ひとり井戸端会議

主に政治・社会・法に関する話題を自分の視点から考察していきます。

日本は北京五輪を断固ボイコットせよ!

2008年04月07日 | 倫理・道徳関係
ロンドンで聖火リレー開始、沿道では激しい抗議行動(読売新聞)

 ロンドンで6日、北京五輪の聖火リレーが始まった。
 沿道では在英チベット人らが抗議行動を起こし、消火器を使って聖火を消そうとしたり、トーチを奪い取ろうとしたりする過激な抗議行動が相次ぎ、同日午後までに35人が拘束された。中国と英国の警備要員がランナーを二重三重に囲みながらリレーを続ける緊迫した事態となった。
 中国以外の5大陸21都市を巡る聖火は初めて、中国政府のチベット対応に批判的な西欧諸国に渡った。
 聖火リレーは6日午前、北部ウェンブリー競技場を出発。南部グリニッジまで約50キロ・メートルのコースのうち、「英国チベット協会」などの民間団体は3か所に陣取り、中国当局に殺害されたというチベット人の遺体の写真を掲げながら、「チベットに自由を」などと連呼した。過激な行動に出た活動家らが、後ろ手で次々に警備要員らによって拘束されて行った。聖火は7日、フランスに向かう。



 もはや日本のとるべき選択肢は一つしかない。それは北京五輪ボイコットである。呑気に「双方が受け入れられる形で、関係者の対話が行われることを歓迎する」(福田首相)などと言っていると、国際社会から日本の見識を疑われかねない事態である。

 某ニュースで加藤某という某新聞の記者が、「五輪とチベットは分けて考えるのが理想」と、普段はあることないことでっち上げて人権を擁護してきた人物の発言とは思えないことを言っていたが、そもそも、分けて考えているほどの余裕はもはやないから、こういう事態になっているのだ。

 「五輪とチベットは分けて考えるのが理想」と言うのであれば、もし日本が五輪開催国で、そのとき日本の首相をはじめとした閣僚らが靖国参拝をしていることにより、中国や韓国が五輪のボイコットを表明したら、同じように「別ものとして考えよ」と、彼らは主張するだろうか。決してしないだろう。



 ところで、こういうときこそ左派をはじめとした「親中派」の出番だと、彼らの活躍に雀の涙ほどの期待をかけていたが、それも幻想に終わった。「週刊金曜日」に至っては、中核派の教師である根津公子の「国旗・国歌不起立の闘い」などという、糞の足しにもならない特集を毎週のように組んでいるが、そんな紙面の余裕があるなら、もっと現在進行形の危機であるチベット問題に言及したらどうだ。

 ここに、世界の人権団体と日本の人権団体(と称する団体)との決定的な違いがある。世界の人権団体は、人権が抑圧されているならば、それが右によるものであろうと左によるものであろうと、わけ隔てなく非難を浴びせる。対して日本の人権団体は、それができない。日本の人権団体は、右(と看做されているもの)による人権問題ならば、ヒステリックに人権を叫びたてるのに、それが今回のように自身らとシンパシーを感じられるものが対象となると、途端に口をつぐんでしまう。もはやこういう人たちに「人権」だの「平和」だのを、啓蒙的に言われたくないと思ってしまう。




 「友達の嫌がることはしない」。福田首相は言った。それが、日本がチベット問題で積極的に発言をできていないという、こういう結果を招いていることになっているのではないか。その友達がいけないことをしているならば、たしなめたり諭したり、ときにはきつく叱責するのが、本当の友達なのではないか。
 もし、その友達が怖くて逆らえないから批判できないというのであれば、それはただ「媚びている」だけである。それならば彼らは親中ではなく、ただの「媚中」である。



 日本政府をはじめ、国内の人権団体は、人権に手厚いのを自負するのならば、今回こそ声を上げて中国を非難しろ。

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