お気楽な日々

世界遺産旅行、韓流、にゃんずの話などなど

最終観光地デリーへ

2015年03月31日 11時11分24秒 | 日記
最終日はアグラからデリーへ5時間の移動。
デリーへ入る前にガイドからカーテンを開けるように言われた。

理由は数年前にバスの中で強姦事件があって以来デリーではバスのカーテンは閉めてはいけない規則となっているからとの事だった。

先ずはパリの凱旋門をモデルにしているというインド門を車窓で観光後、世界遺産のクトゥブ・ミナール観光となる。



赤とベージュの砂岩でできた クトゥブ・ミナールの第1層には、半円形のリブと三角形のリブが交互にくりかえされているが、第2層には半円形のリブだけ、第3層には三角形のリブだけが つけられている。


諸処に『コーラン』の章句が刻まれた水平層がまわって、装飾効果を高めている。 礼拝の時を告げ知らせるムアッジンが登ったバルコニーは、鐘乳石紋の複雑な張り出し帯の上にある。

ここも保存状態は非常に良い。







続いてフマユーン廟





イスラムのペルシャ文化とインド伝統の様式が融合されたこの霊廟から、ムガル建築という華麗な様式が生まれた。

フマユーンは詩とワインを愛する心優しい皇帝だったが、政治や軍事の素質を欠いていた。

戦いに敗れ帝国の領土を失い、15年間も外国に亡命していた。

そして、ようやく帝国を再建したのも束の間、階段から転げ落ちる事故であっけなく死んでしまった。

彼の死を嘆いた妃は、霊廟の建設に人生を捧げ、9年の歳月をかけ、帝国皇帝の威厳を示す立派な霊廟を完成させた。

赤砂岩と白大理石が組み合わされた建物は、見事な優美さを見せている。

緑の庭園は正方形に区切られ、水路が張り巡らされている。


これは、イスラム教徒にとっての安らかな天国を表現したものだという。

最後の観光フマユーン廟を見学した後、私達は空港へと向かう。

空港で微妙に残ってルピーを使い定刻通りのフライトで帰国となった。


蛇口をひねれば水が出るのが当たり前、、冷蔵庫をあければ食べ物が入っている。
仕事が忙しくて疲れる。
食べて寝て仕事しての繰り返しの毎日で嫌になると旅行前言っていた私だが、普通に水が飲める事のありがたさ、仕事がある事のありがたみを大いに感じる度でもあった。

反省~

インドでの食事

2015年03月29日 14時31分46秒 | 日記
インドでは衛生面の事などもあってなのか食事はほぼホテルでのバイキング。

これが全く変わりばえしなくて。。
内容は少し違うが毎日カレーと野菜炒め。
サラダ、果物もあるが、生ものは危ないので口にせず。

もーお腹を壊しても日本へ帰るからと最終日はサラダを食べた。
相棒はフルーツをどっさり。
だが、やっぱりお腹の調子が悪くなったらしい。
自然と出たり我慢できない程の事はないらしいが、トイレに行く度にゆる~っと出ると言っていた。笑


右はタンドリーチキンだが、パサパサだし味もまずい。
皆は美味しいと言ってガツガツ食べていたけど。。。
左側の物はコロッケの様な物。
これはまあまあ。


ご飯がおいしくない










行きの飛行機の機内食。


帰りの機内食でもカレー


やっぱり日本食が一番美味しいですね



世界遺産のアグラ城・ファテープルシクリの観光

2015年03月28日 15時43分09秒 | 日記
シャー・ジャハーンは、砂漠の民イスラムがインドに侵攻してムガル帝国を樹立してから100年、帝国の絶頂期に皇帝となった人物だった。

皇帝は王妃ムムターズ・マハルを限りなく愛し、戦場にさえ連れて行った。

王妃は14人の子どもを生むが、36歳の若さで亡くなってしまう。

皇帝は深く悲しみ、世界各地から最高の職人と材料を集め、イスラム様式の壮大な白亜の霊廟を築いた。

皇帝はヤムナー川の対岸に自らの霊廟を黒大理石で造り、タージ・マハルと橋でつなぐ計画であったと言いう。


しかし皇帝は三男によってアーグラ城に幽閉され、その夢は果たせなかった。

幽閉された城の塔からタージ・マハルを眺めることが、シャー・ジャハーン晩年の唯一の慰めであったと言いう。






シャー・ジャハーンは今、最愛の王妃ムムターズ・マハルとともに、タージ・マハルに眠っている。

アグラ城からそのタージマハルが見える。




この話は偶然テレビで見ていたので知っていた。






続いてファテープル・シクリへと移動








16世紀にムガル帝国の第3代皇帝アクバルが築いた都。

当時は大きな都だったが、現在は宮廷地区とモスク地区だけが残っている。



宮廷内の建築物には、イスラム特有のアーチやドームが一切ない。

インド伝統のデザインを取り入れた、アクバル式と呼ばれる独自の建築様式だ。

アクバルはこの都で、イスラムとヒンドゥーの文化が共存する新しい文化を誕生させたという。

明日はいよいよ最終日。
観光後20時20分発の飛行機で日本へと帰国する。

タージマハルで異変に気がつく

2015年03月27日 09時04分14秒 | 日記
世界でもっとも美しい霊廟とよばれるタージ・マハルは、ムガル帝国の第5代皇帝シャー・ジャハーンが、若くして亡くなった最愛の王妃ムムターズ・マハルのために建てた白大理石造りの巨大な建造物だ。


「この旅のハイライト。タージマハルです。」とガイドが言っていた。










中へ入るとき靴のカバーをかけての観光となる。


異変に気がついたのは足のカバーを付けようとした時だった。

この日は1日観光。日中暑くなることを考えて少し短めのパンツをはいていた。

丁度足が出ている部分だけ赤いゴマ位の大きさのぶつぶつがいくつも。。。


何これ???痛くも痒くもないが、虫にやられた以外考えられない。
変な虫にさされて熱が出たり病気になったらどうしよう。。。

何処で?おそらくバスの中だろう。ブルブル。

タージマハル付近には土産物屋が並んでおり、私が買いたいものがバスの中から見えていた。
が。。。集合は入り口内。

土産物屋付近はスリなどもおり、危ないので外での買い物は禁止と言われた。

客の安全を守る事も大切だろうけど何だかな。。。

バスへ戻り次の観光地アグラ城へ移動する時はもっていたストールを足に巻き、これ以上虫に刺されないように細心の注意を払った。

続く

一人トランク5個?

2015年03月26日 10時15分50秒 | 日記
約、2時間遅れでジャンシーから急行列車に乗りアグラへ約3時間30分の移動。








バスでの移動はもっと時間がかかるそうだ。











列車に乗ると既に頭の上にトランクが乗っていた。


「次の駅で下ります」と添乗員から言われると、ポーターが頭上のトランクを入り口付近へ運び出した。


列車が止まっている間に荷物を下さなければならないのだ。

駅に電車が停車すると同時に素早く荷物が下される。
続いて私達が下車する。
「早く下りてくださ~い。早く早く」とせかされる。

途中でドアが閉まったら大変だ。

何とか全員無事に下車。

私達の荷物はポーターが運んでくれることになっているのだが。。。え!!?何個持つの?


頭に2個。両腕に各1個。更にもう一つを引く。

これで階段を登る訳?
いやはやビックリビックリ。

仕事とは言え、5個も持って腰や首は大丈夫なのかしら。。。と余計な心配をしてしまう。笑

ホテルに到着したのは8時半頃。

それから遅い夕食を食べ、この日は終了。

明日はいよいよガンジス河に次ぐハイライトのタージマハル観光だ。

続く