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アンネの日記を破いたのは韓国人

2014年03月12日 | 日記



都内と横浜で300冊以上の図書館の蔵書の「アンネの日記」が無残に破られたというニュースをご存知の方は多いだろう。

この裏には単純な理論がある。まず日本人で「アンネの日記」に代表されるユダヤ人を差別する意識は皆無に近い。それどころかアメリカに脱出できない数千人のユダヤ人たちに捕まるかもしれないのに日本へのビザを与えた杉原千畝。

リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原は、ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情。外務省からの訓令に反して、大量のビザを発給し、およそ6,000人にのぼる避難民を救った。

ユダヤ人排斥は日本の人種平等主義に反すると日本軍人の少将の樋口季一郎は、ハルピン特務機関長(少将)時代の1938年に、ナチス・ドイツの迫害下から逃れてきた2万人のユダヤ人に対し、部下であった安江仙江(やすえ のりひろ)大佐らとともに即日給食と衣類・燃料の配給そして要救護者への加療を実施、更に出国斡旋、満州国内への入植斡旋、
上海租界への移動の斡旋等を行った (オトポール事件) 人物であり、戦後イスラエル建国功労者として安江とともに 「黄金の碑 (ゴールデン・ブック)」 に 「偉大なる人道主義者 ゼネラル・ヒグチ」と名前が刻印され、その功績が永く顕彰されている日本人だという。

祖国のないユダヤ民族に同情的であるということは、日本人の古来からの精神である。日本人はむかしから、義をもって、弱きを助ける気質を持っている。

そして一般の日本人もチャンコロアレルギーはあっても、ユダヤ人へのアレルギーは聞いたことがない。ところが、この事件の一週間後ぐらいに韓国のパククネが何度も断られていた訪独を無理やりに強行し、安倍首相の「告げ口」を行う目的でドイツを訪れている。

この事実から、ユダヤ人虐殺の象徴である「アンネの日記」を破ることでナチスが日本にいるという印象を植え付けるために在日の組織「民団」かなんかが団体で行った印象が見え見えだ。

戦後数十年間、日本で「アンネの日記」がいたずらされた等という事例は全くない。パククネがドイツに行く前にあちこちの図書館の同じ本が被害に遭うなどとはパククネが命じたかしか考えられない。あの国のあの女ならやりかねないから。

まったく了見が悪すぎて、救いようのない女だ。

しかし、犯人が捕まっても日本のマスコミは韓国をおもんばかって、本名を隠し通名でしか報道しないだろう。

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