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夫の体調記録~がんばろっ!~

お気楽夫婦だったのに・・・悪性リンパ腫と闘った夫、妻の日記

家族のありがたみ

2013-09-24 22:58:17 | 夫を想う
病気になって初めてわかる、とよく聞きますが、
本当にそう思います。「家族のありがたみ」。

大切だった人。。。

大事に過ごせるようになるのは、哀れにも大事な家族が病気になってから、、、。

それは私の体験で、本当にそう思います。

ささいな日常でも楽しかったこと、、、取り戻せないのだから、
どんな時も大事に過ごさないと、、ね。


七回忌に納骨しました

2012-10-15 18:02:55 | 夫を想う
昨日、七回忌法要を無事営みました。


明日が命日です。
早いものです、もう丸6年経ったということ。。。


ずっと悩んでいた納骨、お墓のこと。
納骨堂に預けたまま、それが気がかりでした。


私達の間には子供がいません。
アカオさんには先妻の子供がいるとはいえ、
娘達で、すでに嫁いでいるわけですし、、、。


行く末、墓守する人がいないわけですし、
嫁いだ娘達、その子供達に負担をかけるのも気が引けます。


当初、未亡人となった私に、
住職さんは
「まだ若いし、慌てなくてもいいですよ、決めるのは。
 七回忌、十三回忌頃でも。」
と、おっしゃってくださいましたが、

早いもので七回忌を迎える年になりました。



残された骨だけを納骨堂にとどめておかずに、
土に帰して安らかに、、、という祈りで、
永代供養墓に納骨することにしました。


よくはわかりませんが、
お墓とか、遺骨を残すとか、、、「形」というのは、
遺族というか現世の人の執着というか、
よりどころだけなのかな?不安で、、、。

魂は、場所とか形にこだわらず、
私達を見守ってくれているでしょうし、
私達の祈りも通じていることでしょうし。

だから、「形」を残すのは、現世の人のためなのかな?
そう思えて、だんだん気が楽になってきました。
そう思わせてくれる歳月が
ちょうどこの七回忌の頃なのかもしれません。


”時間が解決してくれる”
ということを、以前言ってくれた人がいました。

一周忌、三回忌までは気を張っていたせいか
あまり寂しさを感じずにいましたが、
逆にそれを過ぎてからがなんとも不安になる年月でしたけれど、
七回忌の頃になると、
そうではいけない、いつまでも下を向いて、前を見失ってはいけない、
そう思えて、やっと前向きになれる、そういう年月が
ちょうど七回忌頃なのかもしれません。

まあ、私の場合は、そうかな。




私達の場合、遺族達に相談をして決めたことですので、
これでよかったと思っています。

七回忌供養と納骨供養をし、手を合わせました。

やっと、土に帰すことができました。

”長い間、私の不安と迷いで、心配かけてごめんね。
 安心して、安らかに眠ってね”




彼の孫達が前会った時より大きくなっていて、感動しました。
健やかに育って、立派に成長することを祈るばかりでした。
嬉しかったです。





「生きたい」その願いのために~血液内科医・・・

2011-10-18 11:48:44 | 夫を想う
昨夜17日の晩、
血液内科医谷口ドクターを密着した番組が
テレビ放映されてました。


NHK総合「プロフェッショナル~仕事の流儀」
「生きたい」その願いのために~血液内科医・谷口修一
(2011年10月17日放送/2011年10月28日再放送)
http://www.nhk.or.jp/professional/2011/1017/index.html


今月下旬に再放送されるそうです。

2011年 10月28日 午前0時15分~午前1時3分



アカオさんの主治医でした。

直接の担当医は、主治医チームの別のドクターでしたけれど、
担当医の方は、移植後は本当に土日も休まず、
ずっと勤務されてみていてくれました。
ドクターは、本当に激務だと思いました。

大変お世話になりました。


谷口先生は、有名なドクターで、

地元の病院から紹介で転院するにあたって、
症状の重いアカオさんは診察に行くことができず、
私が彼の代わりにT病院に
谷口先生に紹介状を持って診察室に行ったのを覚えています。

頼もしい印象を受けました。
その時先生がおっしゃってくださったことを
アカオさんにそのまま伝えました。
心強かったようで、
名医である谷口先生にすべてを託し、
共に頑張ろうと
一生懸命治療を受けていました。



ドクター達の研究と、
新しい治療の開発など、
益々のご活躍を祈るばかりです。






5回目の命日に

2011-10-18 11:23:06 | 夫を想う
アカオさんの命日に
今年も「偲ぶ会」をやりました。

一昨年だけ、やらなかったので、
「偲ぶ会」は第4回目となりました。


アカオさんに、
「お前なぁ~、いい加減「偲ぶ会」なんて言って、
 皆を引き止めるなよ~。
 皆それぞれ忙しいんだから、、、。」
って、言われてる気もします^^;

「来年が七回忌だから、
 それで一区切りにするつもりだったの、、、」
と、あの世のアカオさんに言い訳している私。


でも、お客様達からは、
「○○(店名)の同窓会ってことで、
 続けましょうよ。」
「○○(店名)を愛する会として
 これからもやりましょうよ」
と、お声を頂いたりで、
本当に嬉しいです。


実際皆さんに会って、
レストランで楽しい食事会となるのですが、
もう5年も経つと、
楽しかった思い出話もちらほら出ますが、
それよりも「今」を楽しんでくれて、
料理やワイン、皆とのお話で盛り上がります。

私も最初の挨拶で、
皆さんが時間を作ってくれて集まってくれたことに感謝を申し上げ、

『「献杯」っていうのもなんだか、、、
 それより、皆さん、楽しい時間を過ごしましょう!
 よろしくお願いします!』
と乾杯をしますと、

皆さんも「よろしくお願いします」
と、グラス片手に乾杯をしてくれます。

その方が、アカオさんも喜んでいるに違いないんです。

じめじめしてるのは嫌いだったし、
それよりも、お客様に楽しんでいただくことが
何よりも喜んで仕事してましたから。
そのために仕事してましたから。


なんか、そうやって楽しい食事会をしていると、
まだ○○(私達のレストラン名)が続いているみたい、、、

そんな不思議な感じを持ちました。
こうやって、お客様との楽しい再会が続いていることに
感謝です。

ありがとう、アカオさん。


頑張らなきゃねっ!私。

アカオさんのファンのお客様も応援してくれるし、
アカオさんのためにも、頑張らなきゃねっ!





亡くなって4年過ぎました

2010-12-19 15:29:33 | 夫を想う
2010年10月16日、アカオさんの命日。
丸4年過ぎました。

今年は命日が土曜日だったので、
「偲ぶ会」と称して親しいお客様と食事会をしました。

とあるご夫妻のお客様が、
「今年はシェフの命日は土曜日ですよね。
 だから、お寺に手を合わせに行こうと思ってます。」
と、言っていらしたのでした。

忘れないで、そこまで想って下さっているお客様がいらして、、、。
その方は、自宅にもシェフの写真を飾ってくださっているそうで、
時々お線香を上げてくださっている、とのこと。
感無量でした。


そこで、それならばシェフ(アカオさん)を偲ぶ会をしよう、
と思ったのでした。


訃報後、お悔やみメールをくださったり、
激励や思い出を綴ってメールをくださったお客様達に、
あの頃は返事ができないでいました。

4年目にして、やっと取っておいたメールボックスから
それらを読み返すことができるようになり、
お礼メールと偲ぶ会のご案内をしてみました。


毎年会いに来てくださるお客様や
数年ぶりにお目にかかるお客様など
とても懐かしく感無量で、偲ぶ会と称した食事会ができました。

本当にありがたかったです。

皆さんそれぞれの想い出に私達のレストランでの場面があり、
別々のお客様なのに話は重なり、、、
シェフがつなげてくれていたんですね。
こうやってシェフを偲んで別々のお客様が集まるなんて、、、
感慨深いです。

シェフが作った料理と店が、
皆さんに愛されていたこと、
今もこうやってまだ、残された私を励ましてくださること、
本当に幸せに思います。

アカオさん、、、ありがとう。
あなたのおかげです。
素晴らしいお客様に恵まれて、私達は幸せだったね。

私の宝物です。





ライムグリーンリボンキャンペーン

2010-09-01 23:59:15 | 夫を想う
「みんなそばにいるよ」

ライムグリーンリボンキャンペーン

リンパ腫は白血病などと同じ血液のがんです。
血液がんの中では国内患者数が最も多く、年々増え続けています。
患者やその家族は皆様のご理解とサポートを必要としています。

■ライムグリーンリボンキャンペーンについて

ライムグリーン色のリボンは、海外のリンパ腫患者団体でも使用されているもので、
安らぎと新たな命の息吹を表します。
多くのサポートによる安らぎの中で、患者が化学療法や骨髄移植などの治療を経て克服し、
新たな命の一歩を踏み出せるよう願うものです。
リンパ腫についての普及啓発や患者支援にご理解とご協力をいただいている皆様に、
ライムグリーンピンバッジが贈呈されています。
(NPO法人 グループネクサスのWEBより抜粋)

詳細はこちら



生きていたら還暦

2010-02-06 23:09:09 | 夫を想う
久しぶりに書きます。

夫が亡くなって3年3ヶ月過ぎました。

最初の一年間は気を張っていたのか、あまりピンときてなかったのか、
そんなに寂しく一人を感じなかった。
これからのことのために、前向きだったように思う。
とにかく仕事もしないと、、と。

2年目は、就職をし会社勤めになったので、
毎日が朝から晩まで追われる日々。
3回忌という大事な務めもあり、気丈になれた。
でも、時々寂しくなったり、、、。


3年目になってから、
だんだん寂しさと悲しさに襲われるようになってきた、、、。

毎日は、仕事でいっぱいで疲れて追われているので、
それが逆に救いかもしれないけど、
だからこそ、逆に彼のいない現実が、心身を凍らせるような、、、。


もっと彼を助けて、大切にしなければならなかったことを悔いる。

彼に守ってもらっていたこと、大切にされていたことを
今になってしみじみ感じる。

”アカオさん、ありがとう”
いつも感謝している。


とにかく無念でならない、、、。



生きていたら、昨日還暦だった。




でも、そんなこと言ったら
アカオさんにも寂しくさせるからいけないかも。
還暦を迎えないであの世に逝ってしまったのが、
あの人の寿命だったのだろう。

彼は与えられた人生を、寿命を全とうしたんだと思う。
だから還暦なんてないんだよ。


と、強気で言いたいけれど、
やっぱり、還暦を迎えないで逝ってしまったのは寂しいよ。。。



三回忌を無事に終え

2008-12-03 01:02:11 | 夫を想う
平成20年(2008年)10月、亡き夫の三回忌を無事に営みました。

亡くなってから丸2年経ったとは、、、早いものです。
夫も失って、店に残した私達にっての財産も手放すことになって、
何もなくなり、、、

引越しもし、仕事も変わり、
慣れない生活環境に追われ、気がつくともう三回忌だった。

時を大事に生きていかなかれば。



このブログをご無沙汰していたのも、
やはり、過去を振り返ると悲しみに暮れるので、
思い出さないように、このブログを開かないようにしていました。

ふと思い出して読み返しては大泣きして、
目が腫れて翌日の顔が大変でした。

一周忌までの一年間は、気がはっているのもあるせいか、
自分に強く言い聞かせ、強がっていたように思います。
でもその後の一年の方が、なんだか切々と、、、
本当に一人ぼっちになってしまった寂しさが襲ってきて
だんだん辛くなってきてました。

無事に三回忌を終え、
今はだんだんリハビリ期間を終えた気分で、
恥ずかしくないようにしっかり生きようと頑張っています。

彼と共に生きてきた21年間を大切に、大事に、それを生かして、
これからを大切に、、、と。

本当に優しい人だった。
温かい人だった。



春のお彼岸にお位牌と故郷に

2007-04-13 00:34:02 | 夫を想う
春のお彼岸に、アカオさんの位牌を持って
アカオさんの実家に行ってきました。

お義母さんは、もう80歳を超えているし、
足腰が弱くなっているので
葬儀には来れなかったので、
お義母さんに会いに行きたいとずっと思っていました。

アカオさんのお位牌を抱いてもらいたいと思っていました。

やはり親子ですよね。
そんな私の想いを言うまでもなく、
私がお位牌をお義母さんの前に差し出しただけで
すぐさま位牌を胸に抱きしめてくれていました。

位牌を抱きしめたまま泣きくずれていました。

我が子に先立たれる母親の気持ちほど切ないものはありません。
例え何歳になっても母親にとっては子供は子供であって
悲しみは同じなんだと思います。
計り知れないです。


アカオさん、
お義母さんの元に帰ることができ、
お義母さんに抱いてもらえて、よかったね。


本人は闘病中、決して母親に電話することもありませんでした。
「電話する?声でも聞いたら?」と私が言っても
「しない。」とかたくなに言っていました。

心配させたくなかったのだろうし、
母親に弱音を吐きたくなかっただろうし、
もし言葉を発したら、
せきをきったように
どうしようもないほど切なさが襲ってくることを
感じていたからだと思う。

きっと治して元気になってから電話しようと、
心に誓って闘病していたに違いない。


本当に母親想いの人でしたから。
いつも母親を自慢してました、大切に想っていました。
苦労して育ててくれた母親を尊敬していましたから。

アカオさんは本当に芯から優しい人でした。


私もお義母さんに会いに行けて、ホッとしました。

お義母さんにアカオさんを抱いてもらえて、
妻として、少し肩の荷がおりた感じです。

春のお彼岸に新幹線に乗って
アカオさんの故郷に帰るお手伝いをして、よかったと思っています。







百か日も過ぎました

2007-03-12 01:34:49 | 夫を想う
夫の百か日は1月23日でした。

早いものでそれから1ヶ月以上経ちました。

百か日過ぎる頃までは、このブログを開くことも辛く、
すっかり書き込みもご無沙汰してしまいました。

元々夫の体調記録として書き出したので、入院してからの記録も
日記風に書いてきたのに、
最期の2日間の記録をまだ書いていないままでした。
その最期の2日間を思い出すのが辛く、、、。



でも、もうすぐ5ヶ月経つんです。
百か日とは、遺族がそろそろ悲しみを乗り越えて前を向いて歩き出す頃、
と聞いています。
本当にそう思います。
いつまでもめそめそしていないで、しっかり生きていかなければ!
ようやっとそう思える時期でした。

私の場合、百か日までは とくに焦って何も考えず、
亡き夫と向き合って静かに過ごしておりました。
そうしたかった、自然な気持ちでした。

そうする間に、夫から何か教わったような気がします。
夫が教えてくれているというか、
今後の進み方について、自然と方向が見えてきた気がします。

そして、夫が温かく見守ってくれている、
そんな温かいものを感じ、
これまで以上に夫に支えらているような
心強くさえ感じられるようになりました。

夫の愛がよくわかるようになりました。
今までどれだけ私は甘えて生きてきたのか、、、
いろんなことがわかるようになりました。

涙を流すことも多いし、嗚咽が出る日もあるけれど、
夫に手を合わせ、大丈夫よ、心配しないで、
と語りかけ明るくしている日との繰り返しだけど、
そうやって時が経つにつれ、
徐々に夫の言うことがわかるようになってきました。

百か日から2週間後の頃、節分でした。
つまり、新たな年の節目、私にはそんな気がしました。
その頃というのが、夫の生前の誕生日だったものですから余計です。

1月はまだ今後のことで整理しきれない部分がありましたが、
そういうわけで、節分が過ぎた頃、
今後の自分の方向性を頭の中でまとめる動きが
とれるようになりました。

やっと友達や人に連絡したり会える心境になってきて、
今までのように明るく接することができるようになってきました。


大切な伴侶を亡くすということは、
生活が一変するとか、生活のために一層忙殺する日々に追われるとか、
とにかく大変なことでしょう。
悲しむ暇もないくらいでしょう。

でも、無理をしないで、悲しむ時は大いに悲しんで、
大いに泣いていいと思います。
私はそうしてました。
誰とも会いたくないし、だから会わないようにしてました。
特に親しい人には。筆さえも執れませんでした。
静かにじっと家に閉じこもっていたい、
夫と向き合いたかった。

うんと泣いてうんと悲しんで、
それがまだまだ続くと想うけど、
おもいっきり悲しんで泣いた方が、
あとは回復して這い上がるしかないから、
その方が自然な気がして、、、私はそうしました。


もちろん今だってまだまだ悲しみが
ふと襲ってくる日もあるんですけどね。


夫のためにも、恥ずかしくない生き方をしていかなければ!