は一雨1000mm程度から、1500mm、そして今回の3000mmと増大し、降雨範囲も広くなる傾向にある
ようです。

 日本では、2013年(平成25年)の10月11日に伊豆大島に甚大な被害をもたらした台風26号の土石流災害が記憶に新しいですが、
この時の総降雨量は824mm、死者・行方不明39名であることを考えると、いかに凄まじい豪雨であったことかが分かります。
何よりも、そんなにも雨が降る豪雨があるのか?というのが率直な感想でした。

東の海岸線、古くからの景勝地である三仙台。3人の仙人が岩の上で休んだという伝説があります。

こちらは、八仙洞。大小16の洞窟群。地殻の上昇の過程で波による浸食で出来ました。石器時代の住居跡が発見され、
台湾の第一史跡に指定されています。

詳しくは「めいすいの海外旅日記 台湾第3日」をご覧下さい。


映画「KANO 1931海の向こうの甲子園」

2015-02-13 | 映画

「KANO 1931海の向こうの甲子園」は、1931年、日本統治時代の台湾から甲子園に初出場し、決勝まで勝ち進んだ
日本人、台湾人(漢人)、台湾原住民の混成チームによる嘉義農林学校野球部実話に基づいた台湾映画です。

2014年2月に台湾では100館以上で公開され、興行収入10億円の大ヒットを記録しました。日本では2015年
1月24日より公開されています。

 この映画、家の近くのシネコンでは上映しておらず、2月11日(祭日)に浦和に出かけていったら、
20分前なのにチケットが売りきれ、さらに都落ちして13日に東上線の若葉駅前に行き、やっと見る
ことが出来ました。

一度も試合に勝ったことのない嘉義農林学校野球部は新任監督近藤兵太郎のスパルタ 訓練を受けるうちに
甲子園出場の夢を抱くようになり、やがて台湾予選を勝ち抜き、「大きな船に乗って神戸に上陸」夏の甲子園に
出場します。

甲子園でも、”諦めないプレイ”で大観衆を感動させ勝ち進みます。
決勝戦、名門・中京商業との戦いに敗れはしましたが、KANO球児達の戦う姿に観客席からは「天下の嘉農」
との歓声が沸き起こり、大合唱となりました。この大合唱は実際にあった話のようです。

 

嘉義駅前のロータリーのセット。ここで台湾中等学校野球選手権大会(台湾予選)での優勝パレートが行われました。
現在は、この円形部分は噴水になっていて、その中央に当時のエース呉明捷の銅像が建っています。

この映画は実話であり、歴史に残る快挙を支えた人間ドラマが数多く写しだされるのに感動します。
また、選手達のその後の社会における活躍も立派であるのに心奪われました。

なお、映画では、このパレードの途中、水利技術者の八田與一(はったよいち)が設計・建設した灌漑用水路
嘉南大圳(かなんたいしゅう)の烏山頭ダムからの放水の場面が映し出さされ、選手達が用水路に向かい
八田與一が登場するのが印象的です。干害で苦しむ、広い台南平野を穀倉地帯に変え、台湾で一番有名な日本人
が登場することは素晴らしい。


台湾への旅 (2)・・・日月潭と文武廟、赤崁樓、蓮池潭

2015-02-12 | 旅の写真

◆ 日月潭と文武廟

 台中市のホテルからまずは日月潭に向かいます。「潭」は「湖」の意味です。

日月潭は、7.93 km2 周囲37kmの淡水湖。最大水深は27mで標高は748mの淡水湖です。 台湾で最も大きな湖で、景勝地として
知られています。

その湖の畔にあるのが、文武廟で、文の神様として孔子、武の神として関羽と岳飛が祀られています。
文武廟の門を入ると、前殿(文朝)、中殿(文朝)、後殿の三殿様式になっています。

後殿の屋上から眺めた光景。文武廟の連なる屋根と遠方の日月潭の景色が美しい。

日月潭からは台南市へ向かいます。

途中バスの車窓から、台湾で最も尊敬されている日本人といわれる八田與一が設計・建設した「烏山頭ダム」が見えました。

◆ 「烏山頭ダム」

 台南市の北東部に位置する広がる嘉南平野は干ばつや水害の多い不毛の土地でしたが、日本統治時代に行われた大規模な灌漑整
備事業により、台湾最大の穀倉地帯に生まれ変わりました。
 この烏山頭ダムに代表される工事を行った人物が八田與一(1886-1942)です。石川県金沢市の生まれ、東京大学工学部土木工学科
の出身。與一は、粘土・砂・礫を使用し、コンクリートをほとんど使わないい工法を採用し、ダム内に土砂が溜まりにくくしました。同時代に
作られたダムが機能不全になっている中で、現在もしっかりと稼働しているとのことです。大きな役割は1973年に完成した曽文渓ダムに
譲っていますが、このダムの計画も與一によるものでした。道路の反対側には、とうとうと流れる灌漑用水路も見えました。

この烏山頭ダムと八田與一は、現在、日本で上映中の”台湾大ヒット映画” 『 KANO 』 にも登場します。 

◆ 赤崁樓

赤崁樓は、台南市きっての名所です。
もともとは1653年に台湾南部を占領したオランダ軍によって建てられた城でプロヴィンデンシャル城(紅毛城)と呼ばれました。
1661年に鄭成功が90日間の戦闘の後、オランダ軍を追放して承天府と改め、台湾の政治の中心としました。
右側に「鄭成功に降伏し、講和するオランダ人」の銅像。城の前には清の乾隆帝時代に作られた石碑が並んでいます。

鄭成功は清(満州族)に滅ぼされようとしている明(漢民族)を擁護し抵抗運動を続け、台湾に渡り鄭氏政権の祖となりました。
このため、台湾では孫文、蒋介石とならぶ「三人の国神」の一人として尊敬されています。
しかし、彼自身の目標である「反清復明」を果たすこと無く死去し、また台湾と関連していた時期も短いものでした。

鄭成功は清(満州族)に滅ぼされようとしている明(漢民族)を擁護し抵抗運動を続け、台湾に渡り鄭氏政権の祖となりました。
このため、台湾では孫文、蒋介石とならぶ「三人の国神」の一人として尊敬されています。
しかし、彼自身の目標である「反清復明」を果たすこと無く死去し、また台湾と関連していた時期も短いものでした。

鄭成功は日本の平戸で父、鄭芝龍と日本人の母、田川松との間に生まれ、7歳の時、父の故郷福建に移住しました。日本名は福松。

台南市見学の後は、高雄市に向かいます。

◆ 蓮池潭

蓮池潭は高雄市随一の観光スポットです。この池にはたくさんの蓮が植えられ、蓮の花が満開になった時には、さわやかな香りがあふれ、
美しい景色となったことから名付けられたようです。

一番最初に目に付くのが「竜虎塔」。十二支の中で最も良い動物は龍。最も悪い動物は虎。このため、竜虎塔に入る時は、必ず龍の口
から入り、虎の口から出るようにします。こうすると善人になれるとか。

詳しくは、 「めいすいの海外旅日記 台湾 第2日」 をご覧下さい。


台湾への旅(1)・・・出発、ハロー キティ ジェット

2015-02-11 | 旅の写真

1月末に台湾へ5日間のツァーに1名で参加しました。実はちょうどこの時期に、女房が27名の合唱団の台湾
ツァーに参加していました。 

台湾へはエバー航空を利用しました。この航空機は「ハロー キティ ジェット」となっていて、キティーちゃんの
オンパレードとも言っていいほど。年配の女性客が多かったのですが、「まあ!可愛い」と機内は異常なムード。

座席正面のディスプレイからキティちゃんの画面で始まり、食事もキティちゃんをかたどったもの、
ナイフ・フォーク・スプーン、敷きもの、アイスクリーム、ゴミ袋、はては枕までといった具合です。
ナイフ・フォーク・スプーンは片付ける時には多くが無くくなっていたようです。
枕はスチュワーデスに聞いたら「持って帰るのはダメ」ということだったらしいのですが、持って行く人もいたようです。
「孫に持って帰りたい」という気持ちが強かったのでしょう。折り込みのことだとは思いますが。

写真は、台北の松山空港でのエバー航空BR-0189便。

羽田を出発する時から、座席のディスプレイにキティちゃんの動画が映し出されます。

私たち年配者の食事もキティーちゃんで「お子様ランチ風」。メインの食事は親子丼を頼みました。

デザートにもキティちゃんのアイスクリーム。これを食べるスプーンも。アイスは溶けるので持って帰れません。
左はウーロン茶とコーヒー。

初日は、台北到着後、すぐに台中に向かいました。はじめの観光地の「日月潭」に向かうためです。

台湾は、フィリッピンプレートとユーラシアプレートとがぶつかり合う場所、造山運動が盛んで、中央部は
3000m級の高い山々が続きます。 一番高い山は、玉山で3952m、日本統治時代には富士山より高いので
新高山(にいたかやま)と呼ばれました。
地震も日本と同様、数多く発生します。台湾新幹線も耐震設計で日本の新幹線より、橋脚が太い気がします。

写真は、バスの中から見た褶曲する地層。

台中での台湾最初の夕食。飲み物は「台湾ビール」。これが瓶入りの「生ビール」。18日間だけと書いてあります。

 


デザートは、ここの名物という「杏仁豆腐」を頼みました。味は日本で食べたものと変わりませんが、小豆が
入っているのがちょっと台湾風です。

詳しくは「めいすいの海外旅日記 台湾 第1日」をご覧下さい。


手作り恵方巻き

2015-02-03 | 家での食べ物

今日は節分。昼過ぎに女房に「今日は節分なので、恵方巻きを買ってくるの?」と聞いたら、「買ってみてもねー」とつれない返事。
それでは、今日は夕食の恵方巻きはないものと思っていました。
そして、夕飯時の食卓に着いたら、なんとお皿の上に手作りの「恵方巻き」がありました。
いままで、女房はかんぴょう巻や、カッパ巻きも作ったことが、私の記憶ではありません。
聞いてみたら、初めて挑戦したとのこと。見た目の出来映えは良くありませんが、恵方巻きの形はしています。
芯には、マグロとモンゴウイカの刺身、卵焼き、キュウリ、野菜の粕漬けを使ったとのことでした。
さっそく、今年の恵方の西南西に向かって、丸ごとかぶりつきました。初めてにしては、上出来かな (^^)。