私の俳句.川柳.動画.日記.絵手紙【皆で470歳】

50から80才代のパソコン大好き仲間のブログ。
私の作品(俳句.川柳.動画.絵手紙).自然観察.徒然日記

【パソわざ】メールは見かけ

2009年09月14日 09時07分35秒 | パソコンのことわざ 【パソわざ】

メールは見かけによらぬもの


HTMLメールは綺麗だからと言ってやたら使ってはいけません。内容や相手を考えて使いましょう。


パソコンのことわざ 【パソわざ】



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「江戸の武士」  "武士の家計,,   4

2009年09月12日 10時34分54秒 | ビンちゃん


江戸時代の武士も現代のサラリーマンと同じ様に給料をもらっていました。

支払い方法は大きく分けて「知行取り」「蔵米取り」「給金」の三つの方法があり

米で支給されるのが原則です。「知行取り」は領地をもらっていた。

その領地から取れた米が給料。ただし[四公六民]、武士の取り分は40%、農民の

取り分が60%。[五公五民]の場合もあった。

100石取りの場合は取り分40石で現在の年収240万円位。

「蔵米取り」は地行地を持たない小禄の旗本や御家人が幕府から米をもらっていた

その米を受け取る場所が今の台東区浅草橋の隅田川沿いの蔵前にありました。

武士にとって米を受け取りその米を商人に売りお金にする事は時間もかかり面倒

な事ばかりかかるので、そこに[札差]が登場するのです。

札差は旗本や御家人の代理として米を受け取り米商人に売り換金する迄一手に代行

した。札差に払う手数料が米を受け取るのは、米100俵につき金一分(一両の四分

の一)、米商人に売る手数料は金二分(一両の半分)かかりました。

札差しは代行業者であると同時に金貸しでもあった。

将来もらうはずの蔵米を担保に金を借りる武士がたくさんいて、毎年の様に借金す

ると利子を返済するだけでも大変で札差地獄に苦しんでいた。

「給金」は金銭で貰う事。もっとも身分の低い武士の場合一年に貰えるのは三両一

分、今のお金で20万円程度。100俵取りの武士でも中間一人、下女一人雇っている

と食べるだけでやっとだった。それ以下の下級武士も非常に苦しい生活を強いられ

ていた。

享保7年(1722年)の記録では、旗本は5205人で平均の石高は507石(俵)、それに

対して御家人は17390人で平均はたったの32俵でした。給料だけでは食べていけな

い為、せっせと傘張り等の内職に励んで家計をやりくりしていた。

鬼平犯科帳でおなじみの長谷川平蔵は年収4000万円以上、遠山の金さんにいたって

は8000万円以上、超セレブな暮らしをしていたのでしょうか?!!?-

                       (株)夢の設計社  歴史の謎 より

徒然日記  夏の終わりに

2009年09月08日 06時52分14秒 | 幸子さん
孫達の小学校で毎年恒例の、花火大会がありました。

お父さん(ダデーズ)たちの働きで今年も素晴しかった

始は、子供達がそれぞれ手持ちの花火で楽しんだ後に

打ち上げ花火、吹き上げ花火、中ほどで、ナイヤガラの滝

最後はクロスに花火が飛び、すごい迫力でした

思わず、みんな拍手、拍手、楽しいひと時でした。

      by幸子

【パソわざ】過ぎたるメールは

2009年09月07日 09時06分00秒 | パソコンのことわざ 【パソわざ】

過ぎたるメールは及ばざるが如し


返信には[不要な引用文]を付けないで元の文は必要な部分だけ残した方が良いです。
ただし、なんでもかんでもということではなく、全文を残した方が良い場合もあります。

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「江戸の武士」  "武士の住まい,, 3

2009年09月05日 10時39分15秒 | ビンちゃん




江戸時代は武士(浪人)が町人の家に住む事は許されなかった。居住区は武士は

武家屋敷の地域、町人は町屋の地域と分かれていた。しかし武士といっても大名も

いれば、下級武士もいたし、禄高には大きな差があった。それに応じて住居の様子

は異なっていた。ただし、町人と較べると武士の家は敷地だけはだだっ広かった。

町人の大半が住んでいた裏長屋の広さは畳に換算するとたったの六畳、その中に

玄関や台所、食べたり寝たりする部屋があった。一人暮らしでも手狭である。

それに対して武家屋敷は100俵以下の御家人でも200坪、300石(俵)の旗本なら

500坪、10万石の大名なら7000坪という広大な敷地に屋敷を構えていた。

その敷地の中には、多くの家来が住み込んでいたので、それなりの広さが必要でし

た。例えば家禄300石の旗本なら500坪の敷地の中に、母屋と使用人の住む平長屋が

建てられ、便所やお風呂、井戸は二つづつあった。

そこで門番、槍持ち、中間、若党、草履取り、用人、下働き等およそ10人と旗本の

家族が暮らしていました。

武家屋敷の格式は、門構えによってひと目でわかり、徳川家臣の場合、左右に扉が

開く開き門を構えていれば、禄高の高い低いにかかわらず旗本であり、木戸の屋敷

なら御家人の住まいありました。さらに門番がいれば300石以上の旗本、いなけれ

ば300石以下と云うように入り口を見るだけでおおよその事がわかったのです。

ちなみに門番のいない旗本の家は、色々考え工夫して「徳利門番」なる妙案をあみ

出して使用したようです。

【私の動画】 酔芙蓉(すいふよう)

2009年09月02日 09時07分11秒 | そめちゃん


酔芙蓉

まっ白い花が酒に酔ったように、ピンクに染まりました。

ご近所の庭に咲いています。

毎年咲いてたので見てはいたはずなのに、花の色が変化して咲いていたことに全く気がつかなかったのです。
 
今年になって、家主の御主人に「この花は、朝昼晩と色が変わるんですよ。」と聞いて、初めて普通の芙蓉と違う事を知った訳です。


そめちゃんの徒然日記

ガラスの事なら染野ガラス

そめちゃんのブログ


孫 ななこ

2009年09月01日 06時43分39秒 | 幸子さん
は~い ななこで~す

わたし、この頃よく眠るの、パパが帰ってもぐっすり

いろいろお世話してくれるパパはつまらなそうなの

昨日もこんな体勢なのに、ぐっすり気持ちよかったわ

寝る子は育つと言うから、ミルクたくさんのんでおおきくなるわよ~


ななこ幸子