めいすいの写真日記

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ハロウィンのケーキ

2021-10-30 | 家での食べ物

 今日、女房が志木駅前の丸井一階のケーキ店「シャトレーゼ」の前を通ったら、ハロウィンのケーキを売っていたので、「美味しそう」と買って帰りました。
 
  黄色のこのケーキは「ハロウィンおばケーキ」。パンプキンクリームとチョコレートの帽子、三角と丸とWWが感じを出しています。

 こちらは「いたずらゴースト」 。もっちりした羽二重餅のような材質で作られ、お化けの感じをよく出しています。中身はチョコバナナ味。

こちらは「ハロウィン黒ねこ」かわいらしくて食べるのがもったいない!

「ハロウィン うみたて卵のプリンアラモード(5種)」。右下はバンプキンクリームのお化け。

   カロリーと糖分を考えて2日に分けて食べることにしました。

 


赤と白のダリアの花

2021-10-29 | 

 御近所に咲いていたダリアの花。ダリアはキク科ダリア属の花。メキシコ原産。
 八重のもの、球形のもの、色も赤・白・黄色など様々のものがあり、数万種あるらしい。
 園芸種の中でも突出した品種数です。こちらは大きめの赤のダリア

 こちらは、小さめの白いダリア。
 花期は6月中旬~11月 、真夏は高温なので葉が茂って咲きにくいようです。


ショパンコンクールのレジェンド達

2021-10-25 | クラシック音楽

                                                                                                                              NHK Eテレ 2021/10/10

 きっと誰もが,その名を知る世界で一番有名で権威のあるコンクール。5年に1度若き
天才ピアニストたちがホーランドのワルシャワに集い,その腕を競い合う。審査するのは、
現代を代表する一流のピアニストたち。どんな才能が出て来るのか、世界のファンが熱い視線を
注ぐコンクールである。
 すでに今年2021年の優勝者、入賞者は決まってしまったが、その発表前に放映された
「ショパンコンクールのレジェンド達」から6人ほどのレジェンドを選んでみた。

 ■ マウリツィオ・ポリーニ  当時18才だったポリーニ。

  精密機械のような正確なテクニックが生み出す洗練されたショパンの演奏は、聴衆を圧倒した。
  名録音は,ショバンの解釈を決定的に変え、ショパン演奏の道しるべとなった。

ポリーニの代表的な録音である「練習曲」

  この番組で紹介された音楽評論家の林田直樹さんの話「ポリーニと握手した瞬間、
グローブのような、なんて力強い手だなと思え、指の関節の一つ一つが筋肉でパンパンに膨れていて、
凄まじい握力でした。
 これまで、いろいろなピアニストと握手をすることを心がけて来ているが、ポリーニほどの
ごつい手はこれまでになかった。あの手だったら、あの演奏が出来るだろうと思った。」

  また、別の機会に取材していた時、ポリーニは林田さんに向かって、作品の核をこの手にしたいと、
顔の前で手に強くつかみ取るような仕草をしたという。
 若き日のポリーニの練習量や執念を知るエピソードも、またすごいものであることを知ることになった。

       2002年サントリーホールでの円熟のポリーニ演奏

 私の好きな録音は、ベートーヴェンのソナタ28番「ハンマークラヴィーア」、17番「月光」。
   80才近くになった今も、現代曲に取り組む姿が番組にはあった。

■ マルタ・アルゲリッチ

  24歳でショパンコンクールに優勝したアルゲリッチ。同時にマズルカ賞も受賞。音色が美しく、
打鍵は極めて強く、リズム感が抜群である。
 最初に優勝した女性ピアニストでもある。ショパンコンクールの優勝者は18回のコンクール
で2人のみ(もう一人は2010年、45年ぶりのユリアンナ・アヴデーエワ)である。
 実力もさることながら、打鍵が強かったことが優勝した理由のひとつであろう。ショパンの曲には
力強いタッチを必要とする旋律が多いからである。また、優れたピアニストでいられる理由でもあると思う。
 
   経歴はスペイン大統領府でアルゲリッチ親子と会ったフアン・ペロン大統領が、マルタに
留学希望の有無を尋ね、「フリードリヒ・グルダに習いたい」との申し出に従って、アルゲリッチの父を
外交官に、母を大使館職員にそれぞれ任命し、1955年初頭(13才)から一家でウィーンに赴任させた。
これに伴って家族とともにオーストリアに移住したアルゲリッチは、ウィーンとザルツブルクで
2年間グルダに師事した。1961年にはイタリアでベネディッチ・ミケランジェリにも師事している。
ただミケランジェリはレッスンを嫌がり、4回しか行わなかったとか。
1957年ブゾーニ国際ピアノコンクール優勝。またジュネーブ国際音楽コンクールの女性ピアニスト部門優勝。

 

 

 アルゲリッチの名盤はなんと言っても、受賞記念の現地での演奏であるピアノ協奏曲第1番である。
 この演奏はショパンコンクールの優勝者の中でも傑出したものである。これまで、幾度となく、
優勝者のこの曲の演奏と聞き比べてきたが、人を惹きつけて止まない曲想、美しい音色は。他を
寄せ付けない。ショパンコンクールでの優勝が喜びに満ち、これから世界に向かって羽ばたいていこう
という気持ちが表れていて見事。
  オーケストラの音が今ひとつであり、会場のノイズも入っているが、ピアノの音は当時としては極めて良質な録音である。

 もうひとつの私のアルゲリッチのショパンのCD愛聴盤はソナタの2番と3番。
  「この2つのソナタはアルゲリッチの真骨頂が発揮されている1枚である。
女性とは思えぬほどの力強いタッチと激しい情熱がみなぎり、また新鮮な叙情や詩的な表現など、
ショパンの音楽に鋭く深く迫っている名演である(CD解説)」

この番組ではなぜか、NHKのアルゲリッチの良い映像が放映されなかった。
NHKのアーカイブスにはないのかな?

■ スタニスラフ・ブーニン

  当時19才だったブーニンは「圧倒的なパッションと切れ味の鋭いテクニックで聴衆を熱狂させた。

 ブーニンが一躍、名声を博した伝説の名演奏がこれ、リズム良く演奏され、あたかもショパンがサロンで
演奏しているかのような、女性の心をわしづかみにする演奏だった。首を振りながら拍子を取る姿が愛らしい。
 普通は曲目の間では拍手はしないコンクールであるにもかかわらず、演奏が終わるや感激のあまり
聴衆が拍手をはじめてしまうほどであった。 
 日本には翌年来日、圧倒的な人気となり「ブーニン・フィーバー」と呼ばれる社会現象を巻き起こした。
日本に文化振興を果たしてくれたことになる。
  1988年ソヴィエト国内では思うように音楽活動が出来ないため、西ドイツに亡命した。
 しかし、メジャーなレーベルとの契約は困難を極め、1990年以降、活動には勢いがなくなった。CD録音は日本で主に行っている。
「ブーニン・フィーバー」以来、彼は日本に好意を持つようになった。妻は日本人であり、家も日本にある。

■ アルトゥール・ルビンシュタイン

 アルトゥール・ルビンシュタインは、ショパンコンクールには出場していないが番組ではレジェンドにされている。
 ショパン弾きとしては、外すことが出来ないピアニストであるからだろう。

私はこの番組で初めてホールで演奏する姿を見たが、すっきりとした演奏姿勢が印象的である。

 ルービンシュタインの演奏はホーランド生まれゆえのポーランド的な高貴さを持ち
 見事なオクターブのテクニック、力強い表現を持っている。まさに20世紀を代表する
ピアニストである。ワルシャワでピアノを学び10歳でベルリンへ、ポツダムでデビューし、成功を収める。
1905年ニューヨークにデビュー。アメリカ合衆国市民権を取り、ニューヨークとパリに居を構え。ヨーロッパとアメリカで演奏活動した。

 ルービンシュタインの録音は数多く、ショパンの曲はとりわけ数多い。
  私の愛聴盤は「夜想曲集」である。ショパンの曲を優雅に聴ことの出来る素晴らしい名盤である。

■ 小山実稚恵

 1985年ショパンコンクール4位入賞。
 本人の話では、ワルシャワでの滞在が3週間あり、ショパンの国の音楽を感じることが出来、その後のショパンの演奏に大きな影響を与えたという。

  ピアノコンチェルトを演奏した時のホールの響きが力強く感じられ、土がぐっと足に付いていて、誇り高い精神が迫ってきた。
 そして私のショパンの観念が「はかない美しさ」から「強さと優しさをたたえた美しさ」に変わったという。
 その後は、人生の節目、節目でピアノ協奏曲第2番第2楽章(ラルゲット)を弾くという。

■ イーヴォ・ポゴレリッチ

  予選でのポゴレリッチの演奏は聴衆を魅了し、誰もが入賞は確実だと思われた。
 しかし、結果は予選敗退であった。
 番組での映像を見る限り、指の動きは滑らかで速く、圧倒的に力強かった。
 ポーランドは当時はまだ、第2次世界大戦後のロシアの支配下にあり、共産圏の審査員が極めて低い点数0~1で
評価したためである。半年も前から優勝はタイのダン・タイソンに決まっていたとの話もある。
 ポゴレリッチの演奏は個性的すぎてショパンコンクールにはふさわしくない演奏というのが予選敗退
の理由であった。

 このため、アルゲリッチ他、数名の審査員が決勝の審査を辞退することとなった。
  アルゲリッチは「彼は天才よ」との言葉を残して帰国したという。
  これが、ショパンコンクールを揺るがす大スキャンダルとなった。
  アルゲリッチが辞退した影響は大きく。ポゴレリッチは審査員特別賞を受けることになった。
  その後ポゴレリッチはドイツ・グラムフォンと契約。レコードの売り上げを伸ばし
今も名ピアニストとして活躍している。
   彼は楽譜を徹底的に読み込むため楽譜は書き込みだらけ、また5年以上練習した曲でない
と演奏会では演奏しないという。

  一方、ダンタイソンは決勝に臨むにあたり、オーケストラとの共演をしたことがないので、
2つの協奏曲から一つを選ぶに当たって、短くて覚えやすい2番を選択したという。
 彼は受賞後、音楽の勉学のため、モスクワに渡った。ソヴィエトを出るのに時間がかかり、カナダに渡って、
ピアノ教師になる。この後、ショパンコンクールの審査員を務めている。自身のこともあり、
「公平な審査」が出来るよう心がけているとのことである。
 なお、彼はまた今年優勝した ブルース リウ のカナダにおける教師でもある。

(了)


第18回ショバン国際ピアノコンクール 反田恭平2位、小林愛美4位入賞

2021-10-21 | クラシック音楽

 

 第18回ショパン国際ピアノコンクールの結果発表が2021年10月21日午前9時過ぎ
(日本時間)にあり、反田恭平が2位、小林愛美が4位に入賞しました。

 写真は本選でショパン作曲ピアノ協奏曲第1番を演奏する反田恭平。
 本人の話では「自分としては完璧な演奏ができた。」とのことでした。

   「人の夢が叶う瞬間は,それぞれ瞬間かも知れないし、5秒かも知れない。
僕の場合は12歳から憧れてきた。このファナルのステージ、コンサートではなくコンクールで
弾きたいという思いが強くて、40分間夢がかない続けた最高の瞬間だった。」  

 結果発表を聞いて喜ぶ反田。
  「世界一のレベルの高いコンクールだと実感した。率直に嬉しい。
  これからも、ショパンについて、より音楽家として理解を深めていけたらと思っている。」

    反田恭平は東京都出身。27才。 2012年、日本音楽コンクールにて男性では史上最年少となる第1位。
 ロシアを経て、現在ポーランドに在住(ショパン国立音楽大学在学)。

 

 写真は同じく本選でショパン作曲ピアノ協奏曲第1番を演奏する小林愛美。

 早熟の天才と言われていた小林愛美、前々から期待されていました。
   彼女はは山口県出身の26歳。前回のショパンコンクールでも10人のファイナリストに進みましたが、入賞はできませんでした。
  その後の話では、なぜか思い通りのコンクールの練習がでできなかったという話をしていたと思います。

  「 4位入賞出て来て素直にうれしい。自分が理想とする音楽に近づけた
 日本だけじゃくな海外でも演奏していけたらうれしい。」

 今回は十分に練習を積めたのではないでょうか。
   2013年9月より、米国カーティス音楽院に留学

    なお、優勝はカナダのブルース・リュウ(24)でした。

  今日の発表は、とても嬉しいことでした。これからの二人の活躍を心より期待します。
     今後はまず、ショパン。そしてモーツァルトやベートーヴェンなどいろいろな作曲家の名演奏も聴かせてほしい。

 (了)敬称略


METオベラ マスネ作曲マノン

2021-10-16 | オペラ・バレエ

                                                                                                                                       WOWOW 2011/10/9

  美貌と官能で男を操る小悪魔マノン。一方、自由奔放なマノンに魅入られ、翻弄される青年デ・グリュー。
 マノン役には才能溢れる美貌のL・オロペーサ。若手としてMETで育ちヨーロッパに進出し
数々の名歌劇場で大活躍、今回はMETに凱旋し歌姫(ディーヴァ)の大役で魅せてくれます。
  騎士デ・グリュー役のM・ファビアーノとの共演も充実し、ゴージャスな衣装も見事。
  L・ペリーの演出は華やかでありながら退廃的でもあります。

【原作】アベ・プレヴォ-
【作曲】マスネ
【演出】ロラン・ペリー
【指揮】マウリツィオ・ベニーニ
【出演】
   マノン・・・リセット・オロペーサ
   騎士デ・グリュー・・・マイケル・ファビアーノ
   従兄レスコー・・・アルトゥール・ルチンスキー
   貴族プレティニ・・・ブレット・ポレガート
   伯爵デ・グリュー・・・クワンチュル・ユン
   ギョー・・・カルロ・ボージ
【上演】MET上演日:2019年10月26日
    上映時間:4時間10分(休憩2回)
【言語】フランス語

【あらすじ】 
第1幕 アミアンの宿屋の中庭  
   男を夢中にさせる美貌を持つ少女マノンは、享楽的な性格を懸念した家族に修道院に
送られることになる。
アミアンの宿屋に従兄弟のレスコーと共にマノンが来る。好色な貴族ギョーが彼女に
言い寄って来る。レスコーは身持ちを固くしなさいと説教する。
  しかし、その後、騎士デグリューが現れ、マノンの美しさに魅せられて恋に落ち
彼女とパリに駆け落ちする。

 第2幕 パリのアパート

  パリでデ・グリューは、二人の結婚の許しを得るために、父親に手紙を書いている。
  居所を突き止めたレスコーと貴族プレティニがやって来る。プレティニはマノンに享楽的な生活の素晴らしさを歌い、マノンの気持ちを揺さぶる。

 皆がいなくなり、マノンは別れる決心をしてアリア「 さようなら、私たちの小さなテーブルよ」を歌う。
   戻ってきたデ・グリューは父親の寄越した人々に連れ去られる。

第3幕 
第1場ラ・レーヌ通りの祭日
   人々はラ・レーヌ通りで 祭りを楽しんでいる。
 

 ギョーは今マノンと暮らすブレティニにマノンの要求通り自宅にオペラ座を呼べないようでは、いずれマノンに
捨てられると嫌味をいっている。

 そんな中、贅沢と人々の称賛によって一層磨きあげられ輝くばかりのマノンが
アリア「私はどんな道も女王のように歩くの」を歌いながら登場する。
   そこへデ・グリューの父親が通りかかりブレティニと挨拶をかわす。
息子はすっかり失恋の傷も癒え、サン・シュルピス神学校で信仰生活を送っていると話す。
その話を聞いたマノンにたちまちデ・グリューへの熱い想いが蘇る。

 そうとは知らないギョーは、ブレニティの鼻をあかしてマノンの気を惹こうと祭りにオペラ座を呼んでくる。
いよいよオペラ座のバレエが繰り広げられるがマノンの心はすでにデ・グリューのことで一杯である。
ギョーのもくろみは見事に外れてしまう。

第2場サン・シュルピス神学校

 デ・グリューは神父になった。尼僧や信者たちがデ・グリューの説教をほめたたえている。

デ・グリューはマノンとの辛い思い出を忘れるために聖職に救いを求めていた。

   デ・グリューはマノンの姿をみて驚き「お帰りください!」と何度も叫ぶが、マノンは諦めない。
心から自分の行いを悔い、許しを乞う。マノンの激しい情熱に揺れるデ・グリュー。
マノンは彼の手を握り甘く歌う「この手を握っているのは、もう私の手ではないの?」と。

マノンの愛に打たれてデ・グリューは彼女の愛を受け入れる。

 第4幕 パリのオテル・ド・トランシルヴィア賭博場

  賭博に興じる人々の中に老貴族ギョーとレスコーたちとマノンとデグリューは出会う。
ギョーはデ・グリューに勝負を挑むが大負けする。それをインチキ賭博だと怒って出ていき警察に告発する。 

第5幕 ル・アーブル港への街道

  デ・グリューは父親である伯爵のとりなしで釈放されるがマノンは植民地に流刑されることが決まる。
マノンを奪回するためにデ・グリューは仲間を集めるがうまくいかず、レスコーにわいろを渡してマノンと出会う。

 投獄生活で衰弱しきっていたマノンは彼の腕の中で息絶える。

 

【感想】マノンはファム・ファタル(運命の女・男を滅ぼす悪女)といわれることがある。
 しかし、このオペラでは、それだけでは言い尽くせない部分がある。
 まずは、家族によりマノンが修道院に送られる場面で、デ・グリューが夢中になり駆け落ちし、
バリで二人だけの生活を送り始めるところはお互い様。貴族プレティニに享楽的な生活の素晴らしさを話されて、
愛人になる。この辺のところは本人の意志というよりも、”男の方が悪”と言えなくもない。
 デ・グリューが神父になったと知った時、迷いもせず、愛人プレティニを捨て神学校に駆けつけ、
よりを戻そうとする。神父としての説教が素晴らしいと称えられるデ・グリューである。
プレティニより人間的な男の下で暮らしたい。というのは”再び誘惑”とはならないのでは?
 いずれにしても男を”夢中にさせる小悪魔”という形容も私には適切でないように思えてしまうのだが・・・。
 そういった意味ではマノンとで・グリューの二重唱こそが、お互いの愛情の表現として
緊迫感があり見どころであることは間違いない。
 そしてこのシーンはマノンの若さと強い情熱こそが悲劇を起こしたと考えたくなる。 
 3時間を超える大作であるが,それぞれの人物描写が細やかで、見栄えのする場面も多く、
一つの恋愛の形が表現された、優れたオベラであると思う。

(了)


ご近所の朝顔

2021-10-14 | 

  ご近所に美しく咲いている「朝顔」の花。今朝、7時頃に撮りました。
朝顔の開花時期は10月上旬までなので遅くまで咲いているなと思いました。
この家の方に「朝顔がきれいに咲いていますね」と言ったら、
この花は朝顔ではなく「夕顔」とのことでした。

調べてみると「夕顔」は白い花が主体のようで、果実は乾燥食品の「干瓢(かんぴょう)」
になるとのことです・・・紫色のこの花は「朝顔」と私は思いますが、正しいかどうかは
分かりません。


映画「無法松の一生」

2021-10-10 | 映画

                                                                                                 2021/09/7 NHK BSシネマ

 "阪妻(バンツマ)"の愛称で親しまれた日本映画の大スター・板東妻三郎(1901-1953)
の代表作のひとつで、岩下俊作の小説「富島松五郎伝」の最初の映画化がとなった名作。
北九州・小倉を舞台に,無法松と呼ばれる人力車夫・松五郎の献身と純愛を描く。
 粗野だが人情味あふれる松五郎を演じる阪妻の名演技、撮影を手がけた宮川一夫の
繊細で大胆なカメラワーク、稲垣博監督の演出は圧巻で、日本映画史上に燦然と
輝く名作となっている。

 映像と音声を最新技術で修復した4Kデジタル修復版での放送。

【監督】 稲垣浩
【原作】 岩下俊作
【脚色】 伊丹万作
【撮影】 宮川一夫
【音楽】 西悟郎
【製作】 東宝、1943、白黒

【出演】
 富島松五郎・・・阪東妻三郎 (人力車夫)
 結城重蔵・・・月形龍之介 (土木請負 親分)
 吉岡小太郎・・・永田靖 (陸軍大尉)
 夫人よし子・・・園井恵子
 吉岡敏雄・・・川村禾門
 敏雄の少年時代・・澤村アキヲ(長門裕之)
   撃剣の先生(若松警察師範)・・・山口勇

 

明治から大正にかけての九州小倉を舞台にして,無鉄砲さのために
〈無法松〉と呼ばれた人力車夫松五郎(阪東妻三郎)が,ふとした縁で
知りあった軍人の未亡人とその息子に一生をささげる純愛・献身の物語で
ある。
人間の素朴な美しさや悲しさ以上に,極度に抑圧された恋愛を描いた小説で、
映画のシナリオは日本映画の名作の1本に数えられている。

松五郎が車を引いて帰る途中、価格交渉で回り道なので値段を高く告げると値下げしろと相手に言われ
断ると車に手をかけたので、松五郎が殴りかかると持っていた木剣で頭を割られる。相手が撃剣の若松警察師範であった。
木賃宿で3日間寝込んでいたが、喧嘩ぶりとその間に食べたうどんが16杯だったというのが武勇伝。

芝居小屋で車引きの法被を名刺代わりに、これまでのように顔パスで入ろうとするが木戸番に断れる。

 嫌がらせに、仲間と芝居小屋の枡席で、酒の肴として、ニンニクを炊事、周囲を困らせる。
 木戸番達が押し寄せてきて、大喧嘩になる。

 結城重蔵の仲裁で、観客に迷惑をかけたことを素直に謝ったので、「意気と侠気」があり、
「顔を立ててくれた」と結城には㝖ばれる。

 松五郎は堀に落ちて怪我をした少年・敏雄をを助け、陸軍大尉の吉岡小太郎邸に連れてくる。
さらには、よし子夫人の了解を得て、医者に連れて行く。ただ、お礼は固辞した。

 後日、吉岡小太郎大尉が「無法松」の噂を聞いて知っているとのことで、自宅で接待をする。
 松五郎は「謡い」を披露するなどし、気に入られる。
 しかし、大尉は雨天の演習で風邪を引き、急死する。


  吉岡小太郎の墓に手を合わせる松五郎。

  夫人のよし子は敏雄が気が弱いことを心配し、松五郎を頼りにする。松五郎は
「学問のない、車引き」が出来ることではないといいながらも、吉岡家に出入りするようになる。

 「福岡県立小倉工業学校 秋季大運動会」の棒倒し、松五郎はよし子夫人、敏雄の前で
 異様に大きな声で応援する。


 

運動会の会場で配られた号外、芳子夫人に読んで貰うと、飛び入りで500mの徒競走がある
ことが分かり、松五郎は参加し、一等賞となる。敏雄も我がことのように興奮する。
その姿を見て夫人もまた、敏雄の身に良いことが起きたと感銘する。


 節分豆まき、 風呂屋での水泳、など松五郎は、その時々に男らしさを表現し、夫人と敏雄に
献身的に尽くしていく。
 やがて敏雄は小倉中学の4年生になり、青島陥落を祝う提灯行列の日に他校の生徒と喧嘩(偽装?)
をすることになる。
 松五郎は敏雄が喧嘩をするような年になったかと喜び、危険を感じて逃げようとする敏雄の喧嘩に加勢する。
 一方、夫人はそのことを知っていてハラハラし神棚に祈り続ける。

 その後、敏雄は五高に入学、熊本に旅立つ。
 ボンボンと呼んで親しみを持って育ててきた敏雄との生活は疎遠になっていった。

 小倉祇園太鼓の日、夏休みのため敏雄が五高の先生を連れて帰省した。本場の祇園太鼓を聞きた
がっていた先生の案内役をしていた松五郎は、山車に乗って撥を取り太鼓を打つ。流れ打ち、勇み駒、
暴れ打ち。長い間、聞くことのできなかった本場の祇園太鼓を叩き、町中にその音が響いた。
これが、松五郎の最後の晴れ姿となった。

  その後、松五郎は夫人に対する思慕を打ち明けることもできず、彼女のもとを去り、酒も飲まずに
精神的に尽くしてきた日々が終わりとなり、雪降る日に倒れる。
  遺品の中には、夫人と敏雄名義の預金通帳と、吉岡家からもらった祝儀が手を付けずに残してあった。
これらが夫人の前で披露された後、結城重蔵の「珍しく気っぷの良い男だったな」
との一言があった。

 【感想】大分古い映画で、表現方法が現在とは異なる面があるが、松五郎の軍人の未亡人
  への献身と純愛は、他には例が無く灌漑深く、胸を打つ。

  また、よし子夫人役の園井恵子が広島の原爆で落命したのは悲しく、残念なことである。


志木いろはうどん ・・・ 新・ご当地名物 「手打ちうどん和」

2021-10-07 | 志木市・・・・我が街の紹介

 「ご当地名物」として、今日(2021/10/07)、「手打ちうどん 和」(志木市本町6-11-12、048-423-5632
志木駅北口から駅前大通り、徒歩9分)で新発売となった「志木いろはうどん」(普通盛り・990円)。
 たまたま訪れたところタイミング良く出会ったので、食べてみることにしました。
手打ちうどん(武蔵野うどん)屋さんのなので、メニューは「肉汁うどん」とか「鴨汁うどん」
「田舎汁」など「つけ汁うどん」が主体でした。
 「いろはうどん」はこのお店の唯一の「かけうどん」なのだそうです。
 辛みのあるメニューもまた初めてということ。辛みのあるうどんは現代風ということになります。
 食べてみたところ、ごく普通の感触で食べることが出来ました。うどんは元々手打ちでコシがあり
美味しく食べられます。又、つくねも柔らかく食べやすい。若い人達に受け入れやすいのではないでしょうか。
 初めてのメニューということなので、お店の人に「辛くありませんでしたか」と尋ねられたので、
「特に問題はありませんでした。」と答えました。

   きょうは、おめでたい日でしたので、トッピングとして「盛り合わせ天ぷら(季節の野菜と海老・300円)
を頼みました。右上にあるのはワサビかと思いましたが、「抹茶塩」でした。

旨辛 いろはうどん (お品書き)
 旨つくね・赤れんこん・油揚げ・揚げねぎのり じわじわくる美味しさ!
(舟運いろはうどん)「武蔵野台地に位置する志木では、古くからうどんを食べる習慣がありました。
そこで古く志木が繁栄のもとである新河岸川の舟運をテーマに、舟の就航の目印の神社(赤稲荷)
を模した油揚げと赤色、また当時の水車を模したれんこんを使ったうどんです。」


映画「駅馬車」・・・ ジョンフォード監督

2021-10-04 | 映画

                              2021/10/1  NHK BSシネマ

 ジョン・ウェインと巨匠ジョン・フォード監督、名コンビの原点となった傑作西部劇。
モニュメント・バレーを疾走する駅馬車に乗り合わせた乗客の様々な人間模様、
アパッチの襲撃、無法者との決闘を描く。ダイナミックなアクションと映像美、
繊細な人間描写・・・。
映画を知り尽くした演出は、今なお世界中の映画作家に影響を与えている。

【製作・監督】ジョン・フォード
 【出演】ジョン・ウェイン ・・・リンゴ・キッド
     トーマス・ミッチェル・・・ 医者ブーン
     クレア・トレパー ・・・ 娼婦ダラス
           ルイーズ・プラット ・・・貴婦人 ルーシー
     ジョン・キャラダイン・・・賭博師ハット・フィールド
           バートン・チャーチル・・・銀行頭取ヘンリー
           ドナルド・ミーク・・・酒商人ピーコック
        ジョージ・バンクロフト ・・・保安官カーリー
           アンディ・ディバイン・・・御者バック            
  【製作】アメリカ、1939年 白黒1時間37分
  【原題】STAGECOACH

  モニュメント・バレーを疾走する駅馬車と騎兵隊
   美しい景色と駅馬車の疾走感が素晴らしい。

   ステーション・・・ドライフォーク に到着した駅馬車
        ここにいた夫のマロリー騎兵隊中尉が傷つきローズバークに運ばれたと聞いた
  ルーシーがショックで産気づいたため、ここで一行は足止めを余儀なくされ、急遽
  飲んだくれの医者、ブーンがコーヒーをがぶ飲みし正気となり、ダラスが看護婦
  として女児の出産を成功させる。

 ダラス(右)が抱く女児をみて、乗客仲間は喜ぶ。

  この夜、リンゴはダラスにプロポーズする。リンゴは敵討ちを止めて、メキシコに逃げようとするが山の
向こうにアパッチの狼煙を発見し、川を渡ってローズバーグを目指ざるを得なかった。
しかし、ローズバーグへの川の渡し場は全体が焼き討ちに遭っていた。

 なんとか筏を作って駅馬車を載せ川を渡ってローズバーグを目指そうとした。
 現場でのアパッチの襲撃はなかった。ただ、ハットフィールドだけは光信号のようなきらめきを見ていた。

 目的地のローズバーグが近づき、無事を乾杯しようとブーンが声をかけた途端、
アパッチの矢がピーコックの胸に突き刺さる。

駅馬車は、大群のアパッチの襲撃を逃れ、乾燥湖(カルフォルニア州)を疾走していく。

 乾燥湖でアパッチとの熾烈な戦闘となり、御者バックが右腕を負傷したため、
リンゴは駅馬車を引く先頭の馬に乗り移って行き、先頭馬の手綱を引く。

 アパッチ族も打たれて落馬し引きずれて死んでいく。リアルな戦闘場面である。

 やがて駅馬車のメンバーの弾も尽き、ハットフィールドの銃もあと一発で終わりとなった時、
 ハートフィールドは貴婦人に辱めを与えまいとルーシーを撃とうとする。
 しかし、アパッチに自分が撃たれる。

 その時、ちょうど騎兵隊の救助隊が到着する。 危機一髪で駅馬車は難を逃れた。結局一人の犠牲者と
二人の負傷者とだけでローズバーグに向かう。

 駅馬車の一行はローズバーグに到着する。
 リンゴは父と弟の敵討ち・・・ローズバーグ無法者(ルークを筆頭とするプラマー三兄弟)との決闘との場に臨む
 奥に3兄妹、手前はリンゴ

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【駅馬車に乗り合わせた乗客の人間模様客】
   前半部分は意外に長く、立場も目的も違う9人の前には、皆が恐れるインディアンも現れない。
  それぞれに異なるキャラクターがあり、興味と親しみも持てるようになって来る。
                              
【戦闘シーン】
 後半部は急に激しい戦闘シーンが現れる。これは恐ろしくリアルで迫力がある。
当時は実写であることを考えるとスタントマンは命がけであったろう。
 現代ではCGで済まされてしまうところだ。当時は映画技術を駆使して完成させたものであろう。
 この実写であることが、現代まで長く名画として評価され続けてきた。

  また、一瞬の決闘シーンも名場面となっている。

【西部劇】
    巨匠ジョン・フォード監督の映画史に残る不世出の名作西部劇で
 「駅馬車」は徹底したエンターティンメント、もう一つ「荒野の決闘」は芸術作品として並び称されている。

【アカデミー賞】
  1939年、7部門にノミネートされ、酔いどれ医師に扮したT・ミッチェルはアカデミー助演男優賞、
また音楽賞を受けた。

  しかし、この年には『風と共に去りぬ』があり、作品賞は13もの賞にノミネートされ、8つの賞を獲得した
『風と共に去りぬ』が受賞した。

(了)