昭和と平成を生きた、上高地の入り口となる沢渡の「ドライブインひぐち」のおかあさんが亡くなった。
今年のゴールデンウィークに、久しぶりにどうしても沢渡のお母さんの顔を見たくなってでかけてからわずか2ヵ月半での訃報に、悲しみよりも驚きが先にたってしまった。虫の知らせというのだろうか。
お会いした時にはお元気で、突然お亡くなりになるという感じはしなかったし、実際兆候はなかったのだという。死因は肺がんだったということで、発症まで分からなかったということなのかもしれない。
今じゃ温泉もできてすっかり賑やかな沢渡だが、かつては「ドライブインひぐち」がポツリとあるだけだった。マイカー規制が行われるようになって、「ドライブインひぐち」の駐車場にクルマを預けてバスかタクシーで上高地へ向かう。タクシーやバスの運転手や登山客、観光客、工事関係者の多くが世話になっているだろうが、私の場合は遠い親戚でもあり、なんとも悲しみ以上に驚きが先にたつばかり。
25日の葬儀になって悲しみが深まってくるのだろうが・・・
長い間、上高地の入り口で登山客や観光客を見守り続けたおかあさん、ごくろうさまでした。
今年のゴールデンウィークに、久しぶりにどうしても沢渡のお母さんの顔を見たくなってでかけてからわずか2ヵ月半での訃報に、悲しみよりも驚きが先にたってしまった。虫の知らせというのだろうか。
お会いした時にはお元気で、突然お亡くなりになるという感じはしなかったし、実際兆候はなかったのだという。死因は肺がんだったということで、発症まで分からなかったということなのかもしれない。
今じゃ温泉もできてすっかり賑やかな沢渡だが、かつては「ドライブインひぐち」がポツリとあるだけだった。マイカー規制が行われるようになって、「ドライブインひぐち」の駐車場にクルマを預けてバスかタクシーで上高地へ向かう。タクシーやバスの運転手や登山客、観光客、工事関係者の多くが世話になっているだろうが、私の場合は遠い親戚でもあり、なんとも悲しみ以上に驚きが先にたつばかり。
25日の葬儀になって悲しみが深まってくるのだろうが・・・
長い間、上高地の入り口で登山客や観光客を見守り続けたおかあさん、ごくろうさまでした。
3年前に私は松本城で英語でボランティアガイドする団体に入会した。 もう一人 同じ 樋口と言う姓名を持つ人が、聞くところによると沢渡のドライブイン食堂と言うことだった。名刺はまだ持って行ってはいないが、どうもいつか名刺を持って訪問しょうと思っていた正にその家であろう。 冬場にお城と会合の席でお会いしました。
本日、2件のお城案内。 2つとも上高地に行くもしくは沢渡を経由するので、ドライブインひぐちさんの場所と名前を紙に書いて渡しました。
樋口伊豆守篤彦