My Life After MIT Sloan

組織と個人のグローバル化から、イノベーション、起業家育成、技術経営まで。

ガラパゴス問題の論点まとめ。

2010-05-09 07:00:00 | 2. イノベーション・技術経営

前記事「My Life in MIT Sloan-ガラパゴス問題をガラパゴスに閉じるのはやめよう」は、
ガラパゴス問題、という経営の問題そのものにメスを入れる、というよりは、
問題自体をガラパゴスに閉じてしまうことへの問題提起だった。

しかし、本家の問題そのものも含め、コメントなど色々反響を頂き、私も思うところがあったので、
議論の論点まとめ、という形で、記事にすることに。
結局、議論の食い違いのもとは、次の3つに総合されると思った

1. そもそも「ガラパゴス問題」って何なのか?(ゼロックスやインテルの事例では語れない問題)
2. ガラパゴスと「イノベーションのジレンマ」は違う話。でも大企業の問題の根っこは似てる。
3. そもそも「ガラパゴス」は問題なのか?

それぞれの皆さんの反響はこちらを参照ください。
前記事とコメント欄; BLOGOSコメント欄; はてなブックマーク; Twitterコメント
あと、関連ブログ記事を書いた人はトラバください。
この問題に興味を持った人が、色んな視点を読むのに参考になると思うので。

1. そもそも「ガラパゴス問題」とは何か?-ゼロックスやインテルの事例では語れることと語れないこと

キャッチーな言葉なので、かなり広義に使われてるが、
言葉を聞いて皆が想定するものが違ってしまったら、議論が行き違ったりして意味ないので最初に。

私の定義は、前記事で書いたように、要は日本独自仕様を目指してしまう経営の問題だが、

1. 日本の高いレベルのインフラ・技術: 高速インターネット、携帯電話
2. 日本の消費者の高いニーズ: 高いサービス・品質に慣れてるので、それが当然と思われており、それ以外が余り売れない。
3. 日本の良き?ビジネス慣行や保護政策: 携帯電話会社が莫大な金額をSubsidizeできるとか、経産省や総務省が変に保護や規制をしてくれること

に余りにもカスタマイズしすぎた、価格も高い独自仕様なので、グローバル化できない、
でいつの間にか後発の基準がグローバル化してて乗り遅れる、という現象だと思っている。
(元は「高い」はなかったというコメントがあり、記事はこちら

特に「一部の高い消費者ニーズにあわせて」というところがネックで。
その高いニーズを持つ人達が1億人近くいるもんだから、中途半端に市場として成立してしまう。
日本が「国全体」でガラパゴスに陥ってるのは、ここが問題なわけだ。

そういう意味ではコメントで色々指摘されたように、インテルやゼロックスは余りいい例ではなかったことを認めたい。
彼等は、そのハイスペックがそもそも市場にもならなかったので、問題に最初から気づいていたからだ。
1億人市場を食いつぶして、世界に出ようとして初めて問題に気づく日本企業とは違う。
ただ、解決方法は参考になる。

むしろ、PalmとかApple Newtonのように、ハイエンドユーザが求めてるものを作り、多少売れたが、
消費者全体が求めてるわけではなかったため、大成功には至らず、
結局RIMなどスマートフォンに負けた例を挙げた方が良かったかも、と後で思った。

このように「一部のEarly adopterのニーズは、Majorityのニーズとは全く異なる」ことは「キャズム」と呼ばれ、
それが全てのニーズだと勘違いして、カスタマイズしすぎ、売れずに失敗した例は世界にも多々ある。
「ガラパゴス問題」とは、ある意味で「グローバルに日本人がEarly adopterであることによるキャズム」
と言えるかもしれない(注1)。
そう考えると、キャズムで議論されているような解決方法は、多少、役に立つかもしれない。

キャズム
ジェフリー・ムーア 翔泳社

写真クリックするとAmazonのページに行きます。
解決策は提示してあるが、実証に基づく深い考察ではないので、「概念を理解する」ための本と位置づけた方が良い。

もうひとつ、おさいふケータイにおけるFelicaチップ内臓のように、
携帯電話会社が端末の普及にSubsidizeするのが当然であるとか、
日本の総務省や経済産業省の極端かつやっかいな「保護」政策により競争力を失ってるって話があり、
これも、インテルやゼロックスの事例では語りきれない。

しかしこれも、元国営企業や国家が、国の経済の中心にある事業を変に保護したために、
グローバルな競争力を失ってるなんて事例は、これまたヨーロッパには山ほどあるし、
それをうまく回避かつ利用してグローバルに成功した、DHLやテレフォニカ、スエズなどの事例もある。
(注:スペインなどの企業は、植民地の歴史と絡むので、全ては真似できないが)
また、他国には「自由競争にしろ」と言いながら、自国内では農業だの石炭・石油だのといった産業を保護しまくり、結果競争力を失っている分野がたくさんあるアメリカなども、非常に参考になる。

このように「ガラパゴス問題」の根を切り刻んで考えると、
1. 高い技術・インフラに頼りすぎ→インテル、ゼロックスなど
2. 高い消費者ニーズにカスタマイズしすぎ→ キャズム問題を持つ企業。後はドイツやフランスなど国内市場が割と大きな国の例。
3. 政府や元国営企業の変な過保護→ フランスなど同様の国の事例。アメリカの農業(食料品全般)・石炭事業なども参考に。

というように、どのポイントについても他国にもいくつも参照に出来る事例が出てくる
もちろん、全部が利用できるわけじゃないが、参考に出来るものは参考にし、
問題解決に活用できる世界の頭脳は、活用するにこしたことはない、と私は思う。

ただし、何度も言うけど、これらを真似するに当たって、英語力、
いやもっと言うと英語ダメだから、と世界に飛び出すことを「遠慮する」現象がネック
結局解決方法は、多国籍に他企業と協業したり、他国に売りに行ったりすることに必ずつながるから。
でも40年前の日本人の英語力で、ソニーがトランジスタラジオを世界でヒットさせたことを思い出したい。

2. 「ガラパゴス問題」と「イノベーションのジレンマ」は全く違う話。でも問題の根っこが似ている

で、これまたキャッチーなので広義に解釈されてる「イノベーションのジレンマ」は、ガラパゴスとは違う話だ。

前記事追記に書いたように、「イノベーションのジレンマ」は、

新しい技術は、通常旧技術とは異なる顧客(市場)、ビジネスモデル、組織の動き方を必要とされる、実際動こうとしても、新技術は最初は市場が小さいから本気度が出せない。
そうしてるうちに出遅れて、にっちもさっちも行かなくなる

一方で「ガラパゴス」は新技術なりなんなりを商品として出し、ある程度は成功している、
しかしそれ以上に大きなグローバル市場に飛び出せない、と言うことなので、全然違う(注2)

ただし、どちらも慣性の大きな「巨像」を変えていくのが大変な件、と捉えると問題の根っこは似ています。

「イノベーションのジレンマ」は、わたしの下記エントリが参考になると思います。

My Life in MIT Sloan-自社事業を破壊するイノベーションが出てきたとき(2009/09/10)
My Life in MIT Sloan-日本の出版社が直面するイノベーションのジレンマ (2010/01/26)

本家の「イノベーションのジレンマ」も参照。

イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき (Harvard business school press)
クレイトン・クリステンセン,玉田 俊平太
翔泳社

(MBA生は絶対に英語の原書で読むことを強くお勧めします。教授は全員読んでる「共通言語」。
日本語版を読んでも「共通言語」は身につきません)

3. そもそも「ガラパゴスであること」は問題なのか?

最後に、「ガラパゴス」は本当に問題なのか、という問題提起。
一言で言うと私は「コインの両面」だと思う。

何故日本が「ガラパゴス」になるのか?
それは
1. 日本は人口1億人以上もいる、そこそこ巨大市場だから
2. 日本語というハイコンテクストな言語と似た文化を共有し、非常に効率的に高機能・高品質を実現できるから

どれも、メリットのはずなのだ。
1の「ある程度の大きさの市場」であることは、
以前の記事「My Life in MIT Sloan-日本や欧州にシリコンバレーが出来ない理由とその対策 (2/2)」
で書いたように、一つの事業が育つためには重要な条件の一つだ。

しかし、残念ながら、日本は成長市場ではない。
このまま移民も認めない政策だと、市場はどんどん縮小していくだろう。

また、世界中でグローバル化が進展し、グローバルに売ってる他の企業とコスト面で勝つためにも、
日本市場だけでなく、世界の市場で売っていくことが必要になってきている。

こうして、かつて日本企業が育つために重要だったメリットは、今やデメリットになってきてる、という話だ。

ちなみにこの問題は携帯電話分野では顕著だが、私は法人向けソフトウェア、半導体、一部の家電、
さらには、MixiなどのSNSや、楽天など、「ガラパゴス」問題に陥ってる分野は多いと思う。

だから、私は「ガラパゴス問題」は問題、と捉えており、更に、それは解決可能な問題だと思っている。

(注1)実はこの話には面白い実証があって、1997年に「世界の人々を6つにセグメントする」マーケティングプロジェクトが行われたとき、
日本や韓国に「遊び好き」といわれる、新しくて面白いものに金を出す傾向の高い人が顕著に多いことが実証されている。
コトラーのマーケティングの本に解説があるので参照

コトラー&ケラーのマーケティング・マネジメント 第12版
フィリップ・コトラー,ケビン・レーン ケラー Pearson Education Japan for JP

マーケティングのMBAと言えばKellogg、と言われるKellogg MBAの看板教授の教科書。
コンジョイントやセグメント分析の具体的な手法は書いてないが、マーケティング戦略の考え方の本質が分かる名著

(注2)仮に、ロースペックだが安いなどの特徴を持つ、新しい技術標準が他国から新たに出てきたが、
市場が小さいので本気度が出せず、いつの間にか負ける、
という文脈なら「イノベーションのジレンマ」になるが、日本のガラパゴス問題の全てががこれではない。

←面白かったら、クリックして、応援してください



最新の画像もっと見る

23 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
ガラパゴス=そうなりたいから? (Isao)
2010-05-09 08:37:01
とても刺激的なシリーズで楽しく読んでいます。最近思うのは、ガラパゴス化(=内輪内で全て完結させる)は僕たちにとってとても居心地のよい方法だからこそ、進化したのでは?です。なので方法論としてガラパゴスを選択したのではなく、自分たちにとって最もやりやすい、しっくりくる方法をとっていたらいつのまにかガラパゴスになっており、たまたまそれが世界の流れと異なっていた、ということなのかなと思います。
なので、方法を変えればよいのだ!などというレベルではなく、自分たちのありよう、生き様を変えるかどうか、というとても難しい、考えたくもない、本当の意味での死活問題なのでは。
やり方を変えよう、では現実逃避を続けることになりやすく、自分を変えよう、でないかぎり、根本的に解決しない問題なのではと考えています。それを企業の主役である40代、50代の男性がどうやったらするだろう?職を失わない限り無理なのでは。すみません悲観的で。でも自分を変えり、からしか始まらないような気がします。
返信する
Unknown (裏目の鶏 (uranoon))
2010-05-09 09:42:51
反響がすごいですね。それだけ関心の強い話題だったのでしょう。それとLilacさんの文章が「読ませる」ものだからです。

散見される「ガラパゴスはなるべくしてなる」「それでよいではないか」という意見は、違うと思います。

LilacさんはMBA的観点つまり経営側から述べておられます。経営側としてもガラパゴスは問題です。しかしユーザも、不便を余儀なくされます。例えば、シンプルで安価な携帯電話が日本のショップにあるでしょうか。日本人は全員、数万円もするケータイを使いたいのでしょうか。

「たまたま世界の流れと違っていた」と考えていたら日本企業の技術開発・製品開発の方向性は甘すぎます。外貨を稼がずに経営できますか。さらに外国製品にシェアを奪われても経営が成り立ちますか。

もちろんガラパゴスでい続けるためには、外国製品を排除するつまり保護主義を徹底する必要がある。それができるはずがありません。

ガラパゴスは問題だと思います。

*** *** ***
前後してしまいましたが、僕の記事です。uranoonブログ「ガラパゴス問題のエッセンスを二つに分ける」
http://blog.livedoor.jp/uranoon/archives/412881.html
僕は本質的に問題はふたつにわけるべきだと考えています。

(1) 海外のニーズと乖離した過剰スペック・高価格(⇒カーナビ、パソコン)
(2) 規格が海外で使用不可能なケース(⇒携帯電話、デジタルテレビ)


Lilacさんは僕がふたつに問題をわけたうちの(1)について書かれていると思います。しかし今日本で問題となっているのは(2)のほうです。池田信夫さん、海部美知さんが指摘されている「iPadや次世代iPhoneが日本で使えない」という問題も(2)です。
返信する
すみませんでした (元活動家)
2010-05-09 10:50:41
一つ前のエントリに色々コメントしてしまいました。それは忘れてください(笑)

本文3.についてはもう少し掘り下げた議論が見たいですね。
政治経済問題云々が出てくると話が大きくなりすぎるので、もう少し絞った観点で3.の問題を語ることは出来ないのでしょうか?
否、政治経済の問題を絡めるからこそ、ガラパゴスの本質が見えなくなっているのでは、とも感じられます。
確かに国家の果たしたマイナスの役目は大きいのですが、それが主要因であるわけではないでしょうし。
返信する
先日はどうも (tak)
2010-05-09 13:30:23
喉が潰れてしまいました。。
返信する
ガラパゴスになりたがっていたのかも (松本孝行)
2010-05-09 15:12:03
 日本の企業ではパナソニックのようにがんばって外に出ようとしているところもありますが、どうもネットの言論では「日本の企業なら日本に利益を落とせ」というような保守的な意見がちらほら目立ちます。
 そういう部分では保守的な人が日本には多いのかも?と思いますし、そういう人たちが「ガラパゴスでもいいじゃない。」と考えているのかも?と言う風にも思います。

 実際、これだけガラパゴスと言われていながら、日本の携帯電話が世界で注目されていると言うような報道が出てくると、それだけで溜飲を下げたような人たちも増えているように見えます。

 まぁこの辺の意識レベルは推測でしかないですし、日本の歴史から考えれば結構外国には門戸を開いていましたから、違うと信じたいですが。
返信する
OASYSとかRupoとか、、、 (Unknown)
2010-05-09 19:06:13
携帯に関しては、パソコンと日本語ワープロ専用機の関係に似ているような。。。

「日本語の文書を作る」という目的を重視するなら、日本語ワープロ専用機の方が開発しやすいけど、将来世界で売ることを考えれば、汎用的なハードに日本語ワープロソフトを載せる方が賢明な判断だった。

しかし、日本では世界と戦う必要の無いキャリアが主導権を握っていたため、ワープロ専用機ばかりを開発させた。

しかし将来的には、ワープロ専用機は圧倒的な柔軟性とコストパフォーマンスを持ったパソコンに駆逐される運命、と。
返信する
ガラパゴス諸島の住人 (kumasuke)
2010-05-09 21:53:28
ブログ、興味深く拝読させて頂いています。
ガラパゴス化の問題は、結局日本人が内に籠ってしまったことにあると思います。
ここ10年で海外留学する学生が激減しているそうです。
新しいこと、世界を見ていない・知らない人にグローバルな(世界の人が必要とする)商品を作ること難しいのではないかと思います。
私自身も大変危惧しているのですが、このままでは、日本で働く人がガラパゴス島に住むイグアナになってしまわないかという不安です。企業経営だけの問題ではない深刻な問題ととらえています。
返信する
元活動家さんに一票 (中川信博)
2010-05-10 00:24:22
私もガラパゴスでなぜいけないのかという議論に賛意しまう。
今回のエントリーは池田氏や堀江氏などの議論に酷似していますが、ガラパゴスで何がいけないのでしょうかと問うてみたい。
抽象的だが、進化は善というマルクスの呪縛があるように思う。人類は進化していない、変化もしくは退化しているのかもしれない。
返信する
Unknown (Lilac)
2010-05-10 01:41:11
@Isaoさん、@松本孝行さん
「ガラパゴスになりたがってるのでは」という方も多いですね。
確かにそうとしか思えないときがあります。
さっきダンナと電話で話していたら、NHKスペシャルで電気自動車用の電池の開発に関する番組を見たそうで、
そこで経産省主導で、日立とホンダなどが「中国のどんな悪天候・悪路でも走る電池を」とか開発を目指してるという話があり、
「それがガラパゴスなんだよ!」という話になりました。

ガラパゴスなのは、グローバルなニーズに対応できてないとかいう話ではなく、日本人的価値観に基づいて、海外のニーズを勝手に想定してるっていう、社内文化的問題が大きいんだな、と思いました。

@Uramenoonさん
参考になります。
その二つは、私のと多分切り方が違うだけで、私の話は1)も2)もカバーしてる話、と思います。
(2)も結局は、日本のメーカーや電話会社が先に進化したために起こっているので。

SDカードの件ですが、これはカードメディアを最も使うデジカメや再生機器が日本のものが普及したから、というのが大きいと思います。
PCも日本発のものは、ほとんどSDカード搭載でしたし。
日本は垂直統合モデルで規格を推し進めていくのは非常に得意だと思いますよ。

@元活動家さん
なるほど、確かに、国家の保護政策、元国営企業の金にモノを言わせた普及作戦などでは語りきれないものが抜けてる気はします。

それって何だと思いますか?

@Unknownさん
似てますね。

@Kumasukeさん
イグアナも世界に飛び出してくれれば価値がありますが。
何で飛び出さないんでしょうかね。
やっぱり海外に飛び出して成功した例が少なすぎるのだろうか・・。
返信する
Unknown (hully)
2010-05-10 04:48:40
イグアナはイグアナである事を誇りにしないと、ダメなんじゃないかなぁと。
皆に愛される愛玩犬になる為にはどうすればいいか?なんてイグアナ同士で考えても、答えはでないと思いますよ。
それぞれの場所でイグアナとして生きる為に、どういう進化を遂げればいいか?それが答えが出る問題だと思います。
イグアナが無理に愛玩犬になろうとすれば、生まれる物はイグアナでも無ければ、愛玩犬でも無い、
気味の悪いバケモノしか生まれません。そうなったが最後、誰からも相手にして貰えなくなります。
確かに問題点を考えて反省する事は大切ですが、その事で悲観的や否定的な見方をするのはどうかと思います。
欠点では無く、特徴、個性として考えれば、前向きな何かが生まれるのでは無いのでしょうか。
返信する

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。