な~んて、ちょっと大袈裟なタイトルではありますが。
みさきが「テイ・サックス病」と診断されて、5歳まで生きられないと宣告
されたのが2歳の時。
だから5歳の誕生日はすごく嬉しくて、思わず泣いてしまったのを今でも
思い出します。
5歳の誕生日が1回目の奇跡とすれば、6、7、8.... と来て、先日の13歳
の誕生日は「9回目の奇跡」と言うわけです。
みさきを育てていると、「人間の身体って繊細にできてるな~」とか、
「人間ってすごいな~」とか、なんだか客観的だけど、そうしみじみと思う
時があります。
人はどんなに身体に制約があっても、自分の持っているわずかな部分で表現することが
できるし、それがちゃんと周りに伝わる。
みさきも話すことはできないけれど、いろいろな表情で私たちに伝えてくれます。
それは、もしかしたら受け取る人の気持ちの持ち方にもよるのかもしれないけれど、
少なくとも母である私やいつも愛情を持って接してくれる訪問看護師さん達は、
みさきの表情からいろんなことを受け止めて、みさきとのやり取りを楽しんでいます。
ところで私は、今まで子供達の「延命」についてあまり考えたことがありません。
みさきもしゅんも気管切開していて、呼吸器まで着けているのに?と思う方も
いらっしゃるかもしれませんが、私にとって「気管切開」の決断も「呼吸器」の
使用も、延命と言う観念ではなかったのです。
「気管切開」を決断した時は、(誤嚥性)肺炎を繰り返していたこともありました
が、「どうしたら毎日なるべく辛い思いをせずに穏やかに過ごせるか」「どうしたら
この先もっとたくさんの楽しい経験をさせてあげられるか」等々を考えた結果
気管切開に踏み切ったわけで、気管切開をしなければすぐに命を落としてしまう
と言うような状況ではありませんでした。
もちろん最初から気管切開する気満々・・・だったわけじゃなく、それまでは
何人もの先生に気管切開を勧められても頑なに拒否していたし、決断してからも
相当悩みました。
でも今は、あの時の決断は間違っていなかったと思っています。
それまではゼロゼロが酷過ぎて、体調を維持するための生活でいっぱいいっぱいでした。
それが、今までできなかったことが出来るようになって、小学生にもなって授業も
落ち着いた状態で受けられるようになって、外出もし易くなって、学校際や運動会・・・
確実にみさきの世界は広がりました。
「呼吸器」はまあ、最初は肺のリハビリが目的だったのですが、今はどうなんだろ?
ちょっと「呼吸器」については最近気づいたこと&確認したいことがあるので、
近いうちに主治医の先生と話をしようと思っていますが。
ちなみに呼吸器を着けていないと呼吸ができないわけではありません。
つづく↓