『気まぐれ日記』

お兄ちゃん+テイ・サックス病のみーたん&しゅんの3児の母、
みやの気まぐれすぎる時々日記

要注意

2010年11月28日 | みーたん
明日からまた雪だって。


最近寒い日が続いてるせいか、部屋が乾燥してきたせいか、
みーたんの左肺上葉に粘調の痰が張りつきやすく、
吸入して排痰してもプー、プーと痰の残る音が聞こえることが多くなってきた。

これをしっかり取ってあげないと、キケン・キケン。


年末に向けて体調を崩さないように必死です。

そして今も吸入中なのだ・・・。

はぁ~・・・

2010年11月25日 | Weblog
母子家庭で、難病&重度重複障害・呼吸器つけて寝たきりの子供が
二人もいる生活なんて、フツーに毎日を送っている人には想像も
つかないんだろうけど・・・。

(うちの状況を見に来た市の職員だって、家に入ったら驚いてたしね)


でも

解ってくれてると思ってた人が、実はそんなに理解してくれて
なかった・・・ってことが判明した時はかなりのショック




いつも疲れた顔してたら解ってもらえるの?

化粧もしないで、自分に気を使わないでいたら解ってもらえるの?


私はイヤだ。


どんなに疲れていても、外に出た時はそんな風に見られたくない。

できるならキレイにしていたいとも思う。

辛くても悲しくても、人前ではなるべく顔に出したくない。


だけどさ、

外見で大変そうに見えないからって、別に余裕のある生活してる
わけでもないんだよ。





もし私が、いつも疲れた顔をしていて、全く自分にも気を使わないでいて、
他人に「あ~。。。難病や障害のある子供を看てるとそんな風になるんだな・・・」
って思われたら、みーたんやしゅんに申し訳ないじゃん。

みーたんやしゅんが「私たちのせいでごめんね」って思っちゃうかも
しれないじゃん。





すみません、どーしても心に引っかかることがあって、
ちょっとぼやいてしまいました・・・

これって・・・(書き直し)

2010年11月20日 | Weblog
2008年のニュースのようですが、こんな記事を見つけました。



'Parents fight for 'right to life'

6歳のテイ・サックス病の女の子の記事です。

こちらのブログを読んで頂ければ内容が解ります。
      ↓

テイ・サックス病末期の少女の救命判断、裁判所へ(英)』
(後日こちらのブログを改めて紹介させて頂きたいと思ってます。)
 



記事を読んで・・・
私が最も知りたいのは、この少女が末期状態にあると
医師(病院)が判断した根拠は一体何なのか?

少女の母親が、肺炎は改善しつつあると言っているのが事実なら、
肺炎でもう手の施しようが無いほどの状態ではなさそうだし、
他に末期状態と判断する材料がこの少女の身体に出ていたのか?

まさかありえないと思うけど、テイ・サックス病で6歳なんだから、
もう末期だろうなんて、短絡的な理由ではないよね??
(万が一それが理由なら、我が娘は末期状態のまま何年も生きていることになる)

ある病院スタッフから「治療が本人を苦しめている」という話も出ていると
言うのも意味が解らない。

肺炎で苦しい思いをしてるのに、治療をしなかったらより一層苦しめる
ことになるんじゃないの?

今後同じような状態(集中治療が必要な肺炎)になった場合、治療を見合わせたい
って、(そうなったら自然治癒するわけが無いのに)、「どうせ長く生きられない
病気なんだから、もう死んでくれ」ってことじゃないのか~!!


我が娘みさきさんも、1年に何度も肺炎を繰り返して入院していた時期が
あったし、かなり危ない肺炎にもなったりしたけど・・・。
もちろん入院中は身体の辛い状態だから、いつもと違ってボーッとしているし、
力もない感じ。

でも肺炎が治って家に帰れば、今日は機嫌がいいな♪とか、おっ、怒ったぞ!
とか、いろいろ表情で表わしてくれるわけで。

だから私はみーたんを末期だと思ったことなど、当然一度も無い。

この記事の両親も全く同じだと思う。


ではなぜ病院は、この先の集中治療を見合わせたいのか?

英国の事情が解っていない私には想像できないけど、
この両親が言ってる通りにお金の問題なのか・・・?

だとしたら、お金さえ払えば治療してくれるのか?


だとしても、こんな風に言って来た病院に、この先安心と信頼を持って、
病気の子供を託すことは、私だったらできそうにない。


こんな事、あっていいわけがない。

出会い

2010年11月11日 | Weblog
「子供がテイ・サックス病と診断されました・・・」


と言うメールを、今までに何度か頂いて来ました。



そして今年の9月、新たに「最近診断されました」とのメールが届きました。

いつも少し切ない気持ちでメールを読み始めるのですが、今回のそのメールの
内容に私は驚きました。


何故なら、最近テイ・サックス病と診断されたそのお子さんは、
中学2年生の男の子だったからです。


日本のテイ・サックス病児は、いわゆる「乳児型」がほとんどで、発症が早く
1歳前後~2歳位には診断されることが多いのではないかと思います。

ですが、その男の子のお母さんから今までの経緯を聞き納得。

彼は「若年型テイ・サックス病」だったのです。

若年型は、日本では「乳児型」より更に数が少ないこと。
発症が乳児型より遅いこと。
症状の進み方が乳児型よりは緩やかであること。
眼底に異常がみられないことが多いこと。

等々のことから、診断が大変難しいのでしょう。
私も今までに出会ったことがありません。


もう何年も病気が判らずにいらしたようで、今年の4月に新しく赴任して来た
先生が見つけてくれたとのことでした。

こうして私は「若年型テイ・サックス病」の男の子との出会いがあった
わけですが、彼もその新しい先生との出会いが彼の病名を知ることと
なったわけで、人と人との出会いは本当に不思議な縁だなぁ・・・と
思います。

これから情報交換しつつ、一緒に頑張って行きましょう!

(しかし、その先生、すごいなー、よくテイ・サックス病かもしれないと
見当つけたなー)

でも、もしかしたら診断されてないだけで、若年型のお子さんは他にも
いるのかもしれませんね。(それだけ若年型の診断は難しいと言うことだと
思います)


とても前向きで愛情いっぱいのお母さんがブログを始められたので
ご紹介します。
  ↓

テイ・サックス病と診断されて






長文につき、興味の無い方はスルーして下さい(笑)

2010年11月08日 | Weblog
HPを始めてしばらくは、ここで日記を書くことが一つの
ストレス解消になっていて、割と思ったことをそのまんま
書いていたような気がする。


それがだんだん、


言葉の難しさとか、誰が読むか分からない恐ろしさに
気づき、いつの間にか「当たり障りの無い事」しか書けなくなった。


そんな「当たり障りのない事」の文章でも、自分の中ではかなり
考え、言葉を選ぶようになった。


すると今度は「当たり障りのない事」さえも、書くことが疲れるように
なってしまった。


ここに書きたいと言う気力が湧かなくなった。


止めようかな・・・  何度も思った。




でも時々発信したくなる。

みさきやしゅんのことだけではなく、

自分が感動した時なんかは特に。


そんなんで、今日はちょっといつもと違う感じのブログに。
(長くなるので面倒な方はスルーして下さい)



日々、みさきやしゅんと向き合っていると、

自分の生きている意味や どう生きるべきかを考えることがある。


もう何年も前の話だけど、

「自分のために生きることは考えないの?」

と聞かれた事があって、

それから時々、この言葉を思い出しては考えている。


今、私は

確かに子供たちのために生きている  と思う。

でも

子供たちのために生きている=自分のために生きている   と言うことだ。


みさきやしゅんには、生きて行くためにやらなければならないことが
たくさんある。

私が自由にできる時間なんて僅かしかない。



それでも

子供たちのためと思ってやっている事全ては

「子供たちとずっと一緒にいたい」と言う私の切なる願いを叶えるため。

つまり自分のためなのだ。


人それぞれ、いろんな生き方がある。


ただ


誰かのために生きる  と言うことは

その誰かのためだけでは決して終わらない。







話は変わりますが



最近、いろいろ考えることが多く・・・


そんな中、

みさきの小1~2の時の担任の先生から、我が家の長男に向けて

こんな言葉を頂きました。


清水 眞砂子さんという方がF君という少年に向けて伝えたもの
(『本の虫ではないのだけれど』)だそうで


「(中略)君に、もうひとつ伝えておきたいことがある。
他人が自分のことをどう思うか。きみは、これからますます気になりだすと思う。
気にするなって言ったってそれは無理なこと。気にならないのが、不思議なくらいだ。
そこで、言っておきたいのだけれどね、(中略)、
これからは、ほめてくれる人の言葉だけに耳を傾けるといい。
ほめてくれることばだけ大切にするといい。
いい気になりはしないかって? いい気になっていいんだよ。 
実はねえ、F君、きみがこれから生きていく世の中には、
ほめてはげましてくれる人より、けちをつけて、きみの気持ちを
くじこうとする人のほうが残念ながらずっとずっと多いのだ。
だからこそ、ほめてくれる数少ない人のことばに耳を傾けて、元気にならなくちゃ。
 そうやって、顔をあげて生きていってごらん。
そうすれば、きっとすてきな人、すてきなものにいっぱいいっぱい出会えるから。」



我が家のお兄ちゃんに、もちろん読ませました。


だけど、この言葉は、かなり私自身の心に深く深く沁みました。


落ち込んだ時の自分に聞かせたい言葉になりました。


先生、心からありがとう。