夫の体調記録~がんばろっ!~

お気楽夫婦だったのに・・・悪性リンパ腫と闘った夫、妻の日記

移植後の口内炎、黄疸など

2006-10-23 12:15:11 | 夫の体調記録
10月になってから少しずつ意識障害が出始めた気がする。
一日一日ゆっくりそれが進行し、夢の時間が長くなっていた。
でも少なくなってくる自分の意識はしっかり確かな強い意志があった。

口内炎も徐々にひどくなってきた。
すでに食事はストップしているが、
10月第一週の末頃からかなりひどい状態だった。
舌の表面も剥けてるし、口内全体がとにかく荒れている。
喋るのも辛そうだ。

だから、あまりはっきり何を言っているかが聞き取れない。
なので私は見当違いの解釈でいい加減な返事をしていると
アカオさんは自分の耳に人差し指を指して
目を三角にしてぶつぶつ言っている。

アカオさん 「耳、聞こえないの・・・」

私 「え?耳も聞こえなくなったの?」

アカオさん 「耳鼻科に行って・・・」

私 「え?耳鼻科の先生を呼ぶの?耳が聞こえないの?アカオさん!!」

アカオさん 「あ・ん・た!!」

と言って、アカオさんは人差し指を突き出して
私を指した。

”何で俺の言ってることが聞き取れないの?
 お前は耳が悪いのか?耳鼻科に行って看てもらえ!”

といういつもの冗談だ。

笑ってしまった。

10月第二週になると器官や鼻の血管からの出血のためか
口内に血がいっぱいだったから、
その血の塊と口内炎で剥けた皮膚や唾などがまざったような
口内が赤く汚れている。
本当に可哀想だ。
でもうがいをすることもできない。
看護婦さんに歯ブラシ代わりのスポンジ状のもので
洗ってもらったりするけれど
強くはこすれないし、うがいも上手にできないし、
本当に辛いことだろう。

筋硬直してからは顎が開きっぱなしだ。
閉じたくても閉じられないみたいで、疲れて辛そうだ。

でも第二週の後半には、
顎を閉じることもできた。
閉じているか空いているか、あまり自由はきかないけれど、
主治医が「口をあけてください、とじてください」と言った時は
それができた。確か第二週の後半。
だから私は、意識混濁も治りつつあるんじゃないか?と
希望さえ思えた。
今思えばそれもアカオさんの強い意志の賜物かもしれない。

肝不全に近い状態と言われてから
確かに皮膚や目が黄色くなってきていた。
でもその目の黄色いのも後半には徐々に白くなっていた。
血漿交換をしたからかもしれない。

体内では腸管や器官が炎症し、出血し始めていた。
それさえなければ、肺に血液がたまらずにすんだのだろうか。
そうすれば、徐々に白血球も上がってたし、
肝機能もゆっくりでも自力で上がる可能性がないわけではないんだから
命を落とすことまでにはならなかったんじゃないだろうか?

いや、わからない。
そんなことを考えてしまうのは家族だからであって
本当に、綱渡りの治療だった。


アカオさんは本当に辛抱強く、そして明るく前向きだった。

口内炎で喋りづらくても
主治医の説明には、頑張って復唱したり質問したり
一生懸命聞いていた。
看護婦さんが薬を交換する時名前を確認する時にも
「はい」としっかり応えたり
「ありがとうございます」
と、敬語で応えていた。


その応え方が徐々に可愛らしくなり
看護婦さん達にも評判だった。

「ありがとう・・・ございます。」

一生懸命、口にしていた。


看護婦さんがいない時には
私には
「トーイーレー」と言ったりしていた。
いいんだよ、ここでして。取り替えるから。
「トイレに行きたい。早くぅー」


人工透析3回目が終わったころ、
思いのほか腎臓機能が横ばいから上昇していたので

「一つの山を越えたって言ってたよ。先生が。
 頑張ったね!」

「え?どこの山?」

なーんてひょうきんなことを聞き返して、
かわいいというか、拍子抜けするというか。。。


第二週の時だったけど
看護婦さんがいて、何かの話で私が心配したら
「俺のいうことを信じちゃだめだよ~」と
うっすら笑いながら人をからかうように
いつもの調子で冗談言っていた。

こんな時でさえ、そんなひょうきんに接してくれるのだろう。



手を胸の上にあげて
じーっと自分の腕を見て
「虫がいる・・・」と怖がっていた。
「いないよ、大丈夫、きれいだよ」

天井をじーっと見開いた目でみつめて
何かに怯えているような状況もあった。

私は思わず
「何もいないよ!誰もアカオさんを連れて行かないよ!
 大丈夫だよ!!何も見えないよ!!」
と言って、何もないアカオさんの見つめる先を
手で振り払った。

まるであっちの世界とこっちの世界を行き来しているような
そんな感じ?
やだ、やだ、やだ!!
まだアカオさんを連れて行かないで!
アカオさんはまだまだこっちの世界で生きていくんだから!!

10月の最初の週は
私はあまりアカオさんには何も言わなかった。
治るのは当たり前だから、悲しいことは言わなかった。
でも4日の日、二人の時に
今までわがまましてきてごめんね。と涙を流した。
アカオさんは聴こえてたのかな?知らん顔してたけど。

それ以外は、
私はなるべく涙を見せず、
「大丈夫よ!大丈夫でしょ?!夢見てたんでしょ?
 しっかりね!私達がついてるから。私が治してあげるから!!
 ちゃんとプロの先生にお願いしてあるから!
 絶対助けるから!安心してよ!!」
そう言って強気で励まし続けた。

アカオさんは必ず治すという自分の強い意志があったから
決して弱気にさせないように励ました。

それでよかったのかどうなのか、
今となっては
「早く、帰ろう」と言っていたとおり
家に帰らせればよかったのだろうか。
お風呂に入らせたかったし、
かわいがっている猫と会いたかっただろうから
それをかなえさせれば
もしかしたら治ったのだろうか?

本当に家族としても
どうしたらいいのか、何もできないもどかしさが
とても辛い看病生活でした。

血漿交換2回目の11日~13日のこと

2006-10-22 23:21:10 | 夫の体調記録
■10月11日(水)

今日はどうだろうと、ドキドキしながら
午前中のうちに病院に行った。

昨日と変わらない羽ばたきをしている。

でも、白血球は1200に上がっている!
1,000を超えた!!嬉しいっ。

先生がおっしゃるには
1200かそれ以上が3日間続けば、今日この日が生着日となるそうです。

今日は、CRPも2.9に下がっている。
昨日が6.6で徐々に下がってきていたので、2.9なら
ステロイドの効果だろうか、炎症が抑えられているのかな、
なんかホッとする。

主治医の説明では、ビリルビンは昨日30台だったのを
血漿交換で10台に下がったけど
今朝は20台に上がったので
また今日も血漿交換をしておく、とのことでした。

それは循環(血圧)への負担になる不安もあるけれど
どうか悪い毒素を排出して、
どうかアカオさんの肝機能が自力で上がれるように
悪いものを出して欲しい、切に願う私は早く願った。

このビリルビンが憎らしい。
この数値さえよくなれば
意識障害も徐々に治るのではないか?
白血球がせっかく上がっているのだから
どうか内臓の方の悪化は押さえてもらいたい。


とにかく私はアカオさんのそばにいて
一生懸命励ます。
「肝機能が自力でよくなるように、
 悪い血漿を捨ててきれいな血漿を入れてもらうからね。
 薬も抑えて肝機能が自力で頑張れるように
 アカオさんも意識をしっかりもって頑張ってね。
 体力温存してね。」
アカオさんは私の説明をよく聞いていたから
だから頑張ったのだと思う。
一生懸命しっかりと対応していた。

先生からはアカオさんは貧血気味なので
ヘモグロビンを輸血します、とのこと。
血小板、赤血球の輸血量はこの後も増えた。

今日も血漿交換後は少し落ち着いていい感じ。
目の焦点もしっかりあってきて、はっきりしている。


そういえば10月に入ってから
「日本茶が飲みたいな」と言っていたので
4日に急須とお茶を買って来て飲ませた。

「美味しい」って言っていた。

4日以降、お茶を飲む日が続いた。
飲むといっても一口か二口すする程度。
でも自分でしっかりコップを持ってすすっている。

香りがするせいか、「美味しい」って言っていた。
口内炎がひどく荒れているから
本当は辛いんだろうけど。。。


この11日もお茶を入れた記憶がある。
「お茶飲みたいな~」って言ってたから。

それがアカオさんにとって最後に口にしたものだった。(水以外で)






■10月12日(木)

この日は自力での数値をみるために血漿交換はお休みの日。
先週から主治医には
病院にきたらその都度状況説明するので、とのこと。
それだけ明日が読めない、毎日が変化するそんな一週間ということであり、
何せ症例の少ない稀なタイプの悪性リンパ腫で
臍帯血移植後なので
先生達にとっても危ない綱渡りのさじ加減の微妙な慎重な時期なのでしょう。


私は思うのだけど、
先生達の医療のプロフェッショナルな技量で山を乗り越えてるけれど、
それだけではなく、
アカオさんの生き抜くという強い信念と意力の頑張り、
この二つのバランスで山を乗り越えている気がする。
アカオさんは凄い!

この12日(木)は穏やかな一日でした。
よく眠っています。本当によく眠っています。
きっと羽ばたきで筋肉使うし、連日疲れていたんだと思う。
時々起きて、私とコミュニケーションはとります。
その時の焦点はしっかり合っています。
だから昨日よりいい感じ。
なんか日に日によくなる気もする。

冗談だって言っている。
明るくひょうきんにしている。

今日も白血球は1,200.
そしてCRPは2.1とさらに下がっている。

それをアカオさんに伝える。
白血球も上がっているからね、いい感じだよ。
あとは肝臓が頑張ってくれるといいね。
頑張ろうね。

そうやって私はアカオさんのお腹や背中、足をさすったり
マッサージする。

苦しそうなのはなんといってもお腹が腫れていること。
こないだ足のむくみもなくなってきたと思ったのに
また少しずつむくんでいる気がする。


■10月13日(金)

 白血球は960。少し下がったから心配したけど
 看護婦さんに言わせると1000を切ったと言っても960ですから
 大丈夫ですよ。

 とにかく出血が多い。
 だから輸血も相変わらず大量に続いている。
 アカオさんはそれを心配そうに見ているから
 私はちゃんと説明してあげる。
 貧血気味だから輸血するんだって。
 一回ずつ、血小板だよ、次は赤血球だよ、とその都度説明する。
 だってアカオさんはちゃんと何をどうするかを気にしているし
 ちゃんと見ているんだもの。
 先生や技師や看護婦さんが来るたびに
 目をしっかり見開いて確認しているんだもの。
 今何をしているのか、自分はどういう治療を受けているのか。

 早く帰ろうという叫びは徐々にしなくなった。
 私が
 「しっかりここで治してからだよ。
  ここは病院だよ、優秀なプロの先生達がいるから、
  ここでしっかり治してから帰るよ。中途半端はだめでしょ。」
 そういうと
 我にかえり、しっかりと理解して
 また頑張る!という意思表示をする。


今日は午前中早い時間は穏やかだったけど
正午直前くらいから意識混濁とし痙攣がまた始まった。
また焦点が合わなくなってきた。
2~3日前みたいに戻ったような状態。

朝行ったら口中に血がいっぱいだった。
鼻や喉の血管が傷ついて出血したらしく
血の塊が喉に引っかかっているせいか
呼吸が荒い。
つまり出血をし、血小板が少ないから血が止まりにくい。
で、結果として息苦しくなっている。
輸血はさらに倍の量に増えた。

息苦しさのせいでまるで喘息のように呼吸のたびに音がする。

今日は血漿交換をした。3回目だ。

血漿交換後は少しずつまたしっかりしてきた。
説明すれば理解するし、しっかりと手を握り返してくれる。

とにかく自分の意識はしっかりある。

私はアカオさんの胸に顔をうずめる。

「しっかりしてね!
 きっとアカオさんを助けるからね!
 私がついてるから大丈夫だよ!
 ちゃんと一流の先生にお願いしてるんだから!
 苦しいだろうけど、頑張って乗り切ろうね!!」


アカオさんはきっと私のこの言葉を理解していると思う。
手を握ってくれるし、
私の顔をなでて
「だいじょうぶだよ」そう言っているようだった。

「俺は大丈夫だよ。死なないから。」

きっとそう言って慰めているに違いない。

確かこの日か前日だったか、
「早く帰って寝なさい」って言ってくれていた。

たとえ自分がどんなに苦しくても
優しい気遣いをする、そんな夫でした。


夜は病室の照明も暗くし、二人でゆっくりした。
私は面会の最後の時間8時までそばにいた。
アカオさんは苦しそうで、もう水も飲めない状態だし
本当に苦しそうだし、お腹が張ってとっても辛そうな日が続いている。

意識混濁として不安がって動くけど
「どうしたの?夢を見てたのね?大丈夫?大丈夫だね。」
と言うと
はっと目覚めたように「うん」とうなづいて静かになる。

そういえば白血球が上がってからは痒みはないようだ。
薬で炎症も抑えられ熱もないので
ここ何日かは楽そうだ。
とはいっても苦しそうだけど。



本人は白血球が上がっていることを励みに
頑張っている。
だから感染しないように、という私の呼びかけに忠実に
手を清潔にしたがる。
目や鼻や頭をよく掻いていたけど
目や鼻をいじらないように
無意識に伸びる指を、その直前で押さえたり
自分の中で気をつけている。

数日前から
目の周りが傷ついていた。
乾燥なのか切れている。
で、自分から薬を頼んでいた。
とにかく気をつけている。

この日あたりかちょっと前だったか、
「お腹が痛いから薬を頼んで」って言っていた。

はちきれそうにパンパンに張っているお腹。
本当に怖かった。

14日以降のことは
また落ち着いたら書きます。

とにかく毎日が
明日がわからない、そんな無我夢中の一週間でしたので
記憶が前後しています。



10月10日(火)、主治医から電話で呼ばれる

2006-10-22 22:15:59 | 夫の体調記録
三連休の最後の月曜日の体育の日は、
ゆっくり穏やかにいられた気がしていた。
でもアカオさんは体内で病魔と闘っていた。
苦しいと、ひとことも言わず。

ここのところ午前中のうちに病院に行っていたけど、
翌火曜日の10日、私は店の後処理のことや荷物運びの用事があって
朝から出かけた。早く病院に行きたかったけど
前夜は穏やかだったし
アカオさんも
「たまには早く帰って寝たら」
なんて言ってくれて。。。

荷物を運び終わって午前11時頃、病院に向かうために
バス停でバス待ちしてる間に携帯を見たら
病院からの着信と留守電。
看護婦さんからで
「今日は急変したので
 先生がお話したいことがあるから今日は早めに病院に来てください」
と。
それを聞いた直後に
携帯電話に主治医から電話があった。
急変したというのは意識障害がはっきり現れ
目の焦点も合わないことと、質問への反応も鈍っているという。
肝臓機能の急な悪化のため
血漿交換をしたいのでその説明と同意とのこと。
でも、血漿交換は急ぎたいので詳細説明の前に先に行うこともあるが
それでいいかという確認だったので
「お願いします!」と頼む。

それから一時間後に病院に着いた。
主治医から早速説明を受ける。


■8日の説明では、
移植後16日目の状況としては、

・白血球は280で上がっている

・10/4、キメリズムではドナーが99.8%置き換えられている。

・腎臓は、尿排出も増えているし、腎機能としては横ばい~改善。

・肝臓は、GOT、GPTの数値は10/4がピークだったけど、
 以後は減少しているので良い兆しであったが、
 不安なのはビリルビンの悪化とのこと。
 ビリルビンの数値が高い。
 これが黄疸の原因で意識障害や痒みが出ているとのこと。

・感染; ウイルスは、サイトメガロの他に、HHV-6も少量見られる。
     細菌は今のところ不明だが、抗生剤を使っている状況。

・腸管; 麻痺しているので、座薬を使って便が出るようになって
     改善されている。

    ステロイドを使って炎症を抑えている。


以上が10/8(移植後16日目)の状況説明だった。




■10月10日(移植後18日目)の状況説明では、

・残念ながらビリルビンの高値持続してしまっていて
 →つまりそれは肝不全。。。
        ↓
    肝性脳症で意識レベルの低下。

・腎機能低下で尿毒症
 →尿の流出は良くなっている。


なんといっても今の敵は「ビリルビン」。

そのためにけいれん、筋硬直がある、
意識昏睡、呼吸停止の危険高いとのこと。
   ↓

なので、「血漿交換」をする。

血液の血漿成分を輸血由来の新鮮凍結血漿と交換することで
毒素を除去。
意識レベルをみながら数回施行することもある、
とのことでした。



またまた頭が真っ白に、大きな何かで叩かれた気分です。
せっかく尿も便も良く出るようになり、
白血球も徐々に上がり気味だし、
一時は危なかった腎機能も改善気味だと言うのに!!
腎機能低下の山を乗り越えたと思ったら
今度は肝機能悪化とは!!


数日前から徐々に夢の世界が多くなってるようだったけど
アカオさんの確かな意思は強くしっかりしてたのに、
この日は目の焦点も合わず、そして手は上に上げけいれんし、
足もぶるぶる震えている。
アカオさんの意識はどこへ行ったの?!
なんて、なんてかわいそうな姿、、、。

そしてとても怖がっている。
手を上にあげ何かに怯えているような
何かが見えているようで恐怖に追われているような
そんな姿だった。

血漿交換の準備に2~3時間かかるその間、
意識混濁で焦点も合わずに、
そして手がけいれんしているアカオさんのそばで私は寄り添って
とにかく励ます!

いつものように声をかけ、体をさすり、
寝ている体に私の上半身を近づけ抱き合う。

いつもどおり声をかける。

「だいじょうぶ?!大丈夫よね?!
 アカオさん、しっかりしてね!
 白血球は今日は720に上がってるんだよ!
 でもね、肝臓を自力で頑張ってもらうように
 体内の毒素を出すために
 血漿交換っていうのをこれからするんだって。
 こないだの人工透析みたいな感じだから
 血圧が低下しないようにしっかりみながら3時間くらいやるそうだよ。
 体力残すために、しっかり意識を持って、体力を温存しておいてね。
 頑張ってね!」

あまりに手を動かしてもがいているアカオさん。
だから体力取っておいてよ、と伝えたら
しっかりそれを聞き分けていて、
これから何をする、ということを理解して、
一生懸命、手を動かさないように気を遣っていた。
でもまたけいれんで動いてしまう。
で、また疲れないようにね、と言うと、じっと我慢する。

血漿交換をしている間、
血圧は変わらずにいるので順調のようだ。

血漿交換が終わって少し落ち着いたのか、
焦点もあってきたし、自分の意識もある。
話をすればyes,noは反応するし、
呼びかければちゃんとこちらを見てくれる。

でも自分からは喋りにくそうだ。


肝不全からの意識混濁、、、
まさか自分の夫が、こんな状態になるなんて!!

でも、アカオさんはそれでも
「治すんだ!絶対生き抜く!」という意力が強い。
だから意識混濁で口もあきっぱなし(筋肉硬直)で
体が思うように動かなくて
両手を胸の上にあげてふるわせているけれど
目の焦点もあわせづらいけれど、
でもそれでも看護婦さんが点滴交換にくると
一生懸命そっちの方向に向こうと頑張って動いて
そしてしっかりみつめている。

胸が痛い、、、こんなに闘っている、
「壮絶な闘い」とよく言うけれど
文字通り、いや、文字以上の本当に壮絶な闘いをしている。

この姿を娘に見せるのは辛いかな、
アカオさんも見せたくないだろうし、娘が見たらショックだろうな、
と思ったけど、
夜に娘は病室に来てびっくりしていたし泣いていた。
でもしっかりアカオさんに声をかけて励ましていた。

アカオさんも娘の呼びかけに反応して
うん、うん、とうなづいていた。

そして帰り際、心配そうな娘に優しいまなざしを送っていた。
私にはアカオさんが言いたいことが解る。
言いたいけれど筋肉硬直でうまくたくさんは喋れない。
だから私が言ってあげた。

「大丈夫だよ、お父さんは大丈夫だから心配するな。
 それより子供と旦那を大切にしなさい。お父さんは大丈夫だから
 早く帰りなさい。
 きっとアカオさんは今そう言ってるんだと思うよ」

と言ったら、アカオさんはうなづいていた。

そして面会時間の終わりごろにはもう静かに寝ていたようなので
私達は帰ってきました。



アカオさんは本当に闘っていた。
恐ろしい病魔と、孤独と不安と。。。





 


10月9日の週<1>

2006-10-22 15:37:40 | 夫の体調記録
一つの山を越えることができた。
腎臓機能は横ばい(悪くなってない)ということで
人工透析を月曜日にするかどうかと言っていたが、
結局やらないそうだ。

白血球も9日(月)は500。
CRPは徐々に下がって8.1になった。

この日は二人でのんびりゆっくり過ごした気がする。
もちろんアカオさんは苦しく辛いだろうけど
言葉にはしない。
わりと寝ているが、時々夢と現実を行き来している。

背中が痛いというので
とにかく背中をもんだり、さすったり、
足をさすったり足指をもんだり、
私にできることはそういうことだけ。

白血球が低いのでなるべく頭の近くにはいかないで
足元に近い方に椅子を置いて座るけど、
とにかく今は気をつけながらもそばにいて手を握る。

4日から娘が毎日仕事帰りに寄ってくれるけど
月曜日は穏やかだったので
「三連休の最後くらいは自宅でゆっくりしてていいよ」と
言ってあげた。
でもアカオさんは
「今日は○○は休みか?」と聞く。
娘は出勤してるわけじゃないんだけど、仕事(店の営業)と面会と
ごっちゃになってるのだろうか?夢で。
「うん、今日はお休みだよ。明日来るって」と言ったら
「明日は皆来るのかな?」と言っていた。

んー?どういう意味かな?
明日は皆面会に来るのか?という意味なのか
明日は皆仕事(店)に来て揃うのか?と店の仕事を気にかけているのか?

よく時間を聞いたりする。
「今、六時だよ」
「今日は弁当(の注文)入ってなかったか?」
「うん、入ってないよ」
「あー、良かった」
と言って安心して寝てた。
お客様の予約注文の弁当の仕込みができてないから
焦ったのだろう。
そんなふうに仕事の夢をよく見ている。


このまま腎臓もよくなって、肝臓が悪化しないで、
白血球が上がってくれれば、、、
それだけを祈りながら
私はアカオさんの体をさすっている。

ステロイド治療をしてるので
熱はないので楽そうだ。
お腹は相変わらずパンパンにはって苦しそうだけど。

手も足も体も温かい。口内炎がひどくて可哀想だけど。

食事は一切とっていない。だから体はみるみる細くなっているし
筋力もなくなっている。
お腹だけが膨らんで、足先もむくんでいる。

主治医の先生は今月になってずっと休みなくいてくれる。
毎日病状説明をしてくれるし、一日に何度も病室に診察にきてくれる。

尿も便も出ていて、状況はいいそうだ。






もしかしたら、、と言われた週の様子

2006-10-22 00:28:14 | 夫の体調記録
4日(水)に近親者が集まってから
明日が読めない深刻な日々でしたが、
アカオさんの強い意志はしっかり保てているし
明るい兆しさえ感じた。
それが証拠に腎機能も改善気味とのことで
尿も便もよく出ている。


相変わらず腹水がたまったままで
お腹がパンパンに腫れているのが心配。
そのために呼吸も圧迫されて苦しそうだし、
横になることすら辛く苦しい(当然一人では横になれない)。

この週は、意識が朦朧とする中、私に
「早く!早く!・・・」

「早く、帰ろう。早く支度して。早くしないと!!
 こんなところにいたら病気になっちゃうよ。
 早くして、早くぅ~・・・」

「なにやってるんだよ!なんでわからないんだよ!
 早く帰ろう!早くして!」

ひたすら焦っていた。
それも必死な顔で。
自分は焦って早くここから出て行こうとしたいのに
私が何もしないことがもどかしそうで
目を三角にして泣きながら怒っていた。
それも自分が動きたいのに動けない。
体力がないからベッドの手すりを必死に持って
自力で体を起こそうとするのに
それさえできない自分へのもどかしさ。
そのために悲しそうに「なんでこんなに言ってるのに解らないんだ、
早く帰らないと・・」と必死に訴えかけてくる。

何が【早く】なのか?

たぶん
早くお店を開けなければ、という意味と
早くトイレに行きたい(もよおしそうだから早くトイレを)という知らせと
早く家に帰ろう、という3つの【早く】を言っていたのかもしれない。

病魔が体内で襲ってくるのが本能で感じるのだろうか、
このまま無抵抗のままでは病魔にやられてしまうから
早く逃げよう、というそんな必死な姿だった。そんな気がする。

その泣きじゃくりながら「早くぅ~」という訴えが
日に日に必死に、日に日に強くあらわれてきた。
でも、それは私と二人でいるときだけだ。
看護婦さんや先生が来ると
急に静かになって穏やかにしている。

早く逃げようというのがばれないように、
病院側に気を遣っているのだろう、きっと。
つまり早く病室から逃げたいのは必死なんだろう。
妻の私にだから本心のわがままを言うのだろう。


ある時、とても興奮して「早く!」ともがき訴えるので
酸素が少なくなったらしく
看護婦さんが飛んできて
「アカオさん!どうしましたか?!」と聞かれたら
駄々をこねているのをふだんは気を遣って隠しているのに見られたからか、
「この人がうるさいんですぅ~」と
人差し指を突き刺して私を指した。
「おいおい、私のせいかよー?」と
思わず笑ってしまうお茶目なことをしてくれた。

ある時は、「早くぅ」ともがきながら訴えていたのに
主治医が来たとたん
何事もなかったように急におとなしくなって
両手を胸の上に当て、穏やかな顔で寝たふりをした。
模範患者のような静かな安らかな顔をして。
「おーい。。。まったく先生の前ではいい子しちゃってぇ!」と
思わず笑ってしまう。



それは肝不全に近い症状のために徐々に脳に襲ってくる意識障害が
体で恐怖となりわかるのだろうか、
自分の意識があるうちに、必死に私に訴えているようでもあった。

4日、危ないかもと先生に言われてから
翌日から不安な思いで病院に早く行っていたけど、
日に日に自分の意思はしっかりしている気もする。
だからもしかしてよくなる兆しかと安堵するくらいだった。
でもその意識が保てる時間が少なくなってきている、一日一日と。
夢を見ているような、うなされている時間が長くなってきている。
でも、その合間に表れる自分の意識は確かでしっかりした気力であった。
なぜなら
「大丈夫?!アカオさん!!」と言うと
「大丈夫だよ」としっかりしていた。
それに
看護婦さんが点滴や輸血を取替えに来る時も
しっかり名前を確認するし、しっかり返事するし
薬を取り替えているところも
目を見開いてしっかり見ている。


主治医が来るとその説明をしっかり聞いている。


そういえば5日に、

肝臓は薬のせいでダメージを受けているから
薬を抑えていきます。
という主治医の説明を私がアカオさんに伝えた。
肝機能が自力でアップするように
頑張ろうね!と添えて。

看護婦さんもそばにいたせいか
アカオさんがその後に言ったセリフは

「薬はいかんぞう」(薬はよくないよ)

これってダジャレ(オヤジギャグってやつですか?)です。。。


苦しいっていうのに
こんな時までいつものダジャレを言うなんて!!

思わず嬉しくなってしまいました。
やっぱりしっかりしてるじゃないか!!
アカオさんはなんて強いんだ!



それから、土曜日か日曜日だったように思うけど
主治医からの話では
体内では抹消血ではすでにドナーの細胞がほとんどになっていると聞いた。
つまりアカオさんの悪い細胞はほぼ消えて、
ドナーの新しいきれいな細胞が抹消血にある、という
嬉しいニュースだった。
あとは、そのドナーの新しい造血細胞が
アカオさんの体内で活性化してくれればいい、という
その待ちの状態だ。

その説明をした後
主治医も病室に来てくれて
アカオさんに直接説明してくれた。

そしたらアカオさんは
先生をしっかりみつめ、
「ドナーの臍帯血がアカオさんの体内にほとんど広まって
 アカオさんの血はなくなっていますよ」
という先生の話に耳をすまし、真剣によく聞いていて、
「そうですかー。赤ちゃんの血がなくなったんですかー。」と
きちんと先生に復唱して確認で聞いた。
口内炎のために言葉がはっきりしないのと、
意識障害の影響で話が難しかったのか勘違いしてたので
先生が
「違いますよ。赤ちゃんの血が増えて
 元々あったアカオさんの悪い細胞はなくなってますよ」
と言ってさらに説明を加えていた。

アカオさんはうなづきながら必死に先生の話を
丁寧にきちんとしっかり聞いていた。

その一生懸命に先生の話を理解しようとする姿が
なんとも可愛らしく、またなんともせつなく思えた。

だけど、意識障害が出始めてるといわれたのに
それでもこんなにしっかりしてる。
「病気を治すんだ!」だから治療のことや体の状態について
 しっかり確認しながら毎日必死で闘っている。
だから点滴や薬が変わるときも
しっかり見ながら必死で見ていた。
自分は何をされてしまうんだろう、
しっかり薬や治療法を確かめながら、自分を守るために。


それにしても大量の種類の薬、強い薬、
本当にかわいそうになる。
どれだけ体内が荒れ、辛いことなんだろうか。
どうにしもしてあげらないもどかしさ。
かわいそうだけど、医学に治療を預けた以上
この治療法を続けなければならない、
でも化学の薬は、本当に恐ろしいほど体内に強い。
もうかわいそう、やめて欲しい、そう思う気持ちを必死で私は抑えた。

助けてあげるってどういうことなんだろう。
でも今はこの方法で助けてあげるしかない。

そんなことを言い聞かせながら
苦しそうなアカオさんのそばにいることしかできない。

ずっと寝てるだけで
自力で横向きにもなれないアカオさん。
すっかり弱まって筋力も衰えた手で
必死でベッドの手すりをつかんで
少しでも体を横にするその動きが見ていて辛い。
そして私は、痛いという背中をさすってあげるしかできない。

そういえばこの週や翌週の前半には
体が痒いといってずっと常に体をかいていた。
物凄く痒いんだそうだ。

主治医に聞くと
それも肝不全の影響かもしれない、と言っていた。
あとで看護婦さんが言っていたのは
白血球が上がる時は痒がる患者さんが多いです、とも。


6日(金)は3回目の人工透析だったけど
この日は人工透析の技師さんがニコニコした優しい顔の男性で
時々優しく声をかけてくれる人だったので
終わり際に「ではアカオさん、お疲れ様でした~」
と退室しようとしたら
アカオさんも
「バイバイ」とニコニコして手を振ったりしていた。

可愛かった。


徐々に意識障害が強く出始めているんだけど
土日月の三連休はわりと平穏だった。





永眠

2006-10-17 02:29:24 | 夫の体調記録

■2006年10月16日11時32分 息をひきとりました。


言葉どおりの「壮絶な闘い」をしておりました。


看守る家族側も不安と希望との闘いで
日々の記録も書き留められない状態でしたが、
追って書いていこうと思っていた矢先のこと、
残念な、あまりにも急すぎる最期になりました。

昨日の更新の続きから今日までのことを
後ほどここに記録したいと思っています。



「アカオさん、お疲れさまでした。

 本当に、本当に最期まで闘っていました。

 やっと家に帰って来れたね。。。ゆっくり休んでください。」


今週いっぱいかも、と言われて。

2006-10-15 10:06:58 | 夫の体調記録
4日(水)に主治医から
「かなり深刻なな状態で、意識障害が出始めているので
 今週が一つの山です」みたいなことを言われてから、

だけど、最後まで奇跡を信じようと、
アカオさんの体をさすったり、声をかけたりした。

10月5日(木)、10月6日(金)と
少しずつ意識障害が出始めているようで、
また、体中とても痒く、背中も痛く、何よりも苦しく辛い様子。

「冷蔵庫に入れておいたよ。ほら、早く見てみぃ!
 何ボーっとしてるんだよ」

どんどん意識が混沌としているようです、
そんなアカオさんを見ているととても悲しくなってきました。
頑張って!アカオさん!!
負けないで!頑張って戦い抜いて!!

と、声をかけてばかりいると

「うるさいなー。頑張ってるから大丈夫だよ。
 何回も言うからノイローゼになっちゃうよ。」


そんないつもの冗談混じりなことを言っている。

人工透析は通常1週間に3回、つまり一日おきに行うそうですが
3日、4日と連続で行い、5日に空けて
6日(金)に3回目の人工透析をした。

アカオさんの白血球はまだまだ100台で、200台になったのが8日(日)。
CRPは、移植した頃からぐんぐん上がっていて高いのですが、
この頃でも16.1とか17.1とか。


5日(木)のデータでは
腎臓は改善気味とのこと。
横ばいという感じ。低下はしていないから、まあいいほう。

6日(金)は
肝臓も改善気味とは言っていた。

7日(土)あたりも、会話は意思疎通できる。
声をかければ意味は解るし、なんとなく応えてくれる。
口内炎がひどいので
喋るに喋れない感じで、聞き取りにくいけど。





「俺は死なないから大丈夫だよ。
 死ぬ時はちゃんと連絡するから。」

◆10月4日

2006-10-14 23:00:54 | 夫の体調記録
■10月4日(水)■<移植後12日>

昨日に続いての人工透析2回目。

★主治医から説明を受ける。

 ・白血球 170 ←少しずつ回復。

 ・高熱の理由:1.敗血症 2.生着時の免疫反応
         
         ↓
 ・これらによる臓器障害=腎→肝→(肺、心臓)

 ・また、相乗作用で
    ・放射線、抗がん剤、薬剤(抗菌剤)での
     肝臓へのダメージによる黄疸→肝細胞の破壊。
         ↓
     肝不全の危険がある。
      =蛋白を作れなくなる→凝固系(血が固まりにくくなる)

 ・血球貪食症候群・・・マクロファージが増えている

 
 ・このような多臓器不全(・腎不全 ・肝不全に近い)は
  救命率厳しい。
    ↓
  酸素化が悪くなる。血圧が下がる→ショック
    ↓
  このような場合は、人工呼吸器、心臓マッサージの可能性。



 ・骨髄内炎症、サイトメガロというウイルスによる。
  これに対する薬を使う(保険きかない)。


腎機能が悪い上に、肝不全に近い状態になっているという。
少しずつ意識障害が出始めることと、
上記の説明どおり、今週中が一つの山で厳しい状況なので
近親者で会っておきたい人がいるなら今週中に、、、
と言われた。

目の前が真っ暗に、頭の中が真っ白になった。


人工透析をしている間、アカオさんの手や足をさすりながら、
透析技師がいるにもかかわらず、
涙が溢れて、鼻もズルズルになりながら、
何度も何度も拭いては、泣いた。
アカオさんは意識ももうろうとして苦しそうに寝ている。

時々パッと目を覚ましては
「まだ?」と私に小声で聞いてきたり、
点滴をじっとみたり、技師や看護婦さんをじっとみて
確かめている。
確かな意識と夢の中を、行き来しているような具合だ。

このまま意識がなくなって喋れなくなるのか?
あー、いけない、身内を呼んでおかないと。
田舎の実兄に電話をする。
実の娘達にはメールで知らせる。


人工透析が終わって、少し会話するけど、話がかみ合わない。
そういえば1、2日前から徐々に様子が変だった。
その兆しがあった。

夜6時頃になって、娘が旦那と二人で駆けつけて来てくれた。
そのうち、遠方の実兄も駆けつけてきてくれた。
アカオさんはびっくりしていたけど、
実兄に娘の旦那を紹介したり、いろいろ気を遣っていた。

そのうち、仲良しの料理人(近所のレストランオーナーシェフ)も
駆けつけてきてくれた。

アカオさんは 私に

「皆にお茶出したのか?早くお茶出して!」

皆にも

「名刺を出して。」と、紹介しあうよう促したりしていた。

物凄くサービス精神旺盛だった。




10/2(月)あたりから
少しずつ混沌としてるような様子があった。


「niji!(猫の名前)・・・nijiはどこに行った?
 ・・・あ、ここには居ないんだ。」

「ご飯炊いといたんだよ。
 おかず、作っておいたよ。あったでしょ?キッチンに。
 ・・・あー、ここは違うか。」

夢の中(?)の話を言った後に
すぐに現実に戻って気がついていた。


10月3日(火)になると、言った後に現実に気がつくことが
薄っすらしてきたようで、
夢の中(?)の話が多くなってきた。



「弁当を取りに来ればいいよ。
 夕方までに作っておいてあげるから。」

「買出しに行ってきてあるから、冷蔵庫に入ってるよ。」


私の食事を心配してくれているらしく、
スーパーに買い物に行ったり、おかずを作って用意しているらしい。


でも、私から声をかけると
はっと気がつくようで、「頑張ってるから。大丈夫。」と言う。


10月4日(水)になると、

「ほら!早く!!お客さんが来ちゃうよ。
 早く行かないと!!何してるんだっ!
 あー、ほら、来ちゃったじゃないか・・・」


夢の中で、仕事をしているのか、店の準備をしたがっている。

早くしないと営業時間になって予約のお客様に間に合わないから、
早く準備しないと。という意味。

「魚・・・?うーん、、、」

たぶん、魚をおろす(下処理)のか、買い付けの夢だろう。


でも、夜に皆が集まった時には
気丈にもおもてなししようとしてるし、
「魚釣った夢みたのよね?」と私が言うと、
「あー、夢だよ。(笑)」と、
皆の前では、しっかりした対応をしていた。

知り合いの料理人が帰った後は
身内だけになったので
「なんだよ、皆集まちゃって!辛気臭いなあ。
 まるで死ぬみたいじゃないか。」
と言って少しすねたり、
「早く帰りなさい、時間間に合うのか?車に乗せてもらえば?」
そんな気配りまでしている。




臍帯血移植からの経過

2006-10-10 00:14:52 | 夫の体調記録
■平成18年9月22日(金)、臍帯血移植術日。


【移植後2日目】9/24(日)
 ・白血球 20
 ・鼻血が止まらない。止血用の薬が入る。


【移植後3日目】9/25(月)
 ・白血球 10
 ・かなり、かなーり、だるそう。重苦しい様子。
  顔もむくんでいる。頬の当たり、下膨れ。
 ・血小板の輸血が続く。


【移植後4日目】9/26(火)
 ・白血球10
 ・血小板は一万を切って9,000に。
 ・ヘモグロビンも5.9
 ・CRPは5.8

 ・CT検査をする。
 ・ヘモグロビンが少ないの赤血球の輸血も始まる。


【移植後5日目】9/27(水)
 ・白血球10
 ・ヘモグロビン 6.9
 ・血小板 6,000
 ・CRP 11.6

 ・昨晩から熱が上がりだしている。38度台。
 ・下痢の回数が多い。一時間おきに下痢で、
  体力がないのにトイレに立つのが忙しく大変そうだ。
  
  この下痢が多いのは、感染の可能性と考えられるそうで、
  カテーテルからか、腸管からの感染かを、調べているところ、
  とのこと。


【移植後6日目】9/28(木)
 ・白血球 20
 ・ヘモグロビン 7.4
 ・血小板 4,000
 ・CRP 18.9

 ・レントゲン検査。血小板輸血は引き続いている。

 高熱が続き、下痢が頻繁で体力消耗するし、本人は非常に苦しそうだ。
 食欲もなくなり、この頃だったと思うが、食事を止めている。


【移植後7日目】9/29(金)
 ・白血球 10
 ・ヘモグロビン 6.2
 ・血小板 9,000
 ・CRP 17.4

 ・血小板、白血球の輸血は引き続いている。
 ・CT検査。
 ・相変わらずの高熱。

 ・主治医からの説明を受ける。
   ↓
  腎臓、肝臓に影響が出ているので、人工透析の可能性があります、と。
  
 ・今日は、かなり苦しそう。
  今までだって苦しんでいるのに、それを上回る苦しみの様子。


【移植後8日目】9/30(土)
 ・白血球 20
 ・ヘモグロビン 5.9
 ・血小板 6,000
 ・CRP 14.8

 血小板輸血など続いている。
 
 私の母が、人工透析前に励ましに面会に昼過ぎに行った。
 くれぐれも15分程度の短時間で、足元から喋ってね、と
 言っておいたのに、
 アカオさんが気を遣って看護婦さんを呼んで椅子を出させ、
 母ったら1時間も居たそうだ。
 きっと一人でペラペラ喋っていたに違いない。
 
 その時、会話は出来た様子だけど、
 ほとんど母の一方的なお喋りに対して
 時折喋るのが精一杯だったのだと、後から思った。
 この時すでに、臓器生涯の兆しで、
 相当辛かったんだと、後から思う。
 アカオさんは決して人に辛さを見せない。
 我慢して一生懸命接する。
 なぜなら自分のためにせっかく来てくれた人への
 思いやりなんだと思う。

 私はこの日は夜行ったんだけど、
 会話したけど、かなりつらそうだった。
 返答が鈍っていたもの。



【移植後9日目】10/1(日)
 ・白血球 50
 ・ヘモグロビン 7.1
 ・血小板 9,000
 ・CRP 13.9

 ・本当に本当に苦しそう!! 
  お腹が痛いと言っている。パンパンにお腹が腫れているせいだ。
  お腹が張っているので、利尿剤を点滴で入れる。
  午前中は熱がなかったそうだが、夕方には38度台の熱が出る。
 
 ・白血球が少し上がりだしたので、
  アカオさんに励ました。
  でもすでに辛そうで、苦しそうだが、
  せめてもの救いが白血球のわずかな上昇。


【移植後10日目】10/2(月)
 ・白血球 110
 ・ヘモグロビン8.2
 ・血小板 1万
 ・CRP 17.6

 ・主治医の説明があった。私だけ呼ばれた。
  すでにアカオさんは下痢が多いので
  (確か土曜日夜からだったかな)、
  尿と便をトイレでするのが危険な状態で
  (体力ないし、貧血の危険性から) 
  それぞれ管をつけている。
  そのため、ベッドから起きることができない。
  というか、今立ち上がることはできないのだ。
  先週のCT検査の時も車椅子で看護婦さんに
  やっと連れていってもらったけど
  (ベッドから車椅子に移るだけでも大変な作業。
   なぜならお腹が腫れていて苦しい、
   そして腹水でパンパンに張っているため動くと痛いからだ。)
  帰って来たときには、嘔吐していた(でも出るものもほとんどない)。


  患者はとても苦しんでいる。
  なので、主治医の説明は家族の私一人で。

  腎機能が低下している、と。
  腸炎による感染もある、とのこと。
  炎症しているから脱水状態になっている。なので点滴で補液をしてるが
  それが漏れて腹水になっているらしい。
  というわけで、このまま腎機能が悪化していれば、
  毒素がまわってしまうので非常に危険なので、
  人工透析をする、とのこと。


【移植後11日目】10/3(火)
 ・人工透析<1回目>

  午後1時半頃から約3時間~3時間半行われた。
  血圧が低下していく。
  アカオさんは、荒い呼吸でずっと苦しそうに眠っていた。
  血圧が下がるためかな?
  心配なのは循環器が辛いことと
  血圧低下でショックをおこさないか、などだそうです。

  とりあえず無事に終えることができた。

  透析後は体重を測るのだけど、
  ハンモッグみたいなものでベッドで寝たままで、
  体だけを持ち上げて測定器だった。

  アカオさんはずっと目をつぶったままで
  ボーっとしている感じだったけど、
  「クレーン車?」と冗談を言ったりしていた。


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ここまで、まとめて書いてみましたけど、
移植後の壮絶な闘いは、この翌日(移植後12日目)からが顕著だった。
私もとっても大変なこの期間。
何もまとめることができないでいたけど、
思い出しながら記録してみる。
12日目のことは明日にでもアップしてみます。