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夫の体調記録~がんばろっ!~

お気楽夫婦だったのに・・・悪性リンパ腫と闘った夫、妻の日記

愛猫が天国へ旅立ちました

2011-12-07 10:10:45 | ”家族・夫婦”を想う
もう16歳半の老猫、myuuちゃん。


今朝、とうとう息をひきとりました。

私と一緒にベッドで寝てて、
今朝も痙攣を起こして奇声をあげて、
少し落ち着いたかな、、と
私がベッドから起き上がった前後あたりで、
そのまま静かに息をひきとったんだとおもう。



私達にとって家族同様のねこちゃんでした。
特にmyuuちゃんは、長い付き合いだし、
子供を作らなかった私達夫婦の間に、
結婚記念日の夜、
お店の裏口にちょこんと座っていたの。

きっと神様が私達のところに
天使のような可愛い白い仔猫ちゃんを
導いてくださったかのよう。

いつも寝るときは
私の左側にやってきて、
布団にもぐってから、ぐるっと廻って
ふとんから顔を出し、
私の左腕を枕にして寝るのがお決まり。


私はmyuuちゃんのおかげで、
癒されてきたし、
アカオさんが亡くなってからも
この仔に励まされてきたような気がするし、
うん、この仔の存在のおかげで、
元気になれたし、
幸せだった。


ありがとう。myuuちゃん。

天使に導かれて、天国に旅立ったのね。


さようなら、myuuちゃん。

本当にありがとう。
今までありがとう。
大好きだったよ。

四十九日法要でした

2006-12-03 21:32:49 | ”家族・夫婦”を想う


今日は亡きアカオさんの七・七日で、
四十九日法要でした。

無事に執り行うことができ、
いい法要となりました。


ちょっと変わった法要で、
アカオさんが生前に、行きつけだった居酒屋を借りて
御坊さんを招いて行いました。

そこはご夫婦で営む居酒屋というか料理屋というか、
美味しい料理と歌手のママと腕のいいカッコいいマスターと
カラオケ好きな常連さん達が来る温かいお店です。

アカオさんは、仕事が終わってそこでなんでもないたわいない世間話を
常連さん達やお店のご夫婦とするのが好きで、
時々カラオケを唄ったりして、気晴らしするのが好きでした。
仕事とまったく関係ないたわいない話がよかったのかもしれませんし、
同じ歳のマスターとも気が合うし、
とにかくお店の人にもとても親しくしてもらって
気心が知れた処でした。


私も時々連れて行ってもらったことがあります。
アカオさんはカラオケがとても上手です。
カラオケというか、プロ級の歌手並みです。
下手な歌手よりずっと上手で、
本当にプロ並みの”聴かせる”唄い方をします。



病気になってからも、そこには通っていました。
気晴らしというか、
そこでいつものマスター、ママ、常連さんと
たわいない話をして唄って、とういことが
病気の苦しみを紛らわせるというか、
楽しい時間だったのだと思います。

もちろんお酒は飲みません、
お茶だけだし、ご飯もたいして食べないんですけどね、
でもマスターが気を遣って、清潔に、生ものを避けたり
調理に細やかな配慮をしてくれていました。





そんなお気に入りの大好きな、
常連として通っていたそのお店で
四十九日の法要をしようと、決めました。

私はよく解りませんが
四十九日まではこの世とあの世をさまよっている、と
聞きましたので、
迷わずにあの世に向かえるように
思い残すことないように、と、
行きつけの大好きなお店を四十九日法要の場所にしました。

食事だけ、と思いましたが
お店のご好意で法要もあげることができ、
おかげでマスターとママ、常連さんにも一緒に拝んでもらえて
嬉しかったです。


お店の配慮で、BGMにアカオさんがよく唄っていたという
ナンバーを数曲かけてくれていました。

私や、ママや常連さんは、食事しながら泣けてきました。

アカオさん、本当に上手だった。
聴かせる唄い方をする、心にぐっとくる、しびれる唄だった。
さり気なく静かに引き込むような唄い方だった。

アカオさんが唄っている姿が
私達のまぶたに思い出され、声までが聴こえてきそうで、
もう、今にも声を出して泣きじゃくる寸前でした。
抑えられない涙で顔もボロボロになりました。

数曲かかり終わると、
実の娘達もそれぞれ一曲ずつ唄ってくれました。
アカオさんに似て、二人とも上手でした。
特に長女の唄い方はアカオさんそっくりで
私も常連さんも思わずアカオさんと重なるね、と口を揃えて感動しました。

アカオさんも喜んでいるに違いない。

最後に、歌手のママが唄ってくれました。
ママはアカオさんを想いながら心を込めて唄ってくださり、
最後に私達に言葉を添えてくれました。

「アカオさんは私達に愛をくれました。
 いつもお店のことを心配してくれて、
 気にかけて、何かと声をかけてくれました。
 頑張ろうね、何かあったら俺も手伝うからね、
 お互い頑張ろうね、と。
 とても温かい人でした。」


もう、会場中涙です。
皆、アカオさんの人柄を知っているだけに、
思い出されたのでしょう。
本当にそういうことを言う、気持ちがある人でした。
いつも人のことを心配し、思いやりのある、
本当に温かい人でした。

ボロボロに泣けたけど、
アカオさんも喜んでいると思います。
大好きな場所で皆におもてなしできて
好きなマスターとママの店で
いつもの唄もカラオケで流してもらって、
皆にも唄ってもらって、、、。


とてもいい法事となりました。





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このブログでも、闘病記録の最期の2日を書けないままでいました。

通夜、葬儀、と無事にできましたが、
私にはどうしてアカオさんが亡くなったのか、納得いかないというか、
不思議な感じなんです。
認めたくないというか、、、。

特に最期の闘病の、本当に苦しい闘病を看てきただけに
思い出すのが辛いというか、、、。


しばらくは悲しみにくれていましたし、
亡くなってしまったことを簡単に受け入れられずにいましたが、
時間と共に徐々に気持ちが切り替えられてきそうでした。
四十九日までは、なるべく何も考えず、無理に慌てることなく、
静かにアカオさんと向き合っていました。
そうすることで、これからのことが少しずつ整理できるような、
これからの方向性が見えてくる気がしていました。


案の定、少しアカオさんから答えをもらった気がしています。


同じような境遇の経験者(夫を亡くして15年とか)からも

「悲しみを癒してくれるのは”時間”しかありません。
 1年、3年は悲しみで暮れるでしょうが、
 少しずつ時間が癒してくれます」

 と、何人かに言われました。

だから、慌てることなく静かに過ごしていこうと思っています。



五・七日あたりから、少しずつ前向きになれました。
四十九日っていう仏教の教えも、
故人の仏の道へのことだけではなく、
現世に残る遺族にとっても、なるほど、
気持ちを癒す時間のことかなあ、なんて感じました。
私は無宗教だし、よく解りませんが、
宗教とはその土地土地の気候風土からなる教えなので、
日本、日本人にはちょうど適切な時間が四十九日なのかなー、
なーんて勝手に思った今日この頃。


とはいえ、四十九日が近づくと、
また新たに悲しみが増すというか、
故人を想う気持ちが強くでてきました。


今日は、そういう意味でも好い法事でした。
思いっきり泣けて、生前を強く偲ぶことができました。

また少し気持ちにふんぎりというか、強い気持ちを持って
故人を想いながらしっかり生きていかなければ、
そう思えるけじめの法事になった気がします。


アカオさんはそうやって残った私達に
声をかけてくれているのかもしれない。


そうして私達は祈るんです、

「アカオさん、迷わないで仏の世界に安心して帰ってください。
 もう楽してね。

 アカオさんは”命”を大事に、
 最期まで命を燃やして大事に生きていました。
 アカオさんがやってきたことは、
 私達やお客様の心には、鮮明に生き続けていきますから、
 安心してね。

 私達は大丈夫だから、心配しないで、
 安心して光の世界に向かってね。」




50日目の朝早く、朝日が差す頃に
その光と共に亡くなった人はこの世から旅立つらしいんです、


未練をもってこの世でさまようことなく、
安心して光の世界に旅立ってほしい、と祈ります。


もう安心して楽な世界に。。。





 







人それぞれ

2006-02-06 17:35:00 | ”家族・夫婦”を想う
リンパ腫というのは本来診断が難しく、
将来はさらに種類が増えるものとの説も聞いています。

なので、100人いたら100通り、
治療方法も、予後も寛解も、それぞれ。
なので、他人の情報に左右され過ぎないように、
と聞いていました。

担当医にそのように言われ、私たちはだいぶ救われました。
正直言うと、WEB上でいろいろ調べたり情報を探したりしましたが、
確かに人それぞれ、その症状や病状の進行具合など
必ずしも自分の旦那さんと一致する例は見当たりません。
どちらかというと、自分の気持ちが暗くなっていくばかり、、、

でも! 何を信じるって、それは患者本人の体を信じるしかありません。
患者のデータがその患者のすべてですものね。

よそを見てはいけません。
私たちは私たちの内部をしっかり見て認識しないと
良くなることはありませんものね。

そう思えたので、だいぶ精神的に楽になりましたね。
そうすると明るくなれて、
それがまた患者の体にも良く現れたようでした。

アカオさんの場合、
担当の先生が、早期に治療を行いたかったということで、
治療前に行う検査を治療と平行して行ってくれていました。

本人が体に異変を感じるようになってから
約2ヶ月くらいしてから病院に行ったわけですが、
実際はいつから発症していたのかは解りません。
けれども、だいぶ進行していたような(?)、、、
ちょうど年末年始に検査が重なりましたが、
それでも早めに治療が開始されていたんでしょうね。
ありがたいことです。

あのままもたもたしていたら、、、と思うと、怖いです。

有名な病院に紹介されて行く予定でしたが、
あの時、1、2日待って、別の病院の勤務医である
知っている血液内科の専門医を頼って、良かったです。
信頼できるドクターに出会えて幸運でした。

この「精神的な安心感」というのは、
患者さんにとって、患者の家族にとって、治療以上に左右するかもしれません。
わかりませんが。

特にリンパ腫という免疫系の病気ですから、
メンタルな部分はかなり影響すると思うのです、、、。


人それぞれだと思うのですが、
私たちの場合に限って言えば、
アカオさんは「入院しなくて良かった」と言っています。
私もそう思っています。

アカオさんの性格からいくと、きっと入院したら
滅入っていて治りもどうなっていたか、、、と思います。
メンタルな部分で、ですね。

確かに日常生活をしていると、怪我や感染など不安要素は多いです。
でもアカオさんは言うのです
「病院の方が、感染率高いかも。病人ばっかり来てるし(笑)、
 それにそういう人ばかりを見るようになるし、気分が滅入りそうだ」

もちろんそれは人それぞれです。
その人の生い立ちからの環境、そこから作られる性格とかを
考えると、
うちのアカオさんは、絶対病院には向きませんね。

何せ、料理人という、いわば職人ですからね。
ある意味わがままです。
自由奔放、それでいて感性が大切! 職業柄ね。

自宅でゆっくり休み、予約状況で店で仕事をし、
空き時間には、趣味をする。
趣味の仲間と時々会うことも、病気になってから再開しました。
それがまた良かったようです。
生き生きしてきました。


人それぞれだと思いますけど、
アカオさんの場合、入院しなくて良かった。
趣味があって良かった。





病気発覚後、2回目のお誕生日が祝える

2006-02-05 18:05:55 | ”家族・夫婦”を想う
この1年間を振り返ってみる。

ちょうど一年前の今頃は、悪性リンパ腫だということが検査で解り、
5年後の寛解は50%かもしれないし、それは百人百通りとも言われ、
とにかくすぐに治療を、とのことで通院での化学療法が始まった頃。
その矢先にHTLV-1(白血球に感染するウイルスの一種)の
キャリアだということが知らされて(この時点では私だけに)、
もしかしたらATL(成人T細胞白血病リンパ腫)の可能性もあるかも、
と解った時期。
もしその場合は、1年後10%?? ネットでいろいろ一人調べては
目の前が真っ暗になっていた時期でした。

でも、アカオさんの前では不安やストレスを与えないよう
明るくのんびりしていました。

誕生日を自宅で祝いました。

私はその頃、何がいいのか、
化学療法を続けながら、だけど自然治癒力を高めるために
何をどうしたら一番いいのか、手探りでした。
自然食品だとかいろいろ宣伝されているけれど、
身体にいい、といわれるものは高価なものばかりだし、
高い安いという値段と、その中身の実際とのバランスも
果たして信用できないし、、、

しかしシンプルに考えました。

玄米とか納豆とか野菜を多く取るとか、
体の基本は食事ですし、
それから人間らしく生活する、ということ。
太陽と共に生きる、朝の光を浴び、夜は早く寝る。
仕事柄それができていなかったのでバランスを崩したのかもしれない。

そして、笑うこと。
ストレスをもたないよにすること。
睡眠をたくさんとる(=身体を休めること)。

好きなことをして、バランスの良い日本人体質にあった食事を取り、
気持ちよく過ごしてもらうよう、
彼のストレスの元になっていた私自身が
まずは、明るく朗らかにいよう、と努めました。
心配させないように、心労をかけないように、、、
なかなか完璧にはできませんが、
神経質にならないようにも心がけています。

我が家には二匹の猫がいますが、
彼女達がまた私達を癒してくれます。
アカオさんもこの仔達のおかげで
朗らかに笑いますし、穏やかになれるようです。

その後、治療が進むにつれ、みるみる調子が良くなり、
薬があっていたのか、
それに副作用も回数を重ねるにつれ弱まり、
夏には、すっかり調子良く、
久しぶりに一緒に六本木で夜遊びまでできた始末(笑)。

その時は、友達のショーを観に行ったんだけど、
アカオさんもノリノリで踊って(踊れないくせに、でも率先して踊ってた)
なんだか私も嬉しくなって、
嬉し涙が出るのをこらえるように、はじけて踊ったな~。

秋には無事に9回の化学療法も終わり、
風邪やインフルエンザに感染しないように気をつけている日々ですが、

それにしても、すっかり調子が良いので
このブログの更新も途絶えたし、
それよりも仕事、生活の方に必死だったし。。。

アカオさんは、趣味の船作りにいそしんで、
それが良かったみたい。


ATLではないだろう、ということで、
今私達は、アカオさんはこの病気をきっと寛解し、
その先もまだまだ生き続けることを信じきって
日々、他の病気を併発しないよう風邪やインフルエンザに気をつけながら
明るく生きています。

今日、56歳の誕生日を祝えることに幸せを感じています。

今夜はいつも心配してくれていてお祈りをしてくれている友人夫婦を
招きます。
私は、来年か再来年には、アカオさんを連れて
海外旅行に行きたいと思っています。
だから、、、がんばるぞーっ!!


はんこ屋さん

2005-04-03 14:53:29 | ”家族・夫婦”を想う
あれは約1ヶ月前、3月7日(月)のこと。

とある判子屋さんに、作ってもらった印鑑を受け取りに出かけた日。
そもそも注文は昨年の10月ごろにしていた。
噂はすでに3年ぐらい前に聞いていた判子屋さんだ。
何せ、自分の持っている印鑑すべてを見せる、その印鑑を見ただけで、
その人のこれまでの生き方が見えるらしい。
占い好きの友達から聞いていて、
まあ、どうせならいい印鑑を持っていた方が運勢的にもいいだろうと思い、
行こう、行こうと思いつつ、3年経っていた。

私の場合、いい印鑑をすでに持っていると言われた。
確かに、ちゃんと自分でオーダーして作った記憶がある。
実家で作ってもらった印鑑は、結婚してから泥棒にあって盗難された。
なので、自分で作ったのだ。


言われたことは
・-姓ではなく名で作ってるって事は、親が作った印鑑かね?
 -いや、確か私が自分で作った記憶が・・・(その時は忘れていた)
 -いずれにしても、これはあなたの先祖(実家)の思いがこめられており、
  子供を作りなさい、と出ていますよ。

 まあ、いろいろ話ましたが、結局私が子供を作らなかったこと、
 そのお人よしがよくない、というようなことだった。
 子供を作るために、今のだんなと巡り合ったと。

 後々考えると、これは私が作った印鑑だから、潜在意識で、私自身子供がほしいのかもしれない?
 なんて思いましたが。(後で聞くと、やはり先祖からの表れだとまた言われました)


 そしてもうひとつ。
・ご主人が、少しでも身体の調子が悪いって言ったら、すぐに診てもらった方がいいですよ。



確かに、その頃かその後くらいから主人は不調を感じており、時々言っていた気がする。
手のひら、足の裏が赤い、痒い、、なんだろう?って。

その1ヵ月後、11には、わきの下にしこりができていたんだ。

「医者に診てもらった方がいいよ~」とは言いつつ、
本人もなかなか行かなかったんだけど、
確かにあの判子屋さんが言うように、体調が少しでもおかしい、と思った時点で
すぐに行けばよかったのかなあ?
まあ、あの時点で行ったところで、何件も医者を回るようになっていたかもしれないし、
それもわからないけど・・・。


とにかくその判子屋に受け取りに行った。
3月7日の夕方5時10分に。
本当は5時で閉まるのだけど、事前に電話をしておいた。
最後の訪問客となった私は、運良くそこのご主人と話す時間があったので、
主人が悪性リンパ腫になった話をした。

判子屋のご主人は、私の話を聞いた後、たぶん10分~15分程度かなあ、
いろいろな話をしてくれた。

それは私との間に子供を作らなかったことと、
それから、先祖のことが関係あることを話してくれた。

ありがたい話を真摯に受け止め、
前向きになれた気がした。
それも運命だったのかもしれない。他にお客様がいたら
あのご主人に話せなかったし、話をしてもらえなかったのだから、
5時10分になってしまったこと、おかげで話ができたこと、
これも運命だったのかもしれない、と思うとありがたく思うし、
私は、現実を受け止めることができるような気持ちにもなった。


この判子屋さんの話は、あとで主人に話しました。

私たちは、ナチュラルに、前向きに生きようと 思えるようになった気がします。

そして、望みは、、、アカオさんが治ったら、子供を作ろう、という話です。

私は今まではっきり言わなかったんだ。
「アカオさんジュニアが欲しい」と。
それで今回それを言ってみた。
私は心の中で、ずっとそれを思っていたんだ。20代の頃から。
でも30代、諦めに入って、でも半ばに、また最後の賭けで欲しいな、とは
心の中で思っていたんだ。
でも、そのタイミングを逃して37歳を過ぎると、
さすがに高齢出産になるので、もうすっかり諦めていた。
でも、潜在意識では、違っていたと思う。
口にしなかっただけ、日々の忙しさにかまけて、行動を起こさなかっただけ、
逃げていたのかなあ?現実の生き様から?

かなり無茶な話で他人は笑うかもしれませんが、
(私も年齢ぎりぎりだし・・)
でも、最後まで諦めずに望みを持とうと思っています。

そうやってこの3月は過ごしてきました。

2月4日■仕事してる夫

2005-02-05 00:58:53 | ”家族・夫婦”を想う
今日は、久しぶりのI夫妻の予約。
当店にとって大切な、大事なお客様。

常連になってくださっているので、
お好みも解る。
今まで出してきたメニューとだぶらないように、
そして、今一番の食材で腕をふるう。

いい仕事させてもらっている。

アカオさんも楽しそうだ。
お客様も喜んでくださる。

どちらも幸せだ。

私たちの仕事はいい仕事。だって、お客様を幸せにすることができ、
その幸せなひと時を演出できるし、
その幸せな笑顔をみることができるから。

今は、入院してなくてよかったと思う。

いい仕事してエネルギーを得、
お客様の幸せをみて、エネルギーを得れるから。

ありがとうございます。 I夫妻。