『小学校から勉強を』 「低レベル」論文内容 識者らあきれ顔(東京新聞一部抜粋)
「わが国は日中戦争に引きずり込まれた被害者」という田母神俊雄航空幕僚長の文章に、近現代史に詳しい学者らはあきれ顔。内容をことごとく批判し「レベルが低すぎる」とため息が漏れた。
「小学校、中学校から勉強し直した方がいいのでは」と都留文科大の笠原十九司(とくし)教授(日中関係史)は話す。空幕長の文章は旧満州について「極めて穏健な植民地統治」とするが、笠原教授は「満州事変から日中戦争での抗日闘争を武力弾圧した事実を知らないのか」と批判。「侵略は一九七四年の国連総会決議で定義されていて、日本の当時の行為は完全に当てはまる。(昭和初期の)三三年にも、日本は署名していないが『侵略の定義に関する条約』が結ばれ、できつつあった国際的な認識から見ても侵略というほかない」と説明。「国際法の常識を知らない軍の上層部というのでは、戦前と同じ。ひどすぎる」と話す。
誰かと思いきや、「週刊金曜日」の常連、笠原十九司大先生ではありませんか。大先生は幕僚長を「小学校・中学校から勉強しなおせ」と仰いますが、学者でもない一庶民の私が大先生のご見解にたて突くようで大変恐れ多いのですが、先生こそ小学校・中学校からやりなおしたほうがいいのではないかと思う次第です。
先生は、幕僚長の論文を批判できる資格なんてありません。それは以下の通りです。
①戦前の日本のとった行動を、「侵略は一九七四年の国連総会決議で定義されていて、日本の当時の行為は完全に当てはまる」と述べた点
どうして過去の行為を、その後考えられた定義にしたがって断罪しなければならないのでしょうか。先生にもお分かりいただけるように、ごくごく簡単なたとえを出して、先生の誤謬を糾したいと思います。
昭和31年に「売春防止法」が施行されました。これによって売春は非合法となりました。では、この法律が施行されたことによって、施行前に売春を行っていた者を処罰することは許されるでしょうか?つまり、後から出されたもので先になされたものを裁くことは正義の理念に適っているのか、ということです。
試しに先生の挙げておられる1974年の国連総会決議3314における「侵略」の定義を挙げてみますと、そこには、「侵略とは、国家による他の国家の主権、領土保全若しくは政治的独立に対する、又は国際連合の憲章と両立しないその他の方法による武力の行使であって、この定義に述べられているものをいう」とあります。ところで先生に質問です。国連が創設されたのは何年でしょう?それこそ小中学生でも分かるような簡単な問題です。
先生のようなご理解ですと、極東国際軍事裁判における「平和に対する罪」という、開戦当時にはなかった罪種で裁かれたいわゆるA級戦犯は当然に有罪となるでしょうが、これには多くの国際法学者も疑問を呈しているといいます。先生のほうこそ、事後法の禁止(法の不遡及)という「国際法の常識」(いや、法の常識か。)をご存知ないのではないでしょうか?(もちろん、決議に法的拘束力はないですが)
売春防止法をたとえに出したついでに述べさせてもらえば、先生のような「自虐史観」の方はいつも過去の歴史を、現在のモノサシ(価値観)に照らして判断していますが、それこそが歴史を正しく理解する妨げになっているのですよ。
国際法を含む法一般は、その力の淵源を、法が置かれた時代背景、すなわちその法が制定された当時の社会における価値観や道徳観・正義感を拠り所にしているのです。当然これらは時代の移り変わりとともに変容していくものです。だから、現在の価値観こそが絶対とは限らないし、当時は当時なりの価値観や道徳観・正義感が存在していたのです。しかも、どちらが優れていて、どちらが劣っているかという単純な善悪二元論みたいな次元では、実は判断できないのです。
こういった当たり前のことに考えを及ばすことができないから、いつまで経っても歴史を客観的に見ることができないのですよ。だからこそ先生は、南京大虐殺30万人なんていう「妄言」を吐けるのかも知れませんが(苦笑)。
②「(昭和初期の)三三年にも、日本は署名していないが『侵略の定義に関する条約』が結ばれ、できつつあった国際的な認識から見ても侵略というほかない」という件
これは苦しい主張です。確かに当時から侵略の定義についてのコンセンサスが出来上がりつつあったのは事実です。しかし、この「条約」の参加国は、アフガニスタン、エストニア、ラトヴィア、ペルシア、ポーランド、ルーマニア、トルコ、ソヴィエトであり、当時世界各地に多くの植民地を抱えていた、いわゆる「列強」は参加していません。つまり、まだ当時では侵略についての確たる定義は確立されていなかったのです。(どうしてこの条約に列強諸国が参加しなかったかなど、ちょっと歴史を勉強した中学生なら分かるでしょうね)。
ところで、戦前の日本の悪行の数々を詳らかにし、平和を愛する先生であれば、むしろこの条約に名を連ねているソ連が、にもかかわらず終戦間際に日本に攻め入り、略奪をはたらいた「侵略」行為こそ、糾弾すべきではないでしょうかね。ちなみに、日本は条約に参加していないからいいというのは、先生の立場を取ると矛盾するので、そのようなことは主張はできませんよ?
次に法的な視点から述べれば、条約は条約参加国のみを拘束するものであり、当該条約に参加していない日本は当然にこれに拘束されることはありません。それにもかかわらず、「できつつあった国際的な認識から見ても侵略というほかない」などと言うことは、ただの詭弁でしかありません。幕僚長論文を批判なされる前に、ご自身の襟を正されてはいかがでしょうか。
以上、笠原先生の幕僚長論文への批判に対し批判を加えるという、メタ批判的なことを行って先生の主張の正しさを検証してみましたが、どうやらやり直しが必要なのは先生の方だったようですね。
「わが国は日中戦争に引きずり込まれた被害者」という田母神俊雄航空幕僚長の文章に、近現代史に詳しい学者らはあきれ顔。内容をことごとく批判し「レベルが低すぎる」とため息が漏れた。
「小学校、中学校から勉強し直した方がいいのでは」と都留文科大の笠原十九司(とくし)教授(日中関係史)は話す。空幕長の文章は旧満州について「極めて穏健な植民地統治」とするが、笠原教授は「満州事変から日中戦争での抗日闘争を武力弾圧した事実を知らないのか」と批判。「侵略は一九七四年の国連総会決議で定義されていて、日本の当時の行為は完全に当てはまる。(昭和初期の)三三年にも、日本は署名していないが『侵略の定義に関する条約』が結ばれ、できつつあった国際的な認識から見ても侵略というほかない」と説明。「国際法の常識を知らない軍の上層部というのでは、戦前と同じ。ひどすぎる」と話す。
誰かと思いきや、「週刊金曜日」の常連、笠原十九司大先生ではありませんか。大先生は幕僚長を「小学校・中学校から勉強しなおせ」と仰いますが、学者でもない一庶民の私が大先生のご見解にたて突くようで大変恐れ多いのですが、先生こそ小学校・中学校からやりなおしたほうがいいのではないかと思う次第です。
先生は、幕僚長の論文を批判できる資格なんてありません。それは以下の通りです。
①戦前の日本のとった行動を、「侵略は一九七四年の国連総会決議で定義されていて、日本の当時の行為は完全に当てはまる」と述べた点
どうして過去の行為を、その後考えられた定義にしたがって断罪しなければならないのでしょうか。先生にもお分かりいただけるように、ごくごく簡単なたとえを出して、先生の誤謬を糾したいと思います。
昭和31年に「売春防止法」が施行されました。これによって売春は非合法となりました。では、この法律が施行されたことによって、施行前に売春を行っていた者を処罰することは許されるでしょうか?つまり、後から出されたもので先になされたものを裁くことは正義の理念に適っているのか、ということです。
試しに先生の挙げておられる1974年の国連総会決議3314における「侵略」の定義を挙げてみますと、そこには、「侵略とは、国家による他の国家の主権、領土保全若しくは政治的独立に対する、又は国際連合の憲章と両立しないその他の方法による武力の行使であって、この定義に述べられているものをいう」とあります。ところで先生に質問です。国連が創設されたのは何年でしょう?それこそ小中学生でも分かるような簡単な問題です。
先生のようなご理解ですと、極東国際軍事裁判における「平和に対する罪」という、開戦当時にはなかった罪種で裁かれたいわゆるA級戦犯は当然に有罪となるでしょうが、これには多くの国際法学者も疑問を呈しているといいます。先生のほうこそ、事後法の禁止(法の不遡及)という「国際法の常識」(いや、法の常識か。)をご存知ないのではないでしょうか?(もちろん、決議に法的拘束力はないですが)
売春防止法をたとえに出したついでに述べさせてもらえば、先生のような「自虐史観」の方はいつも過去の歴史を、現在のモノサシ(価値観)に照らして判断していますが、それこそが歴史を正しく理解する妨げになっているのですよ。
国際法を含む法一般は、その力の淵源を、法が置かれた時代背景、すなわちその法が制定された当時の社会における価値観や道徳観・正義感を拠り所にしているのです。当然これらは時代の移り変わりとともに変容していくものです。だから、現在の価値観こそが絶対とは限らないし、当時は当時なりの価値観や道徳観・正義感が存在していたのです。しかも、どちらが優れていて、どちらが劣っているかという単純な善悪二元論みたいな次元では、実は判断できないのです。
こういった当たり前のことに考えを及ばすことができないから、いつまで経っても歴史を客観的に見ることができないのですよ。だからこそ先生は、南京大虐殺30万人なんていう「妄言」を吐けるのかも知れませんが(苦笑)。
②「(昭和初期の)三三年にも、日本は署名していないが『侵略の定義に関する条約』が結ばれ、できつつあった国際的な認識から見ても侵略というほかない」という件
これは苦しい主張です。確かに当時から侵略の定義についてのコンセンサスが出来上がりつつあったのは事実です。しかし、この「条約」の参加国は、アフガニスタン、エストニア、ラトヴィア、ペルシア、ポーランド、ルーマニア、トルコ、ソヴィエトであり、当時世界各地に多くの植民地を抱えていた、いわゆる「列強」は参加していません。つまり、まだ当時では侵略についての確たる定義は確立されていなかったのです。(どうしてこの条約に列強諸国が参加しなかったかなど、ちょっと歴史を勉強した中学生なら分かるでしょうね)。
ところで、戦前の日本の悪行の数々を詳らかにし、平和を愛する先生であれば、むしろこの条約に名を連ねているソ連が、にもかかわらず終戦間際に日本に攻め入り、略奪をはたらいた「侵略」行為こそ、糾弾すべきではないでしょうかね。ちなみに、日本は条約に参加していないからいいというのは、先生の立場を取ると矛盾するので、そのようなことは主張はできませんよ?
次に法的な視点から述べれば、条約は条約参加国のみを拘束するものであり、当該条約に参加していない日本は当然にこれに拘束されることはありません。それにもかかわらず、「できつつあった国際的な認識から見ても侵略というほかない」などと言うことは、ただの詭弁でしかありません。幕僚長論文を批判なされる前に、ご自身の襟を正されてはいかがでしょうか。
以上、笠原先生の幕僚長論文への批判に対し批判を加えるという、メタ批判的なことを行って先生の主張の正しさを検証してみましたが、どうやらやり直しが必要なのは先生の方だったようですね。
>自衛官=悪人という単純な思い込みがある
これはごもっともなご指摘だと思います。
サヨクは最初から自衛隊を「悪」と決め付け、
その上で今回の件を批判していますよね。
まるで、キチガイに刃物は危険だから、
文民統制を強化しろと言わんばかりの。
私は友人に自衛官がいますから、彼の名誉のためにも、
自衛官をこういう目でしか見れない馬鹿者には
これからも容赦なく攻撃を加えていく所存です。