ミズヘンの腹ん中。

女3人、演劇創作ユニットmizhenのブログ。

ふじわらオープン稽古1回目:備忘録

2017-05-29 23:18:27 | 稽古日記

こんばんは。藤原です。

オープン稽古と題して、毎週月曜日に稽古をすることにした。

本日が第一回目。

4名の俳優さんが参加してくれました。ありがとうございました。

公演以外の時期に、色んな俳優さんと出会いながらクリエーションする時間を、定期的に設けたい、ということ、

ゲスト俳優さんを招いたときに、できるだけ座組の中で共有する言語や、方法を見出したい、というのが大きなモチベーション。

 

目下の稽古のテーマは、

『役としての身体感覚を探る』

イメージした環境や状況にリアクションする身体の変化、

それを豊かにするために、どんな言語化がありえるか、というのを俳優さんと探った。

 

●本日のシーン

舞台上に、Bがいる。シュチュエーションは、野外の大規模ライブ。

Aがやってくる。Bを見て、びっくりする。なぜなら、Bは、1年前に亡くなった、Aにとって大切な人と瓜二つだったのだ。

そこへ、Bと待ち合わせていたCがやってくる。BとCは和気藹々と話している。

その様子を見つめるA。

Cは、Aを見て、話しかける。AとCは、以前一度会ったことがあった。戸惑いながら話すA。

Cは、Aに、3人で一緒にライブを観よう、と誘う。そして、Cはトイレなどの理由で離席する。

AとB、2人になるーーー

 

改めて書いてみて、タスクの多いエチュードだな、というのと、

Aにフューチャーした筋書きなので、いつも一人の主人公を置いがちな自分の癖を省みるが、

とにかく、最初にこのエチュードをやってもらった。

 

その後、エアーのなわとび、エアーの棒遊びなどで一度身体をほぐしてから、

【カイジ】を。

ご存じだろうか。カイジのあの、名シーン。

『文句なく即死…っ!!!地上74メートル魔天の地獄……鉄骨渡り!!』

てな感じで、

ビルとビルの間にあるのは、一本の鉄骨。そこを渡る、というのを、

何もない空間で、イメージしてやってみる。高さをどうイメージするか、その緊張感を身体にどう持つか。

一歩目の出し方、そのあとの緊張の維持の仕方、足を出す時と、止まっているときの違い、

風を感じるか。向こう側(安全な場所)に近づいていくことでの緊張感の変化、など、

テンションをずっと張っていないといけないので疲れるが、全身を使ってできるので、

このワークはよくやるワークだ。

 

一人一人やってもらって、どう見えるか、をフィードバックした。

「高いところをイメージしたらできた」と言ってしまえば身も蓋もないのだけれど、

一回目、二回目と試して、二回目でより高さが出た俳優さんに、どう変化したか、きっかけになる言葉を聞いたら、

「なんかこう、すわぁっとする感じ。」と、身振りを交えて答えてくれた。

「すわぁ」という言葉は、下から何かが上がってくるイメージだ。

実際には床面だけれども、床面のもっともっと下のところから、“風を感じる”というのは、高さに具体的に近づくヒントになる。

 

一回目、二回目で、二回目の方が緊張感がうすれた俳優さんに、一回目と二回目の体感の違いを尋ねる。

「一回目は外をイメージできていたのに、二回目は、高さをイメージしようとしたらうまくいかなくなって、室内にいるみたいなイメージになってしまって、全然うまくいかなかった」と言っていた。

動きはほとんど変わらないが、外からもまったくそのように見えた。

タスクをこなそうとしてしまうと、とたんに身体は閉じる。

身体をイメージに開いておかなくてはいけない、それは、集中する宛先を、自分以外に向ける、ということか、

と思うけれども、自分以外に集中を向ける、というのを意識しすぎても、結局自分に意識が向いてしまうことになるので、

このあたりはどう言語化すればいいか。

 

●空間の変化

空間のイメージが変化すると、身体がどう変化するか、のワーク。

これもよくやるワークだ。

部屋の中を4人で自由に歩いてもらう。

1,2,3,4,5,とカウントをして、5までいくと、部屋の温度が、高温サウナ風呂まで高温になる。

−1,−2,−3,−4,−5、とカウントして、−5までいくと、部屋の温度が、冷凍庫ぐらいまで低温になる。

 

温度の変化は比較的うまくいった。観ている方まで暑くなったり、寒くなったりする。

 

次に、爆音のうるさい部屋から、音一つしない部屋への移動、という変化をやってみる。

 

これは、気温ほどには、うまくいかなかった。

高さのある鉄骨、というビジュアルなどはまだイメージしやすいし、

暑いや寒いもイメージが身近だけども、

ビジュアル化できず、しかも日常にあまりない感覚を結びつける、というのは難しいようだった。

うまくいっていた俳優さんに、どういう感覚でやっているか、と聞いてみたら、

「音の情報が入ってくると、頭がぐちゃっとなるので、それは嫌だから、それを排除しようとする感じ」

と言っていて、なるほど、と思った。

目には見えないけれど、「外からの情報を、どう処理したくなるか」という生理のリアクションも、

アプローチを考える上で、とてもヒントになりそうだ。

 

 

もっと色々やりたかったのだが、時間がなくなってしまい、

最後に一番始めにやったエチュードを、同じ組みでもう一度やった。

・野外のライブである、という環境に対するイメージ

・亡くなったはずの大事な人に再会した、という濃い関係性を、そこにいる相手との間にもつか

に、今一度留意して欲しい、とだけ伝えた。演出は特にしていない。

 

二回目、全体的におもしろくなり、特に二組が劇的におもしろくなった。

亡き人に再会したかもしれない、というAの緊張感や戸惑いを、Cに話しかけられている間もいかに切らさずにつなげるか、

というところが、客席から見たときに、とても大事なのだということが分かった。

うまくいった二組は、ここがうまかったので、説得力があった。

Cに話しかけられたときに、その緊張が切れてしまうなら、AのBに対する重要度は低く見えてしまう。

そして、パォーマティブな芝居が得意な俳優さんがAを演じたとき、緊張感を続けている中で最後に、

コメディーよりの泣きの芝居をしたときに、この温度感が、見ている人にとってはとても心地良いんだな、と思った。

リアリティーがあるから、切実さは信じれるんだけど、どこか突き放して見れる距離感。

ここはもっと研究したいところ。

 

あと、シーンをやってみて、全体的に言えることなのだけど、

発語する前まで(ただ、相手を見る、とか)の方が良く、発語すると何かギアが入ってしまう、という課題は、どう解決していくべきか、というのを考えた。

テキストがあった状態でやるよりも、エチュードは自分で言葉を選べるので、生理にあったものが出やすいはずなのだけど、

それでも、わたしたちは発語するときと、発語する前よりも何かスイッチを入れたくなってしまう。

それってなんだろう。

発語する、自分の音を聞いてしまって、リアクションだけで居られなくなり、調整を図ろうとするからなのか。

 

4人の中で、発語前ー発語のところに特に段階なく、うまくいっていた俳優さんは、唄を歌っている人だったので、

呼吸の仕方とか、歌う身体とか、何かヒントにならないかしら、と、今考えながら思った。

 

 

そんな感じで、見えないものに神経を使い続ける時間は、とてもとても疲弊するのだけど、(みなさんぐったりしていた)

みなさんの身体をみつめる時間は、わたしにとってはとても実りある時間だった。

ありがとうございます。

長々と書きっぱなした感じだが、備忘のため、今後も書ければと思う。

 

 

よし、寝る。

 

 

ふじわら

 

  

 

 

 

 

 

 


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