ひとり井戸端会議

主に政治・社会・法に関する話題を自分の視点から考察していきます。

国籍法3条1項違憲判決について

2008年06月05日 | 憲法関係
最高裁が国籍法規定で違憲判決「両親の婚姻要件は不合理」(読売新聞から一部抜粋)

 結婚していない日本人男性とフィリピン人女性から生まれた後、日本人男性に認知されたフィリピン国籍の子供が、両親が結婚していないことを理由に日本国籍の取得が認められないのは違憲だとして、日本国籍の確認を求めた2件の訴訟の上告審判決が4日、最高裁大法廷(裁判長・島田仁郎長官)であった。
 大法廷は、父母の婚姻を国籍取得の要件とする国籍法の規定は、憲法14条が保障する「法の下の平等」に反するとし、10人の原告全員の日本国籍を認めた。原告の逆転勝訴が確定した。
 判決はまず、この規定が設けられた1984年の法改正当時、「父母の婚姻が、日本との密接な結びつきを示すとしたことに理由はあった」と述べ、当時は違憲ではなかったとした。
 しかし、その後、非嫡出子の割合が増え、親子関係や家族生活も多様化したことから、「父母が婚姻して初めて、わが国との密接なつながりが認められるとの考えは、家族生活の実態に合わなくなった」と指摘。国際条約が出生による差別を禁じていることにも言及し、日本人を親に持つ子供の中で、日本人の父に生後認知されたが、両親が結婚していない子だけが国籍を得られないのは、不合理な差別だと結論づけた。
 一方、横尾和子、津野修、古田佑紀の3裁判官は「非嫡出子の場合、日本との結びつきを個別に判断する帰化制度が合理的で、婚姻を要件としたことは合憲」とする反対意見を述べた。また、甲斐中辰夫、堀籠幸男両裁判官は、原告らに「国籍を与える規定を置いていないのは違憲」としたが、新たな規定の創設は司法の役割を超えるため、国会の立法措置に委ねるべきだとする反対意見を述べた。



 予め述べさせてもらうが、自分はフィリピン人母から生まれた子の国籍取得を反対するものでもなく、ましてや民族純血主義的視点に立っての異議ではないということをご理解願いたい。



 今回の判決は、甲斐中・堀籠両裁判官が述べているように、司法の越権行為ではないかと思うのだ。国籍法3条1項の規定を違憲と判断するだけなら司法の役目の範囲内で片付くものだが、しかしながら今回の多数意見はそれに加え、原告の子らに日本国籍を取得させることまでも容認している。ここが問題なのだ。

 三権分立制度を採用する日本において、新たな法を創設できるのは、立法(国会)のみである(委任命令などの例外もあるが、原則はこうだ)。その証拠に、日本国憲法41条は、国会を「国の唯一の立法機関」と明確に規定している。この「唯一の」という文言の意味は、国の行う立法は、憲法に特別な規定がある場合を除き、常に国会を通してなされなければならない、ということである。したがって、裁判所ができることは、法律を憲法に照らしてみて、それが憲法に適合しているか否か(合憲か違憲か)を判断できるにすぎない。

 似たような理由で、最高裁判所には法律案の提出権も認められていない。その理由として、最高裁裁判所に法律案提出権を認めると、法の発案権を持つ者と、その憲法適合性を判断する者とが一致してしまう、違憲審査の適正な行使を妨げることになり、そして、最高裁判所に法律案提出権を認めると、司法が政治の駆け引きの場になってしまうからである。



 翻って今回の判決を眺めてみると、多数意見は結論部分において、原告らが「法相あての国籍取得届を提出したことによって、日本国籍を取得したものと解する」としているのは、国籍法3条1項を文字通りに解釈すれば、明らかに原告らの救済(日本国籍を付与すること)はできないから、実質この規定を「変更」して日本国籍を付与しているのだから、いくら「裁判所が新たな国籍取得の要件を創設するものであって国会の本来的な機能である立法作用を行うものとして許されないと評価することは当を得ない」と述べても、この主張には無理があるのではないか。

 裁判所は、違憲判決を国会に突きつけることにより、「その違憲状態を是正するために」、国会の立法措置を促すことが「憲法の原則」なのではなかろうか(甲斐中・堀籠裁判官の反対意見参照)。繰り返すが、今回の判決はこの原則を踏み越えた越権行為である可能性は否定できない。
 そして多数意見の解釈は、「国籍法の創設的・授権的性質に反する上に、準正子を出世後認知された子と読み替えることとなり、法解釈の限界を超えている」ものである。



 しかしながら、日本国籍のないことについて、子供らには何の責任もない。勝訴後の記者会見でフィリピン人の母親は、「親の都合で結婚せず、娘には申し訳ない気持ちでいっぱいだった」と言っているように、母親もまたこの不条理に苦しんだのである。このことを思うと自分のような解釈はいささか冷酷なように受け取られても仕方ないのかも知れない。
 だが、裁判所には原理原則はしっかりと守り、その中で法律の憲法適合性を判断してもらいたい。三権の分立というのは、民主主義を維持していくためには絶対不可欠な制度であるから、なおのことである。だからこそ、今回の裁判所の「越権」には意見をしたかったのである。

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (gunkanatago)
2008-06-05 18:22:57
 多分、性的にだらしない男の後始末を「生活保護」などを通じて一般国民がやらされていると思うのですが、あいまいに生きている小生としてはそこまでしか考えませんでした。
 確かに、今回は裁判所が、こういう法律を作れといっている感じがしますね。国権の最高機関の上にもう一つというところですね。勉強になりました。
返信する
gunkanatagoさん (管理人)
2008-06-05 22:56:19
コメントありがとうございます。

このフィリピン人の母親がいかなる理由で日本にやってきたのかは邪推をすればおおまかには想像はつきますが、それはさておき、この母親にいかなる落ち度があったとしても、その母親から生まれた子供自身には何ら責められるような理由はないと思うので、最高裁の判断は、国籍の付与を除いた部分に限って支持したいと思います。

しかしながら、横尾裁判官らが反対意見の中で述べているように、日本国籍の取得には、3条の規定以外にも帰化というのもあるのであって、これまでも論破できて、はじめて国籍法3条が憲法違反になるのではないかとも、個人的には同時に思ったりもしています。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。