ミズヘンの腹ん中。

女3人、演劇創作ユニットmizhenのブログ。

テンピュールの草子

2018-08-15 04:59:23 | 藤原佳奈
四時。
変な時間に起きてしまった。

と、そういやお盆になにもしていないことに気づいたので、お酒を買いに出て、

そのまま、亡きじいちゃんと、叔父さんに献杯をする。



なすびやキュウリに足を作ったりはしていないけど、ただ思うだけだと何か足りなくて、行為に変換しないといけない、と

こういう時は思うのに、
生きてる人には疎かにしてること多い、とじくじく反省もした。

じいちゃんや叔父ちゃんのこと思い出したり、自分の反省をしたりぐるぐるしながらビールを飲んでいたら、虫除けスプレーをしたのに、
足に数十匹蚊がくつろいでるのに気づいて退散。

虫より人に好かれたい。

ながめくらしつ という現代サーカスの現場に、演出助手&テキスト、ということで参加していて、
本日が小屋入り3日目。
17日から本番。

一番好きな劇場、シアタートラムでの公演、てことで今回参加したのだけども、
はよmizhenもシアタートラムでやりたいなあ、という思いは高まる一方で、

深夜や早朝にミーティングを重ねて、今後の展開について、日夜作戦を立てている。

とあるエポックメイキングな日から、mizhenの深度は変化していて、そのことに、とてもとても感謝している。けどこの話はまたの機会に。

ながめくらしつは、演劇ではなく現代サーカス、ということもあり、
違う畑だからこそのクリエーションの過程での発見や気づきがたくさんあって、

パフォーマー(7人が本当に素敵なのはめちゃ大きいけど)だけでなく、ミュージシャン、美術、音響、照明、舞台の各セクションスタッフも含めて、

生き物が出来上がるようにうねうねと、有機的に立ち上がっていくところが、とても素敵だなと思う。

言葉は大事だし、私としては一番大事にしたいものでもあるのだけど、言葉に囚われてしまうことも多く、

mizhenで一度、実験企画で、『夜と夜』というタイトルで、全然違う作り方をやったときのことを思い出した。

私が書かずに幸子が下書きのテキストを書いて、蕗子が歌を作って、達郎が音を使って、構成をわたしが考えた、その作品は、同時にいろんなことがごちゃまぜ展開しながら稽古も展開していき、

いろんな変更に変更を重ね、仕上がりはとても遅くて、全貌が見えたのが公演数日前、とかだったのだけれど、

作品の体感時間としては、実はいままでで一番有機的なもの、に仕上がっていた。


身体で拡張しうるところに、無理がなかったから、ということと、
本があって演出があって、決められたことをやる、というよりも、そうなってしまうことだからやる、というような、体内に筋があって、いつでもどこにでもいけるフレキシブルな状態だったからだと思う。

とはいえ、この方法でいくには、パフォーマンスするその身体ありき、その時届きうる拡張ラインが限界になるので、
反射で出うる持っているもの以上のもの、ぶっ飛んだり、深く掘ったりするための旗は、事前に立てつつ、ということをしなくてはいけない。
まだ到達したことのない、負荷の設定。

今回のながめくらしつでいうと、
パフォーマーは、ジャグラーばかりではないので、
ボールやキューブを使うための、長いリサーチの時間があった。

モノから自由になるためには、モノと長くいなければならず、
というのは、稽古を経てパフォーマーが道具と仲良くなっていくなかで、どんどん遊びがふえていくところを目の当たりにしながら思ったのだけど、

新しい負荷と、遊びによっておこる、
個人の化学反応と、その個人が集まって起きる化学反応と、その両方が叶うとき、良い作品が生まれるんじゃないかな。


そういえば、今回の作品
『うらのうらは、』では、玉井夕海さんが歌う歌のための、下書きのテキストを書かせてもらった。

玉井さんの天使ボイスで歌われるその唄を聞いた時、惚れ惚れして、感激した。
蕗子の歌も好きだけれど、言葉が歌われる、てなんでこんないいんだろうなあ、、




あと、作品中の7シーンを抜粋して、
そこからイメージして書いた『うらのことば、』
というのも会場で販売します。

言葉のないシーンから妄想膨らませて書くのは性に合っていて、とても楽しかったので、また何かでやってみたい。
絵から、とか、音楽から、とかでもできそう。




これからやりたいこととか、生きているうちに、のことを考えると、いつも頭の隅にじいちゃんがいる。
何を話したかも、ほとんど記憶にないんだけど。
焼き芋を買って、じいちゃんのバイクの前に乗せてもらったことは、覚えてる。

あたまが色んなとこにいくけども、
小屋入りまでもう少しだけ寝よ。

長い長ーい、独り言。


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