住吉大社の本宮を青空と一緒に。
別の方向から。
住吉大社は幼いころに来たことがありまして、その時はお正月の初詣というハイシーズンで露店がたくさんでていました。
神社の露店と言うと模擬店といいますか屋台といいますか、両手広げたサイズくらいのものをイメージするわけですけども、その時はお化け屋敷のような巨大な出店があって、大都市大阪の大きい神社は流石に違うなあと思いました。子供には認識できないほど広大な敷地があるような、そんな気持ちになったものです。
住吉大社に来たのは実にそのとき以来でした。
普通の休日でその時の賑わいとはまた別の状態にあり、当たり前と言えば当たり前なんですけども、境内の雰囲気に一切の記憶がなく、こんな橋があったことも忘れておりました。
ウサギの形の手水だって、今なら絶対写真に撮ってしまうわけですけど、当時これを見た記憶はありません(もしかしたら、当時は無かったかもしれませんが)
あの時あの巨大な出店がどこに設置されていたのか、境内を巡っても思い出せず、想像することもできず、あんなに強く憶えているつもりだったのに、やっぱり人の記憶とは儚いものだなあ、、、としみじみしてしまいましたよ。そんなシミジミを感じるために来たのですよ。
お膝元の電車駅から、境内の方を見て1枚。
別の方向から。
住吉大社は幼いころに来たことがありまして、その時はお正月の初詣というハイシーズンで露店がたくさんでていました。
神社の露店と言うと模擬店といいますか屋台といいますか、両手広げたサイズくらいのものをイメージするわけですけども、その時はお化け屋敷のような巨大な出店があって、大都市大阪の大きい神社は流石に違うなあと思いました。子供には認識できないほど広大な敷地があるような、そんな気持ちになったものです。
住吉大社に来たのは実にそのとき以来でした。
普通の休日でその時の賑わいとはまた別の状態にあり、当たり前と言えば当たり前なんですけども、境内の雰囲気に一切の記憶がなく、こんな橋があったことも忘れておりました。
ウサギの形の手水だって、今なら絶対写真に撮ってしまうわけですけど、当時これを見た記憶はありません(もしかしたら、当時は無かったかもしれませんが)
あの時あの巨大な出店がどこに設置されていたのか、境内を巡っても思い出せず、想像することもできず、あんなに強く憶えているつもりだったのに、やっぱり人の記憶とは儚いものだなあ、、、としみじみしてしまいましたよ。そんなシミジミを感じるために来たのですよ。
お膝元の電車駅から、境内の方を見て1枚。