グラビア(?)雑誌と比較してみた。
時々、考えることがある。
茶トラ、雉トラを飼っている人は、もしその猫が迷子や行方不明になった時、自分の愛猫を判別できるのだろうか?彷徨っているうち首輪が外れてしまったら?何日も食べ物にありつけず、痩せ細ると、猫の首輪なんて簡単に抜ける。頼みの綱はいともあっけなく消える。
名前を呼ばれて反応するから絶対に自分の飼い猫とは限らない。どんな名前でも愛想よく返事して人懐っこい猫は結構いる。世渡り上手なノラに至っては、幾つもの名前をいただいて使いこなしていたりする。飼い猫が名前を呼ばれて返事をするなんていうのは案外飼い主の買いかぶりで、未知の外界で恐怖にさらされた飼い猫ほどパニックになり、飼い主も他人も判別困難な思考回路に陥るのは容易である。
白い模様が少しでもあれば、又、しっぽの形とかに特徴があれば、判別の手懸かりにもなるが、それが無いとかなり難しい。
猫の顔はよく見ると皆違っているのだが、茶トラより雉トラの方が目の色や凹凸輪郭等特徴がある気がする。茶トラは色素が薄いせいか目の色の違いは雉トラほど無い。と、なると、茶トラの判別の困難度がぐっとあがる。飼い主は通常の状態なら顔を見分けられるだろうが、光の加減や健康状態が影響したら、やはり難しいのではなかろうか。
綺麗な色の茶トラを見ると、黄金色でつやつやの毛並みがキラキラと美しくて羨ましくなる。これが陽だまりに居ようものなら、本当にお天道様の遠赤外線のかたまりのようで、懐に入れて持って帰りたくなる。『縁側で日向ぼっこする黄金色の茶トラとおばあちゃん』そんな絵や写真があったら、見ているだけで暖かくなりそうである。
うちの埃色の茶トラは生まれた時、茶トラの兄がいた。兄は普通に綺麗な茶トラで、この二匹を区別する為に、兄は金ちゃん、弟は銀ちゃんと呼び、数ヶ月後兄は貰われて行った。銀ちゃんは家で飼うことにした。
そうしてかれこれ、子猫だった銀ちゃんも六年経ち、人間で言う中年オヤジになるわけだけど、これまで何かにつけこの子を見るたび、何だか汚いよごれたような色だなぁとつくづく思うのである。窓越しの陽だまりでポカポカしていても、何だかよごれ色で暖かそうに見えない。シャンプーしてやると濡れた毛並みは、習字の邪魔をしてきたみたいに黒いスジがつく。常に、今にも壊れそうなあばら家で蜘蛛の巣をくぐって鼠捕りをしてきたような埃にまみれた色である。
しかし近頃、この埃色が、他の茶トラと見分ける何よりの特徴だとしみじみ思う。(あと、先っちょがへんてこりんになってるしっぽ。)
日に日に寒くなって厳しい冬がやってくる。雨風を凌ぎ寝泊りする場所があり、ご飯が貰える猫たちは幸せである。暖かい目で見ていてくれる人間のいる環境を生活圏に持っている外猫たちも、まだ幸せである。そうでない猫たちも(地球で共存する生き物全て)厳しい自然を、せめて虐待などに遭うことなく一生を遂げることを祈る。
何を幸せと思うか、どこからどこまでを幸せと思うか、基準も質もみな違うけど、みんな幸せに長生きしてほしい。
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