ここに書く内容は、特定の人に当てて書いたりもしていますが、本当は自分自身に向けて書いていると強く感じる時があります。
自分の心というものを探しているような。
無意識の中の自分の心、意識した心。
読み返す事で、自分が解る時も多々あります。
一昨日、風呂上がりにずっとある状態から意識が離れなくて、なんでこんなに固執しているのだろうか?と不思議でした。
嫌なら、そこから離れたら良いのに?
わざと自分の意識が下がる場所にどうして自ら進んでそこを選ぶのか?
私の中で「気づいて欲しい心」が出たがっているのだろうか?
そう思いながら寝たら、夢を見ました。
多分、私の根本的な因縁の始まりの記憶だと思います。
夢の中では、私の意識でもありましたので。
最初の方はあまり覚えてない部分も多かったです。
でも目覚める寸前はよく覚えてます。
私の視点が私から離れて広い視点となり、その様子を見ていたのです。
最後の場面は2人だと思ったら、あー、3人いたんだ。
私を操っていた「あの隠れてた女性」は誰なんだろ?
知らない人かもしれないし、自分自身なのかもしれない。
それは後々、解るだろうから今はいいかな。
その状況を今の私が知る事が大切なんだと解った。
そして自分が傷つけてしまった人の事もよく解りました。
そのつもりはなかったのに結果的に傷つけてしまっていた。
それを後から知らされて、物凄く後悔する。
原因は私がその事を忘れてしまっていたから。
もっと突き詰めると中途半端な気持ちでいつも受け入れていた事。
「まあ、いいかな」という気持ちで選んでいたから。
「この人が好き」という突き抜けた愛情が育つ前に、望まれて相手を受け入れた。
「相手が幸せになるのなら、まあ、いいかな」という気持ちで選んでた。
自分ではなくて相手の方を向いて選んでいた愛でした。
でも自分の心は、まだ愛が満たされた状態ではないよね。
たまには自分の心も見てよ!といつもカラカラ状態で叫んでいたよね。
自分の中にまだ確かな愛情が育ってないから忘れてしまう。
忘れることで、別の現実を作り、結果的に前の現実が悲劇となる。
まあ、そんな内容の夢でした。苦笑
だから今度は自分の中の愛情をちゃんと育てたいと思って、生まれて来たと思う。
自分の中の愛情を大きく育ててから選ぶという確かな意志を持って生まれた。
最初に相手へ向けるのではなくて、まずは自分に向けてへの愛情ですね。
自分への愛。
それが出来てこその相手への愛。
そして周りへの愛。
そうやって広がっていくような愛情。
広がって愛が溢れていくから、どこも満たされた状態になる。
それなら悲劇など起こらないですよね。
これが好き!と心から湧き出てくるような愛情。
そういう感覚を育てる為に、自分が一番好きなものを日常で選択していると思った。
それを今育てている最中なんだなと思いました。
原因もわかったし、絶対悲劇はもう起こさない!
大丈夫、まだまだ小さいけど、愛情の木をちゃんと私なりに育てているからね。
しっかり地面に根を生やし、びくともしない大きな木に育てるからね😊