ミズヘンの腹ん中。

女3人、演劇創作ユニットmizhenのブログ。

14日目(東の番)

2019-01-09 23:19:48 | 稽古日記

さっちゃんへ。

あけおめことよろ2019だよ。もう稽古やらワークショップやらで何度も会ってるけど。前回のさっちゃんの日記、ほっこりした〜。いつもほっこりするけど。今年もどうぞよろしゅう。らぶ幸子。

2019はどんな年にしたいか、するか。
こゆの、毎年年始に考えるやん。けどさ、私、その年の末までその目標とか、覚えてられたこと、ないの。ていうかもう、なんなら1ヶ月も覚えてられないの。

でね、今年は、年末年始、じゃなくても、きちんと日々振り返って、できたことできなかったことを見つめて、それらにきちんと、対策を打ったり、習慣化を目指したり、アウトソーシングしたり、なんか、具体的に、行動を変えていくこと、を、日々、やるのが、結構目標!つまり、年末年始に、今年こそは!みたいに考えて、できない、みたいにしない、ということが目標、です。

で、その時に、楽しい♪を大事にする!(さっちゃん語では「おもろい」!)

だからとにかく今は、mizhenを楽しみたい。これが大好きでたまらない!という気持ちでいたいよ。爆笑しながらシュッとしたシーンを作っていきたいよ。さっちゃんと一緒に!根っこに立ち返る。これを大事に。そんな1年にする。大切な1年だ!

ちなみに最近のお気に入りのビールは白濁(しろにごり)というベルギービールで、今飲んでいて、つまりほろ酔いだよ。

今日でmizhen裏参道フェス初日までちょうど1ヶ月だったね。
クラウドファンディングも含めて、できることを”楽しんで”やってゆこう♪(音符を語尾につけると気分が前向きになる作戦)

ほなさっちゃん的、「平成のおわり」をお願いします。(違ってもいいよ!なんかのおわり、にしたいw)


年末の“おわり”の駄文。(藤原)

2018-12-29 16:42:14 | 稽古日記

忘年会に行きたい。

いや、ほんとに行きたいわけでもない。

なにか、今をごまかすものを欲しているだけなのだと思う。

何か刺激があれば、それにリアクションすればいいから。

『◯◯しなければいけない』というような呪縛、

エセ優等生の残骸を経て、30歳を超えて、

その呪縛から、だんだん逃れる、ことを意識できるようになってきた。

それでも、まだまだ意識にこびりつく
『◯◯しなければいけない』という言葉、

何かをしているとき、なにもしていないと不安になる、
なにか、意味があることをしなくては。

遊びも旅行も、ほんとのところ何が楽しいのか、わからない。
と思う端から、
それを楽しむことを知ることでなにか人間として学べるかもしれない、
と思って、頭を正し、体験してみる。

もし、呪縛を失いきることができたら、(できるかはわからないけど)

もっとでたらめで冷酷な人になってしまいやしないか、
呪縛でなんとか保っているんじゃないか、とも思って、怖くもなる。

熱さ、みたいなものは、確かに自分のなかにもあるような気がする一方、
次々起こる、トンチンカンなできごとを、静かに見ている。
怖いから、静かに見ているふりをしているのか、
本当に静かに見ているのか、
脳内や心理をひっぺがしていった先に、
マトリョーシカのマトリョーシカの先に、ほんとは何があるのかは、わからない。

人間はどんどん変わっていく。
自分も、友人も、親も、

どんどんわからない人になっていく。
そんなこと考えていたのか、と、

爽やかな絶望と、人間って面白いなあ、とたまらなくくすぐったい気持ちになる。
あと、人は一人だということを知って、安心もする。

人間って、可笑しい、と知ることが増えるたびに安心するけど、
日本のリーダーのおかしさはこれ以上知りたくないから早く軌道修正してほしい。

楽しんで書きたいな、と思いながら机に向かっている。
頭が邪魔してくる。邪魔するおっさんを追い出す。
その攻防のすえに、一旦ブログを書いてみている。なう。

なう、って、もう使わないんだろうな。なう。

下書きに、小説を書いて→絵コンテを書いて→戯曲にする過程を経ながら、
演劇を書くのに向いていないんじゃないかと、毎回思うけどまた思っている。

一昨年は、玄関の前、
去年は、アパートの前で、
元旦の日に、まんまるふとったネズミが死んでいるのに出くわした。
そして、に年連続、近所の花壇に埋葬した。
あそこの花壇には、私だけがしっているネズミ1、ネズミ2、の墓がある。

この連続、今年は続かないといいな、と思う。

みなさま、よいお年を。


藤原


織りなす布は

2017-10-20 01:33:57 | 稽古日記
中島みゆきの糸って、すごい歌詞だな、って、唐突に思う。

高校3年のときに、
ある後輩から教えてもらって以来、
好きな歌詞と言えばにあがる歌だっけど、

ぴんと来る歳っちゅうかタイミングになったんかなー。
 
とてもしっくり聞こえてくる。
 
オーディションで歌を歌ってもらったのですが
すきな歌詞の歌を歌ってもらったら、
やはり名曲ぞろいで、
反芻しています。(昭和歌謡曲の歌詞の素晴らしさ!!!)
 
mizhen新作オーディション終わりました。
あほみたいに楽しかったので、
わたしがこんな楽しくていいのだろうか、と思いました。
 
もっと手を動かしたいし、いろんな人に会いたいです。
会わなきゃはじまんない。
 
ここ数日新作の脚本のことを考えていたら、
脚本にまつわるお話が、メールやらメッセージやらでやってきて、
不思議な気持ちになった。
 
 
 
新作は、春。4月。きっとあっという間だぞ。
 
 
 
 
ふじわら

3年

2017-08-20 23:16:13 | 稽古日記

『Sの唄』稽古の土日だった。

 

初演のときよりも、稽古の進みがとても早い。

まあ、初演は本が完本したのが本番5日前だったので、

ソレ以前に稽古時間サァ・・という事態だったのだけども。

(ほんとに、蕗子さんはよく覚えてくれたなあ、と思う・・・)

 

それでもやはり、進むのは早い。

一人芝居なので、私と蕗子の間でのコミュニケーションしかないのだけど、

お互いを理解する速度が格段に早くなっているなと思った。

この3年で、獲得した言語を思った。

 

そういや、それまでなんとなく手伝ってもらっていた今の制作氏に、

本格的に今後ついて欲しいというようなことをお願いしたのは

『Sの唄』の公演の一つ前、岸田の『葉桜』をやった後だった気がする。(たぶん)

 

3年。

 

がむしゃらに手を伸ばす中で、大切にしたいことを自覚する三年だったように思う。

一番、心が踊る根っこを大事にしつつ、本番まで掘り進めます。

ありがたいことに、チケットはもうあと僅かだそうな。

http://www.mizhen.info/next-stage-2

 

どうぞ、どうぞ、お楽しみに。

 

 

 

ふじわら


ふじわらオープン稽古1回目:備忘録

2017-05-29 23:18:27 | 稽古日記

こんばんは。藤原です。

オープン稽古と題して、毎週月曜日に稽古をすることにした。

本日が第一回目。

4名の俳優さんが参加してくれました。ありがとうございました。

公演以外の時期に、色んな俳優さんと出会いながらクリエーションする時間を、定期的に設けたい、ということ、

ゲスト俳優さんを招いたときに、できるだけ座組の中で共有する言語や、方法を見出したい、というのが大きなモチベーション。

 

目下の稽古のテーマは、

『役としての身体感覚を探る』

イメージした環境や状況にリアクションする身体の変化、

それを豊かにするために、どんな言語化がありえるか、というのを俳優さんと探った。

 

●本日のシーン

舞台上に、Bがいる。シュチュエーションは、野外の大規模ライブ。

Aがやってくる。Bを見て、びっくりする。なぜなら、Bは、1年前に亡くなった、Aにとって大切な人と瓜二つだったのだ。

そこへ、Bと待ち合わせていたCがやってくる。BとCは和気藹々と話している。

その様子を見つめるA。

Cは、Aを見て、話しかける。AとCは、以前一度会ったことがあった。戸惑いながら話すA。

Cは、Aに、3人で一緒にライブを観よう、と誘う。そして、Cはトイレなどの理由で離席する。

AとB、2人になるーーー

 

改めて書いてみて、タスクの多いエチュードだな、というのと、

Aにフューチャーした筋書きなので、いつも一人の主人公を置いがちな自分の癖を省みるが、

とにかく、最初にこのエチュードをやってもらった。

 

その後、エアーのなわとび、エアーの棒遊びなどで一度身体をほぐしてから、

【カイジ】を。

ご存じだろうか。カイジのあの、名シーン。

『文句なく即死…っ!!!地上74メートル魔天の地獄……鉄骨渡り!!』

てな感じで、

ビルとビルの間にあるのは、一本の鉄骨。そこを渡る、というのを、

何もない空間で、イメージしてやってみる。高さをどうイメージするか、その緊張感を身体にどう持つか。

一歩目の出し方、そのあとの緊張の維持の仕方、足を出す時と、止まっているときの違い、

風を感じるか。向こう側(安全な場所)に近づいていくことでの緊張感の変化、など、

テンションをずっと張っていないといけないので疲れるが、全身を使ってできるので、

このワークはよくやるワークだ。

 

一人一人やってもらって、どう見えるか、をフィードバックした。

「高いところをイメージしたらできた」と言ってしまえば身も蓋もないのだけれど、

一回目、二回目と試して、二回目でより高さが出た俳優さんに、どう変化したか、きっかけになる言葉を聞いたら、

「なんかこう、すわぁっとする感じ。」と、身振りを交えて答えてくれた。

「すわぁ」という言葉は、下から何かが上がってくるイメージだ。

実際には床面だけれども、床面のもっともっと下のところから、“風を感じる”というのは、高さに具体的に近づくヒントになる。

 

一回目、二回目で、二回目の方が緊張感がうすれた俳優さんに、一回目と二回目の体感の違いを尋ねる。

「一回目は外をイメージできていたのに、二回目は、高さをイメージしようとしたらうまくいかなくなって、室内にいるみたいなイメージになってしまって、全然うまくいかなかった」と言っていた。

動きはほとんど変わらないが、外からもまったくそのように見えた。

タスクをこなそうとしてしまうと、とたんに身体は閉じる。

身体をイメージに開いておかなくてはいけない、それは、集中する宛先を、自分以外に向ける、ということか、

と思うけれども、自分以外に集中を向ける、というのを意識しすぎても、結局自分に意識が向いてしまうことになるので、

このあたりはどう言語化すればいいか。

 

●空間の変化

空間のイメージが変化すると、身体がどう変化するか、のワーク。

これもよくやるワークだ。

部屋の中を4人で自由に歩いてもらう。

1,2,3,4,5,とカウントをして、5までいくと、部屋の温度が、高温サウナ風呂まで高温になる。

−1,−2,−3,−4,−5、とカウントして、−5までいくと、部屋の温度が、冷凍庫ぐらいまで低温になる。

 

温度の変化は比較的うまくいった。観ている方まで暑くなったり、寒くなったりする。

 

次に、爆音のうるさい部屋から、音一つしない部屋への移動、という変化をやってみる。

 

これは、気温ほどには、うまくいかなかった。

高さのある鉄骨、というビジュアルなどはまだイメージしやすいし、

暑いや寒いもイメージが身近だけども、

ビジュアル化できず、しかも日常にあまりない感覚を結びつける、というのは難しいようだった。

うまくいっていた俳優さんに、どういう感覚でやっているか、と聞いてみたら、

「音の情報が入ってくると、頭がぐちゃっとなるので、それは嫌だから、それを排除しようとする感じ」

と言っていて、なるほど、と思った。

目には見えないけれど、「外からの情報を、どう処理したくなるか」という生理のリアクションも、

アプローチを考える上で、とてもヒントになりそうだ。

 

 

もっと色々やりたかったのだが、時間がなくなってしまい、

最後に一番始めにやったエチュードを、同じ組みでもう一度やった。

・野外のライブである、という環境に対するイメージ

・亡くなったはずの大事な人に再会した、という濃い関係性を、そこにいる相手との間にもつか

に、今一度留意して欲しい、とだけ伝えた。演出は特にしていない。

 

二回目、全体的におもしろくなり、特に二組が劇的におもしろくなった。

亡き人に再会したかもしれない、というAの緊張感や戸惑いを、Cに話しかけられている間もいかに切らさずにつなげるか、

というところが、客席から見たときに、とても大事なのだということが分かった。

うまくいった二組は、ここがうまかったので、説得力があった。

Cに話しかけられたときに、その緊張が切れてしまうなら、AのBに対する重要度は低く見えてしまう。

そして、パォーマティブな芝居が得意な俳優さんがAを演じたとき、緊張感を続けている中で最後に、

コメディーよりの泣きの芝居をしたときに、この温度感が、見ている人にとってはとても心地良いんだな、と思った。

リアリティーがあるから、切実さは信じれるんだけど、どこか突き放して見れる距離感。

ここはもっと研究したいところ。

 

あと、シーンをやってみて、全体的に言えることなのだけど、

発語する前まで(ただ、相手を見る、とか)の方が良く、発語すると何かギアが入ってしまう、という課題は、どう解決していくべきか、というのを考えた。

テキストがあった状態でやるよりも、エチュードは自分で言葉を選べるので、生理にあったものが出やすいはずなのだけど、

それでも、わたしたちは発語するときと、発語する前よりも何かスイッチを入れたくなってしまう。

それってなんだろう。

発語する、自分の音を聞いてしまって、リアクションだけで居られなくなり、調整を図ろうとするからなのか。

 

4人の中で、発語前ー発語のところに特に段階なく、うまくいっていた俳優さんは、唄を歌っている人だったので、

呼吸の仕方とか、歌う身体とか、何かヒントにならないかしら、と、今考えながら思った。

 

 

そんな感じで、見えないものに神経を使い続ける時間は、とてもとても疲弊するのだけど、(みなさんぐったりしていた)

みなさんの身体をみつめる時間は、わたしにとってはとても実りある時間だった。

ありがとうございます。

長々と書きっぱなした感じだが、備忘のため、今後も書ければと思う。

 

 

よし、寝る。

 

 

ふじわら