お気楽な日々

世界遺産旅行、韓流、にゃんずの話などなど

ジュノーを散策

2014年05月31日 00時27分12秒 | 日記
メンデンホールを観光しダウンタウンへ戻ると自由行動。
私達は早速カニを食べに行く。

1本14ドルだったかな?お安くはないがボリュームたっぷり。
そして実がぷりっぷり。


バケツに入っている物は5~6本入って100ドル位だったと思う。

私達はカニをたんのうした後、ジュノーの波止場からケーブルに乗り、
目の前に広がる海峡やその対岸のダグラス島、
ジュノーの街並みなどアラスカの大パノラマが一望できる
約600メートルのロバート山頂へ。


目の前には壮大なパノラマが広がる。
アラスカを感じられる景色だ。





その後、夕食の時間が5時半の為、買い物をし、船へ戻った。

つづく


ジュノーメンデンホール氷河観光

2014年05月30日 06時23分01秒 | 日記
旅行4日目、シトカを20時30分に出港。
ジュノーへと向かう。
夕日も格別だ。


翌日着岸は10時。
その前に軽く朝食。
この日は許容範囲で炭水化物を少々食べて観光へ出発。


アラスカで最も美しい街と言われる首都ジュノー。

街の中心部はジュノー山とロバーツ山を抱え込み、 迷路のように絡み合った狭い路地には、金発掘時代の遺物として残存されている19世紀初期の建築物や古い店舗、そして住宅等、様々な建築物が並んでいる。

水辺には クルーズ船, 漁船や水上飛行機が行き来し、コースト・レンジ山脈から延びた氷河の先端は、海に向かっている。

カナダ国境に近いジュノーはこの地方最大の都市だが、人口約3万人が暮らすアメリカ合衆国で最も隔絶された州都だ。

鉄道か飛行機によるアクセスはあるものの、道路によるアクセスはない。

しかし、活気に満ちたこじんまりしたダウンタウンには、州議会、聖ニコラス・ロシア正教会、博物館、ギフトショップ、レストランやパブの他、前世紀初頭の建物が並ぶ歴史的なサウス・フランクリン通りなどもあり、旅行客には人気がある。

私達はバスでメンデンホール氷河まで移動。
全長19kmにも及ぶ巨大な氷河で、「メンデンホール氷河レクリエーションエリアとして保護・管理されてる。

実はこのメンデンホール氷河、どんどんと小さくなっている。

氷河の中を川が流れる美しい景観も、いつかは溶けて無くなってしまうかもしれない。

アイスランドで既に氷河クルーズ、氷河の上を歩く体験のしている私としては、あれ?
なんか。。。こんな?と思う程の規模で少々がっかり感も。


所々に浮かんでいる氷の塊もほとんどなく。。

近年の気象変動により、この氷河も後退してきており、ジュノー氷原の破壊が懸念されているそうだがこれをみて実感。

真剣に温暖化を考えないといけません。

観光後はダウンダウンにて自由行動。
まずここではカニを食べなくては。

と、いう訳で早速カニを食べに行く。

次回へつづく


寄港地シトカ・後半

2014年05月29日 06時07分41秒 | 旅行
毎晩早寝をしているので早起きになっている。
夜の9時頃になると猛烈な眠気に襲われる。

昨日も11時前に就寝。
体に合わせて寝ている為かなり睡眠がとれている。
おかげで風邪はすっかり良くなった。

ここから寄港地シトカの後半。
この日は12時着岸予定の為私達はブランチをとった。
これで1食分食べない事になるので久々のハンバーガーにホットドックを食べた。


今迄なら完食していた所だが、減量中にこれを完食するなんてとんでもない。

相棒と半分ずつ分けた。
しかも私は炭水化物であるパンは一口食べるくらい。

ハンバーガーに至ってはレタスに肉を挟んでバンスは全て残した。
涙ぐましい努力だ;;)

それにしてもやはりアメリカ。
ハンバーガー、ホットドック、フライドチキン、ポテトはめっちゃ上手い!!

食事を済ませ下船の用意をし、集合場所へ向かった。

下船観光中、写真を撮っていると
「これがシトカ富士」と言う声が聞こえた。

あー。。。おばさん間違えてるし。。。
シカトじゃなくてシトカです。--;)

ガイドが言っていたが、先週までは雨で物凄く寒かった。
こんな天気になるのは珍しいと言っていた。
ラッキ~

夕暮れの写真を撮りたかったが9時を過ぎないと暗くならない。
夕食の時間も5時半のグループの為、私達は早々に船に戻った。

この日の夕食には寿司もどきがあった。


皆、もれなくこの寿司もどきを頼み、たんのうしていたが、ここでも私はご飯はほぼ残した。

メインディッシュに私はミートローフを頼むと、係の男性に、「ミートローフはあまり美味しくないからローストビーフの方がお勧め」だと言われた。
が、私はひき肉以外は食べないのでまずくてもミートローフで良いと言った。




あまり美味しくない意味が良くわかった。
しっとり感がなく、固い。こりゃ、私が焼いたミートローフの方が数倍美味しい。
微妙だと言ったのはおそらくこういう事なのだろう。
それでも私にとっては大切なタンパク源なので1切れは頂いた。
残り一切れは相棒のお腹の中へ。

デザートはアイスクリームを食べて終了。
結構しっかり食べているので体重の増量が心配だった。

隣のご婦人に、「あら?ご飯は食べないの?ほとんど食べないのね~小食ね~」と言われたので股関節の為減量している事を説明すると納得していた。

皆、私が杖を時々使用しているのが疑問だったようだ。

食後はミストサウナへ行き地味な筋トレ。
その後はカジノへスロットを打ちに行きこの日は終了。


明日はジュノーで寄港地観光となる。


つづく

クルージング初の寄港地シトカ

2014年05月28日 00時10分04秒 | 旅行
ツアー4日目にして初めての観光
。。と、言えるほどの場所でもないが、アラスカに生息する白頭わしやタカを近くで見れるセンターがある。


森林の中をしばし散策する程度の寄港地ではあるが、やはり空気は違う。

インサイド・パッサージで唯一太平洋に面しているシトカは、休火山エッジカム山、そして聖ミカエル教会の玉ねぎ型ドームと黄金に輝く十字架で有名な美しい景観の町です。

島の西海岸バランには8615人が暮らし、シトカ湾の向こうには富士山に良く似た山頂の印象的な休火山エッジカム山を望むことができます。


町の周辺のロシア遺産は、絵画のように美しい景観を見せてくれます。

元来、先住民クリンギット・インディアンが住み始めたシトカは、インサイド・パッサージのロシア文化の影響が最も色濃く残る町です。

1741年に初めてこの地を訪れたロシア人は、1804年にはクリンギットの要塞を 攻撃しました。

その有名な戦闘の歴史はシトカ国立歴史公園で見ることができます。

シトカが市となり一世紀ほど後の1867年に、ロシアはアラスカを米国に売却、受け渡し公式式典はシトカで催されました。

今でも、シトカにおけるロシア統治時代の歴史は色濃く残されています。

何故、アラスカなのにマトリョーシカ等ロシアの土産物が?と疑問に思っていたが謎は解けた。

この日の出向は20時30分と時間はたっぷりあるものの夕食の時間が私達は5時半なのでそれまでに船に戻らなければならない。
勿論アラカルトじゃなけでば時間ぎりぎりまで散策することも可能だがそれ程時間をつぶす場所もない為、ぐるっとショップを覗きながら一回りし船に戻った。

この日はテンダーボートで船まで移動するのだがこのテンダーボート。
見た目は小さく見えるのだが100人近く乗れるのにはびっくりした。


この日の後半は明日へ続く

いつもそっと寄り添ってくれる子

2014年05月27日 07時11分27秒 | 日々の出来事
土日に集中している私の仕事。

日曜の午後には既に半分死んでいた。

仕事が終わって帰宅するころには猛烈に具合が悪く起きていられなかった。

もう限界だったのだろう。

時間で寝るのではなく、体に合わせて寝たら良いのでは?と思ったので9時前に就寝。


早朝早く目は覚めたが、8時間以上眠ることが出来、何とか昨日は若干復活。

体の揺れもおさまってきた。
やはり十分な睡眠が鍵の様だ。

早い就寝にも関わらず、私の部屋へ来て具合の悪い私に唯一寄り添ってくれるのはうにちん。


癒されます。

それではここから今回の旅行の話。

今回参加者は47人。
2グループに分かれ二人の添乗員で対応。

添乗員は若い御嬢さん。と言っても30ちょい?
時々「え?何が?」「~でいいよ」「そうそう」等などちょいちょいタメ口で対応。
私は全く気にならないが。。私達にだけ?w

私達のチームは23人。一人参加の80のおっさん、旅友チームの3人組みと一人参加の女性。

後はご夫婦。だが、1組ボディービルダーか?と思うほど真っ黒に日焼けした夫婦がいた。
一体この人達は。。。
ドレスアップしてもあまりの黒さにエレガントさ0。正直私達の年齢でこの黒さは可笑しい。

この黒いご夫婦はいつも4人座りのテーブルに座りほとんどツアーの人達とは交わらない。

一度大きなテーブルで一緒になったことがあるが一度も会話することなくその日の食事は全く盛り上がりなしだった。

4人がけのテーブルで一緒になった人の話を聞くと、話しかければ答えるが自分たちから話す事はないらしい。
クルージングが好きだが、この船には2度と乗らないと言っていたとか。
だったら個人で行けば良いのにと言っていた。

もう一組皆に嫌われた夫婦は剥げおやじ夫婦。

この親父はやたら自慢話をする。
「家の女房は大学の時に来るまで学校へ通う程の御嬢さんだった」とか親にお金をもらってリフォームしたとか?途中から真剣に聞いていなかったが、そんなにお金持ちなら抜けた前歯位入れてくださいと言ってやりたかった。w

同じテーブルになった人達はもれなくこれらの自慢話を聞かされうんざりして少し背中を向けて座りなおしたという。

そんな話をしてくれたご夫婦2組と一緒に座った時は物凄い盛り上がりだった。

一組のご夫婦のご主人はヘリコプターのパイロットで南極へ行った話や、エンジェルフォールへ行った時3機で出発した飛行機が1機行方不明になった話など面白い話も沢山聞くことが出来た。

話をするならこういう話をして欲しい。

この日以来、私達は一緒のテーブルで食事を楽しくした。

翌日は4日目にして今回初めての寄港地シトカに上陸する。


つづく