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中川輝光の眼

アトリエから見えてくる情景
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「恋する手紙」(ヴォイスサークル金沢)を観る

2012-10-28 | 金沢を歩く

「恋する手紙」(ヴォイスサークル金沢)を観る

ヴォイスサークル金沢の活動は、幾度か観ている。「秋の朗読公演・恋する手紙」といったタイトル、サブタイトルが~世界でたった一人のアナタへ~とある。なんとなく足が重いが、事情があって観に行くことにする。金沢の郊外に、この会場はあります。場所が分かりにくく、多少時間を要したものの、開演時間にはなんとか間に合った。喫茶「なんの木」が、本日の会場です。ほぼ満席(30人ほど)です、コーヒーにケーキ付きの「朗読公演」、いつもと趣向が違うのです。わたしにはありがたい、「趣向」です。若い人たちの声で聴く、高村光太郎や茨木のり子の詩が新鮮に響いてくる、不思議なものです。これまでのイメージにないことに、ハッとさせられたのです。わたしたちは、何気なく生きていますが、時折ふりかえって思い返すこと(何を)も必要ですね。この会場の喫茶店、オーナーが手作り家具の職人ということで、テーブルも椅子もすべて無垢の材を使ったオリジナル、コーヒーカップも皿ももちろん作家ものでした。このようなことができるのも、金沢の街だからこそのエネルギーです。

 


「革新的ベンチャービジネスプランコンテストいしかわ」を見る

2012-10-19 | 金沢を歩く

「革新的ベンチャービジネスプランコンテストいしかわ」を見る

昨日、「革新的ベンチャービジネスプランコンテストいしかわ」を見にいく。石川県・県庁近くで「革新的ベンチャービジネスプランコンテストいしかわ」(少々長いタイトル)があり、立ち寄ってみる。金沢市でもそうですが、県レベルでも地場産業の活性化(育成)に意欲的です、これもその試行錯誤のひとつです。若い人たちの試みと熱意が伝わってくる、ベンチャービジネスを取り巻く周辺状況は難しい、そういった壁を突破するには相当なエネルギーが不可欠、若さ(可能性)にその要素があります。県や市がどれだけ良質なバックアップ(プラス)ができるか、それも成否の鍵になります。県内金融機関も識者も揃っている、この試み(会場)から育った企業も多い。しかしながら、注目度は低いように思われます、評価したい「試み」だと思います。

 


2012年(金沢城址公園)出初式を観る

2012-01-08 | 金沢を歩く

2012年(金沢城址公園)出初式を観る

2012年1月8日、金沢城址公園にて、勇壮な出初式を観た。風はさほどない、昨年よりは寒くはない、いやこれはわたしの勝手な思い込みであり、裸はさすがに寒いことだろう。金沢市の消防士には、加賀藩ゆかりの火消しの血(伝統)がある。加賀鳶の血が騒ぐ、寒さに負けない魂があるなどと、勝手なイメージを重ねて見ている。放水の水煙がわたしたちの頭上に迫ってくる・・・一二歩後退る我が身が誠になさけない。

追記・・・加賀鳶はしご上の演技の安全(命綱)が話題になっている。わたしは「江戸火消しの粋」に想いを馳せる一人として、命綱をつけての演技は野暮と・・・しかしながら、時はもはや江戸ではない、「伝統文化」として形だけを残すこともあるのかもしれない。江戸の美意識をそのままに伝えることは難しい、吐く息とともに薄れていくものかもしれない。

        

 


小雨の金沢

2011-12-04 | 金沢を歩く

小雨の金沢

この数日、懐かしい人に会ったり、想い出深い場所に行ったりと、少々奇妙な展開が続いている。友人と21世紀美術館から竪町・新竪町へと、いつもの「散策コース」を・・・普段通ることのない路地へ気紛れに入るのもいつものこと、そこに数十年ぶりの再会が待っていようとは・・・。「ロキシー体験」がまだ続いているのか、よくあることと言ってしまえばそうですが・・・考えてみれば先日の「個展訪問」はわたしの意思で出向いていた訳ですし、「ロキーシー」にしても結果そこが目的地だったわけですし、何ら不思議はない。季節は冬(酒と魚の美味しい時期)、金沢を旅する旧友に会うことだって不思議はない。たまたま重なって会っただけに過ぎないのだが・・・そこに何らかの「意図」を見出そうとするのが、わたしの悪い癖である。とりあえず、金沢の冬を1枚掲載(色彩は晩秋?)、小雨もいいものです。

    

 


能島芳史さんの個展会場を訪れる

2011-11-28 | 金沢を歩く

能島芳史さんの個展会場を訪れる

昨日、能島芳史さんの個展会場を訪れることにした。案内の葉書をもらっていたからだが、多少の迷いもあった。金沢美大の同期ですが、当時は話す機会が最も少なかった一人ということもあり、正直なところ足が向かない。ただ、前日の「ロキシー体験」が、奇妙な心地良さ(ノスタルな雰囲気)が、気持ちの後押しをしている、「追記」もいいかもしれない。困った、勘違いをしている、電車から降りてしばらくして気づいた。降りた「野々市駅」から個展会場までは、かなり距離があることに気づいたのである。案内葉書の地名を熟知しているがための「勘違い」である、近頃はこういったことが多い。ともかく歩く、長めの散歩と思えばいい、以前と景観がずいぶん違うことに驚く、好奇心が満たされる、さらなる遠回りにて会場に着く。わたしの散歩は子供と同じである、単なる「道草」レベル・・・。会場は同窓会のような有様である、既に近況やら昔話で湧いている(絵などはあまり見ていない)。能島芳史さんを含め数人は、四十数年ぶりである。絵描きというのは、見た目は少し変わるが、中味は気持ちが悪くなるぐらいに変わらない、奇異な生き物である。

 

    


三十数年ぶりにロキシーの定位置に座る

2011-11-28 | 金沢を歩く

わたしは「映画好き」ですが、ここ数年、映画館に映画を観に行くことがない。ところが先日、金沢駅から歩いて数分、都ホテル地下の映画館「ロキシー」に入った。大きなスクリーンや客席も昔のままであることに、懐かしさと違和感を感じていた。この定位置に座ったのは、おそらく三十数年ぶりである。しばらくは、その感慨に浸っていた、この映画館で見た映画は多い・・・最後に見た映画がなかなか思い出せない・・・。既に始まっている、大スクリーンに映し出されている画面は、世界経済の現状分析や数表である。この日、映画館に映画を観るために来たのではない、ある企業の経済イベントに参加している、その会場に当てられたのが偶然の「ロキシー」であったに過ぎない。休憩時、珈琲が飲みたくて・・・この映画館の周辺に喫茶店が5~6店舗・・・えっ全てが閉ざされている、全てが・・・である。この会場での話題は「市場経済の悪化」についてだが、わたしは哀愁と共にロキシーの定位置に戻った・・・。確か、ここで最後に観た映画・・・レイモンドラブロックの「ガラスの部屋」だったかな・・・。

    

 


「旧松本染物店」町家再生プロジェクト(金沢市)を見る

2011-08-21 | 金沢を歩く

「旧松本染物店」町家再生プロジェクト(金沢市)を見る

金沢市は、歴史ある街並みが多く残っている、美しい地域です。その地域にも、生活スタイルの変化による「解体」が進行している、見た目の価値観の変容も大きい。金沢市は街の景観を守るために、「町家再生プロジェクト」を市民レベルの力を活用しながら進めている。この地域は、そういった素地(文化)もあり、成功実績も多い。最も新しいプロジェクトが「旧松本染物店」の再生ですが、ここは金沢美大(浅野川周辺の町家再生にも関わっている)の協力を得て進められる。昨日は、この「旧松本染物店」に行ってきた。2階のスペースの大部分が染物作業場になっている、藏を軸に迷路のように多くの部屋とつながっている。町家特有の細工がよく残っている、幾つかの急勾配の階段と、生活区域(用途に応じて)ごとの段差が多い。残す価値(要素)は多いが、これからどう使っていくか(当面は展示スペースにと考えているらしい)が難しい。周辺に「玉川図書館」があるので、「学術地域」として整備していくこともいいのかもしれない、武家屋敷コースからの回遊コースとして整備するのもいい、などと余計なことを勝手に思ってみたりする。金沢市には独自の文化があり、若い人もこの息吹の中で育ってきている、期待したいものです。

     

 


「親鸞展」(金沢)を観る

2011-04-04 | 金沢を歩く

「親鸞展」(金沢)を観る

北陸は、「真宗王国」です。信仰の有無に関わらず、このような催しには多くの人が集まります。「東日本震災」直後、日本は大きなダメージを負いながらも、とりあえず歩み始めました。心は傷つきやすく、一度傷ついた心は、なかなか癒えることはない。親鸞の時代、多くの人々が救いを求めた、そういった背景を推量しながら、わたしは見ていた。それぞれの心に、「親鸞の教え」が届いたかどうかは分からないが、会場には宗教のもつ独自の緊張感があり、心地よい。考えてみれば、この空気感がすべての「共通項」なのかもしれない。

     


「金沢蓄音器館」を紹介します

2011-02-27 | 金沢を歩く

「金沢蓄音器館」を紹介します

昨日訪れた「金沢蓄音器館」ですが、八日市屋浩志さん(山蓄コレクション)の蓄音器540台とSPレコード2万枚を基に開館した施設です。金沢市と創立以降の寄付に支えられて今日にいたるのですが、わたしたち音楽好きにはイメージの「宝石箱」です。昨日のピアノライブ「ショパンとリスト~祖国へ寄せる熱い思い」もここで行われました。金沢市が育んできた「音楽文化」が、このようなところにも見られるのです。

     


金沢美術工芸大学の卒展(院)を見る

2011-02-19 | 金沢を歩く

金沢美術工芸大学の卒展(院)を見る

金沢美術工芸大学はわたしの母校ですが、以前のわたしであれば、若い人の作品(卒展もそうですが)を見にいくことなど考えもしないことでした、ここ数年の気まぐれかもしれません。わたしの若い頃とは、大学の環境も雰囲気も違うのですが、奇妙なことですが「当時の微妙な陰影」が、時折重なって見えることがある。若い人には、たしかに「不思議な力」が備わっているのですが、必ずしもそういった力が制作にプラスに働くとは限らないのです。若い頃の作品は、どこか未成熟であるがゆえの「迷い」が、時に大きな痕跡となってしまうことがあるのです。その時には気付かないのですが、ある日「その痕跡」に気付くのです、ある日突然です、極めて明白にです。わたしもそうでしたが、創作に没頭していると見えなくなる「技術上の欠陥」です、そう表現上の欠陥です。若さは、それだけで優れた能力です、作品の魅力を永遠のものにしてくれる何かが潜んでいます、大切に育んで欲しい。