ひとり井戸端会議

主に政治・社会・法に関する話題を自分の視点から考察していきます。

分祀 できないものはできない

2007年05月07日 | 靖国神社関係
 今日の毎日新聞は、「日本遺族会:A級戦犯分祀『昭和天皇の意向』尊重」と題し、以下のような記事を掲載していた。以下、当該記事の一部抜粋。
 
 「以前から遺族会には『徴兵された戦没者と戦争指導者を一緒に祭るのは違和感がある』との声があった。しかし、靖国神社が『ろうそくの火をべつのろうそくに移しても元の火は消えない』『一度霊を祭ると神道の教義では分けられない』と分祀を否定し続けたため、『分祀するかどうかは靖国神社が判断することで、遺族会は議論しない』という立場を取ってきた。しかし、小泉前首相の靖国参拝は、A級戦犯問題で中国・韓国などから批判され、解決策として新たな国立追悼施設建設や千鳥ケ淵戦没者墓苑の拡充の案が浮上した。
 遺族会は『靖国こそが戦没者追悼の中心施設であり続けるべきだ』との立場。古賀会長は『天皇陛下も首相も含めた全日本国民がわだかまりなく参拝できる施設にするには分祀しかない』と考え、靖国神社総代も辞任し、分祀検討へ遺族会の方針転換を図った。
 A級戦犯の遺族も昨年夏、毎日新聞が連絡を取れた18人のうち8人は分祀を受け入れ、反対は3人と少数派だ。
 首相の靖国参拝を支持する世論には『分祀は中国などの要求に屈すること』との反発も少なくない。しかし、一連の資料で、A級戦犯合祀の擁護は昭和天皇の意向に逆らうことになることが分かった。遺族会の空気が変化したのも、『天皇の意向に沿うべきだ』との自然な感情からとみられる。
 靖国神社の『分祀不可』論に対し、合祀者の名前が書かれている霊璽簿(れいじぼ)からA級戦犯合祀者の名前を削除することで『分祀』とみなせるという意見もある。別の場所に祭ることで『本宮にも祭られているが、魂はこっちに来たとなるのが神道のセンス』と話す専門家もいる。





 古賀氏をはじめ、こういった主張をして憚らない彼らは、千年以上続いてきた神道の根本理念を、現代の人間がその場しのぎ的に変更できると考えており、思い上がりもいいところであり、愚の骨頂としかいい様がありません。

 靖国参拝問題で必ず耳にするのが、このようないわゆる分祀論でありますが、本来は、分祀という言葉は存在しないのです。それについては後述するとして、A級戦犯の「いわゆる」分祀をすれば、靖国問題が解決するとの主張に、今回の一連の遺族会の行動も基づいているのでしょう。しかし、それは毎日新聞の記事でも触れられているように、できないのです。神道では分霊をしても、蝋燭の日を新しい蝋燭に移すようなもので、分祀をしたところで、靖国神社にもその御霊は残るのだから。

 さて、ここで平成16年の神道史大辞典の分祀の項目を参照してみます。

 「分霊とは、特定の神社に祀られている祭神を、異なる場所において恒久的に祀ること。本社の祭神の分霊(わけみたまとも)を祀ることになり、分宮・新宮・今宮・遙宮(とおのみや)などを冠した社名は、本社の祭神の分霊が祀られたものである。
 分祀はあくまで特定社の分霊であるので、本社には分霊の本体である祭神は変わらず祀られている。本社と祀られる場所との関係は、神戸や御厨である場合や、封建領主の信仰神、稲荷・愛宕などの特定信仰など、歴史上さまざまな形態がある。」

 とあります。先ほど、分祀という言葉は本来存在しないと述べたのに、神道の辞書に分祀という単語が載っているのですが、これは昭和50年代に、三木総理が私的参拝を強調して以降からなのです。それ以前の神道の辞書には分祀という項目は存在していなかったのです。
 分霊を身近な例で例えるなら、全国に稲荷神社があります。稲荷神社に祀られている祭神は、すべて京都の稲荷山にある稲荷神社の総本山から分霊されたものです。もし、(彼らの言う)分霊が成り立つならば、稲荷神社の祭神はどうなるのでしょうか。要するに、いわゆる「分祀派」の主張する「お前らだけあっち行け」みたいなことは先述した通り、神道上できないのです。  

 しかしながら、これほどまでに分霊論が盛り上がるのは、いわゆる「富田メモ」や、ここ数日のA級戦犯合祀に関する資料の公開などが、大きく影響しているのは言うまでもないでしょう。

 確かに、昭和天皇は日独伊三国同盟には否定的でおられたし、昭和天皇がさきの大戦はとにかく和平交渉で解決して欲しかったと切に願っておられたのは、「四方(よも)の海 みな同胞(はらから)と 思う世に など波風の 立ちさわぐらむ」という御製からも窺えるのも事実です。
 
 とは言うものの、昭和天皇御自身が、本当にA級戦犯合祀を不快とお思いになられていたかと言えば、必ずしもそうとは言えないのです。以下、思いつくままにいくつかその証拠を挙げてみたいと思います。

1、昭和天皇は終戦時、連合国に東条英機らを引き渡す際、「戦争指導者を連合国に引き渡すは真に苦痛にして忍び難きところなる」と仰っている(木戸幸一日記)。

2、昭和天皇は、昭和23年12月23日、東条英機はじめ7人が処刑されたことをお聞きになり、沈痛な御表情で、誰に言われるとなく、ぽつりと「皆、私の代わりに死んでくれた。」と、仰せになり、終日謹んでおられたという。

3、昭和天皇は、A級戦犯が合祀された後も、毎年、ABC級戦犯も追悼の対象となっている全国戦没者追悼式に毎年参列して、御言葉も述べられていた。そして靖国神社の祭典のときには勅使もだされていた。そして、これは今上天皇もなされている。

4、昭和63年4月25日、昭和天皇は記者からの、日本が第二次大戦に進んだ最大の要因はとの質問に対し、「そのことは人物の批判とか、そういうものが加わりますから、今ここで述べることは避けたいと思います」と仰られている。

 このように、昭和天皇御自身が本当に靖国神社御親拝をA級戦犯合祀が行われたため、されなくなったと結論付けるには、まだ議論の余地があり、現状でそうだと断言してしまうのは、全くもってまだ早いと思うのです。

 ここで最も強調したいのは、もし本当に昭和天皇がA級戦犯合祀に不快感をお持ちになられていたとしても、(古賀氏や参拝慎重派の言うような)分霊はできないし、たとえ天皇陛下であられても、その一存で神道の根本原理が変容されてはならないのです。

 それに、昭和天皇が本当に不快感をお持ちになっておられたとしても、現在のような過激な分霊論をお望みにあられたでしょうか。これで仮に彼らの意見が罷り通ったとしても、本当に靖国神社が天皇陛下を含めた、誰もが参拝できるような場所になるとは、とてもじゃないですが、考えられません。

 仮に分霊をしたとしても第二、第三の靖国神社ができるだけであり、問題の解決には一切ならないばかりか、中国・韓国が、この本来の分霊の意味を知ってしまったら、靖国神社そのものに国家の指導者が参拝できなくなってしまうという矛盾も出てくとすら考えられます。そうしたら、それこそ分霊した意味がまるでなくなりますよ?

 加えて、現在日本政府は辛うじてではあるが、日本国内には戦犯はいないという解釈をとっています。なのに、ここでA級戦犯とされた14名を分霊したとなれば、上記の解釈を否定することにも繋がる。A級戦犯と呼ばれる14名を分霊したところで、何一つ意味のないどころか、かえってマイナスであることなのだということを認識すべきです。

 現代人の勝手な解釈で、神道を歪めることは、何人たりとも許されないことです。




※参考 富田メモ全文。

 「私は或る時に、A級が合祀されその上、松岡、白取までもが」、「筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」、「松平の子の今の宮司がどう考えたのか、易々と」、「松平は、平和に強い考えがあったと思うのに」、「親の心子知らずと思っている」、「だから私あれ以来参拝していない」、「それが私の心だ」

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