おはようございます。藤原です。
最近我が家にネットが開通しまして、カフェで仕事をする、
というのが減り、書く時はもっぱら家派になりました。
我が家にはTVがありませんので、
ネットが開通してからというもの、radikoやyoutubeでニュースを見聞きし、
Netflixをたまに観ます。
興味が散漫な質なので、
Netflixもyoutubeも、気がそれると、すぐに途中でやめて、違うことをしてしまう。
それをわざわざ選んで買ってきたストーリーがないから、
今しか見れない、という希少価値も薄いから、そんなに気分があがらない。
暖簾に腕押しの、むずがゆいかんじ。
昨年末、友人の俳優陣が連続して出ていたドラマがあって、
その頃はまだ家にTVがあったのですが、録画ができませんでした。
めっきり観なくなっていたTVドラマでしたが、そのときばかりは、いそいそとその時間に帰っては観る、ということがありました。
ドラマが楽しみで帰る、というのは久し振りなことで、
別にライブ中継なわけではないのだけど、録画できない民にとっては、
リアルタイムのドラマ時間が、その作品とつながれる唯一の、とっておきの時間、に感じられて、
ウキウキしながら、そういや小学生の頃は、こういうウキウキでドラマを楽しみにするTVっ子だったことを思い出しました。
いくらたくさんお手軽に観る、知る、行為ができたとしても、
お金を払って、映画を映画館で見て、
チケットを予約して、舞台を観劇して、
目の前で歌っている、歌手の声を聞いて、
そういうスペシャルな時間がないと、
さみしい。簡易に見れる量が増えると、なおさら、その分のバランスをとらないと寂しくなります。
ネットでみるときは、(情報を)収集、というかんじに、なるんだなあ。作品でも。
15minutes made、稽古はもうすぐ始まりますが、まだ本が書けていません。
だから、暗いのです。
ふじわら
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます