夫の体調記録~がんばろっ!~

お気楽夫婦だったのに・・・悪性リンパ腫と闘った夫、妻の日記

移植後の口内炎、黄疸など

2006-10-23 12:15:11 | 夫の体調記録
10月になってから少しずつ意識障害が出始めた気がする。
一日一日ゆっくりそれが進行し、夢の時間が長くなっていた。
でも少なくなってくる自分の意識はしっかり確かな強い意志があった。

口内炎も徐々にひどくなってきた。
すでに食事はストップしているが、
10月第一週の末頃からかなりひどい状態だった。
舌の表面も剥けてるし、口内全体がとにかく荒れている。
喋るのも辛そうだ。

だから、あまりはっきり何を言っているかが聞き取れない。
なので私は見当違いの解釈でいい加減な返事をしていると
アカオさんは自分の耳に人差し指を指して
目を三角にしてぶつぶつ言っている。

アカオさん 「耳、聞こえないの・・・」

私 「え?耳も聞こえなくなったの?」

アカオさん 「耳鼻科に行って・・・」

私 「え?耳鼻科の先生を呼ぶの?耳が聞こえないの?アカオさん!!」

アカオさん 「あ・ん・た!!」

と言って、アカオさんは人差し指を突き出して
私を指した。

”何で俺の言ってることが聞き取れないの?
 お前は耳が悪いのか?耳鼻科に行って看てもらえ!”

といういつもの冗談だ。

笑ってしまった。

10月第二週になると器官や鼻の血管からの出血のためか
口内に血がいっぱいだったから、
その血の塊と口内炎で剥けた皮膚や唾などがまざったような
口内が赤く汚れている。
本当に可哀想だ。
でもうがいをすることもできない。
看護婦さんに歯ブラシ代わりのスポンジ状のもので
洗ってもらったりするけれど
強くはこすれないし、うがいも上手にできないし、
本当に辛いことだろう。

筋硬直してからは顎が開きっぱなしだ。
閉じたくても閉じられないみたいで、疲れて辛そうだ。

でも第二週の後半には、
顎を閉じることもできた。
閉じているか空いているか、あまり自由はきかないけれど、
主治医が「口をあけてください、とじてください」と言った時は
それができた。確か第二週の後半。
だから私は、意識混濁も治りつつあるんじゃないか?と
希望さえ思えた。
今思えばそれもアカオさんの強い意志の賜物かもしれない。

肝不全に近い状態と言われてから
確かに皮膚や目が黄色くなってきていた。
でもその目の黄色いのも後半には徐々に白くなっていた。
血漿交換をしたからかもしれない。

体内では腸管や器官が炎症し、出血し始めていた。
それさえなければ、肺に血液がたまらずにすんだのだろうか。
そうすれば、徐々に白血球も上がってたし、
肝機能もゆっくりでも自力で上がる可能性がないわけではないんだから
命を落とすことまでにはならなかったんじゃないだろうか?

いや、わからない。
そんなことを考えてしまうのは家族だからであって
本当に、綱渡りの治療だった。


アカオさんは本当に辛抱強く、そして明るく前向きだった。

口内炎で喋りづらくても
主治医の説明には、頑張って復唱したり質問したり
一生懸命聞いていた。
看護婦さんが薬を交換する時名前を確認する時にも
「はい」としっかり応えたり
「ありがとうございます」
と、敬語で応えていた。


その応え方が徐々に可愛らしくなり
看護婦さん達にも評判だった。

「ありがとう・・・ございます。」

一生懸命、口にしていた。


看護婦さんがいない時には
私には
「トーイーレー」と言ったりしていた。
いいんだよ、ここでして。取り替えるから。
「トイレに行きたい。早くぅー」


人工透析3回目が終わったころ、
思いのほか腎臓機能が横ばいから上昇していたので

「一つの山を越えたって言ってたよ。先生が。
 頑張ったね!」

「え?どこの山?」

なーんてひょうきんなことを聞き返して、
かわいいというか、拍子抜けするというか。。。


第二週の時だったけど
看護婦さんがいて、何かの話で私が心配したら
「俺のいうことを信じちゃだめだよ~」と
うっすら笑いながら人をからかうように
いつもの調子で冗談言っていた。

こんな時でさえ、そんなひょうきんに接してくれるのだろう。



手を胸の上にあげて
じーっと自分の腕を見て
「虫がいる・・・」と怖がっていた。
「いないよ、大丈夫、きれいだよ」

天井をじーっと見開いた目でみつめて
何かに怯えているような状況もあった。

私は思わず
「何もいないよ!誰もアカオさんを連れて行かないよ!
 大丈夫だよ!!何も見えないよ!!」
と言って、何もないアカオさんの見つめる先を
手で振り払った。

まるであっちの世界とこっちの世界を行き来しているような
そんな感じ?
やだ、やだ、やだ!!
まだアカオさんを連れて行かないで!
アカオさんはまだまだこっちの世界で生きていくんだから!!

10月の最初の週は
私はあまりアカオさんには何も言わなかった。
治るのは当たり前だから、悲しいことは言わなかった。
でも4日の日、二人の時に
今までわがまましてきてごめんね。と涙を流した。
アカオさんは聴こえてたのかな?知らん顔してたけど。

それ以外は、
私はなるべく涙を見せず、
「大丈夫よ!大丈夫でしょ?!夢見てたんでしょ?
 しっかりね!私達がついてるから。私が治してあげるから!!
 ちゃんとプロの先生にお願いしてあるから!
 絶対助けるから!安心してよ!!」
そう言って強気で励まし続けた。

アカオさんは必ず治すという自分の強い意志があったから
決して弱気にさせないように励ました。

それでよかったのかどうなのか、
今となっては
「早く、帰ろう」と言っていたとおり
家に帰らせればよかったのだろうか。
お風呂に入らせたかったし、
かわいがっている猫と会いたかっただろうから
それをかなえさせれば
もしかしたら治ったのだろうか?

本当に家族としても
どうしたらいいのか、何もできないもどかしさが
とても辛い看病生活でした。