ひとり井戸端会議

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田母神幕僚長論文の検討①

2008年11月06日 | 歴史認識
 中々思った以上に尾を引く問題になってしまった気がするので、問題となった田母神幕僚長(以下「幕僚長」と言う)の論文を私の知識の及ぶ範囲でできる限り検討してみたいと思う。

 なお予め断っておくが、今回は大東亜戦争をはじめとした戦前の日本の政策について論じるため、私個人の歴史観が表に出てしまうことは避けられない。当然、私と異なる見解をお持ちの方がいることは承知であるし、私の歴史観に異議のある方も勿論いるだろう。
 しかし、私は私なりの歴史観に基づき幕僚長論文を検討するのであり、異なる歴史観を否定するものでも、私の歴史観こそが正しいと主張するものではない。歴史は常に検証され、過去の誤った見解は見直され、またその見解が検証され・・・ということを繰り返してきているのであり、絶対的な定説など確立されていないと思うからだ。よって、コメント欄で私の歴史観を批判されたところで、私は「そのような歴史観もあることは知っている」と応えることしかできない。このことを予めご了承願いたい。



 まず、幕僚長論文の一番の柱であると思われる主張、「日本〝だけが〟侵略国家として悪辣な存在とされる理由はない」という見解への検討を、論文検討における総論的な位置づけとし、これを検討していきたい。

 結論から言えば、まさに幕僚長の言う通りである。この点に関しては全く異論はない。幕僚長は当該論文中で、「もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家ではなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家といわれる筋合いもない」と述べているが、これはいわゆる「自虐史観」論者も否定はしまい。

 ただ、この件は一部不適切な箇所がある。別に今日の日本で共有されていると思われる見解は、日本〝だけ〟を悪玉に仕立て上げているわけではなく、海外列強の国々も、たとえばイギリスのインドの植民地支配、オランダのインドネシア植民地化も「侵略」と定義しており、一部の自虐史観論者を除き、日本のみが悪者、他国は善玉と捉える見解は殆どない。現在の日本における支配的な歴史観は、日本だけを非難するというよりは、日本に対しては極めて否定的であるが、他国の同様のものには非常に甘い(ないしは他国のやってきたことについて無知)、と表現したほうが適切であると思われる。日本〝だけ〟が侵略国家であったとは、誰も言っていない(言い切ってはいない)のではないか。

 よって幕僚長の理論は敷き詰めれば、日本〝だけが〟侵略国家であったというのは確かに「濡れ衣」ではあるが、反面同時にそれは真実でもあった、ということになる。しかし、日本〝もまた〟侵略国家であったということは、濡れ衣ではなく紛れもない真実である。ただ、注意しておきたいのは、この「侵略」の度合いである。幕僚長論文では戦前の日本が行った負の側面にはほとんど言及していないが、「侵略」の側面があったのは否定できない。たとえば、1942年、日本軍がシンガポールに進出した際、日本軍が数千人の華僑を殺害したとされる華僑虐殺事件は存在したし、その他にもいくつか思い当たるものがある。よって、全く侵略という批判が濡れ衣であったとは思わない。ただ、このような出来事は、いわゆる「侵略」というよりも、「悪行」と表現したほうが、変な誤解や一人歩きはされないと思う。侵略と悪行は断じて区別されるべきだ。

 そこで私は、戦前の日本は悪行は働いたことは否定できないが、軍事学的に侵略と呼ばれる行為はしていたかといえば、それにはイエスと回答できない。こう述べると先述の議論とかみ合わないように思われるだろうが、先述の侵略についての議論は、あくまでも一般論的な「侵略観(侵略=悪行の数々)」に立って考察したもので、私個人の「侵略観」に従って検討したものではない。侵略を行ったというためには、国家指導部が周到に作戦計画を練り、平時に自国軍隊をして敵国軍隊をせん滅し、既存の条約を蹂躙せんと決意し、下命し、発動し、実際に国境を越えるなどの具体的行為を要する。

 私のような立場から幕僚長の「日本だけが侵略国家ではない」という主張を眺めると、この幕僚長の見解は、日本だけが悪行を繰り広げたわけではない、という解釈になる。そうすると確かに、中国人部隊が華北各地の日本軍留守部隊約110名と婦女子を含む日本人居留民約420名を襲撃し約230名が虐殺した「通州事件」のようなものもある以上、日本も被害者的側面を持っているのである。ただ、私の理解ではこれを支那による日本「侵略」とは言わず(通州事件には、もしかしたら私の挙げた「侵略」の定義が妥当するのかも知れないが、私には分からない)、支那による日本に対する「悪行」ということになる。



 私の大東亜戦争をはじめとした戦前の日本についての歴史観は、「日本はいいこともしていたし悪いこともしていた」、という程度のものである。現に戦前の日本は幕僚長論文にも書かれているように、韓国併合を行い当時荒野のようなものだった朝鮮にインフラ整備を行い帝国大学まで建設しているのである(この点は次回の各論で検討する)。このように、「いいこと」もしているのだ。しかし、自虐史観論者のように、あることないことでっちあげたり、2の程度のものを10や20にして拡大解釈して喧伝することに、断固として反対するだけである。

 幕僚長が「日本だけが侵略国家といわれる筋合いはない」と述べたのは、上記のような主張を展開する自虐史観論者に向けられたものであって、このような論者を念頭に置いてのものだろう。だが、やはり一般的な「侵略観(侵略=悪行の数々)」の持ち主であろうと思われる多くの日本人は、日本〝もまた〟侵略国家であった、という認識をしているのであろうと思われる。

 だから幕僚長の論文は、多くの日本人には通じないものとなる。よって、「日本だけが侵略国家じゃないんだ」といくら主張したところで、「それは承知だけど?」ということになる。しががって、幕僚長の論文の柱に真新しさを感じることはできなくなる。

 幕僚長論文の総論部分の検討はこれぐらいにして、次回は各論部分に入っていきたい。

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